ゆずが大学の卒業を決めた。 卒論が合格点に達していたのだ。
正直、卒論を書き始めたとき、ゆずに論文を書く技術はなかった。 だが、教授にもまれていくうち、多角的な視野が身についてきたように見える発言がいくつか垣間見られるようになった。
前はなかった発言。 それは、職場の中でも目立つ。 前は、社会人の権利を主張する発言が多かった。 休みが少ない、だとか、残業が多い、だとか。
だが、論文を書いてから(だとおもう)は、何でもゆずにたずねてくる看護師に対してこう答えるようになっている。 「たとえば、仮に私にやり方を聞いて、そのやり方を実践に移した結果、何か問題が発生したときにはどうするつもり? 『他の人にこういわれたからやりました』と答えるつもり? それは、責任を取ったことにはならないよ。自分で責任を負うからには、他の人のアドバイスはアドバイスに留めておいて、最終的に実行に移すか、アレンジをするか、実行に移さないかは自分で決めないと。で、決めて実行に移したからには、それがすべて自分の責任になるから」
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卒論は、文章の技術云々ではない。 実際の看護の技術が向上したかはおいらはわからない。 でも、大学に編入し、論文の構成を自分自身の手で実際に考えたことによって、凄く自分で考える力が見についたような気がする。 知識は覚えればよい。技術も覚えればよい。 しかし、その技術を使うか使わないか、知識にのっとるべきかのっとらないべきか。その判断をするのは、自己判断であり本人の能力に大きく依存する。 それこそが、今の社会に不足しているものであり、これからの社会人が必ず身につけなければならないもの。
社長とたまにはなすのがこういうこと。 大学は知識を覚える場ではない。覚えるなら、塾とか専門学校に行けばいい。 大学は、いくつかの教科を通じ、物事の捉え方、考え方を学ぶ場だとおいらは思っている(というか、最近思い始めた)。 社会人になるための方向付けを決めるための時間、といわれた時代もあった。 しかし、決めるためには考えなければならない。
今の社会人も大学生もその能力が著しく不足している。 考えろ。 刹那的に生きるな。 先を見通せ。
どうしても予測できないこともある。 でも、ある程度の予測が立てられればダメージは小さい。
大卒の資格を手に入れたことよりも、職場の給料があがることよりも(実際は上がらないらしいが)、その能力を身に着けたことを、おいらは凄くうれしく思っている。
でも、大卒の下らんプライドに踊っちゃいかんぜよ。 現実問題として、日本の大学は金つみゃはいれるんだ。たいしたところじゃない。 そして、たまには一緒にバカになろうぜ(笑)←いつもだ
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