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風紋 もくじ / この前 / この後
かなり、ふわふわと過ごしていて、生産的なことを何ひとつしていない。レポートの採点をしたくらいだ。 世間一般の人から見ると、なぜこんなもの・こんなことが大切なんだろうと軽蔑されたり莫迦にされるようなことであっても、本人にとってはとても大切なこと・ものがあるのだろうと思う。私は、他の人の大切なもの・ことを、それがどんなものであっても大切にしたい、そして、私にとって大切なこと・ものも大切にしたいと思った。別に誰のためでもない。私のために。 で、今、私が大切にしたいと思うことって、何だろう。それはちょっとだけ秘密。 街はすっかりクリスマスの雰囲気で、駅前の木に電飾が付いていたり、店に入ってもクリスマスの音楽が流れていたり、クリスマスに関連したものを売っていたりする。少しだけ寂しくなるのはなぜだろう。 なぜクリスマスの前に、世の中は“クリスマスだぁ”という雰囲気になるんだろう、と思った。クリスマスの時は、誰かに優しくしたい気持ち、誰かに優しくされたい気持ちを素直におもてに出すことを許される時で、クリスマスの雰囲気を盛り上げることは、そういう気持ちを素直におもてに出すことを後押ししてくれているのではないか…なんて思ったのは、過剰な意味づけだろうか。私が誰かに優しくしたい、優しくされたいだけなんだろうか。 なんて考えながら家に帰り着くと、クリスマスツリーが出されていた。しかし、ツリーはあるものの、電飾は壊れているし(電源を入れても光らない)、モールやその他の飾りの多くが引っ越しの混乱で行方知れずになっていたりしていて、ほんの少しの飾りと、綿(脱脂綿で代用)だけが乗っているという、何とも貧相なクリスマスツリーだった。明日、余力があれば、何か飾りを買って来よう、っと。 引っ越しの話が出たついでに。 帰りの電車の中で、ふと、今日は前の家の跡地を見て帰ってみようと思った。あの道で左に曲がるのではなくて真っ直ぐ行って、で、あそこで左に曲がって…と考えただけで、懐かしくて何だか涙が零れそうになっていた。 実際に、今日はその道を左に曲がらずに真っ直ぐ進んで、その後左に曲がって…という経路で帰ってきた。数ヶ月前はこの道をいつも帰っていた。この道を帰るのが当たり前だったのにな。この道を通るの自体が久しぶりのことだったのだけれど、知らない間に少し変わっていたところもあった。 でも、数ヶ月前と同じ道を帰ってきたのに、やっぱり前の家があったところは、残酷なまでに何もなかった。ただの空き地だった。何も無いという現実を思い知らされた。 いつまでも前の家にこだわって、こうして日記にも書いてしまうのは、自分の適応能力の無さを示しているようで情けなくもあるし、「いつまでも無くなったものにこだわらずに前を向いたらどうなの?」と言われると反論のしようがなくて、私が悪いのですごめんなさいと言うしかないような気がする。ただ、前の家が壊された時に、私自身の一部も一緒に壊されたような気はしている(気のせいかもしれない)。私自身の壊れた部分はどうしたら埋まるのか、あるいは、壊れたままでどう生きていけばいいのか、今の私には答えが見つからないでいる。ただ、答えは見つからなくても、私自身の生命活動は止まってはいなくて、生きてはいて、朝は起きて朝食を食べ、昼には昼食を食べ、時にはおやつも食べ、夜には夕食を食べ、眠っている。だからどうだというわけではないけれど、答えがなくても死んではいない…ということ。 メモ:新聞で目にして、心惹かれた短歌。 「悲しみの底より上りゆく階の一段一段となれよわが歌」 小島ゆかりさんの短歌で「水陽炎」(昭和61年)の所収だということだった。 思いつくままにつらつらと書いてしまった。皆様風邪にお気を付けて。
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