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一昨日に購入した『続続・吉原幸子詩集』(現代詩文庫172 2003年,思潮社)(詳細)をぱらぱらとめくって、目に入った詩から一つずつ読んでいた。言葉ではあらわせないような思いだ。「好きだ」とか「良い」とか「素晴らしい」とかいう言葉は思いつくが、どれもぴったりとしない。敢えて言うなら「今の私には吉原幸子さんの詩はなくてはならないものだ」としか言えない。読んでいると、右肩を中心とした右半身が、じんと痺れるような感じを時々味わう。言葉でなく身体で感じているのかもしれない。 自分でこんなことを書くのもどうだろうと思うけれど(という内容のことを最近書くことが多いのもどうだろうと思うのだけれど)、ひとりになったときに涙がつつーっと流れることがある。眠る前や、夜中に目が覚めた時が多い(最近、私は眠りにつく前はひどく弱くなる)。伝えたいことがあるのに、伝えられるだけの力が自分になくて、伝えられないことが哀しいのかな、と思う。しかし、誰に何を伝えようというのだろうか、私は。 伝えるためには、私はしっかり見なければならない、しっかりしなければならない、と思う。 少し疲れている。「疲れている」と思うから余計に疲れるのかもしれないから、そう思ってはいけないと思うのだが、でも少し疲れた。「暑くもなく寒くもない、誰も知らないどこか遠くの島」に行って、ゆっくり眠ったり、絵本や詩を読んだり、音楽を聴いたり、歌を歌ったり、空を眺めたり、花を眺めたり、風を感じたりしながら、ずっとのんびり暮らしたい。ただ、「暑くもなく寒くもない、誰も知らないどこか遠くの島」を探す元気がなく、探し出しても行く元気がないので、できれば「どこか遠くの島」が近くに寄ってきてくれればなぁと思う。しかし「誰も知らない」ところは寂しいな。 あんまり現実的な話ではないので、「誰も知らないところだったら、電気も水もないはずだ」というようなことは考えずにおく。何だか、なまけものな夢でごめんなさい。 「ゆっくり眠ったり、絵本や詩を読んだり、音楽を聴いたり、歌を歌ったり、空を眺めたり、花を眺めたり、風を感じたりしながら、ずっとのんびり暮らす」ということが、「暑くもなく寒くもない、誰も知らないどこか遠くの島」に行こうとしなくても、普通の生活の中でできればいいのだけれど。 駄目だ。頭がこんがらがってきた。恐らく「肩の力を抜こうとしてかえって肩に力が入っている状態」になっている。 最近は、ちょこちょこ家事をしたり、ちょこちょこ原稿を書いたり、ちょこちょこその他の仕事をしたり、ちょこちょこ本を読んだり、ちょこちょこ高校野球を見たり、ちょこちょこ出歩いたりしています。でもぼけーっとしていることも多いかも。 昨年の夏には在って今年の夏には失ったものは何だろうか、昨年の夏には無くて今年の夏には得たものは何だろうか、と、時々考える夏。
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