
HELEN&HEAVEN
Helen
MAIL
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| 2004年03月26日(金) ■ |
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| 人生は顔に出る |
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 去年、中途採用で入社したI田さんは48歳。
近年の不況で稼業の酒屋を閉めて、サラリーマンになった。
お商売をしていただけあって腰の低い、にこやかな人である。
難点は、お喋り好きで…ウルサイことぐらいかな。(爆)
最初の方は、ある部署にいたのだが、途中から定年の人が出る別の部署に移った。
その部署が、例の○ヲちゃん33歳の居る部署である。
主に女性陣が…製品を、針金のでっぱった柄のついた「ラック」にかけ、男性陣が作業場で薬品槽や電解液の入った槽に柄を持って順繰りつけていく…。 最後に大型の乾燥機に入れて、乾いたものをまた女性陣がはずしていく…。 これまたブロイラーのような延々と続く流れ作業だ。 たまに流れが狂って滞ったりして…○ヲちゃんのようなこらえ性のない人がブチ切れるのも無理はなくはない。
さて…入社2年目のI田さんは、どちらかというと雅やか…というか、はっきり言うと鈍くさい。(爆) 他に2名いる男子はもっと頼りない…。
かたや勤続十数年の中堅キャリアになろうとしているのに「責任者にはなりたくない。どうしてもなれ!と強要されるのなら会社辞めます。」出社拒否を何度かし「一生兵隊の身分で居ること!」を社長と約束して辞意を撤回した。
かたやこれまた同じくらいの勤続年数の男子だが、いつもクチの中でモゴモゴ…何を言うて居るのかわからない輩だ…。 ヌボーっと事務所に入ってくるのが常で「声を出してくれないと、ビックリするから!お願いしますヨ。(´ρ`)」と何度か頼むと、やっとボソボソ言いながら入ってきてくれるようになった。(笑)
今年定年退職してパート従業員として再雇用されたM下ヲジがその部署の責任者である。いまだに後継が育たない。 年齢的にI田さんが期待の星なんだが、I田さんも相当のどんくささをほこるもので、 「どいつもこいつも…。(役立たず)チッ(・д・)」がM下ヲジの口癖だ。(笑)
このI田さんが最近のいじめっこ○ヲちゃんの格好の標的らしい…。
夏にはI田さんのことを「汗くさい!」と相棒の妖怪濡れ落ち葉(またの名を狸バーサン)のF枝に愚痴り、
冬には慣れぬ仕事にうろうろおろおろするI田さんに「どいてっ!!」と足蹴にせんばかりの勢いらしい…。
そんな噂は聞くとはなしに耳にはいってくるもので…毎朝、コピーを取りに来るI田さんに(←これまた、横着○ヲちゃんのお使いである。)
私:「ヒステリー姉ちゃん(○ヲちゃん)やりにくいでしょう?I田さんツライ思いをされているのでは?」と水をむけると…
I田:「僕は商売をしていたからある程度流せるんです。この人はこんな人と割り切っています。 けれど、(彼女は)時々ふに落ちないことをしはりますネ。僕の担当仕事が残っているのに“(役に立たないから)帰ってもらって!”とN田君を通して指示出して来はるんです。(;´Д⊂)」
なるほど、他人を介して自分の言葉を述べるのは○ヲちゃんの常套手段だ。自分の虫の居所だけで仕事の流れを無視して指示をだしたりするのは、今に始まったことではないが、その指示の出し方がどうも姑息な印象は否めない。
私:「私はI田さんの怒っている姿を見たことないけれど、思った以上に大人やね〜!(・0・。) ほほーっ」
I田:「以前にネ、商売している時、教わったことがあるんです。よく“人格は顔に出る”って言うでしょ?
20歳代、30歳代は良いとして、40歳を過ぎると…今度はその顔が定着してしまうんです。
顔の相がネ、固まってしまうんですョ!!」
私:「エッ? (;゜��゜)ノ マジで、ですか?」
I田:「リンカーンも言ってたじゃないですか…。」
「男は四十を超えたら誰でも自分の顔に責任を持たなければならない」 第十六代アメリカ大統領 エイブラハム・リンカーンの言葉
永遠の処女○ヲちゃんは、33歳にしてスッカリ口角が下がってしまっている。 常時、不平不満だらけだからか?この人は、基本的に他罰意識があるので仕方がないかも…。
不思議なのは○ヲちゃんの唯一のお友達F枝だが50歳半ばにして、60歳以上の老け込みかただ。 この人も口角が下がり気味である。
そうして… 「今まで一体どんな人生を歩んできたんだろう?」皆が噂する程、人相がばばっチイ…。(ぉぃぉぃ)
ごま塩頭のおかっぱで、太陽と煙草のヤニで焼けたシミしわだらけの顔にアリんこみたいな細かな目鼻だちが、化粧しないよれた皮膚の上にバラバラッと落ちている。 唯一…笑った時に白い八重歯が( ̄ー+ ̄)キラリ 破顔一笑の印象を与えるが、それにしても、ねすっこさが顔満面に現れている。
私は… 私自身の顔は?
怖くなって時々鏡をのぞき込む…。
顔が固まってしまうまで、まだ猶予はある…。(〃゜д゜;A
そうネ、そろそろピーリングにでも行ってみようかしら。(爆)
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| 2004年03月23日(火) ■ |
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| ベトナ民 |
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私が米国に学んでいた頃は、歳がばれるのであんまり言いたかないんだけど「ブッシュお父ちゃん」の頃だ。(爆)
ロサンゼルスの最初は私立の英語学校に入り、のちに経済事情から授業料の安価なロサンゼルス州立の公立学校に転入した。
帰国するまでの大半をその学校で過ごしたので、すごく思い入れが深い。
80カ国の人種が集まるその学校は主に、東南アジア系とヒスパニック系の生徒が大半だった。
クラスメートには一人だけ、おフランス人の男の子がいたが、年中、鼻をぐすぐす言わせていて、なんだかよくわかんないヤツだった。
そのクラスでの隣席の男子はベトナム人。 ベトナムやタイランドの言葉の発音は、喉の奥に詰まる音だ。 そうね、サザエさんが「また、来週〜♪ッンガ・ウグッ」と食べ物を喉に詰まらせる音を想像していただければ一番早いかな。
クンパック(だと憶えている)という名のその男の子のベトナムなまりの英語は、非常に聞き取りにくいモノだったが、じきに慣れてきた。
身長が157cmそこそこの私とあまり大差ない小さな穏和な顔立ちの男の子だ。
それはそれは真面目で宿題をサボったことのない彼。 よくうつさせてもらった♪ ヾ(-д-;)ぉぃぉぃ
勤勉でとても成績の良かった彼。 テストの回答も、よくうつさせてもらった♪ Σ(゚д゚)オイオイ×2
クラスの半数は、タイ・ベトナム・中国・韓国・日本の東南アジア系が占めていたが、とりわけ、ベトナム人は勤勉でよく働いた。 アルバイトを2つも3つも掛け持ちするのは彼らには当たり前のことだった。
1年が雨期と乾期の真半分に分かれる国。
戦争禍は、国民の間に深く静かに浸透していて、例えば教育においても「勉強せずして、生きるか死ぬか?」の両極端な切迫感があるらしい…。 あまり豊かではない国から、アメリカへ留学させる費用を捻出する親族は大変だったろうと思う。
タイの女の子がこぼしていた。「私が国に電話するたんびに“金・かね!”って言うから母がいやがるの。(・・。)ゞ 」
一度、このタイ人の部屋に遊びに行ったことがあるが、2LDKのマンションに男女取り合わせて6,7人ざくざく出て来たから、驚いた。 日本人やアメリカ人の感覚では、ルームシェアはせいぜい、一人一部屋あたるような割合だったからだ。 タイ人の女の子は、居間の一画をパテーションで仕切って寝起きしていた。 人数が多ければ多いほど、家賃も安くなるからそれは合理的と言えるのだけれど…。(笑)
さて、ベトナム人の隣席の彼にはさすがに「どらえもん」のジャイアンよろしく、こづいたりまではしなかったが(笑)さんざん、いじりまくったのは確かだ。
だって、あんまり小さくて可愛いんだもん♪ いつでもニコニコして柔和だった彼。
1年が過ぎ、クラス替えでお別れする日になんとなく話しの間があいて、彼に尋ねてみた。 「How old are you?」(おいおい…それが、さんざん世話になった人への言葉かよ?)
その時、彼の実年齢を初めて知った。
なんと! Σ(@∀@-;)
私よりも 6つも年上だったのだ!
衝撃のあまり… ちょっと卑屈になって別れた学期末。
そう言えば、彼は私がどんなに無礼をはたらいても怒ったことがない。 生涯、会う機会はないだろうが、もし会えたら、あの時のお詫びをしたい。^^;
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| 2004年03月18日(木) ■ |
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| 不条理に泣いたこと |
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フライパンの柄を握るとき、ときどき瞬時に思い起こす食べ物がある。
それは“ぎょーざ”です,宇都宮の…。
宇都宮の餃子には思い入れがあって、思い出すたびに「ありがたい。」救われた記憶が蘇る。
今の会社に入社してそろそろ2桁になりますか… お局街道ばく進中の私だが、その間に、ほんとうにさまざまなことがあった。 睡眠時間をのけて1日の大半を会社で過ごすわけだから、何もないのは返っておかしいわけだが…。
一昨年の出来事は、心底堪えた。 真剣に転職を、今までになく真面目に考えたし、実際に面接まで行った会社もあったものなぁ…。 (ちなみに面接した先は“鶏卵”をスーパーに卸す会社で、今となっては履歴書が戻ってきて良かったのかナどうか複雑な気持ち。・笑)
一昨年の… 2002年10月18日の日記 2002年10月21日の日記 2002年10月24日の日記 に、へにょへにょ泣いていた私が居ます。(爆)
私は不合理なことをされると腹が立つ。 周りに迷惑がかかるようなズルさぼりも腹が立つ。 デリカシーに欠けると思っても、怒る。(笑)
胸のど真ん中にストレス玉があって、息を吸っても吸っても吸っても… 息苦しくてどうにもならなかった。 今は退職した仲の良かった○理ちゃんが勧めてくれた 遠隔リーディングをネットで申し込むと…『エネルギーが心臓に向かって逆流している。』けれども、しばらくすると治まるだろうとのこと。
会社でも家でもふとした折りに涙がボロボロこぼれてどうにもならなかった。
そんな時に、ある人が「Helenちゃが、元気になりますように。」との祈りを込めて送って下さったのが、宇都宮の餃子だったのです。 餃子はジューシーで美味しく、何よりも暖かい気持ちが籠もっていました。私にとって一生忘れられない味。
はからずも年の初めに占って貰った四柱推命の占い師の『今年は人のために良かれと思ってとる行動が裏目に出る。』占い結果が的中しちゃったわけだが…。 もう、会社での存在意義はない。そう判断した私は、転職のコネと人脈作りをするために、ある人を介して先の裏日記ブロイラーのようなボランティアに時々駆り出される組織に属している。 …とは言っても、宗教が絡むような団体でもなく、(o¬ω¬o)アヤシイ団体でもなく(笑)、おもに暇のたくさんあるお年寄りがあつまっているところだ。 仕事のオファーは、勘違いした人がいて、一つ流れてしまった。ちぇっ
さて… 先月までは社長妹さんが、お昼休みに事務所にあがってくることが多かった。(我が社の事務所は鬼門の関係上、2Fにあるのです。)
相当のストレスが溜まっているようで、事務所の扉を開ける顔に「私は○ヲちゃんとF枝のことで、怒髪天を衝いてます!」と書いてある。(笑)
○ヲちゃんは33歳になるのかな? 自分でも「○ヲちゃんはな〜♪○ヲちゃんはな〜♪」と、自分のことを呼び、幼稚なことこの上ないんだが、他人にも強要する…というか、他人が「○ヲちゃん♪」と呼ばないと機嫌が悪い。それを知っていて、わざと名字を呼ぶ私は意地の悪いお局だ。(爆)
彼女は、女性ならではの細かい手作業の部署にいるんだが(男性はその作業が終わった分を製品化する仕事をする)かなりキンキンにヒステリーを起こしながら他の従業員を追い回すので、それなりに能率はあがっている。
問題は、やっぱり人間性かなぁ。
総てにおいて他人の長所をみずに、短所をあげつらっては悪口を言いまくるから、「はたで聞いていて気分が悪い。(┐ ̄  ̄┌)ゲッソリ…」と社長妹は言う。 もっとも「はたで聞いていて気分が悪い。」のは、同席している従業員みなが口を揃えて言う周知の事実なので『今更』という感はある。
社長妹は、○ヲちゃんがいびって辞めさせたインドネシア婦人とほぼ入れ違いぐらいにパートで同部署に入ってきた、今で2年目。
社長妹が怒ると実兄である社長が頭が上がらないくらいの猛者であることは、あまり社内外に知られていないようだ。最初は双方(○ヲちゃんも社長妹も…あ、それから○ヲちゃんの相棒F枝も)皆、猫を被っているけれど、地は隠しようがない…だんだんばれてきて…
そしてその時すでに完全に天狗になってしまったいた○ヲちゃんは、社長妹にもヒドイ意地悪をするようになって来たらしい。 (((( ;゜д゜)))アワワワワ
○ヲちゃんとF枝バーサンのコンビは、今までこの手で何人もイジメて二度と逆らえないぐらい骨抜きにした。 あまつさえ、工場長嫁でさえ!(もっとも、工場長嫁はヘナチョコな部分がある。爆)
いじわるされても負けてないのは、社長妹と私ぐらいか…。(笑)
話しは戻るが… 社長妹の愚痴の合いの手に私も伝えたんだが、「○ヲちゃんは自分自身で自分の押さえが効かないって、以前に漏らしていたことがあったよ。」精神的に成熟してないんだ〜。 一度は関わって引っ張りあげたいと思ったこともあったが、逆ギレされたあげく社長にあることないこと言って行かれたことは過去の表日記に書いたけれど。(笑)
社長妹は、勿論、兄である社長に○ヲちゃんにクレームつけたし… 最近は派遣先からも○ヲちゃんの人間性についてクレームがついた。
加えて経理のパートおばさんも社長に「派遣社員にあまりな仕打ちをしたりして、その人たちが余所の会社で我が社の悪口を言いいふらしたら、我が社の風評が落ちてしまいますよ。派遣社員が来てもらえないのはまだしも、評判が落ちたら会社組織としても損失になりますし…。」と進言してくれた。
いつも私におしゃべり攻撃をかけてくる経理おばさんだが、イイとこあるじゃん。(笑) 見直した!
さすがに「マズイ!」と思い出した社長は、とうとう○ヲちゃんを呼び出して、お話したらしい先月2月の頭くらいの話しだったかしら…。
それまでは「社長は、なぁああんでも私の言うことを聞いてくれるゥ〜ん♪」(←寝言です。)と我が世の春を謳歌していた○ヲちゃんだが、さすがに堪えたのか、次の日から土日を挟んで5日間有給を取った。
その後で、我慢し続け働いてくれていた現行の派遣社員が2名揃って辞めた。
それから10日後、○ヲちゃん実妹と実母が妹の子供を連れて、昼休み○ヲちゃんと○ヲちゃんの会社での親友F枝バーサンに会いに来た。 (ちなみに○ヲちゃんには家族以外お友達が居ないし、F枝バーサンは仕事のおこぼれを貰うために○ヲちゃんにひっついているだけで、プライベートまではご一緒したくないようだ。)
たまさか表の自動販売機にジュースを買いに出た時に目撃したものだ。
○ヲちゃんの部署の総括責任者のM下ヲジが仕事の延長でその辺をうろうろしていた。 例のごとく○ヲちゃんファミリーはM下ヲジを無視!
F枝バーサンの直属の上司でK課長が、食事を取るべく表へ出て行った。 勿論、これも無視!!
いつもの如く(彼らはもう、何度も会社に来ている。)(〃▽〃)キャッ(〃▽〃)キャッと仲間内で盛り上がっている。
娘が会社で世話になっている…どころか、娘の力で会社は回っていると言いたげだ。(爆)
娘の会社に用事もないのにノコノコ出てくる感性は百歩譲って「うちの娘が不祥事をしでかして(派遣社員をいじめて)申し訳ございませんでした。」と謝りに来たとしたら納得が行く。 ○ヲちゃんは、家でどんな説明をしたんだろう? きっと、自分の非は一切言ってないだろう。
う〜ん、この子(○ヲちゃんにして)この親有り!!
会社に電話してきて、娘(○ヲちゃん)を呼び出すのに、
「いつも、娘がお世話になっております。」 「ご迷惑をおかけしておりませんか?」
なぁんて一言も、無い!(爆) ただ、「○× □△子をお願いします。」のみだ。
すごい家族がいるもんでしょ。
我が社はタコ社長の方針により『自分から言い出さない限り』退職を勧告することは、まず、無い。
壁に向かって一人笑う社員がいたり、御手洗いの個室(しかも和式・水洗だが)で弁当を食べる社員がいたり…。・゚・(ノ∀`)・゚・。する。
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| 2004年03月14日(日) ■ |
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| オンディーヌ <ondine> |
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昨日、所用で出かけた際、往復の電車の中で読み終えた薄い冊子の読後感想文を記しておこうと思う。
オンディーヌの原作は『水妖記−ウンディーネ』
作者フーケーは、ドイツ後期ロマン派の中に数えられる作家であるが、元来北フランスのノルマンディ地方に何百年も続いた古い貴族の出である。軍人となったフーケーは退籍後当時の文学者と交わり、のち多産な作家となった。作家であり英雄でもあった彼は、一時の名声のまま過去の夢を描き続けがために時流に乗りきれず、その名声は生前すでに地に落ちた。
ただ一つこの「オンディーヌ」だけは、今日まで愛読され、バレー音楽にもオペラにもなり広く上演されている。 −あとがきより抜粋
大昔、人間は自然と深く関わりを持ち、自然に畏敬の念を抱き接してきた。 地水風火の中にはそれぞれの精が住んでいると考えていた。 古代ギリシャ人の考えたニンフに対する信仰は人間の中にずっと生きてきた。
とりわけ、水の精は様々な形で大地にみなぎり、海原を満たし、草木や魚介を育て、人間にうるおいをもたらす反面、時には災いを起こす、もっとも親密なエレメントである。
知る人ぞ知る、この物語は元来『魂』というものを持たない“水の精オンディーヌ”が騎士である人間と結ばれることによって、『魂』を得る。
夫である人間に裏切られ、元の水の世界に帰らざる時が来る。故郷に戻り涙にあけくれるオンディーヌ。 それでも、「魂を持つことによって涙にくれることのできる私は幸せ。」と言い切る。
水の精の掟では、人間の夫が他に(元の水の精の妻以外の者を)娶ると「命数がつきる」ことになっている。(例えば再婚などをしてはいけない。) しかも、妻であった水の精自らが夫の命をたたねばならない…。
物語の終焉は愛する夫の命を奪わねばならない水精オンディーヌの悲嘆にくれる涙が夫の眼から入り、最後には夫の心臓の動きを止める。
戯曲の方では、オンディーヌの父である水界の王が哀れに思い、騎士の夫の死とともに娘オンディーヌの記憶を消してしまう。
オンディーヌ オンディーヌは人間の男と結ばれることによって「魂」を得た。
どんなにみじめな目にあっても、魂のない物(水)であるよりも、魂のある女(人間)になるほうが幸せ… たとえどんなに悲しみをなめようとも、愛を知らずに自然の塵芥となるよりも一度は愛される方が幸せだと考えた。
人間の身体の約60〜70%は水である。 哀しい時、涙という成分に変わり瞳から出て行く。 物語中、何度か出てくるフレーズに「あなたを失うことになれば、きっと目がつぶれてしまうほど泣きくずれるでしょう。」とある。
涙は、齢を重ねるにつれ流す機会が増え、間隔は短くなっていくのだろうか…。 それとも泣かなくなる? 時には疎ましいと思う魂。 とうてい重すぎるけれど、人間である以上担っていかねばならない。
オンディーヌは今も地中海の底で泣いているのだろうか…。
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| 2004年03月13日(土) ■ |
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| 桜咲けば…散りゆく花びらの色はうつろ |
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夢を見た。
病院の前に自転車を止め乗ったまま最上階の5階を見上げる私。
最上階の病室から、見下ろす私。 歩道でポカンと見上げる私と見下ろす私の心の会話。
(まだ、5階の病室に居そうな気がする。)
(いえ、もうこの病院には居ない。)
(彼の終の棲家になってしまった。)
(そうね、いつもここから発信していたね。)
(まだ、思念が残留していそうな気がする。)
(会いたいね…。)
(会いたい。)
『癌が再発しました。』と携帯メールを受け取ったのは去年の梅雨時分だったか…。 彼からのメールは殆ど削除できないまま今に至るのだが、つら過ぎてよほど気力が充実している時でないと確認できない。
焦ってかけつけた病院は会社からわずか1.5キロ。 自転車で5分くらい。
祇園の姉ちゃん達が入れ替わり立ち替わり…ニコニコと嬉しそうな彼。
意外と元気そうで、病人らしくなかった。
最後の祇園の姉ちゃんが「じゃ、私、出勤の用意があるから…。」と帰ったあと…あまり病人に負担をかけては…と思い、 私も「じゃ、出勤の用意があるから♪」とウケを狙っておいとましようとしたら、いつにもまして厳しい顔で押しとどめた彼。
「僕の人生のカウントダウンは始まっているんやで!」
そんなこと、元気そうな丸顔の童顔に言われたって信憑性がない。
「一昨年、大腸癌を切除したとき、全部取り切れてなかったみたいや。これから厳しい抗ガン治療が待っている。」
彼は軽度の大腸癌だったので、人工肛門は右側だったように記憶する。 軽度→右 中度→真ん中 重度→左 切除する腸の長さによって決まる。
裏日記の『ブロイラー』日記にかいたとあるボランティアの場所で知り合った。 会社から出向でその期間、派遣されているらしかった。私はアフターファイブにお手伝いしていた。 人工肛門の話は公認の事実だったが、打ち明けられるまで健常者と疑わなかった。 ボランティア期間は彼のマンションと私の最寄り駅が近かったため、ほぼ毎晩、駅まで送ってもらっていた。(もっとも彼の部屋には行ったことはないけれど。)
ヘビースモーカーで癌になってもなお「僕はたばこと女性の乳首は一生吸い続けます!」と医者に公言した彼。 もっとも回春は途中で失ったようだが…。
その日が、 危篤の日と同じくらいに印象に残っているのは…しみじみと彼の半生を聞かされたからだ…。 平成7年あたりから続けて、兄・父親・妹・弟…自ら命を絶った兄以外は全部、悪性の腫瘍で亡くなった。
痛みを伴う腫瘍のために暴れる父親に看護の家族は憔悴しきり「お前、いついつまでに逝けよ。」と亡くなった兄の代わりに父に引導をわたしたこと。
血液の癌のため莫大な治療費をかかる弟を心の底で疎ましく思うのと、治療費を稼ぐのに忙しすぎて、つい病室へ向かう足が遠ざかりがちだったこと。 「弟はこの薄情な兄を恨んでいるかもしれない。未だに、弟の日記を読むことができない。」そして最後に… 「年老いた母親を一人残しては死ねない。」とつぶやいた。
彼の名字は珍しく「元々は渡来人で、蘇我入鹿の子孫。日本では源氏にも平氏にも属さない兵隊の末裔だよ。」と教えてくれた。
おそろしく頭の回転が速く切れ者の彼は、名参謀だった。 彼が居なかったらボランティアは無事終了しなかったに違いない。
直近の写真日記にも書いたが、ボランティア仲間を含む彼との花見は最初で最後になってしまった。
享年48歳。
今年は… 桜を見て心底「切ない」と思った。
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| 2004年03月12日(金) ■ |
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| 月のしづく 。。oO < HP誕生秘話 > |
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私がネットの世界にソロソロと足を踏み入れはじめたのは、もう、5,6年ほど前になりますか…。
精神的に疲れていた折り、ふと入会したメーリングリストのメンバーはみな、暖かく優しかった。 メーリングリスト名に『心』の文字が入ったそのMLでは、誤解や曲解もあったけれど、互いに気持ちを通わせあう努力はしていたと今も私は思ってる。 緩急自在の話題のメールが日に何通も届いて、嬉しかったし満足してたの。
その頃は、まだダイヤルアップのネット環境だったので、自分のHP運営なんて、とてもじゃないけれど、夢想だにしなかった。 ことインターネットに関しては、常に傍観者のスタンスを取ってきた私。 そんな生活が2,3年続いたわ。
それが、ひょんなことから、とあるサイト上に簡易のHPコミュニティがあるのを知ったの。 そのサイトに行きログインして、自分のページを開く。 画面1枚だけの自分のHPよ♪オフラインでも作業できるの♪♪ プロフィールや自分の夢・将来の希望、そしてログの残らない日々の日記は、すべてテンプレートで色や飾りが決められていたけれど、超・初心者の私はそれで、十分楽しかったの。 メールのやりとりもそのサイト上でできたんだよ。 ホットメールみたいな感じかな。 自分のサイトに行った時、届いたメールが保存されてたりしちゃってたらドキドキした。 今思えば、ログをとっておけばよかったと残念しきり…。
その時、決めたサイト名が 『月のしづく。。oO』 だったんだ〜。
なんで「しづく」なんですか? 「しずく」ではないんですか?というメールもいただいたわよ。(笑)
実はその少し前に、メーリングリストに「月のしづく」という詩をアップしていたの。 心に秘めた人が居て、その人にあてたラヴレターだったんだわ。(赤面)
もう、後にも先にも書けない内容かもしれない。(〃▽〃) 渾身のちからをふりしぼったわよ。(爆) その時の詩を探し続けているんだけれど、既にFDはフォーマットしちゃったかも…。(T.T)
確か世紀越えの夜…雨上がり 大きなまん丸のべっこう飴みたいな月から、 透明なしづくが滴っているようなそんな夜に書いたのよ。
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太古の昔より繰り返す魂 今世紀最後のこの月を眺めながら… あなたとの邂逅を想う 今世紀最後のこの年に あなたと出会えてよかった…
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そんな内容の詩だったわ。 世紀越えは一大イベントだったから、 お互い別々の場所で、同じ月を見ていたはず…。 届かないラヴレターを「あなた」は今も知らないけれど…。(笑)
それから、1年後のクリスマスイヴに『HELEN&HEAVEN』が誕生しました。 本格的にHPを立ち上げようと思ったので、サイト名も真剣に悩んだわ。 悩んで悩んで思い浮かばなかったので、すんでのとこで“リサ・ホルツマンの窓から…”にしようとしたんだよネ?(笑)
ハイセンスな名付け親は最近、映画を撮るのが忙しくて、遊んでくれません。(爆) …というか、いつも忙しい方です。^^;
そして初期のHP作成の折り、BBSのCGIが全然わからない私に尽力くださった、あなた様にもありがとう♪を。 未だにCGIをよくわかってない私を許してネ…。
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| 2004年03月02日(火) ■ |
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| EIJI画伯 �� |
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女の子と見まごうばかりの我が美貌の弟エイジくんは、ざんねんながら長ずるにつれ男くさく不細工になっていった。(爆)
睡眠中、歯ぎしりをギチギチするクセは母方の遺伝のようだ。
寝言を言うのもそう。
ちなみに私は寝言でよく笑う。 自分の笑い声で目が覚める時があるが、暗い部屋に響く笑い声は滑稽というよりも…恐ろしい。Σ(´曲`;)
弟のエイジはもっとヒドイ。
彼は結婚したら浮気をしてはいけない。 だって、その日あったことを寝言で全部教えてくれるんだから…。(爆)
「先生、ごめんなさい!もうしません!! ( ; ゚Д゚)」とか…
「おいっ!待ってくれや、K田!ちょっと、待ってくれ!!」とか…
なぁんてのは序の口で…
寝ながらにして、外出する。
そなへんを歩き回る。
彼がまだ中学生の頃、母屋と棟続きの離れ小部屋から(出入り口は別)夜中、歩き出した彼は母屋の母が寝ている部屋の窓をガンガンたたき、
「もーっ!ヽ(`Д´)ノプンプン あれほど、起こしてっ!!て頼んだのに、間に合わへんやんかーっ!! 大遅刻やーっ!!あーっ!!どうしよう!!!」と、思いっきり文句をたれたそうだ。
熟睡しているところを起こされ、瞬時に事情が理解できるはずもなく、きょとんとしている母を置いて、弟は、スタスタと離れ小部屋に戻っていったらしい…。母はとってもご立腹だった。(笑)
他にも…(まだまだ、いっぱいあるよ♪)
エイジは、中学校を卒業してスグにアメリカに留学したわけなんだが(私も途中で2年ほどお邪魔しました。笑)
当時の、エイジのルームメート(日本人で大阪人)でエイジと私の共通の友人が言うには…
「お姉ちゃん(σ(^_^)アタシのことです)あのな〜、エイジな〜夜中にむっくり起き出して冷蔵庫のとこまで来よんね。
ほんで、“おー?どないしたんやー?喉かわいたんけー?”て話しかけても無反応や。そのまま、冷蔵庫前のテーブル周りをフラフラ1周して、また、ベッドまで戻って行きよんね!(爆)」
ルームメートの彼が言うには、そんなことはしょっちゅうだったらしい。^^;
ちなみに彼らが借りていたアパートメントは1Fだった。
よくぞ、銃の危険が渦巻くアメリカの夜にアパートメントから徘徊して行かなかったものだ…と家族は、あとで冷や汗をかいた。(爆)
向こうに音楽留学をしたはずだのに、いつの間にか古着屋さんで働くようになり…
日本に帰国した彼が『ガテン系の仕事をしながら絵を描く』という話しにたどり着くまで、
まだまだ…遠いな。(笑)
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| 2004年02月26日(木) ■ |
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| EIJI画伯 �� |
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私は4人兄弟の3番目…。 紅一点と言えば聞こえはいいけれど、なんせ野郎に囲まれた女郎1人なので性格は荒けないことこのうえない。 普段は、猫を被っているが、ときどき猫がいやがって逃げていく。(なんちゃって)
我がサイトにギャラリー【e_art】として、油絵を始め数々の絵を提供してくれている末っ子の弟は、今は亡き父の希望では女の子のハズだった。
だが期待を裏切ってよぶんなものを(笑)つけて生まれてきてしまった。 両親のがっかりしたこと…。
…ところが、彼は残りカスどころか両親の顔の良いパーツばかり受け継いだんだな。
これがまた、ご近所さまが「とんびが鷹を生んだ!」と、 わざわざ見に来るくらいプリテーな赤ちゃんだったんだ。 (※ あくまでも【だった】と過去形です。↑爆)
くるんくるんの天然パーマにこぼれそうに大きくぱっちり二重の瞳が天使のようで、いくら眺めててもあきなかった。
…と同時に、末っ子の座を奪われた私は激しくジェラシーもしたものだ。
共働きの両親の元、いつも弟のおもりをおおせつかっていた私はわずらわしかったのはあるけれど、よく野原や収穫後の田畑に連れて行って遊ばせた。
弟が2,3歳の頃のある夕方、浮浪者風のおやじが寄ってきて、弟と手をつなぎ、しきりに弟の美貌を褒めだした。 「可愛いなぁ〜!可愛いナー♪」どうも、弟を欲しそうだった。
このオヤジ…(;¬д¬) アヤシイ…
隙を見せると疾風のように弟を連れ去りそうな雰囲気だった。
事実、オヤジは私の視線を弟から逸らそうと、
「おー、きれいな夕焼けだよぉ〜?」
「ほら、あっちにめずらしいものがあるよ!」
「あれ、なんだろう?すっごいのがあるよ!」
「見てごらん!見て!!見て!!」と、しつこくしつこく私に強要する。
そんな初歩的な手にひっかかるものか、
ヾ(`◇´)ノ彡☆コノ!バカチンガァ!!
私が、もの言わず、
( ──―───―・── _____ ─―──・─ )ギロ〜〜〜! と、
にらみつけているだけなので、とうとうあきらめたらしい。
オヤジは弟の手をしぶしぶ離し、未練たらしげに去って行った。
あの当時の話しを弟にして、今、みかじめ料をもらわねば!!
しかし、弟は兄弟一の守銭奴…。
反対にお尻の毛までむしられぬやもしれぬ…。
この話しは続編にて。
( ゜口゜)さらばですじゃ〜
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| 2004年02月25日(水) ■ |
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| 1トンの塩 |
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最近、読み終えた文章の書き方の本に名文が抜粋されていたので忘れないうちに書き留めておく。
イタリア文学者の須賀敦子さんのエッセイ。
筆者はミラノにてイタリア人と結婚して姑と共に同居を始めた。
結婚して間もない頃、これといった深い考えもなく夫と知人のうわさをしていた筆者にむかって、姑がいきなりこんなことをいった。
「ひとりの人を理解するまでには、すくなくとも、1トンの塩を一緒に舐めなければだめなのよ。」
とっさに喩えの意味がわからなくてきょとんとした筆者に、姑は、自分も若い頃、姑から聞いたのだといって、こう説明してくれた」と原文は続く。
<1トンの塩をいっしょに舐めるっていうのはね、うれしいことや、かなしいことを、いろいろといっしょに経験するという意味なのよ。塩なんてたくさん使うものではないから、1トンというのはたいへんな量でしょう。それを舐めつくすには、長い長い時間がかかる。まぁいってみれば、気が遠くなるほど長いことつきあっても、人間はなかなか理解しつくせないものだって、そんなことをいうのではないかしら>
このエッセイは読書のすすめにつながります。
『文学で古典といわれる作品を読んでいて、ふと、いまでもこの塩のはなしを思い出すことがある。この場合、相手は書物で、人間ではないのだから、「塩をいっしょに舐める」というのもおかしいのだけれど、すみからすみまで理解し尽くすことの難しさにおいてなら、本、とくに古典とのつきあいは、人間どうしの関係に似ているかもしれない。読むたびに、それまで気づかなかった、あたらしい面がそういった本にはかくされていて、ああこんなことが書いてあったのか、と新鮮な驚きに出会いつづける』
『長いことつきあっている人でも、なにかの拍子に、あっと思うようなことがあって衝撃をうけるように、古典には、目に見えない無数のヒダが隠されていて、読み返すたびに、それまで見えなかったヒダがふいに見えてくることがある。しかも、1トンの塩とおなじで、そのヒダは、相手を理解したいと思い続ける人間にだけ、ほんの少しずつ、開かれる。イタリアの作家カルヴィーノは、こんなふうに書いている。 “古典とは、その本についてあまりいろいろ人から聞いたので、すっかり知っているつもりになっていながら、いざ自分で読んでみると、これこそは、あたらしい。予想を上まわる、かつてだれも書いたことのない作品と思える、そんな書物のことだ。”』
Helenが思うには、古典を読み続けることは自身の経験と成長をはかる尺度になって面白いと思う。
10代の自分… 20代の自分… 30代… 40代… 50代… 60代…
三十にして立ったり、不惑に惑ったり、よたよたおろおろしながら、みな人生を過ごしていくんだろう…
そんな中でも、経験や身に付いた知識は、予想外の見識を自分にもたらしてくれる。
あまたの歴史書を読んで、古典を知った気になるなと評論家・小林秀雄もいさめていた。 知った気になっていることが実は一番知らないことなのかも知れない・・・・・ネ。
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| 2004年02月22日(日) ■ |
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| 古典に学び 歴史に学ぶ |
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昨日、中国古典の本を手に入れたのでご紹介しましょう。
− 人須磨在事上 …人はすべからく事上に在って磨くべし 『伝習録』
伝習録は王陽明の言葉を記録した本です。
生活や仕事など毎日の実践を通して自分を磨きなさいという意味だそうです。 自分を磨く方法は、先達の英知の結晶の古典を読むことらしい。
だが、本を読み、人の話を聞くだけのことなら誰にでもできる。
なかなか生きた知恵が身に付かない。
学んだものをしっかりと身につけるためには…
それと平行して『事上』で、自分を鍛え、からだでおぼえることが必要なのだという。
実践を伴わない知識は、所詮 「 つ け 焼 刃 」 に過ぎない。
実践のなかで磨かれてこそ、知識も人間もほんものになりましょう。
…ということですが、これは言い得て妙ですね。
模倣はそれ自体、悪いことだとは断定できませんが、その人となりの人物像が浮かんでこないばかりか、何か浮いた印象を受けて、違和感があります。
わたしも好きな作家が数名いるんですが、真似しようにもできないですね。 逆立ちしたってできない。 それは、その作家の育った環境や性格や価値観、種々の思想や経験、それらが全く違うからです。 無理して真似たところで、逆に寒々しい印象を与えるだけでしょう。 滑稽なだけです。 人はどんなに真似しようにも、その人たりはえない。
真似ず、媚びず、へつらわず… 可能な限り熟考して、言葉を大切に、言葉をかみしめて歩んで行きたいですね、年相応に。
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