風紋
もくじ / この前 / この後
| 2004年07月06日(火) |
ひとりだけれどひとりではなくてありがとう |
メモ程度に。 (いや。前回の更新からけっこう日が経っているので、「気付いたら7月になっていた」とか「そう言えば明日は七夕だ」とか、しみじみと思いをめぐらせたいものだが、いかんせん気力と体力が減退気味)。
人は、ひとりで、自分で生きていくしかないけれど、反面、ひとりでは生きていけないのだ、と、しみじみと思った。そう思うだけで、暖かな気分になって、もう少し生きていてもいいかなという気持ちになった。
念のために注記。別に生きるのをやめたいとは思わないし、生きているのが好きだけれど、時々、生きているのが疲れたなと思うことがある。
確かに、人によって傷つけられたり嫌な思いをしたりすることもある。そういう時は、泣きたくなってしまう。
でも、人を救うのもまた人だ。 …と言うとありきたりな言い方になってしまうけれど。「救う」とか「助ける」とか、そんな大仰なことでなくてもいい。ただ、“あなたがいてくれて、良かった”と思ったことが、今まで本当にたくさんあった。そして恐らく、私が自覚していないところでも、目に見えないところで私はきっとたくさんの人に支えられている。その人にとっては、私を助けたり、支えたりしているという意識(考え?)はないのかもしれないけれど、結果的に私はとてもたくさんの人にとてもとても支えられていて、それで何とかかんとかこうやって幸せに生きて、いろいろなことができる。“疲れたなぁもう絶対駄目だもう嫌だー”と思う時もあるけれど、不思議とふっと気持ちが楽になったり、のびやかに生きることができそうに思って幸せに思ったり、もうちょっと先まで進もうかなと思ったり。
「あなた」がどこかにいると思うだけで私にとってはすごい勇気になる。ありがとう、大好き、と思う。
私も、思いっきり思うように生きて、強く優しくありたいと思う。
○ 「私は元気にやっていますので、どうぞ心配しないで下さいね」というのが社会的に見て望ましいのだろうなと思うが、私の実情はそうでもなく、実は夏バテなのか心身ともに弱ってしまっている。…と、こんなふうに書いてもよいのかどうかわからないけれど。
そういうわけで、「心配しないで下さい」と言い切るにはあまりにも心細く、かと言って「心配して下さい」というのも申し訳なく…。うーむ。「やや心配して下さい」(「やや」がポイント)。
○ こんな中でも私の日々の生活の中の何かを、何らかの形で残すことができればと思う。
もくじ / この前 / この後
|