風紋

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2003年08月03日(日) 昨日のことと見ること・聞くこと・言葉にすること / 肩こり / 暑いですね

昨日のことを、時々思い出していた。これからも思い出すだろうと思う。

自分の中にあることを自分の中で言葉にする回路と、自分の中で言葉になったものを外にあらわす回路の両方が故障しているような気がする。私は立ち止まってしまっている。何もできないで、何も動けないで、何も言えなくて。私はいったい何をしているのだろう。情けなくなる。

同じものを見ても、同じものを聞いても、それをどのように受け止めるかは1人1人違う。同じ出来事に遭遇しても、それをどのように受け止めるかは1人1人違う。それはその人がどういう人なのか、その人がどのように生きてきたのかということが1人1人違うからだというのが理由のひとつだろうと思う(それだけではないかもしれない)。そう考えると、同じ名前でひとくくりにされるような「ある出来事」に遭遇した人がたくさんいたとしても、それは、どの人にとっても同じ意味をもつ出来事であるということは決してないだろうと思う。1人1人、違ったようにであっても、その出来事を自分なりに受け止めて、自分の中にのこして、抱えて、その人にしかないただ1つの自分の人生を営んでいくのだろう。どういう方法でもいいと思うのだけれど、違った方法でも、それぞれの方法を大切にしたいと思う。

私の目の前に在るのに、見ようとしていなかったものがたくさんある。私に聞こえるはずなのに、聞こうとしていなかったものがたくさんある。今も。

私は私としてしか、ものを見ることができない。聞くこと・触れること・感じること…についても同じこと。それは限りなく嬉しいことでもあり、限りなく哀しいことでもある。今の私に、何が見えるのだろう。何が聞けるのだろう。何に触れられるのだろう。そして、何が言えるのだろう。何を伝えられるのだろう。何も言えないよ。

そんなことを考えながら、昨夜はつるつると涙をこぼしていた。


今まで肩こりに悩んだことはなかったのだが、ここのところ時々肩こりに悩まされる。主に右肩。どうも、知らず知らずのうちに肩に力が入って必要以上に右肩が上がってしまっていることがよくあるようだ。一昨日、普通に座っている時に「傾いているように見える」と言われたときはさすがにショックだった。意識して肩の力を抜こうとはしているのだけれど、そうすると「力を抜くための力」を入れてしまっていて、どうもうまくいかない。

「あなたの今の目標は『休む』ことじゃなくて、『休まる』こと。休まるために、いろいろなことを調整していけばいいんだよ」とは、師とも姉とも慕う人に言われたこと。


7月末は“まだ7月って終わってなかったんだっけ?”という気持ちでいたが、いざ8月になってみると“もう8月になっちゃったよ。どうしようどうしよう”と焦ってしまっている。

これまでは、“本当に夏か?”と言いたいような涼しい日々が続いていたけれど、ここ数日になって、ようやく“本当に夏だ”という暑さになっている。うんざりするようで、でもどこか嬉しくて、ほっとする。

いかがお過ごしですか。どうかどうか、お体お大切に。私は時々ぶっ倒れながらも、まずまず元気です(と、思う)。


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浜梨 |MAIL“そよ風”(メモ程度のものを書くところ)“風向計”(はてなダイアリー。趣味、生活、その他)