風紋

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2004年09月25日(土) こういう1日だった / さまざまな人が、さまざまな場で、さまざまな思いを抱えて、さまざまに、

今日は、今日のことを書き残しておきたい気持ちなので、日記を書く。

と同時に、最近、ここは「日記」でもあるのに、あまり日記のような内容がないのに気がついて、気になった。だから、今日がどのような日であったかを、まず大ざっぱに書いてみることにする。

朝6時過ぎに起きた。お腹が減ったので、軽く朝食をとった(最近、朝食が「軽め」になっているのが少し気にかかっている)。その後、どうしても頭痛がしてだるかったので、メールのチェックを少しだけした後、再びうとうととしていた。ようやく起き上がることができたのが10時半少し過ぎ。この時点で、今日の用事に遅刻することが確定してしまったので、電話で「遅刻をする」という連絡を入れた後、急いで準備をして、外出する。電車の中で「あ、やはり頭痛がおさまっていないかもしれない」ということに気がついたが、引き返せないし、何よりも私自身が今日は引き返したくなかったので、そのまま進む。お昼過ぎに、約2時間も遅刻して、今日の目的地に到着。大好きで大切な人々と、とても大切な話し合いをした。昼食は話し合い中に済ませた。メロンパンとおにぎり(栄養のバランスが…?)。おやつに羊羹とアイスコーヒーとするめ。夕方に解散。慣れない乗り換えの駅で、少しだけ寄り道をしたつもりが、振り返ってみるとすっかり方向感覚を失っていた。失ったついでの勢いで、買い物をすることにする。秋に向けて少し服を見たかったので、見てみた。店員さんとすっかり打ち解けて話をして、いろいろ試着してみて楽しむ。ある程度使える上着とブラウスがあってもいいと思ったが、後日改めてまた見に来てみることにする。帰宅する予定だった時間よりもやや遅い時間に帰宅した。今日があまりにも素敵で幸せな日だったので、日記を書こうと思いながら、少しテンションがあがっていたので、いろいろな用事を済ませた。そして、今、日記を書いている。そう言えば午前中頭痛だったのをすっかり忘れていて、今頃になって頭痛かな?ということを思い出したので、明日にあまり疲労を持ち越さないようにしないと、明後日に大事な予定を控えているし、明日はその準備もあるのだった、と思い直しているところ。そして、ふっと立った時に一瞬ふらついて、“あ、やっぱり無理はいけない”と実感している。

…ざっと差し支えのない範囲で記述すると、こういう1日だった(長いなぁ)。


そして、「今日の本来の目的地で、大好きで大切な人々と、とても大切な話し合いをした」という話。私自身が、今日、とても行きたくて、そして行かなければならないと思って行った。

とても大切な話し合いなのに、約2時間遅刻するとは情けないと私自身でも思うのだけれど、半分は、ここ数日の私自身の状況を考えて、遅刻しても仕方がないかもしれないと私自身が思っていた。最悪の場合、出席できないかもしれないとも思っていた。それだけに、後半だけでも話し合いに参加できたのは本当に良かった。

少し緊張する話し合いだったので、目的地に着く少し前から、私は他の誰でもない私としてしっかりとしていようと、改めて眼をきっと見開いた。五感を研ぎ澄ませるようにした。

深呼吸してからドアを開けると、想像したよりも多くの人がいて、余計に緊張するやら嬉しいやら、であった。

話し合いの中で、私が、今の私なりに、疑問に思うことや思うところを発言し、それぞれの人々からお話をいただいた。その中で、私が納得できる点、納得できない点、今は納得できなくてもいつか納得できるかもしれない点を、ひとつひとつ確認していった。全体として進む方向を見据えながら、私は他の誰でもない私として、何をすればいいのだろう、何を考え続けるのだろうという点も、少し明確になったように思う。それは、話し合いに参加したメンバーひとりひとりがそのようであったと思う(と、そのうちのお一人と帰りに一緒になったので話していた)。

今まで、私は「私には何もできない」という思いが強かった。今もその思いは強くある。しかし一方で「私は何かできるかもしれない」「何かしたい」という思いも加わってきたように思う。

この場所で、日々思うことを綴ることによっても、もしかしたら「何某かをしている」「何某かができている」のかもしれない。

それが何なのか、どこへ向かうのか、ここでは書けないこともあるし、私自身明らかになっていない面もある。

「私には何もできない」から「何かできるかもしれない」に移っては来た。それがなぜなのか、私は私でもわからない。

その間、いろいろな人にいろいろな形で出会った。人見知りの強い私だけれど、最初はおずおずと、そして少しずつ。時にはひどく傷ついてしまったりということもあったけれど(今もある…)。そして、さまざまな人が、さまざまな場で、さまざまな思いを抱えて、さまざまに精一杯生きているということを知った。

それが、私にとって、大きな力になっているのかもしれないと振り返る。

私は良い人ではないので、綺麗事や理想だけでは生きられず、どうしても苦手な人や近づけない人や怖い人や嫌いな人もいる。また、人に近づきたくないと思ってしまう時もある。それでも、出逢えて良かったと思う…「思いたい」も少し入っているかもしれないな…。

今は「さまざまな人が、さまざまな場で、さまざまな思いを抱えて、さまざまに精一杯生きている」ということを大切にしたい。悲しい思いもつらい思いも、言葉にならない思いも、誰でもが抱えているかもしれないということを。そして、私自身も抱えているということ。

私自身、「悲しい思いもつらい思いも、言葉にならない思いも」抱えているけれど、今は幸せだ。今日は幸せだった。楽しかった。だからこうして日記を書いている。

「これまで」を振り返り、「これから」に思いを馳せながら、今を生きたいと思う。


そう思う一方で、今、私が進もうとしている方向は果たしてどのような方向に行くのだろうという不安もある。不安というより怖さ。ふと足元がぐらっとくるような、意味もなく寒くなるような怖さ。今日のやり取りの中でも、ふと、言ってはならないことを言ったのかもしれないと悔やむ(誰に、何に対して「言ってはならない」のか、私自身がよくわからない)。私は、現在見落としてはならないことをごそっと見落としているのかもしれないとも思う。「忘れたということを忘れているかもしれない」「気づいていないということに気づいていない」という感じ。それは時々ふっと訪れて、ふっと寒くなる。

それでも、帰りに、駅の看板を見上げ、あの場所でも精一杯「自分」を生きている人がいることを思い出し、勇気付けられる。

帰り道、夜空には、雲に見え隠れしながらお月さまが輝く。

今、「風紋」(保科洋作曲)を久しぶりに聴いて、静かに涙がこぼれる。21日の涙とは違うのはわかるけれど、これはどんな涙だろう。悲しくはない。むしろ嬉しい。嬉しい時にも泣ける…らしい。


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浜梨 |MAIL“そよ風”(メモ程度のものを書くところ)“風向計”(はてなダイアリー。趣味、生活、その他)