風紋

もくじ / この前 / この後


2003年11月20日(木) 音楽が戻ってきた / 言葉は? / 青を探す

今日、ふっと“音楽が私の中に戻ってきた”という気がした。久しぶりに。

10月頃から時々、この日記の中で、私の所属する楽団の演奏会が近づいていることや、私が演奏会のための練習に参加していることを書いてきた。だが、実は、演奏会の本番は、今日の時点ではもう終わってしまっている。終わってから随分長い時間が流れたような気もする。

いつもは、本番を終えた後は、気分が高揚して、その日の夜遅くに日記を書いたり、聴きに来てくれた友人にお礼のメールや手紙を書いたりしていた。その後の数日間も、演奏会の余韻に浸って“あぁ、良かったなぁ…”としみじみ思い返したりしていた。

しかし、今回の演奏会については、その高揚感や余韻がなかった。代わりに、何か今までとは違う「本番後の感じ」があった。それだけではなくて、その後に音楽が聴けない期間がかなり長くあった。例外で、平松愛理さんの歌など何曲かは聴いていたが、いつも聴いているクラシック系統の曲を聴くのが本気で怖くなってしまった。特に本番で演奏した曲の参考音源には全く触れなくなってしまった。

なぜそんなことになったのかは、物理的な理由と心理的な理由があるように思う。物理的な理由としては、その後しばらくの間、外せない仕事を連続して入れていたので、本番の後はとにかくすぐ休みたかったことなどがある。心理的な理由は…わからない(わかっていたら、そもそもこんな状態に陥っていないような気がする)。

ただ、本番直前の練習と本番のステージでかなり無理をしてしまったという自覚はある。本番には、私自身が持っている全ての力を傾けたとも思う。それは楽団全体から見れば小さいものだったかもしれないけれど。

というわけで、しばらく音楽が聴けない期間が続いていたのだけれど、今日、ある瞬間に、ふといくつかの曲のメロディーが自分の中に浮かんできて(それは今回の演奏会で演奏した曲とは全く関係なく)、“あぁ良かった嬉しいな”と素直に思った。これからこれがどうなっていくのかわからないけれど。

で、その時に浮かんできたメロディーであり、今、聴いている曲のリスト。

・ガランタ舞曲(コダーイ作曲)(Dances of Galanta / Kodaly)

・フェスティバル・バリエーション(クロード・T・スミス作曲)(Festival Variations / Claude T. Smith)

・アルメニアン・ダンス,パートI(A.リード作曲)(Armenian Dances Part I / Alfred Reed)

で、最終的には
・風紋(保科洋作曲)
に戻ってくる。


それと同時に、少しだけ言葉も戻ってきたような気がして、今、こうして日記を書いている。ここ数日は、書けないという気持ちと、書いてはいけないという気持ちがあった。無理やりに、書けない状態に私自身を追い込んでいかなければならないと思う気持ちがあった。今もある。


パソコンの壁紙の色を青一色にしようと思って、いろいろと調整をしていた。しかし、青にしようとすればするほど、私の思っている“青”からは遠ざかるような気がした。これじゃ紫に近いよ…とか、これじゃ緑に近いよ…とか、これじゃ青すぎて青じゃないよ…と呟きながら、色を探していた。

…いや、色事典の類を見れば、“青”を定義することはそれほど難しくないだろうとも思うのだけれど。

『色の名前』(監修:近江源太郎/構成・文:ネイチャー・プロ編集室, 2000年,角川書店)(詳細)の巻末に掲載されている、系統色相法の考え方に沿っている色見本の配列を見た。色相名(赤、黄、青など)で色を表現したうえで、さらに明度・彩度の特徴を示す修飾語をつけて、より細かく色の違いを説明する(p.194より要約)らしい(美術のことについては私はあまり詳しくないので誤った表現をしているかもしれないけれど)。

「青」に関係したところでは、「青緑」「緑みの青」「青」「紫みの青」「青紫」があり、修飾語としては「薄い」「浅い」「明るい」「さえた」「強い」「濃い」「にぶい」「暗い」「灰みの」「明るい灰みの」があった。もっと細かい分類もできるのかもしれないし、実際には同じ程度の色に複数の名がついていたり、この分類に当てはまらない色もあるように思うけれど。

私が探している“青”は、どこにあるのだろう…。


もくじ / この前 / この後
浜梨 |MAIL“そよ風”(メモ程度のものを書くところ)“風向計”(はてなダイアリー。趣味、生活、その他)