風紋

もくじ / この前 / この後


2003年05月11日(日) 手帳がまっしろ / 「あれ」からx年 / 覚えておきたい記事

もともと、手帳に予定や覚えておくべきことを細々と書く性格ではなかったのだけれど、最近はさすがにいろいろと覚えておかなければならないことも増えたから、ここ2〜3年くらいは手帳によく書き込みをしていた。図書館の本の返却期限、何日の何時にどこそこへ行かねばならないという約束、研究会の予定、いついつまでに提出しなければならない文書あるいは書類…などなど。しかし、最近、“これ手帳に書いておいた方がいいよね”ということもなぜか書く気が起こらない。「○月下旬までに論文を仕上げる」「○月上旬までに調査計画を立てる」と頭ではわかっているものの、そこに向かっていく気力が湧かない。というか、5月6月のカレンダーを見ていても、何だかすごく他人事のように感じて、距離感を感じるというか、どうでもいいような気がするくせに焦りばっかり募っているというか。

とても負担を感じている仕事について、何人かの先輩に相談。実はもう一番大変なところは越えてしまっているとのこと。どう考えても、やめるよりも続けた方がいいと自分でも思う。というかやめることで生じるデメリットの方が大きい。あと少し、あと少しだけ頑張ることができたらいい。しかし、仕事が終わるのと私がつぶされるのとどっちが早いだろうと思うと不安になる。

頑張れない、つらい、苦しいと訴えるだけではなくて(最近は訴える気力も失せてきたような…)、まず私がどうしたいのか、何を求めているのか、どういう方向を目指したいのか考えること。それに向かって頑張るなり、あるいは自力で無理なら誰かの助けを借りること。そういうことを、考えている。最近は何が何だかわからなくなっている。


「あれ」からx年経ったのだけれど、「あれからx年」ということを覚えている人が私の他に何人いるのだろうかと思うと寂しい気分になると同時に、自分が果たして覚えていてもいいのかという気持ちにもなって申し訳なくもなる。自分自身も思い出すと胸が裂けるような悲しみを覚えるから。でも「あれ」が何かは、ここではちょっとだけ内緒。そして、xの値がいくつであるかも、内緒。


覚えているうちに,覚えておきたい記事(いつまでリンクが有効かわからないけれど)

こちら(14歳携帯の「遺書」 残った未送信メール)
 本当に本当にこの女の子は苦しかったんだろうなと。でも生きていてほしかった。生きる意味なんて私にだってわからないけれど、「生きていたらそのうちいいことがきっとある」とも言えないけれど、でも生きていて欲しかった。知らない子だけれど。「死にたいという気持ちは救って欲しいという願望の現れ」というのが、そうなんだろうな、と思った。それ以上のことは、私にはうまく言えないけれど。

こちら(とっておきの場所 震災の傷忘れぬように 神戸大アカデミア館のバルコニー )
「街を見渡す場所に立つと、犠牲になった6400人を超える人から問いかけられている気がする。「私たちのこと、忘れていませんか」と。」というのが心に残った。私も問い掛けられているのかもしれない。問いかけに気がついていないのかもしれない。たまには、のんびりとしないと、忘れたくなかったことや忘れてはいけないことを忘れてしまうような気がする。私はそれが怖くてならない。自分が忘れてしまう存在であるということが。


もくじ / この前 / この後
浜梨 |MAIL“そよ風”(メモ程度のものを書くところ)“風向計”(はてなダイアリー。趣味、生活、その他)