風紋
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| 2003年01月02日(木) |
眠れない夜と時間と怖さ / 今、聴いている音楽 / 明日の朝食はお善哉 |
今夜も眠れないのかな。その分は翌日の午前中に寝ているから大して困ってはいないのだけれど(不眠症ではなくて単にリズムがずれているだけだろう)。
私は、大抵のことに対して取り掛かりが遅くて、切羽詰まってからでないとやろうとしない。1日の中でも、昼間はぼーっとしていて、夜になってから、本当はあれもこれもしておくべきだったのにということに思い至る。今からだと間に合わないかもしれないという焦りと、ぼーっとしていた時間私はいったい何をしていたんだろうという後悔と(「ぼーっとしていた」以外の何でもないのだが…)、何故いつも同じことを繰り返すのだろうという自己嫌悪で、ぐわーっとなる。ここ2〜3日もそう。夜になってから資料を広げたりするものの、“今まで私は何をしていたの?”という後悔で手がつかなかったりする。
もう少しだけ、その時その時を大切にしたいなと思うのだ。今という時間が二度と戻らないのであるならば、時間というものがすぐに過ぎ去ってしまうものであるのならば、余計に後悔しないように過ごしたいと思うのだ。そうできない自分が悔しいのだけれど。いつもいつも何かしら後悔してばっかり。
関係があるようなないような話だけれど、年末に100円ショップで砂時計を買った。別に目的があったわけではなく、単に惹かれただけなのだけれど。で、引っ繰り返して遊んで(?)いたのだけれど、眺めていて、時間の流れが目に見えるのはある意味怖いことだなと思った。それはアナログ式の時計(の秒針が動くのを見たり、秒針の音を聞いたりすること)でも同じなのだけれど。砂時計の場合は、砂が一定の速さでさらさらと落ちていくのがすごく非情に見えて、余計に怖い。何の情け容赦もなく時が過ぎていくようで。
しかし、「怖い」と思う私のあり方が実は問題なのかもしれない。私が普段、時間が流れているということに無自覚であるから、時間の流れを目に見える形で突きつけられた時に怖いと思うのだろう。無自覚でもいいのかもしれないけれど…。
それは、この時間は二度と戻ってこないという怖さなのかもしれない。本当にこの一瞬を本気で過ごしているだろうか、失っても後悔しないような生き方をしているだろうかと。
…余計に眠れなくなる話題に持ち込んでしまったような気がする。
○ そういうわけで、今日は、呆れるほど音楽を聴きながら、部屋の窓から青空をぼーっと見つめていたらいつの間にか暗くなってきた…という感じ。
昨年は1月3日から大学に行っていた(昨年は…そうせざるを得なかったのだけれど)。今年は6日から動くつもりであったのだけれど、土曜日曜からもう大学に行ってしまおうかなと思ったりもする。でも予定は未定。
○ ピーター・パークス(Peter Parkes)指揮のグライムソープ・コリアリー・バンド(Grimethorpe Colliery Band)の演奏を聴いている。以前にラジオ番組か何かから録音したもの。「リバーダンス」(Riverdance/Bill Whelan作曲,Ray Farr編曲)がすごく好き。体中の血が躍るようで。あと、「死か栄光か」(Death or Glory/R.B.Hall作曲)ってこの曲だったのか、と思う。今まで曲名を知らずに聴いていた。映画「ブラス」のオープニング曲だったと思う。…映画も見たのだけれど。
○ というわけで夜通しちょこちょこと作業して、首をひねったり頭を抱えたりしているのだけれど、お腹が減ってきた。しかし今何かを食べるわけにはいかないだろう。
明日の朝食はお善哉。
地域の風習なのか我が家だけの風習なのか、よくわからないのだけれど、私の家では、お正月の3が日の朝食は、白味噌仕立てのお雑煮、すまし雑煮、お善哉を1日ずつ、ということになっている。もしかすると順番も決まっているのかもしれない。大抵は元日が白味噌。すまし雑煮とお善哉の順番は…忘れた。ただし、家族の中に白味噌のお雑煮をとてもとても好きな者がいるので、今年は1日が白味噌、2日も白味噌、3日がお善哉、ということになっている。で、明日の朝はお善哉。
お雑煮もお善哉も好きなのでとても嬉しいのだけれど、難点は年末に買った食パンがいつまで経ってもなくならないこと。
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