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昨日は、日記を書こうかなと思って一度日記エディタを開いたものの、何となく書けないような気がして書かなかった。言葉が出てこないような気がして。 所用で駅前に出る。帰り際に、「何か買い物ない?」と家に電話をかけると、食パンとお豆腐と蜜柑ということだった。しかしその後電器屋さんに寄っている間に電話の内容を忘れ、スーパーから「食パンとお豆腐と、他に何かまだあったっけ?」と電話しなおす。 雪が降っているところがあるそうだ。 雪、というと思い出す歌がある。「女声合唱とピアノのための“ファンタジア”」(木島始訳詩/木下牧子作曲)の1曲目の「雪ひらひら」という曲。 「溶けるまえに おいで,ごらん わたしを! きれいな 氷の このすかし細工を! 大きな 森から ひと晩で わたしは 白の 荒野を つくりだす 結晶した 天の 寒さのそば ほんとに そっと あなたの指に おかれ わたしは 動かない わたしの 美しさを 見てもらうため, 息をしてごらん わたしは 消える すぐさま。」 (ウォルター・デ・ラ・メア/木島始訳詩) 「雪が降っている」というニュースを聞くと、この曲の「結晶した 天の 寒さのそば」からのメロディが頭の中で流れ出すような気がする。この箇所で主旋律を歌っているのはメゾソプラノだけなので、アルトだった私はこの旋律を歌っていない(ハミングだった)にも関わらず、である。冷え切った空気が一番感じられる箇所だからかもしれない。 年末年始は、ほとんど家に居たということもあって、ここ数日は音楽をかなりたくさん聴いている。「以前よく聴いていたけれど最近はあまり聴いていなかった」という曲を聴いているばかりだけれど(だから「聴いたことのない曲に手をつける」ということをほとんどしていない。でも、新しい音楽を探そうという意欲が欠けているわけではないので、何か良い音楽があれば教えて下さい)。 「以前よく聴いていたけれど最近はあまり聴いていなかった」という曲を聴いていると、その曲をよく聴いていた時の思い出まで一緒に甦ってくるように思う。よく聴いていたという理由が、その曲を演奏する機会があったから少しでも慣れようと思って参考演奏を聴いていたという理由か、その曲が当時の自分にとって重要な意味を持っていたからという理由のどちらかであるから。特に、自分が演奏したことのある曲であると、練習していた時の風景も浮かんでくる。一緒に演奏していた人の表情とか、指揮者の指示や、練習していた時の気温とか、ステージ上の照明の具合とか、自分以外の演奏者の動きとか。あるいは、当時の自分の心理状態を思い出す。あの時は、自分はあんな感じで、ああいうことで悩んでいて、こういうことを考えていたんだな、とか。自分が実際に演奏したことのない曲を聴く時も、“その曲を好んで聴いていた頃の自分”を思い出すかな。 自分にとって音楽の意味の一つに、過去と今をつなぐものであるというか、過去を思い出す手がかりになってくれるということがあると思う。もちろん、「あなたにとって音楽とは?」と聞かれた場合、これが答えの全てではなくて、他にもいろいろ答えはあるけれど、これは答えの1つではあると思う。 そうやって思い出された過去は、懐かしくて、甘くて、切なくて、でもきらきら輝いていて、愛しい。思い出したくない過去が甦ってきた時は確かにつらいけれど。それも含めて、これが私の人生だ、と思う。私が生きてきた道だ、と。そう思うことは、今の私をほんの少しだけ強くしてくれるように思う。あの日の私が居たから、今の私も居るのだと。 この年末年始、思いっきり音楽を聴いて、涙ぐんだり笑ったりして、過去への旅をしていたように思う。それは、これからの私の人生を生きるためでもあったと思う。 というわけで、明日あたりからそろそろ動きます。
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