風紋

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2004年08月11日(水) 1日1つでばんざい / 「雲ひとつない空」の描き方

前回(8月6日)の日記で「あまり自覚していないが、少し疲れているらしい」と書いたのは、あながち嘘でもなかったようで、「夏バテまっさかり状態」が継続している。あ、別に夏バテになったのは誰が悪いわけでもなく、単に私の体力不足と体調不良が天候と合わなかっただけなのかもしれないけれど。今も「何となく変だな〜だるいよ〜」という感じでいる。

身体が疲れると精神的にも弱るもので(私の場合は)、弱気になって、びぇぇびぇぇと泣きそうになることもある。びぇぇびぇぇ。

「ばてていると思うから、余計にばてた状態になるのだ」というのも一理あるが、私自身は「ばてている」(あるいは疲れている)という状態をいったん認めたうえで、それからその範囲内で何ができるかなということを模索していきたいと思う。あまり「ばてている」(疲れている)ということを言い訳にしたくないけれど。

こういう日々なので、「1日に1つのことができればばんざい。2つできればばんばんざい。何もできなくても別に落ち込まなくてもよい」というポリシーを持つことにした。一気にいろいろしようとすると、どうしてもどこかに無理が来るだろうと思って。


というわけで、今日は「朝6時頃に散歩をする」ということを「1つのこと」にした。というわけで、ばんざい。

案外涼しくて、風もあって、空は雲ひとつなく真っ青で美しかった。

ところで、ここで話はがらっと変わる。

小学校高学年や中学生になると、授業用のノートとして普通のノートを使うのが一般的だと思うが(そのうちにルーズリーフに移行していったりもするが)、小学校に入りたての頃は、まず「こくご」「さんすう」などと書かれた学習帳を使うのが普通かなと思う。私の場合、算数、理科、社会あたりは徐々に普通のノート、あるいは罫線や方眼が薄く見えるだけのノートに移行していったが、漢字練習帳と連絡帳は割と長く学習帳を使っていた。

で、私が連絡帳として使っていたのはごく普通に縦罫線が入っただけのものだったが、なぜか家には、使いもしないのに1日1ページ式の連絡帳があった。例えば、こんなのとか、こんなので、要は明日の時間割と持ち物を1日1ページに書くのだ。

で、子どもの頃、この「連絡帳」に1ページずつでたらめの時間割と連絡を書いて妹と交換して見せ合いっこして遊んでいたことがあった。内容はあまりにも子どもで莫迦だったので恥ずかしくて一部しか書けないが、たとえば「1時間目:音楽:ドレミファソラシドを歌うだけ。2時間目:算数:数字の「1」の書き方の練習。6時間目:面倒なので勝手に帰る。宿題:昼寝すること。持ち物:昼寝した証拠のまくら」など。

で、交代に書き合いっこしていたのだが、「図工」で、妹が「写生(雲ひとつない空)」と書いてきた。で、私も「写生(洗濯したての真っ白なシーツ)」など、まぁいろいろと書いていたのだけれど、今朝歩いていて空を見上げると、これ「雲ひとつない空」だなぁ、と思い出してしまった。

当時の私たちは、「雲ひとつない空の写生にしても、洗濯したての真っ白なシーツにしても、写生の対象としては一色で仕上げるしかない」というオチで笑っていたのだが、今、よく考えると、「雲ひとつない空」を絵に描くのはけっこう難しいのではないかなと思った。

例えば、もしかすると青い空一色に見えてもよく見ると濃淡があるかもしれないし、それは時間によって変わるかもしれないし、そもそも、色として何を使う? 「青」が一般的なのだろうが、絵の具や色鉛筆の「青」を使ったところで見た空とぴったり同じにはならないだろう。

それにしても今朝の空はきれいだったが、写生したり、写真に撮ったりするのは案外難しいだろう。私が散歩していて、風を受けていて、ちょっと靴擦れで足が痛くて、周りの風景もあって、それで私が「今朝の空」をとらえたのだから。

余談ですが、莫迦莫迦しいかもしれないですが、「1日1ページの連絡帳で架空の時間割を作ろう遊び」、人によってはけっこう面白いかもしれません。でも1人でするのはむなしいので、できれば2人以上で回覧しながら遊ぶのがよいと思います。


どうも最近、いろいろ調子が悪いようなので、積極的になりながらも気をつけて過ごしていこうと思う。余裕があったら楽器を吹きに行こうかとも思っていたが、お休みした。


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浜梨 |MAIL“そよ風”(メモ程度のものを書くところ)“風向計”(はてなダイアリー。趣味、生活、その他)