Comes Tomorrow
ナウシカ



 受け身の夏休み

今年の夏は何だか受け身の夏休みだったかな…て言うのも、大体は私の方からどこか遊びに行こうと切り出すのに、今年の夏は旦那がほとんど計画立てたから。

たぶん旦那にしたら子供とどこか行きたかったっていうのと、家にいたら子供の面倒見させられるだけでしんどいからだと思う。
私は私で遠出となると準備が大変なので二の足を踏んでしまってるし…

11日の土曜は旦那の希望で映画『AI』を観に行く予定が、託児所がちょうどお盆休みに入ってしまいあえなく断念。
そこでドライビングシアターだと子連れでも映画を楽しめると思い行ってみたが、観たい映画はなく、これまた断念。

そのまま帰るのも勿体ないので万博のエキスポランドで遊んで帰った。
観覧車ぐらいしか乗れなかったけど、久しぶりの遊園地は華やかで懐かしくって、旦那とのデートなんかも思い出したりして(ああ〜もう子連れで来るようになったんだなあ〜私ら)と感慨に浸ってしまった。

景品の貰えるゲームでは2人で必死こいたんだけど、なかなかドン臭い私達は取れなくって、結局2千円使ってキティーちゃんの小型クリーナー、ドラエモンのバット型ビニール風船、巨大ピンクパンサーのビニール風船をGetした。
ピンクパンサーは大きすぎて子供にとっては怖い存在になってしまった。
今は立ち入り禁止区域(キッチン前)に立たせてある。
意外な使い道があったもんだ!

翌日日曜は近所の友達家族と和歌山の恐竜ランド、有田川、マリーナシティー(黒潮市場)に行った。
私達は友達の計画に乗った形で車も便乗してついて行った。

車中は一睡もしてなかった私は爆睡。
チャイルドシートに座らせた子供も爆睡。
恐竜ランドは鍾乳洞みたいな洞窟があっただけで、もひとつだった。
かなり寒かったし…
有田川は子供が喜んでたなあ〜
着がえを持ってきてたんで、服のまま川につけたら気持ち良さそうで石を拾って遊んでた。

車で少し走って(かなり渋滞だったけど)マリーナシティーのある黒潮市場に向かった。
そしたらラッキーなことにコブクロのイベントライブをしていて生歌を聴けた。
21時からは10分間だけ花火大会があって短時間だったけど圧巻だった。
何曲か流行りの曲を編集して、その曲のリズムに合わせて花火が打ち上がる様は感動的だった。
こんな近くで花火を見たのも初めてだったし…子供は手を叩いて体を上下させながら喜んでた。

2001年08月15日(水)



 心配していたことが…とうとう

今日は本当にブチ切れた!

今日は珍しく早く旦那が仕事から帰ってきた。
いつもより早い夕食を家族3人でとって私が後片付けをしてる間、旦那は子供をつれて公園に遊びに行った。

10分ぐらいして早々と戻ってきた2人の様子がいつもと違うと思って聞くと、すべり台で少し勢いがついて、子供が落ちそうになり怖い思いをさせたと…落ちなかったのに子供はいつまでもメソメソ泣いていて、旦那もどこかしらモジモジとおかしい…

(いったい何があったの?)
タバコをを吸いながら子供とすべり台をすべってたらしく(落ちる)と思った瞬間、手で子供の体を支えた時、手に持ってたタバコが子供の右手に!?

よく見たら親指のつけ根が赤くなって水ぶくれになってた!
旦那は(どうもない、どうもない、たいしたことないよ)
私はすぐに水道水で子供の手を冷やした。
(帰ってきて、なんですぐ冷やさないの!)と怒っても(どうもないよ〜)と…

私が子供を抱っこしててもずっと泣いてるし、旦那の顔を見てはまた泣くという感じ…

(病院つれてって!)と言っても(どうもないって〜)の旦那の連呼にブチ切れた!
母子手帳と保険証を出して(早くつれていき〜早く〜!)とかなりひつこく言っても行こうとしないから、腕を引っ張って頭をどついてやった!
たぶん、自分ののせいだと医者に言って診てもらうのが気まずく感じたからだろう。

これまでも子供を抱っこしながら、タバコを口にくわえたり手に持ったりしてて、私が見つけた時は再三注意してた!
それを聞き流して聞かないから…とうとうこんなことに!

私にどつかれた旦那も逆ギレして、私に殴りかかってきそうだったけど、ひるまずに私もデンと構えていたら、仕方なしにプリプリ怒りながら病院へつれて行った。
ほんとにもう〜!

帰ってきたら、手には包帯をして消毒剤と軟膏を貰ってきた。
私もそれ以上怒らなかったら旦那も落ち着いて、子供に(ごめんね)と謝ってた。ほっんと、しゃあ〜ないやっちゃ〜!

2001年08月17日(金)



 医療について思うこと〜KさんのBBSで語ったこと

確かにKさんのおっしゃる通り、看護婦もヒドイのいますからね〜
容体の悪い患者がいて、ある先輩が日勤で出てきて(○○さんは?)と聞くから心配してのことと思ったら(亡くなった?ラッキー)と言ったんですよ!
我が耳を疑いました!?
つまり生きていたらよけいな仕事が増え面倒だから、亡くなっていて自分は楽できるからラッキーということだった訳です!

人が亡くなったのにラッキーはないだろと思いましたよ!
他にも信じられないことはたくさんありました。
憧れて入った世界なのに何て汚い世界だとも思ったし、幻滅して辞めたくなったことも度々ありました。
でも私が辞めなかったのは、本当に素晴らしい先輩ナースもいたからです。
仕事に対しては厳しく患者には優しく…私はそれを励みに頑張ってきました。

私は私なりに精一杯患者に尽くしていたら、悪い先輩にはこう言われたことあります。
(アンタがそこまですると私らまでしなあかんようになるやろ)と 私に看護のレベルを落とせと!?
そんな先輩達が多い職場だったので、患者から人気のあった私はかなりいじめられました(先輩が人気なさ過ぎなんだけど)

人を人とも思ってない医師や看護婦も確かにいます。
でもなかにはやっぱり良い人もいます。
昔、患者をベッドに縛りつけたりしてて問題になったY病院(うちの近所…関係者は逮捕されました)は看護婦の内部告発によるものでした。
劣悪で待遇も悪い職場で患者を見捨てられないと、最後まで病院に残り市議や国に訴えていました。
逮捕が遅れたのは、厚生省の人間が院長からワイロを受けとっていたからでした!

影で戦っている人もたくさんいます。
でも権力に潰されていくこともしばしば(国や法人に)正しい人ほど叩かれてる!そんな世の中を変えていきたいですね。

初めはたった一人の力でも、諦めなければ必ず変わると信じています。
だから患者という弱い立場でも、言いたいことは言ってもいいと思います。
病院は患者のためにあるんですからね!

私も患者のために院長に盾突いたこともあったし、自分が患者になった時も口うるさい患者になりました。
同室患者の治療にまでコッソリ口挟んだり…
皆さんも不満や怒りはたくさんあると思いますが頑張って下さいね。

2001年08月23日(木)



 『好きな自分 嫌いな自分 本当の自分』

いろいろ悩みを抱えていて考え込んでしまう時もある。
それを何とか整理したくて本の中からヒントを見つけようと、あらゆる本を読む。今読みかけている本が結構いい。
(はじめに)のところしか読んでないけど何か掴めそうだ!

<はじめに>

穏やかに、前向きに、幸せに生きたいと思っているのに、自分にはいろいろな問題がある、だから、幸せになりにくい、もっと癒されたい、もっと心触れあって生きていきたい、そう思っている方は、多いのではないでしょうか。

外では明るく、しっかりしている。
やるべきことをきちんとこなし、積極的で前向き。
人にやさしく、誠実と思われている。
でも、家に帰ると、「あるべき自分、ありたい自分ではない。人に思われるような自分ではない」と自分を責める。

あるいは、自分も人もこうするべきと思っているのに、人は自分が思っているようには返してくれないので、怒りがたまる。
やさしさの裏に怒りがある、こんな自分が嫌になる、こんな自分を人に知られたらどうしようとか、自分は多重人格ではないか、だめな人間なのではないかと不安になったり、落ち込んだりする。

こんな自分は変わらなくては、と思って、いろいろやってみても、なかなか変われない。
だからますます自分が嫌になってしまう。
だから、友人と話し合ってみたり、癒しの緒法などをやったりすることで、「前向きに考える」「このままでよい!あるがままでよい!」などと、一時的には思える。
でも実際の人間関係は改善されない。
色々な自分があって、自分自身、本当の自分は何だろう、自分が本当は何がしたいのか、わからなくなる。

誰の中にも「色々な自分」「嫌だと思う自分」があります。
そのこと自体はちっとも異常ではなく、人生には、山あり谷あり、光も闇もあるものなのですが、私たちは、「闇があってはいけない」「望ましくない自分はいけない」と、それを否定し、変わろうと思うことで、さらに生きにくくなってしまいます。
あるいは、闇、嫌な部分を無視して、光だけを求めようとして、結局うまくいかなくなるのでないでしょうか。

悩み、葛藤が大きな問題となり、日常生活に支障があるという場合は、本職のセラピスト、カウンセラーが必要かもしれません。
でも、日常生活を支障なく行っている方にも、そのような悩み、求めがあるということは、むしろ、もっと成長していこうという前向きの力、可能性の現れであるととらえることもできます。

2001年08月28日(火)



 義母(姑)からの電話

一昨日、京都に住む義母から電話があった。
「○○さん、せんだってはごめんね、許してね」
「えっ!?」
いつものことだが驚かされる。

…って言うのも、義母は軽い…いや中度の進行性の痴呆で、随分前にあった出来事でも、つい昨日あったことのように話をする。
つまり随分前のことを急に思い出して、私に詫びをいれてくれるのだ。
それは一度や二度ではない。
私に謝ってくれたのは、これで何度目のことだろう。

いつものことながら、いつもビックリしてしまう。
でも謝られて悪い気はしない。

痴呆の義母は、最近とくに感情の起伏が激しくて、普段は穏やかな優しい人なのに急に激しく怒りだしたりするようになっていた。
それで義母は些細なと言うか、何でもないような私の言葉に対しても敏感に反応して怒るようになった。

その時は義母も頭に血が昇っているので、かなりヒドイことを言う。
私は自分の親のことを言われるのが一番辛い。
それは親の悪口を言われるから辛いのではなくて、言われて当然のことを言われていて、そんな親を持った私がいて、義母はそんな私も嫌っているんだと思えてしまうから…

実母からは得られなかった温かい愛情を、義母の中に感じていた私はかなりショックな出来事だった。
結局、私は誰からも愛されないのか?
誰からも認めてもらえないのか?
そんな何とも言えない悲しさ、侘しさが私を襲っていた。

でも旦那の前では強がって見せて…
「お義母さん、おかしいよ!
いくらボケてるからといって、私にも我慢の限界がある!
気を使って言い返せないのも辛い…」と言っていた。
半分は本音だけど、でも私の心の中は悲しさと寂しさの方が大半を占めていた。

そんなことは旦那は知らない。
私がまだ子供で大人気なくて、意地を張っているだけだと思ってる…

それが京都(実家)に帰りたくない理由…
実母から受け入れてもらえなかった時のことが思い出される。

…でも帰ってみようかなあ〜
実母とは違い、謝ってくれる…義母のもとへ。

2001年12月14日(金)



 結婚前の憂鬱

「彼氏に会って欲しい」と妹から電話があってから、しばらく経つが連絡はない。
うまくいってるかダメになってるか…あまり期待はしないで待っていたら、今日、連絡があった。

「結婚やめようかなと思ってるねん」
そら来たっ…いつも期待した通りにいった試しがなかったから、お決まりコースっていう感じで、もう失望も減滅もしなかった。

取り合えず話を聞くと…
妹がたまたま外出してる時に携帯に彼から呼び出しがかかって、一人暮らしの彼のマンションに行ったらしい。
でも彼のマンションに着いて5分もしないうちに、母親が来たらマズイからとすぐに外に出て、それで今度は妹んちに行く途中、急に彼の気が変わったみたいで途中知らない道で帰されたらしい。

妹が言うには、「結婚しよう」と言っておきながら自分の親には紹介しないわ、呼び出しといて途中でほっとかれて帰されるわで、将来的な不安を感じたらしい。
ここまで聞くと、まあ〜結婚をためらう気持ちもわかるわな〜って感じなんだけど…
妹の話を聞いてると何だか違うような気がしてきた。

「普通は○○でしょ!」「普通はこうしてくれて当たり前でしょ!」と妹も腹が立ってるもんだから、まくし立ててしゃべっていたけど、私はこう答えた。
「彼、何か悩んでるんじゃない?
急に呼び出したのだって何かあったのかもしれないし、寂しかったのかもしれないし、精神的に何かあるんじゃない?」

普通の子なら私もこうは言わないんだけど、彼も妹と同じで分裂病があり精神科に通院しているから、こういうことがあっても不思議はないと思った。
それに彼には家庭の問題もあって、養子に出された先の義母とうまくいってないみたいだ。
彼本人が言うには、かなり厳しい親だということだ。
うちもそうだけど、(厳しい)が限度を越えた理不尽なものかもしれない。

妹は彼の気持ちがどう?というよりも自分の言い分ばかりで怒っていた。
肝心な話(結婚…これからのこと)が全然できないとか、守って欲しい、助けてほしいのに今日みたいにほっとかれるとか…
彼の内面に対することには全然触れなかった。
彼氏なら普通ならこうしてくれて当たり前でしょと、普通普通と連呼する。

じゃあ〜普通っていったい何?…私には疑問だ!
人との関係に於いて、こうしてくれて当たり前というような定義なんかあるのか?
自分はこうして欲しいんだと言う方が、まだマシなような気がする。

妹にはこう言った。
「自分がしてもらいたいことよりも、彼が今、何を思っているのか、何を考え、何を悩んでいるのか解ろうとしてあげないとあかんよ。
彼の気持ちを知ろうともしないで、自分の言い分ばかり言っていたんではあかんよ。
結婚は焦らなくてもいいし、こればっかりは縁の問題だからこだわらずに、今はよく話し合ってお互いの関係を築いていくことが大事ちゃうか?」と…

妹は一応、納得したみたいで彼と話し合うと約束した。

私も、妹にはこう言っておきながら反省すべきところがある。
うちの旦那もあまり自分からしゃべる人じゃないから、どうしても私の言い分ばかりが先行して言い過ぎてしまうところがある。
私としては喧嘩でも何でもいいから話し合いたいと思っているけど、それもなかなかうまくいかなかった時期もあって…

でもこないだの喧嘩以来、お互い歩み寄りができて、寝室を別にしていたのが今では親子3人一緒に寝ている。
狭くて寝苦しいと思うこともあるけど、体が近づいたら心も近くなったように感じる。
ただ横に寝ているだけなのにね。
心ってやっぱり大事だよね。

2001年12月18日(火)



 それは…ヒタヒタやって来る

はあ〜いつもながら調子の悪い年末年始。
何故だか解らないけど、この時期はいつも調子が悪い。
1年のうちで最もブルーな季節って感じ。

だいたい鬱の周期というのがあって、私の場合は春頃から調子が上がってきて、夏が絶好調、秋から下がり気味になり、冬…特に年末年始が最悪ドロドロ状態になる
だから(初め良ければ終わり良し、終わり良ければすべて良し)ではなく、(初め良くても終わりダメ、終わりダメならすべてダメ)という感じで、嘆きの1年の計になっちゃう。
そして今年こそはいい年にするぞと必要以上に猛省してしまう。
う〜ん…早くこんな状態から脱したいわ。

他にも鬱に入った原因はありそう…
年末に妹から電話があって、また母から「おまえなんか死んでしまえ!」と言われたらしい。
それで「家を出ようと思うねん」と妹。
何度こんな話を聞かされたことか…

当の妹はまるで初めて語るように話すんだけど、私にこういう話をする時はいつも本気で行動を起こすつもりはなく、ただ慰めてほしいだけなんだ!
初めの頃は私も気持ちが切実にわかるもんだから、一生懸命慰め、励まし、勇気づけてたけど、全然自分からは行動を起こさず愚痴を聞いてもらって励ましてもらうだけで気が済んでしまって、また同じ事を繰り返し話す妹にうんざりしてしまった。

私がまともに相手すると、最初の1時間はただひたすら妹の愚痴を聞く、次の1時間で慰め、励ます、そして元気になった妹が最後の1時間を使って、これからのプランや夢などを語る…
これで良い結果が得られるなら私も励まし甲斐があるが、結局はその場限りの話になっちゃって、数日後にはまた同じ話を繰り返す。
そんな話ならカウンセラーに聞いてもらえと言ってるんだけど、毎度忘れて私に電話をかけてくる。
もういい加減にしてくれって感じ!

頭の中は私も母から常々言われていた「おまえなんか死んでしまえ!」がグルグル回るし、悪夢にうなされてた。
最近よく見る夢は、娘を取り上げられそうになる夢…
「やめてぇ〜この子に触らないでぇ〜あっちに行ってぇ〜!」と叫んでるところで目が覚める。
母に背格好が似た人を見るだけで凍り尽くし、母が乗ってる車と同じようなのを見かけるとドキッとする。

親とは無縁の生活を送っていながら、親の影に怯えてる。
ああ〜やだな〜こんな生活…

父は父で大阪で就職先が見つからないもんだから、名古屋にいる祖母のコネを使って就職しようと思っているらしく、決まり次第あちらに行くつもりらしい(父はここ数年祖母の貯金で生活している)
近くに住んでても全然会わないのに、遠くに行けばもう一生会うこともないだろうなあ〜

父とは6年前に妹の精神病発病をキッカケにして和解したけど、こちらから呼んでも子供も見に来ないし、昔から自分中心の人だったから(もういいやあ〜)って感じ…
晩年一人で寂しい思いしても自業自得だよって思う。

2002年01月14日(月)
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