風紋
もくじ / この前 / この後
| 2003年11月21日(金) |
中華まんを買っていた女の子と昔の思い出 / こんな時だから / チョコ / メモ / 寒くなるので気をつけて |
帰り道、小さいお店の前を通りかかった。コンビニエンスストアではなくて、個人商店のようなお店だった。小さい女の子が、中華まんを買っていた(どの種類かはわからなかったが)。女の子が100円玉を1枚(…だと思う)をお店のおじさんに差し出すと、お店のおじさんは、丁寧に袋に1つ、中華まんを入れて女の子に渡していた。
初めてお使いに行った時のことを思い出すなぁ…と思いながら、ほのぼのとした気持ちになった。
私が初めてお使いに行ったのはいつのことだったのか、よく覚えていない。けれど1つ、今でもよく覚えているお使いがある。「どの種類の食パンをどのくらい買って来て」とだけは聞いて、それははっきりと覚えて家を出て、それを正確にお店のお姉さんに伝えたのだけれど、突然「何枚切りですか」と聞かれたのだ。「何枚切り」って言われても意味がわからないし、何を聞かれているのかわからないし、そこまでは母からも聞かなかったので、ひたすら母の言ったことを繰り返して言うしかなかった。結局、お店のお姉さんが書いたメモを持ってもう一度家に帰った…ような気がする。
ということを思い出しながら歩いていると、さっきの女の子が中華まんの袋を持ってスキップをしながら通り過ぎていった。おいおーい、落とすなよ…と思いながら見送った。
私にとって、スキップや口笛などは、できない時は悔しくて悔しくて仕方がなかったのだけれど、いつの間にかできるようになっているものだったような気がする。今ではスキップも口笛も、何だか恥ずかしくてできないのだけれど。
「できないのが悔しくて悔しくて仕方なかった」もので、私にとって最も強烈に印象に残っているのは、ちょうちょ結びだ。小学校1年の時に、綴じ紐を結ぶのにちょうちょ結びを覚えなければならなかったのだけれど、これがなかなかできなくて、変なところで負けず嫌いの私は泣きながら練習したものだった。「『できないできない!』ってむきになるんじゃなくて、『あ、できないわぁ〜』と笑いながら練習しなさい」と母に言われたものだった。…で、どうやってできるようになったのか、今となってはよく覚えていない。
と、いろいろと思い出していた。
○ こんな時だからこそ、無理をしてでも挑戦してみたいことがある。こんな時だからこそ、行きたい所がある。こんな時だからこそ、会いたい人がいる。こんな時だからこそ、できることがある。何か少しでもいいことがあるに違いない。何か少しでもいい出会い(人や物との)があるかもしれない。ありそう。
ふとそんな気がした。
…しかし、無理は禁物。
○ 「メルティーキッス」のマイルドカカオ味を買った(商品名だとは言え「メルティーキッス」と書くのは何となく照れる。これが「小枝」だったら照れないのに)。
○ 悲しみについて考えていたのだけれど、少し時間をおいてからゆっくりと考えて書いた方がいいような気がするので、取り急ぎ今日は「悲しみについて考えた」ということだけをメモ程度に残しておく。
○ 明日から急激に寒くなるそうです。どうぞ気をつけて。私はしばらく、ぼーっとすることにします(日記も、ぼーっと書いたり書かなかったりするかも)。
○ もっと他にも、書かねばならないことがあるような気はしている。けれど、少しゆっくり自分の中で暖めてから言葉にしてもいいかなぁ、と。
もくじ / この前 / この後
|