風紋

もくじ / この前 / この後


2003年01月17日(金) 忘れないで / 気持ち / 少しだけ日記らしいことも

今日はこれだけは書き残しておきたいと思って。

阪神・淡路大震災が発生してから、今日で丸8年になる。数日前から意識はしていたのだけれど、昼にYahoo!のニュースを見た時にトピックスにあがっているのを見て、何とも言えない思いになった。心の中で手を合わせた。何のためにかはよくわからないけれど、そういう気持ちだった(でも、実際に手を合わせてもよかったのかもしれないと思った)。

私自身が、阪神・淡路大震災で受けた被害は、物理的にも精神的にもそう大きいものではないのだけれど(ほとんどなかったと言ってもいいくらいだった)。

思うこと、考えることはいろいろあるのだけれど、うまく書けないのだけれど。

それでも、言えるとしたら。

忘れないで下さい。忘れてはいけない。忘れることはできない。忘れない。

…いや、忘れないのがベストかというと、そうも言い切れないのだけれど。

震災で、6433人の方が亡くなられた。数にすると6433人という数字なのだけれど、それぞれの方に、それぞれの生があり、そのお1人お1人の生がとてもとても大切なものであったのだと私は思う。その人は確かにその時までそこに居た。

なのに。

6433よりももっと多くの数の悲しみがあると思う。大切な人がいなくなってしまった、そして二度と会えないという悲しみが。

その悲しみは私には完全にはわからなくて、わかりたいと思うのだけれど、どうしても想像するしかないところはある。その悲しみを想像するたびに、胸がつぶれそうな気持ちになる。

ただ、忘れない、と思う。その方が生きておられたということ。生き続けていたいと思われていただろうこと。その方が震災で命を落とされたということ。その方の周りの方が、「悲しい」という言葉では言い尽くせないほどの思いをされた(そして今もされているであろう)こと。

今日だけではなくて、いつも忘れない。でも、今日は改めて思い直す日ではあると思う。

もう一つ、忘れないこと。

明日は何が起こるかわからないということ。

だから、今日を、今を大切にしたいということ。今、私の周りにいる人を。そして自分自身を。だって、いついなくなってしまうかわからないのだもの。

そう言っていて、私自身はそうできていなくて、それがそこにあること・居ることを当然のことと思ってしまう傲慢なところがあるのだけれど。

だから、この日に改めて思い出す。あなたがそこに居てくれることがどれだけ私にとって幸せなことか。あなたがそこに居るという、ただそれだけのことにどれだけ私が支えられているか。とてもとてもありがたくて。

いつ死んでも後悔しない、何を失ってもかまわないとはとても言えない。でも、いつ死んでしまうか、いつ何かを失ってしまうかわからないという現実があって、それは不安で悲しいことではあるけれども、その時までにできるだけのことはしたいと思うのだった。

だから、私は今日これを書いた。

亡くなられた方お1人お1人のご冥福を心からお祈りするとともに、今もその地で(あるいは遠く離れた地で)、さまざまな方がさまざまな思いで震災と向き合われていることを忘れずにいたいと思います。


気持ち、などというのは一瞬のもので、書いておかないとすぐ忘れてしまう(私は)。だから書いておかなきゃと思う。けれど、どうしても物理的・精神的に書けない時もある。だから、あの時何があって何をどう思ったか、書かなかったときは自分でも忘れてしまったりする。少し悔しく思うのだけれど、もしかすると、それは忘れた方がいい気持ちだったのかなと思ったりもする。

1月前半は、私はどうも無性に書きたい時期で、書ける時期だったようで、随分たくさん書いているけれど、さっき自分で読み直して無性に恥ずかしかった。


少しだけ日記らしいことも。

一昨日に自分自身の山を越え、昨日に後輩たちが大きな山を越えるのを手伝っていたりして、今は少し楽な気分でいる。これまでのことや、これからのことをゆっくり考えたいと思う。あと、論文…。


もくじ / この前 / この後
浜梨 |MAIL“そよ風”(メモ程度のものを書くところ)“風向計”(はてなダイアリー。趣味、生活、その他)