風紋

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2003年05月29日(木) 仕事先で地声を張り上げて喋る / 私は私でしかない

結局、身体的にも精神的にも大丈夫だと言える状態ではなかったけれど、仕事には行く。電車の中でずっと「帰りたい。もう休みたい。何だかお腹が痛いような気がする。こんなのでこれから私は生きていけるのかなぁ。こんなにやる気がなくてどうしよう」と、死ぬ思いだった。

実際、仕事をし始めてみると何とか普通にできたような気がする(同僚と喋って少し気が楽になったからかもしれない)。片方の授業の方は、約80人を相手に喋らないといけないのに、今日に限ってマイクの調子が悪く、泣きそうになったが、「学生時代に合唱部だったので声には自信があります! 今日は地声でいくのできちんと聞いて下さい!」と、1時間近く地声を張り上げて喋った。しかもフルパワーで声を出していたので、いつもの何倍もの体力を使ったような気がする(それでも後ろの方には届いていなかったみたいだ)。*注1

ただ、やっぱりいつも以上の体力を消耗したのと、あと人前では多少ごまかされていた部分はあったのか、帰ってきてから、休もうとしても休めないほどの疲労を感じている。寝ていても疲れていて不安になるし、もっともっとしなければならないことがあるのに何故できないのだろう、私はいつまでこうなんだろう、いつまで経ってもこんなに情けないのかと思う。

私は私でしかないと、ふと思った。他の人がたくさんの素晴らしい資質を持っているのが羨ましくてならなくて、自分もあの人のようになりたい、この人のようになりたいと願うけれど、でも私は私でしかない。それは、自分の能力を見限っているというわけではなくて…なんなんだろう。とにかく、私は私でしかないし、私以外の者にはなれないし、これまでもずっと私だったと思った。だったら、こんな私が、私として、いろいろな場面で、どのように何ができるのかを考えていかないといけないのだろう。それは、他の人のように美しく要領よくはないだろうけれど。無様に失敗したり、見苦しいところばかり見せるかもしれないけれど、それでも私だと思った。

帰りしなは美しい夕焼けを見ながら電車に揺られる。久しぶりにあんなに美しい夕焼けを見た。少しずつ、日が長くなってきたんだね。

*注1
マイクの調子が悪かったのは、単に私が機器操作に慣れていなくてスイッチを入れそびれていただけの可能性が高い。あと、合唱部であったことと声に自信があることに因果関係があるのかどうかわからないけれど(放送部とかの方があるのかも)、話のネタとして振った部分はある。しかし、自分自身は合唱に携わっていた時期はあるものの、「合唱部」に所属していたという意識は薄い。小学生の時に児童合唱団に、大学生の時に合唱団(「合唱部」とは呼んでいなかった)に入っていただけ。どちらかというと、吹奏楽部に所属していたという意識の方が強いかなぁ。そっちは中学から現在までずっとだから(現在は「吹奏楽団」に居るが。しかし最近は練習を休んでばかり)。


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浜梨 |MAIL“そよ風”(メモ程度のものを書くところ)“風向計”(はてなダイアリー。趣味、生活、その他)