風紋

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2002年12月03日(火) 吉原幸子さんの詩

朝、新聞を開くと、「吉原幸子さん死去」という見出しが見え、一瞬目を疑った。よく見直してもやはりそう書いてあった。嘘っ、と呟いてしまった。

吉原幸子さんは、最近私が好きになった詩人だ。と言っても、私は吉原幸子さんについてそんなに多くのことを知っているわけではないし、全部の詩を読んだわけでもないし、詩論を語ることもできない。でも、ただ、その詩に惹かれていた。

私が吉原幸子さんの詩を知ったのは、女声合唱組曲「遠い秋」(吉原幸子作詩/国枝春恵作曲)を歌ったのがきっかけだった。この中の「疎開の秋」という曲が、私はとても好きで、詩もメロディもとてもいいなと思っていた。その後、自分自身は吉原幸子さんの作詩した曲を歌うことはなかったけれど、「失われた時への挽歌 女声合唱とピアノのために」(吉原幸子作詩/新実徳英作曲)や、混声合唱組曲「How old am I?」(吉原幸子作詩/荻久保和明作曲)を聴く機会があり、なんて心に響く詩なのだろう、と思い、それから図書館にある詩集を時々借りて読んだりしていた。ちなみに「How old am I?」の5曲目「The Woman(あのひと)」を聴いた時に、私は数年前に亡くした友人のことを思い出して、ぼろぼろ泣いてしまった(ちなみに、この組曲自体のテーマが死であり、「あのひと」の死に至る姿を描いている作品であると思うのだけれど)。

私の友人には、「失われた時への挽歌」は苦手だという人がいる。吉原さんの作品自体も、受け容れられる人とそうでない人がいると思う。ただ、私自身は吉原さんの詩にとても惹かれていて、…何と言ったらいいのかな…、読むたびに、自分自身の存在のぎりぎりのところを問われるような気がしていた。でも不思議に不快ではなくて。生きていく上での様々な矛盾に耐えながら、それでも生きる、という姿勢が見えるような気がした。それに、書かれていることのいくつかは自分にもよくわかるような気がして。直面してしまうとエネルギーが要るから、自分は敢えて見ないようにしていたこと…それは生きていく上での「暗い部分」なのかもしれない…に、言葉を与えてくれているように思い、私が言えなかったことを代わりに言葉にしてくれているような気さえした。

ご冥福をお祈りします、というのも苦しいのだけれど、ご冥福をお祈りします。


私の好きな詩(好き、というのも語弊があるのだが…特に印象に残っている詩)2つ。

「泣いてくれるひとがゐる といふのは
うれしい くるしい不自由だ
失ひたくないひとがゐる のも−−

ある場合には
<死ぬのをみる>ことのはうが
<死ぬ>ことよりもおそろしい
だが<死ぬ>ことが
<死ぬのをみる>のを<みる>ことなら
ある場合には
深いかなしみをみる ことが
深くかなしむ よりおそろしいなら

唇かんで つらいはうを引きうけようと思っても
どれを引きうけていいのか ほんたうにわからない
だから もし
わたしが間違って選んでしまっても
どうか泣かないで
いいえ やっぱり泣いて」
(「死に方について」第三章 …「夢 あるひは…」より)


「なにか とてもだいじなことばを
憶ひだしかけてゐたのに

視界の左すみで
白い芍薬の花が
急に 耐へきれないやうに
無惨な 散りかたをしたので

ふり向いて
花びらといっしょに
そのまま ことばは 行ってしまった

いつも こんなふうに
だいじなものは 去ってゆく
愛だとか
うつくしい瞬間だとか
何の秘密も 明かさぬままに

さうして そこらぢゅうに
スパイがゐるので
わたしはまた 暗号をつくりはじめる
ことばたちの なきがらをかくして」
(「ふと」 …「夏の墓」より)


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浜梨 |MAIL“そよ風”(メモ程度のものを書くところ)“風向計”(はてなダイアリー。趣味、生活、その他)