風紋

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2002年09月30日(月) 洗濯 / 頑張れない / 前の家の思い出

よいお天気。ゆえに洗濯。全自動洗濯機、「標準コース」を選ぶとうまくいくのだが、「お好みコース」(洗濯・すすぎ・脱水の時間や回数を自由に設定できるコース)にするとうまくいかないのはなぜだろう。すすぎの途中で止まるんだけれど。


留守番しながら、今週からの仕事の準備をしたり、論文に手を入れたり、次の学会発表の準備をしたりしていた。とはいえ、やっぱり進みは遅いし、あまり集中できていない。その前に状況に流されてばかりの自分を反省する。

昨年の今頃の方が、自分はよく頑張っていたような気がして、なんで今はこんなんなのかなぁと思う。考えてみると、「過去のある時点における自分は現在の自分よりも頑張っていて偉かった。今の自分はだめだ」と思うことが私は割と多い。でも、その「過去のある時点」においても同じことを思っていたはず、ということに気がつくと可笑しい。それでも他の人に比べるとまだまだ足りないんだけれど。

私は基本的にぼけっとしていて、ぼけっとしている時間も好きなのだけれど、一方で頑張っていない自分を責める気持ちがすごくある。自己否定の上での頑張りもどうかと思うけれど、一方で、たぶんずっとこうだろうな私、とも思う。


明日から前の家の解体。夕方、最後にもう一度だけと思ってデジカメを持って前の家に出向いた。生活の匂いがしない家に行くのも何となくつらかったけれど、何枚か写真を撮った。写真を撮るだけでは足りないと思って、柱や壁を撫でたり叩いたりしていた。

ひとつひとつの部屋を一通り回ったけれど、2階より1階の方が思い入れが強いような気がした。小さい時に遊んでいたのが主に1階だったからだろうか。

応接間。とても日当たりのいい部屋で、天気のいい日はここでよく昼寝をしたり、受験生の時は勉強をしたりしたものだった。ピアノが置いてあったのもこの部屋。部屋の隅にある柱を、小さい時は登り棒だと思ってよくよじのぼっていた(怒られた)。

台所。女の子なんだから料理くらいできるようにと言われ続けているけれど、結局この台所で料理をすることはあまりなかったな。少しはしたけれど。それでも初めて台所に立った時は少しえらくなったような気がしたものだった。換気扇と電子レンジがかなりの年代物。

台所と茶の間の境目にある引き戸。妹が小学生の時に蹴飛ばしてガラスが割れたところがある。

茶の間。昼間でも光が入ってきにくい位置にあると母はよく愚痴っていた。それでも家族が1日の大半を過ごした場所で、外から帰ってきて最初に入る部屋もここだった。

座敷。お仏壇あり。掛け軸とか人形ケースとかもあり。月に一度、お寺さんがお参りにきてお経をあげてくれた。大きくなってからは、そこに立ち会うことは少なくなったが、小さい時は祖母と一緒にお経を聞いていて、お寺さんがお帰りになった後に木魚や鉦を叩いたり、お経を「がんがぁしんにょうにょこうろうー」(「浄土宗信徒日常勤行式」の最初の部分)と唱えたりしていた(別に信心深かったわけでもない)。

階段の下にもぐって遊ぶのも好きだった。頭をぶつけるからとよく怒られたけれど。

母が模様替えが好きなので、「私の部屋」も4回かわった(「私の部屋」だったことがある部屋が4つある)。最初物置きだったところを、あなたの部屋にしてあげると言われた時は嬉しかったな。きれいな壁紙もつけてもらって。中学生の途中までその部屋。その後、高校受験が近くなってきたので別の部屋に移って、さらに大学受験の前に別の部屋に移った。その後何らかの事情でもう一度移って、最後に私の部屋だったところは、日当たりがよくて、風通しも良くて、夕陽がとても綺麗に見える部屋だった(西日きつかったけれど)。2つの論文を書いたのもここ。それぞれの部屋に、それぞれの思い出。

庭。曾祖父が園芸が好きだったそうで、いろいろな種類の花や木。小さい時に好きだったのが沈丁花と山茶花。沈丁花の花と山茶花の実は、ままごと遊びのネタとしては魅力的だったから。庭の隅には紫陽花。

半月前まではここで生活していたのに、今はそんな気配がまったくしない。もう既に電気もガスも止まっているし。それでも、部屋の隅から子どもの私が、ひょこっと出てきそうな気もして。

本当は解体されたくないんじゃないの?と家に聞いてみたけれど、たとえ家自身がそう思っていたとしても、それが人間にわかるはずもないのだった。解体されたくないと思っているような気もしたし、それが私の運命だからとすべてを受容しているような気もした。どちらかわからなかった。しかし家という物体には心がないので、こう感じたことはそのまま私の気持ちなのかもしれないと思った。

名残は尽きなかったけれど、それでもいつまでも居るわけにはいかなかった。それに、思い出そうとすれば、あの場所の様子もこの場所の様子も鮮やかに思い出せる。それでいいと思った(本当はそう言い切れない気持ちもあるけれど)。

最後に「ありがとう」「行って来ます」と言って、出てきた。「さようなら」と言えるだけの思い切りは、私にはまだない。「さようなら」と言い切れない。

だから、「行って来ます」と。ここから、別のどこかへ。


今日は無用に長くてごめんなさい。


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浜梨 |MAIL“そよ風”(メモ程度のものを書くところ)“風向計”(はてなダイアリー。趣味、生活、その他)