うちの実家には、犬がいる。 柴犬なのだが、これがめっぽう頭が良い。 とにかく、人の話を聞くのだ。 命令を聞く、のではない。人の話を聞くのだ。
ダメ。 待て。 おすわり、ふせ。 この辺はあたりまえ。
ゆっくり歩けだとか、回ってあるいてこいだとか、はやくおいで、だとか、そこまで判る。 おいらが、犬をしつける際、ダメ、だけを教え、それ以外は、ダメ、といった後、とにかく言って聞かせた。これはだめ、あれはだめ、と。 勿論、理由を言っても判らないだろうから、言わないけれど、ダメなときは、直ぐに叱り、ダメな行為と関連性をもたせる。 そうすることで、初めてしかられることでも、直ぐに「なぜしかられたのだろうか」と考える犬を育てることができた。
でも、幾らしつけても、欲望に勝てないことはある。 かつて、正月の御節の一環として作った春巻き、これをお座敷においておいたことがある。 犬には、「これはたべちゃだめだからね」といって聞かせておいた。 しかし、目の前には春巻きが積み上げられている。 我慢できるはずもない。 しかし、ダメだといわれている。 おいらが、食べている犬を目撃して「あー!!」といったら、咥えている春巻きを落とした(^^; ダメだと判っていても、我慢できなくて、でも見つかって、ぎくりとしている。 そんな人間くささが、おいらは好きだったりする。
そんな、うちの犬が、おいらが結婚するために、出て行ったときのこと。 奴は、おいらが出て行くことが判っていた。 どこかに遊びに行くのではない。どこかに行ってしまうのだと判っていた。 悲しげな顔をした。自分を置いていくのか、という顔をした。
おいらが実家に帰ると、喜ぶ。 とにかく喜ぶ。体いっぱいに喜びを表現して。 おいらが帰るとき、寂しがる。 その寂しがり方は、犬ではない。 「あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!」 殆ど、人間の悲鳴である(^^;
こんな犬を見ていると、ペットを雑に扱う人間が信じられない。 はっきり言おう。ペットを虐待する人間は、屑である。 反論は認めん。
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