風紋
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| 2003年10月12日(日) |
生きていて下さい…など / 練習メモ |
今から書くことは、うまく書くことができるかどうかわからないのだけれど。
「どうか生きていて下さい。でないと、私が生きていられなくなってしまう」と言ってしまったことがある。
言った後で、相手に対して、すごく申し訳ないことを言ってしまったと思った。私自身が、どうしてそういう論理の帰結になるのか把握できていない部分もあるのに、その時はどうしても言わないといけない気がして言ってしまった。口に出した後で“何を言ってしまったんだ、私は…”と思った。
しかし、間違いなく私の中にこのような気持ちはある。それを表に出してもいいのかどうかは別にして。それはその相手のみならず、自分の周りにいる複数の人に対してもそんな気持ちがある。直接は知らない人に対してもある…かもしれない(よくわからない)。
人は、いつかいなくなってしまう。それは頭ではわかっている。でも、いなくなってしまうのはもう嫌だ。嫌だ…というよりも、悲しい、寂しい…どの言葉もあてはまらないような気がするけれど、胸が苦しくなるような、あるいは足もとからがくっと崩れるような、そんな感覚がある。
なぜ生きていて欲しいと思うのか、自分でもよくわからない。
自分の周りの人がいなくても、私はしっかりと毅然として生きていけるようにならなければいけないとは思っている。“あなたがいなくても私は大丈夫。心配しないでね”と言えるようにならなければいけないと思う。しかし、現実にはそうではない。いろいろな人に支えられて、助けられている。目に見えるところでも、見えないところでも支えられている。自分の周りの人がいなくなってしまったら、きっと私は生きていけない。…と思うが、現実を考えると、私の身体が生命を維持するための活動をやめない限りは、私は生きているのだろう。
なぜ生きていて欲しいと思うのか、自分でもよくわからない。
なぜ、人が生きていてくれないと、私自身も生きていられなくなるような気がするのかもわからない。
そもそも、なぜ自分がここにいるのかもよくわからない。不思議な感じ。
ただ、今は“生きていてください。生きましょう”としか。
○ 楽団の練習に行った。以下、メモのような日記のような箇条書き。
・身体は、だいぶ動くようになってきたような気がする。 ・しかし、「楽器を吹くための身体」が相当崩れているような気がする。以前はこうだったのに…と思うともどかしい。 ・思っているように身体が動かず、頭と身体がばらばらに動いている感じ。特に腹式呼吸がうまく使えていない。 ・たぶん身体の使い方がおかしい。高音が出にくい。 ・昨日よりは緊張しなかった。何回か合奏に出たことのある曲だったからか? ・それでも、以前のような音が出るようになってきたような気がする…のは、合奏中で全体の中にいたからそう思うだけかもしれない(別の人の音を自分の音のように勘違いした可能性がある。でも、身体が昨日よりも自由に動くように思った)。 ・今回、1曲だけ、以前別の団体で自分が演奏したことのある曲を演奏する。今日はその曲を合奏したのだが、その曲に限っては、ブレスのタイミングや指回しを身体が覚えているように思う(頭でなくて)。 ・グロッケンの女の子が以前より随分上手になったな…と思った。 ・音の中にいるのは、やはり幸せだ。自分自身が、メロディーの中に溶けていくような感じ。
「思っているように身体が動かず、頭と身体がばらばらに動いている感じ」は、特に楽器を演奏する時でなくても最近よく感じるように思う。自分の身体の状態を自分でよく把握できていないような…。
いや、まぁ、大抵はけろっと元気にしています。
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