風紋

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2003年09月01日(月) 防災の日 / メヒシバ / 猫 / 買った本 / 天声人語 / 論文出した

今日は、防災の日だった。関東大震災が起こってから80年が経ったという。


今日は、メヒシバがやけに目についた日だった。今日になって一気に生えてきたということは考えられないので、その存在に私が今日まで気がつかなかったということだろう。

子供の頃に、よくメヒシバでかんざしを作って遊んだ。メヒシバを1本摘んで、穂を1本ずつ下の方向に引いて…言葉でどう表現したらよいのだろう…穂をちぎってしまわないように、茎の皮を少しつけたままの状態でぶらさげると、完成。

この作り方は、確か何かの本で見て知ったものだけれど、当時はかんざしがどういうもので何に使うものなのか、わかっていなかったような気がする(本で写真を見て「髪に飾るもの」という認識はあったような…)。ただ、ちまちまと手を動かすのが楽しかったので、よく作っていた。

似たような作り方をするものに、「ナズナ(ペンペングサ)のガラガラ」がある。


今日も帰り道で猫に出会った。この前とは違う道で、この前とは違う猫に会ったのだけれど、今日会った猫は私に向かって挑みかかってくるような眼差しをしていた。でも、どこか強がっているようにも見えた。

小学校2年の時に、夏休みの自由研究で「ねこのかんさつ」をした。当時「タマ」という名前の猫を飼っていたので、足の裏の絵を書いたり、牛乳を飲む様子を観察して文章にしたりした。

タマは、その数年後に行方知れずになってしまった。忘れた頃に、一度だけ不意に戻ってきたことがある。随分驚いたものだったが、一夜明けるとまたどこかに行ってしまっていた。それから会っていない。

そう言えば小学生の時にどんな自由研究をしたかなぁと思い出してみたのだけれど、小学校1年の時だけ自由研究に何をしたのかがどうしても思い出せない。


本屋にふらりと寄って、買った本
(1)「カンバセイション・ピース」(保坂和志著、2003年、新潮社)(詳細
2003年8月5日の朝日新聞夕刊を見て(8月6日の日記に書いた)、一度読んでみたいと思ったので。

(2)「『犠牲』への手紙」(柳田邦男著、2001年、文春文庫(単行本:1998年、文藝春秋))(詳細
この本は、「犠牲 わが息子・脳死の11日」(柳田邦男著、1999年、文春文庫(単行本:1995年、文藝春秋))(詳細)の続編ということで、本当は両方読みたいのだけれど、「犠牲 わが息子・脳死の11日」の方が本屋に見当たらなかったので、先に続編だけ買った。できれば順番に読みたいので、しばらく読めないかもしれない。


今日の朝日新聞の「天声人語」(朝日新聞、2003年9月1日、朝刊1面)を読んで、胸がじんとした。どう言葉にしていいのかわからないのだけれど、何度も何度もこの文章を読み返したいと思った。(こちら…なのだけれど、1週間ほどでここからつながらなくなるのかもしれない)。

「ゆうやけこやけ」の歌、私は好きだ。時々不意に歌いたくなることがある。あたたかでしあわせで、少しかなしい気持ちになる。


今日、論文を提出してきた。少し気持ちが楽になった。


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浜梨 |MAIL“そよ風”(メモ程度のものを書くところ)“風向計”(はてなダイアリー。趣味、生活、その他)