BENJAMIN TREE
kouya



 医療を受ける

医療を受けるってどういうこと?

なんでもかんでも医者任せなんてナンセンスだ。
納得がいかないなら説明を受けたり、自分の考えや希望があれば主張するのは当然の権利だ。
全てを医者に任せるっていうことは、自分の負うべき責任を押し付けることだと思う。
自分の命は自分が背負わなくちゃどうするの?
だれが責任を負ってくれるの?

医者の方針が希望と沿わなくても、納得するだけの理由があれば信頼できる。
そもそも「治療」は自分がするものだ。
「病気を治す」のも「現状を維持する」のも自分以外に出来る人はいない。
医者がするのはその方法を提供するだけだ。
「診察」して、「診断」を下して、薬を処方する。
手術を施行する。

薬を飲むのは自分。
手術を受けるのも自分。
そしてその体を治癒させるのは紛れも無い自分の身体そのもの。
薬や手術はそれを手助けするにすぎない。
リハビリだって、リハビリを受ける数十分だけ運動をしてもしょうがない。
いかに継続するかが予後を決める。
医者がどんなに頑張っても患者がそれを拒否すれば治るものも治らないように、患者がどれだけ自分のために努力できるかで予後は大きく変わる。

治療方針は、最終的に患者が「うん」と言う、もしくは同意のサインをすることで決定されるけれど、それは「説得」ではなくて「納得」でなければならない。

自分の身体だもの。
自分の命だもの。

どう生きていくのか。

自分以外に責任を持てる人なんかいるわけがないよ。

2003年10月04日(土)



 傷跡

いくつかの傷跡がケロイド化しているのでその治療をしている。
今日は二度目の受診日。
経過はまずまず、といったところらしい。
なんとなく、赤みも引いてきていて痛みも和らいだような気がする。
けれど、一番酷い胸の傷は盛り上がっていて、痛みもまだ強い。
でも、時間はかかるらしいけれどいずれ平らになるという。
今はそれを信じて焦らないことだ。
治療はといえばもっぱらテープを貼ること。
傷の大きさに切ったステロイド入りのテープを毎日貼りかえる。
劇的な効果があるわけでもなく、月単位・年単位でも継続が必要な地道な作業だ。
どこかで諦めてしまいそうな気もする。
でも、痛いのは自分。
傷跡を気にして病院へ足を運んだのも自分。
続けよう。

2003年10月11日(土)



 訃報

リンク先の管理人の相棒が亡くなった。
享年15歳の大型犬。
小さい頃の写真を見せてもらったことがあった。
話を聞いたことがあった。
一度会ってみたいなぁ、と漠然と思っていた。
具合が悪くなったと聞いてから、あっという間だった。

その眠りが安らかでありますように。

2003年10月13日(月)



 強制睡眠

疲れた。

特に何をしたわけでもないんだけれど。
強いて言えば、ばばちゃんのお見舞いに、七階の病棟まで階段で上った。
あぁ、これが疲れたのか。

彼氏が貸してくれた腹巻のおかげで、ひどかった腰痛も楽だ。
けど、明日は仕事。
白衣の下に透けて見えてしまいそうだ。

そう、明日は仕事。
このところ寝つけなかったり夢ばかり見たりして疲れが取れない。
なんでかなぁ、と思うけど理由は分からない。
でも、疲れやすいし困ってる。
今週は火曜と木・金・土曜が勤務。
実は三日連続とかだと三日目など朝が辛い。
ただでさえぎりぎりの時間に起きているのに、ぎりぎりの時間でさえも危うい。

早く寝なければ。
朝残ってしまうのが心配だけど、今日は多めに薬を飲もう。
無理やりにでも、寝なきゃもたない。
オレの一週間は明日から始まる。


2003年10月20日(月)



 病院で過ごす夜

ばばちゃんが調子悪かったので付き添ってました。

消灯時間早い。
いびきが気になる。
足音が響く。
エレベーターの音も響く。
トイレの音うるさい。
などなど。

寝てられねぇよ。って思った。
それに、ばばちゃんも少し寝ると目覚まして用事言いつけてくるし。
でも、元気出てきたから良かった。



2003年10月22日(水)



 無題

自分でつけた傷跡を指でなぞってはため息をつく。
治療のためのテープも最近はかぶれてしまうので貼っていない。
サポーターでの圧迫はしているけれど。

何がしたかったのかなぁ。

あの時も、あの時も、あの時も。
リセットできたらいいのに。
否定されることを恐れて、人の顔色をうかがってしまうのは幼い頃からの癖のようなものだけれど、結局のところ自分が一番自分を否定しているのかもしれない。
「自信がない」
そんなひとことで片付けてしまっているけれど、いつだってそうだ。

「所詮自分は・・・」

所詮、何だっていうんだろう。
いつも、自分を責めるのは自分だ。
いつまで経っても認めてあげられない。
そのくせ、愛されることを望む。
求められることを望む。
おかしな話だと思う。
他人に評価されることでしか自分を肯定できない。
自分を肯定したいから、評価されたいと望む。
結局は、いたちごっこ。

いつだって、寂しいんだ。

2003年10月25日(土)



 時間

久しぶりに「友だち」と呼べる人に電話をしてみた。
考えればオレには友だちが少ない。
というか、ネットでの友だちは何人かいるが、実際にはほとんどいない。
それは、オレが人と距離をとれないからだ。
近づくことが出来ず、いつまでも遠いまま。
気がつけば当たり障りのない会話しか出来ない人になっている。

彼女と最後に連絡を取ったとき、発作を起こしている最中だった。
彼氏とよりを戻してすぐ。
まだ冬のさなかだった。
彼氏は何が起こったのかというように困っていて、とにかく苦しくて仕方がなかった。
そんなときに携帯が鳴ったんだったっけ。
ごめんね、いまはごめんねと繰り返すしか出来なくて、きっと何が何だかさっぱり分からなかったと思う。
その後、連絡が途絶えていた。

携帯の番号が変わったことも連絡していなかったので、出てくれるかどうか不安だったけれど、2回コールしたところで出てくれた。
彼女は美容師をしている。
職場の先輩と同棲しているようだ。
幸せそうで安心した。
高校の頃、彼女はとても「悲しい人」だと思った。
いつも、彼女は何故不幸に向かって進んでいくんだろうと思っていたことを思い出す。
そんなふうに感じていたよ、というと、彼女も「あたしもそう思ってた」と笑っていた。
でも、今は幸せそうだ。
職場にも恵まれているらしい。
話を聞いていて嬉しくなるくらい、充実している。
時間が流れているんだってことを思い出した気がする。
今のオレは目の前にあるもので手一杯で、季節の移り変わりは感じていても、実際、同じところに留まっているような感覚でいる。
歳を重ねても、いつまでもいつかの自分と変わっていないような気がする。
ふと考えると、どこにいるんだろう、というような。
いつからか、精神的な成長は止まっている。
心の中の時間が、動いていない。
どうして止まってしまったのか、分からないけれど、また動き出すのはいつだろう。

気付いてしまった、そんな気がした。

2003年10月26日(日)
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