風紋

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2003年05月04日(日) 素敵で、こじゃれた、幸せな、かっこいい / 忘れられないとか忘れないとか / 付記

とある方と、晩御飯を食べた。

とても不思議な気がしていた。何が起こるか、どんな方とお会いできるかわからないものだなと。1つ1つの出会いを幸せなものに思う。今日お会いできたことにも。私が人見知りがきついせいで、変なところで変にあたふたしてしまっていたのだけれど(ごめんなさい…)。

美味しいものを食べ、飲み、語る。そこで感じたこと考えたことをここに全部書きとめることはできないのだけれど。日本は広いのだなとか、私が何気なく見ている風景は私ではない人にとっては全然違うように見えているのだなとか、それでもこうして一緒に過ごすことができるし、一緒にお話をすることができるのだということがとても不思議でもあったし、幸せでもあった。素敵でこじゃれた、幸せな時間でした(変な形容ですが)。ありがとうございました。生きていて良かったと思いました。そして、明日からも生きていける。きっと。


出典を忘れてしまったのだけれど。人は二度死ぬというのを聞いたことがある。一度目はその人の肉体が死んだとき。二度目はその人が残された人から忘れ去られてしまったときであると。

私は、彼女のことを覚えていてもいいの?と、時々思う。もしかすると、忘れ去ってしまった方がいいのかもしれないと思うことがある。忘れようと努力した方がいいのかもしれないと思うこともある。けれど、どうしても忘れられない。それでもいいのかもしれないと思い始めたのはごく最近のことだけれど、今でも、忘れるべきなのかもしれないと思う気持ちは強い。

絶対に忘れないよと誓うことは、私にはできないように思う。それは覚えておく自信がないということではなく、忘れないでいようとしていいのかどうかわからないという意味において。でも、ある部分は忘れ、ある部分は忘れられないまま抱えて、一緒に生きているという気がする。ただ、何があっても私は私で生き続けるからねと、そのことは誓っている。

でも、生きて私の周りに居る人のことも、私は忘れない。忘れられないし、忘れたくない。いつもどこかで気にかけている。今、私があなたを大切に思っているのは確かだから、それが何か意味のあるものになりうるのかどうか私にはわからないけれど、ただただ、死なないで下さいと思っている。


今日書いたことは、どちらもかなり自分にとっては重要なことで、でも、此処が公開の場であるということもあって、私にはここに書きたくても書けないことがあるから、微妙にある部分は隠し、ある部分は明かしながら、けれど、事実としては書けないことがあっても、その気持ちや感じたことは書いておきたかった(そして読んで欲しかった)から、読んでいる方にとっては話が見えないところがあるかもしれません。ごめんなさい。


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浜梨 |MAIL“そよ風”(メモ程度のものを書くところ)“風向計”(はてなダイアリー。趣味、生活、その他)