良い子 ワルい子 かわいい子
〜〜ぱるたの子育て日記〜〜



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■…2005年01月26日(水).......泣いてしまう
今日は水曜日。帰宅するとユイマの姿がない。そうか、今日は塾だったものね、とぷみぷみに話して、そのままごはんの仕度に入る。少しして2階に荷物を置きに行って電気をつけると・・・・何と!私のふとんの中にユイマ君がすやすやと爆睡中!!(これで布団がしきっぱなしだったことがバレますわね。わはははは〜〜)

ユイマ君、寝ちゃったの?と声をかけると、にっこり笑うとうぉーっと伸びをして起きあがって一緒に下におりた。。。。ところまでは良かったのだが。
今日何曜日だっけ?木曜だよね、というユイマに、水曜日だよ、と言うと、ああああ!!、と言って、がっくりするユイマ。そう。水曜日は塾の日なのに、ユイマ君、眠っちゃって塾をサボってしまったのだった。
ここのところ、ユイマ君がんばって学校の宿題やってるしがんばってたから、ちょっと疲れちゃったんだよね、寝ちゃったんだから仕方ないよ、と言うのだが、もう泣き始めてしまって・・・。

ユイマ曰く「曜日を間違えた。」そのことをものすごく悔しがって泣いてしまうのであった。

前にもそういうことがあったのだが、今回もやはり泣いてしまう。
何てかわいいユイマ君。

塾の先生に電話を入れて事情を話すと、今日はテストの日だったそうで、次回テストをするので、30分くらい早く来るように言ってくださいとのこと。ユイマに伝えると、カレンダーのところに行って書き込んでいた。「30分はやくいく」
次回は忘れずに行こうね。そしてちゃんとテストを受けてきてね。




■…2005年01月22日(土).......3人で図書館に行く/ 百マス計算を始めた
午後、私が歯医者に行くのに、子供たち3人はお留守番がイヤだという。じゃ、3人で図書館にでも行って来たら、と私が提案し、ユイマに、ちゃんと妹二人の面倒を見て図書館に行って(予約していた本もあったし)無事帰ってきたら、ベビーシッター代、300円出す!と言うと、いきなりやる気を出したユイマ君。
予約した歯医者の時間は3時だったが、2時すぎにもう二人の妹を引き連れて図書館に行ってしまった。

4時過ぎに歯医者から帰ると、もうみんな家に帰って機嫌良く私の帰りを待っていた。
ノイノイはとっても良い子だったよ、絵本も読んでやったよ、予約した本もちゃんと借りてきた!とユイマから報告を受け、妹二人からは、お兄ちゃんがとても優しく面倒を見てくれたと「証言」をもらい、ベビーシッター代支払い条件をクリア!
イェ〜〜イ!やった〜〜〜!!とカレンダーにしっかり(ベビーシッター)と書き込むユイマ君。来週土曜日も、ベビーシッターをしてくれるそうだし、この分だと目標月収1000円クリアできるかも?!

***********

話変わって、何度もここで書いていることだが、ぷみぷみは数に対する感覚が鈍い。学校で手を使ってはいけないと教えられ、手を使わずに計算しようとするが、時間がかかり、かつ間違いも多い。(50問やらせると、2〜3問間違える)

数の感覚として、足して10になる組み合わせが分かること。次に、足して100になる数の組み合わせがわかり、更に足して1000になる数の組み合わせが分かるようになること。しかもそれがただ、丸暗記するのではなく、実感として分かること・・・・が、足し算や引き算などの計算をする上で、とても大事なことだとnoripが言っていた。

しかし、ぷみぷみを見ていると、生まれつき数に敏感な子と、最初っからあんまり関心のない子とがいるような気がしてならない。勿論関心のない子は、自分の中に数の感覚が育っていないから、小学校に上がってもなかなか計算が速くならない。数の好きな子は小さいうちから何でもかんでも数えようとしたり、足し算を喜んだりするものだ。だから自然と覚えるのも早いので暗算などもお手の物だ。ユイマなどは、大きい数にとても凝ったことがあり、無量大数が大のお気に入りだったりした。ゼロの概念についても小さいうちから関心をもったし、同じもの、同じ数にもずいぶんと注意を集中させていたものだ。

さて、数に関心のない子も小学校に上がれば算数のお勉強がある。算数をお勉強しないと、最低でも四則演算はできないと、この世で生きていくのはとっても困難だ。だから、数に弱い子に数の感覚を身につけさせるためには、反復練習を中心とした「訓練」をしていくより方法がない(と思われる)。

そこでついに!(笑)ぷみぷみにあの有名な陰山メソッド100マス計算をさせることにしたのだ!
ドリルの表紙には「どの子も2週間で基礎計算力が確実にUP!」と書いてある。2週間、続けられるだろうか・・・・

張り切っているのはユイマだ。自分の時計を持ってきてタイムを計ってくれたり、丸付けしてくれたり。1日100マスを2段。つまり、200個の計算をする。1段目、14分32秒。間違い、5個。間違いを直し、休憩後、2段目に挑戦!何と、タイムは13分58秒と縮み、しかも間違いは1個!
ひぇ〜〜1日のうちにも進歩するのか?!
気をよくしたぷみぷみ。明日はもっと速くなってもっと良くできるようになるかな?と楽しみにしている。
ま、ゲーム感覚で楽しみながらやれれば、いいかな。
続けることが大事。
2週間後にまた結果を報告できるように、がんばろう。

ちなみに、今日やってみて、どんな間違いをしたか・・・記録しておく。

4+2(11)
4+3(12)
5+9(13)
7+6(18)
6+3(14)
( )内がぷみぷみの答え。 

今、学校では繰り上がりのある足し算をやっている。何でも10の塊にして考える方法で計算するよう指導されている。少し前までは5の塊にして考える方法で10までの足し算をやっていた。
100マス計算の問題は、繰り上がりのあるものとないものがごっちゃになって入っている。
どうやら、ぷみぷみは、5の塊にしてなおかつ繰り上がりをしてしまったようだ。
しかし間違いを直してから行った2段目ではその間違いはもうしなかった。



■…2005年01月21日(金).......1年生の授業参観と保護者会
今日は1年生の授業参観と保護者会で午後から会社を早退して学校に出向いた。

授業参観は5時間目を使っての「昔遊び」。おはじきとか、お手玉とか、独楽回し、すごろく、カルタ取りなどの「お店」に分かれて、子供が4〜5人ずつグループを組んでいる。各お店のメンバーを二つに分けて前半遊んだ子は後半お店番、前半お店番をした子は後半遊ぶ。遊ぶときはどのお店に行って遊んでもよく、また、1年生の3クラスが同時に同じ活動をしているので、よそのクラスのお店に行っても良い。遊びのやり方がわからないときは、人に聞いたり、聞かれたら教えてあげたりすること、というのが注意事項で、親は、子供が店番をしているときは一緒に店番をし、遊ぶときは一緒に遊ぶ、ということになっていた。

ぷみぷみはお手玉のお店係だった。前半は遊ぶ方だったのだが、仲の良いお友達がお店番をしている紙相撲のところに長居。ほかのところで、あやとりを少しやったあとはよそのクラスを回って見物して終わり。後半のお店番で私が少しお手玉をやってみせてあげた。そのせいで、ほとんど店番をせずにお手玉の練習をしていたぷみぷみだった。

どのクラスに行っても良いことになっているのも面白かったが、そのせいで、なにやら子供はただただわらわらとした雰囲気で、何とも落ち着きが無いと言うか何というか、手持ち無沙汰なのだか忙しいのだか、よく分からない1時間だった。

帰りの会が終わると、今度は保護者会だ。

先生のお話の中で印象にのこったことをいくつか。

2学期の終わりにはほとんど出来ていた繰り上がりのある足し算、繰り下がりのある引き算を3学期になってやらせてみたら、ちゃんと出来る子と、何度やってもいくつか間違える子、時間のかかる子と、様々に差が出てきている。
これは、冬休みの間に復習した子と何もしなかった子の差である。
やはり家庭で毎日最低でも20分ほど勉強させてほしい。
昔遊びをやらせてみたが、こういったことも、是非家庭で伝承していってほしい。
最近の子は新しいことや知らないことに積極的に取り組む姿勢が足りない。
縄跳びにしろ何にしろ学校で何もかもはやってられないので、やはりもう少し家庭でもみてやってほしい。

こんなところ。

何でもかんでも全部学校でというのはムリがある、家庭でももっと見てほしい、とはっきり仰られたのは新鮮であった。 今まで私が会った先生方は、家庭の協力が欲しいときは、学校でもこうしますから、ご家庭でもこんな風にご協力ください、という言い方が多かった。
時代が変わってきたのか、それとも、単に言い方が違うということなのか。

また、質疑応答の時間には、ほとんどお勉強の話題だったのにも驚いた。何と教育熱心な親が多いことよ。それも、先生が指を使って計算するのはだめ、というようなことを仰ったからで、うちの子はまだ指を使っているがどうすればいいかなど、算数に関する質問が集中。それに対し、先生からは、指は10本しかないので、10より大きい数になってしまうとお手上げ、ブロックやおはじきなど具体物を使うのは良いという答えだった。質問をしたお母さんは「じゃぁ、ブロックにすればいいんですね。今日からそうします!」と答えていたが、私は小学校の算数は難しいと日頃から思っているので、そのやりとりを聞いても、あまり軽々とは納得できなかったのであった。




■…2005年01月18日(火).......何を目指すのか、どうなりたい(ならせたい)のか
noripは教育関係の本をよく読んでいる。本屋で立ち読みで済ませる場合も多いが、買ってきて私に見せてくれることも多い。ここ数日は「ニッポンの公文、ドイツの教育に出会う」という本を借りて読んでいるのだが、前書きの中に、ドイツの教育は「たった一人でも反対できる人間を育てる教育」と書いてあって、おお〜!、と思わず声が出てしまった。

たった一人でも反対できる人間を、日本の学校は全然育てていない。というより、そんな人間なんかが出てきたら困る、とむしろ思っているのではないか。
私が自分の子供に、どんな人間になってほしいかといえば、
「自分の頭で考えられる人間」「自分の考えに従って行動出来る人間」「人のせいにしない自立した人間」
といったあたりである。でも、たった一人でも反対できる人間、とまでは思っていなかった。まだまだ考えが甘かったのだ、と思い知らされた。

そんなことに思いを巡らせていたら、タイミングよく、新聞にこんな文章が載っていた。上手に要約ができないので、長くなるが、暇に任せて全文引き写してみることにする。


朝日新聞2005年1月15日朝刊「私の視点−−−2005年に寄せて」から全文引用

◆日本の教育「自ら動く人間」育てよう・・・・吉岡忍

 世の中が動かない。止まっている。その現状をこの目で見ておきたいと考え、2年ほどかけて、私は44の都道府県を旅行してみたのだが、やはりどの街も元気がない。残りの三つをまわっても、この印象はたぶん変わらない。冷えびえした空気を浴びながら、私は教育のことを考える。学校と、学校教育を支えてきた政治や行政や世間的常識のことを。
 結局、日本の教育は「使われる人間」しか育ててこなかったのではないか。学校はだれかに、あるいは何かに使われるためのトレーニングの場にすぎなかったこと。おとなしく、要領よくか、有能にか、ともあれわが身を、使われる人間としてしか思い描けない日本人ばかりを育ててきたのではなかったか。
 使われる人間は、寂しい。独りで、ばらばらに生きることしか知らないから、リストラや倒産や定年で辞めたとたん、友だちは散っていき、いっきに萎えてしまう。こうした人々の群れが、これからの一年間、この国の底に澱のように溜まっていくのだろう。
そこに、十数年来の景気低迷、大規模災害、犯罪多発、社会保障制度の破綻、米政府に引きずられっぱなしの戦争協力、あるいは日朝・日中関係のこじれなど、難問が次々に押し寄せている。個々ばらばらで、使われることしか知らない人間には、どれも手も足も出ない問題ばかりである。
 自分からは動かない、動きたくない、動けない大人たちは傍観を決め込んでいる。そうでなかったら、子どもたちが頭の中に飼っている怪物になりかわるように凶悪事件に突き進んでいくのと同様、いつか自分を託せる力強いカリスマが現れるだろうと待ち望んでいる。ここから生じる熱狂はかなりきな臭いがこれもまた使われる人間としての自己の再生産にすぎない。
 若者たちはどうだろう。若年層の10人に1人が失業中だ。学校にも仕事にも研修にも行っていない、いわゆる「ニート」な若者たちに、私もときどき旅先で会う。彼ら一人ひとりは、私ほど露骨な言い方をしないけれど、使われる人間の窮屈さや哀れな末路をたくさん見聞きしている。なぜ無理をしてまで世間に加わらなければいけないのか、ためらっている。
 私はこの感受性を健全だと思う。だが、彼や彼女たちの多くも、自力で仕事ややりたいことをつくり出す自信に欠けている。ここにも、相変わらず使われる人間になることしか教えていない学校教育の欠陥が露呈している。
 私が国内旅行をしつづける理由が、もうひとつある。街はどこもそっくりで、どこも目新しさを失って寒々しているが、それでもそこで動いている人がいる。上司や同僚、先輩・後輩にではなく、見ず知らずの他人に働きかけ、議論し、ゆずったりゆずられたりしながら、何かをやり遂げようとしている人たちに会うためである。
 それは街の居心地をよくする活動や国内外のボランティアだったり、ある種の表現活動だったりするのだが、この人たちは自分一人の弱さを知っていて、だから他者が必要なのだと分かっている。一緒に動くことのむずかしさにも面白さにも気づいている。
人が人を動かす人間社会の原理は、これからも変わらない。雇用や上下の関係のないところで、一人ひとりはどう動けるのか。そのステージを社会と呼べば、やっと私たちは社会を作り始めたばかりである。



センター試験は穴埋め問題ばかり(大抵5択ってところ)この方式になってから、ますます学力低下に拍車がかかったと大学関係者は口々に言っている。でも、こんな問題を解くために一生懸命勉強するのは、学力低下というよりも思考力低下を招いているのではないか。

友人からフランスのバカロレア(大学入学資格試験)は日本のその種の試験とは全然違うと聞いて、ネットで調べてみたら、

哲学は諸科学についての考察をせずに済ますことができるか?
ある芸術作品が美しいということを他人に根拠を示して説得することができるか?
「選択」と「願望」の違いについて書かれたアリストテレスの文章を読んで、コメントする。
人は自分自身に嘘をつくことができるか?
どのような条件の下で一つの活動は労働となるのか?
人間の自由は労働の必要性によって制限されるか?
正義の支配を実現するとは、単に法律を適用することか?
人は美を判断するのか、それとも感知するのか?
法律は我々に何をするのが正しいかを示しているか?
「独立」と「自由意思」が相対的な概念ではないかと疑ったニーチェの文章を読んで、コメントする。

なーんて問題に答えて(全部論述式だ!)合格しないと大学に入れないのだそうだ。大学というところの位置づけの違い、教育システムの違いがあるのは分かっている。が、それにしても、大学生、そして高等教育に対して求めているもののこの違いを見よ! 教養があることは勿論、自分の頭と言葉で考えられる人間じゃないかぎり、こんな問題には一言も答えられないだろう。私も情けないことに、全くだめだ。手も足も出ない・・・。(いや、この中の、いくつかなら、がんばって答えられるかもしれぬが)

一度に多くのものを求めても一つも得られないのだから、じっくりと、積み重ねるように、(ものを与えるにしても教育をするにしても)考えながら子供を育てていかないと、大変なことになると(つまり我が子も「使われる人間」になってしまう)畏れおののくばかりである。




■…2005年01月16日(日).......センター試験終了
今年のセンター試験も悪天候だった。二日間とも雨。何とも受験生のみなさんは大変なことだ。

さて、ジュンコである。

今年も学科には力が入らない。どうやら予備校の先生には4割固めればいい、と言われているらしく、それも身が入らない一つの理由であるようだ。

結果は、初日の英語はざっと6割。本日の数学は3割(キーーーっ!!←アタシの声)、国語は8割、だそうだ。
国語は相変わらず上位を保っているようだが、問題を見てみると、美術専攻の学生だったら課題文を読まなくても答えられるような問題が出ている。これでは、美術専攻の学生同士の闘いを考えると、ジュンコには不利な問題だったね、と結論づけるnorip。

しかし、3科目合計で7割近くは固めたつもりでいる本人は、とりあえずノルマは達成した、といった様子でさばさばとしている。

これから3月の一次試験(実技)突破に向けて、今度こそ本気を出して欲しいものだ。

あ、その前に、私大の願書をちゃんと出せよ!>ジュンコ



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