風紋

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2004年06月17日(木) おっちょこちょいな1日 / 寂しいと伝えたい / 電話の変化 / 祭り / 生きているのが好き / 夜更かし…

今日は、いろいろと、おっちょこちょいな1日だった。

出かけた先の門を入った時に手に持っていた荷物は3つ。メインバッグ(財布や筆箱、携帯電話などが入っている)と、サブバッグ(資料類が入っている)と、お昼ごはん(パンとお茶)の入ったビニール袋。そのまま、事務部、控室、本当に用事のある部屋、と移動。

はたと気がついた時、私の手もとにあったのは、サブバッグと、筆箱類だけであった。探しに行きたかったが時間がなかった。差し当たりそれだけあれば困らなかったので、続行。

1度目の休憩時間に、控室に寄ってみると、メインバッグは見つかった。事務の方がきちんと保管して下さっていた(あまりにも無防備な場所に置き忘れていたので、安全な場所に避難させてくださっていた)。しかし、パンとお茶がない。

2度目の空き時間に、もしやと思って事務部に寄ってみると、…あった。お昼ごはん。

それにしても、事務部の方々に「あの、このビニール袋、私のものなんですけれども取っていってよいでしょうか。中身、お昼ごはんなんですけれど」と声をかけた時の恥ずかしさは何とも言えぬものであった。その前に控室の方にも「あの、鞄と一緒にビニール袋なかったでしょうか…中身は大したものではないんですけれど。お昼ごはんなんです」と声をかけていたのだが、その時は、もっと恥ずかしかった。

ちなみに、お腹が減っているとパワーダウンするので、見つかった後は控室で堂々とパンを食べた。


数日前に、いろいろとあって、心を鋭い爪のようなもの数本で、力を入れてびーっと引っ掛かれたような痛みを感じてしまったことがあった。念のため注釈を入れておくが、そのこと自体は、この日記や、この日記を読んで下さっているであろう方には一切関係がない。また、冷静に考えてみると、誰が悪いと特定できることでもない。ただ、私自身が、「心を鋭い爪のようなもの数本で、力を入れてびーっと引っ掛かれたような痛み」を感じてしまったというのは本当のことで、敢えて言うならば、そのように感じてしまった私が悪いのかなとも思うけれど、感じてしまったこと自体は本当のことなのでどうしようもないし、そう感じてしまうのが今の私なのだ。

話がそれた。

ということもあってか、最近、妙なところで妙に寂しがりになっているような気がする。もっとも、今までは、「寂しいような気がするけれど気のせい。寂しくないはずだ」と思ってきたので、「寂しい」という気持ちを認められるようになったなぁと考えると、何となく進歩しているような気がするが。

大勢の中で明るく話している時は寂しくないとは言い切れない。が、いつもいつも寂しいと思いながら時間を過ごしているわけでもない。

例えば、凌霄花の花が咲きかけていて嬉しいとか(例年に比べると随分早いような気がする)。
例えば、紫陽花の花が咲いていて、青い紫陽花が私はとても好きなんだとか。
例えば、夕方の西の空が優しさを孕みつつ、とても強い美しさをもって見えたとか。
例えば、通りがかりのペットショップで金魚が3匹100円だったとか。
例えば、雨の日の匂いは懐かしくて、どこか夏休みの匂いと似ているとか。
例えば、海開きの日が近づいているということとか。

そんな他愛もないこと、些細もないことが、とても愛しく思えることがある。それを、他の誰でもない「あなた」に、とても伝えたいと思うことがある(場合によって、その「あなた」は、Aさんだったり、Bさんだったり、Cさんだったり、…(以下同様に続く)…するけれど)。

ただ、伝えようとするその行為自体が、相手にとって重荷になりはしないだろうか。なってしまったら、それは私の本意ではない。

そう思うと、伝えようという思いを必死で噛み殺す。内に閉じ込めて出てこないようにする。

そうしていると、ますます寂しさがつのって、寂しさと闘い、携帯電話とにらめっこしながら、眠りにつくという日も、時々あるのだ。

誰にでもあるのかな。そういう時が。

そういう時があるから、いま、こうやってこの場で日記を書いているのかもしれないと思った。


そう言えば、電話という道具は不思議なものだと思う。

公衆電話、自宅にひいている電話、留守番電話、携帯電話。使おうとする状況によって、使おうとする種類によって、心の動きが違う。かけようとする時の心の動きも、待つ時の心の動きも。特に、携帯電話が普及してからは、そのバリエーションも増えたような気がする。

「自動車電話って、最近もう見ませんよね」という話を、先日していた。


こちら(現時点で何とお呼びすればよいのかわからないので、とりあえず「こちら」と書いておく)が再開された記念に、こちらもお祭りを開催して、タイトルを「ふうもんー」としようと思いかけたが、気がついたらお祭りが終わりに差し掛かっているようだ。一時的に「ふうもんー」にしたらどうだろう。少し印象が変わるかもしれない。

ちなみに、いつぞやの日記に(かなり前なのでいつなのか忘れた…今年の初めくらい)、「この春の夢はお祭りに行くことで、この夏の夢は海を見ること」と書いたが、とりあえず「お祭りに行く」方は実現させた。1人でふらふらとお店を見て回り、「ままごとセット」を買った。長さ5cmの「おたま」、高さ7cmの「カクテルグラス」、どちらも50円。


寂しさを感じる一方で、私は生きているのが好きだー、と思う。いっぱい、つらいこと悲しいこと疲れること苦しいことがある。それでも、生きているのが好きだなーと。

ありがとうございます、と伝えたい。


ここまでをさっき書いていた。ここから、追記。

家族の使っているパソコンの調子がおかしくなってしまっている。1週間ほど前から。家族で最もパソコンの操作ができるのは私なので(そしてその私も、そんなに大したことができるわけでもない)、私が対処するしかない。

そこで、メーカーのメールサポートに状況を詳しく書いて説明し、回答をいただき、さっき、上の日記を書きながらもう1台のパソコンを横に置いて、その通りに実行してみたのだが、メールに書いていない現象が発生してしまった。この先、どう進めば適切で、かつパソコンにダメージを与えない操作ができるのか、さっぱりわからなくなってしまった。

ならば電話でリアルタイムで状況を説明して助けを求めようとサポートセンターに電話したものの、混雑していてつながらない状態が2〜3時間。やっとつながったと思ったら「30分以上お待ちいただきます」というアナウンス。ここまで来たら30分以上待ってやろうではないかと、電話機を横において待っていた。とは言っても時間的にも状況的にも何をしていいのかわからないので、「しばらくお待ちください」のアナウンスがかすかに聞こえる状況で知人に手紙を書いていた(メールではない。紙の)。

結局50分後につながり、状況を把握し、対処法を聞き、納得し、適切に終了してみたら、こんな時間になってしまった。ちなみに現在午前4時30分。

以前はけっこうこのような無茶な生活もしていたのだが、最近は午前1時頃には眠るようにしていたのだが、…えっと、あのぅ…、意図的に夜更かししたわけではないので、この後、どうしようか途方に暮れている。

とりあえず、机の上を片づけて、手紙も終盤に差し掛かっていたので、書き上げて、明日(もう「今日」だな)郵送することにして、…素直に寝よう。

夜更かしするつもりじゃなかったんだってばー。ただ、その問題を起こしたパソコンを放っておけなかったから何とかしたかったというだけ…。

(2004/06/18,AM4:30 追記)


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浜梨 |MAIL“そよ風”(メモ程度のものを書くところ)“風向計”(はてなダイアリー。趣味、生活、その他)