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ジャマイカイラスト
2006年08月26日(土)

トップのイラストをよーーーやく仕上げる。

このジャマイカの絵は、構想だけは前からあった。
ただ、形にするのがあまりにもバカバカしいために
放っておいたのだ。
しかし、はやさんのくせに「バカバカしい」を理由に
何かをサボるのもなんだか自己矛盾しているなと思ったので、
初心に帰る意味で、ジャマイカ。
敢えてジャマイカ。
演歌のタイトルみたい(でも曲調はレゲエ)。
邪魔な烏賊、という題材は、
スケールを大きくしないと相当寂しくなるなと思った。
なんか、コタツの皿に置かれた烏賊が邪魔で、
「おでんの鍋置くから、どけて!烏賊ッ!」
と、食卓で虐げられているイメージ。
もちろん携帯はスルメである。季節は冬。となりにみかん。
画材は色鉛筆がいいね。しょぼーん、と。

だから、明るく描きたいのであれば
夏にやるべき企画である。
夏向きのアイディアなんて、私が考えるのは珍しい。
数年前まで、夏という季節の存在さえ否定しかねかなったのに(無茶)。

そんな私が贈る、改心のダジャレ!
受けてみよっ!(断る!)


小惑星と小学生は語感だけ似ている
2006年08月25日(金)

なにー!!!!!!

めめめめめ冥王星が、惑星じゃなくなる――!?

ショックだった。
そのことに数日間気付かなかった私自身にショックだった。
そりゃー海王星よりも内側の軌道を通る時期があったりとか、
なんか色々あったっぽいけどもさ。
(不明瞭な語尾に記憶のいい加減さがうかがえるが、
 宇宙の向こうで起きている出来事なんて、そもそも
 誰が見てきたわけでもない、観測結果にもとづく推測であり、
 だから私の認識が曖昧だとしてもそこは大目に
 見てほしいものだ。ま、結局まじめに覚えていないだけだが。)

ショックだなあ。
最近立て続けに、惑星の数が増えるの減るの論争。
私に断りもなく惑星を減らすなんて、誰の仕業さっ。
(逆に、もし誰かがそういった判断の際に
 いちいち私に断りだしたとしたら、相当危なっかしいと思う。)

私は私で、今日気付いたらいきなり指から出血していて、
いつの間に切れたのだ、いや割れたのか?なんなんだ?と、
冥王星はおろか半径1m以内の謎すらも解明できない始末。
そして帰宅するなり原因不明の胸痛と変則的な腹痛と、
比較的しつこい立ちくらみで、お茶を飲むのにも時間がかかる始末。
いや、今日飲んだのはお茶じゃなかったな。ミロだったかな。
どうでもいいが、記憶の混乱が見られるのも危険である。

惑星の数が減っちゃうくらいの世の中だ。
何が起きてもへんじゃないな。
「お前が住んでるのは、もう県じゃないよ!府だよッ」ぐらい
言われてもおかしくないよな。
そういう場合、「転居しました」という連絡はしたほうがいいのかな。
それとも、言わずもがななのかな。
郵便番号は変わるのかな。
冥王星に住んでいる人も、きっとこんな気持ちだろう。
(※ただし冥王星に住人がいるかどうかは、
 私はまだ確認していないし、するつもりも毛頭ない。)

今日は宇宙規模で日記。
たまにはいいねえ。


夏、後半戦。
2006年08月16日(水)

あー、そういやイラストをまだ更新してないなー。
最近土日に休めなかったりして、
イラストを描くほどの精神的余裕がない。
原案はあるんだけどな、ばかばかしいやつが。

気軽なノリで描いているものだし、
今ならば家に帰ってくることができるから(とりあえず
まだ半人前なので、仕事量も会社に住むほどではない)、
物理的な制作時間だったら、
たぶん捻出のしようがある。
やろうと思えば異動の電車の中で下書きぐらいならできる。
だが、なんかそういう、精神的に創作のテンションを作れずにいる。
そーじゃないところに心を砕いているからだろう。
というか、仕事中は創作ゴコロを意識的に封じ込めているから、だ。
「創作モードのテンション」の召喚と封印が
自由にできるようになることが、当座の目標。
なのだが、このままでは召喚のタイミングを
永久に失う日が来てしまいそうで、それは怖いのだった。

夕飯に、明太子のパン。
家に帰って、ドーナッツ。
太りそうなものを夜半すぎに食すのが習慣になりつつある。
そして眠気が、ふとした瞬間に異様に襲う。

罪滅ぼしのような気分で、
紫色の野菜ジュースを飲んだ。
紫色っていうところに、なんか説得力があると思ってね(?)。

「食べること」と「眠ること」という
非常にベーシックな活動を満足にまわせていない中、
背中が急に「みしり」と痛んだりして、
やっぱりやっぱり不安である。

体調が悪くなり始めてこの夏で10年。
油断は禁物。
いや油断はしていないんだ、だけど
「勤務」という正当な理由をつけて言い訳して
正々堂々と無理をし続けてしまいそうで、怖いのだ。

大きな山は越えた。
でも夏はあとどのくらい残っているのだろう。
とにかくこの季節が過ぎない限り安心はできない。


世界の中心で、法螺を吹く。
2006年08月08日(火)

8月8日はハヤの日。
あるいは、「(これがホントの)母の日」。
「これがホントの」っていうフレーズ、
あらゆる枕詞の中でもかなり好きなほうである。

しかし、「世界の中心で、愛をさけぶ。」の韓国版が
「僕の、世界の中心は、君だ。」。
……なにやら読点「、」が増えたね(そこに注目だ!)。

そこで今回、ハヤ版のタイトルを考えた。
題して「世界の、中心は、内核か、内閣。」

こだわりポイント1:読点「、」を増やしてみました。
モーニング娘。が売れ出した頃は句点「。」が人気でしたが、
いまの人気は読点「、」です。
無駄に3回も読点を使うことで、
かなり息切れしている感じになりました。

そのうちふたたび星印「☆」の時代がくる気がします。
使用例)「ラブ☆コン」、「つのだ☆ひろ」等。

こだわりポイント2:“ナイカク”をかけてみました。
地球の物理的中心は、マントルのさらに奥の
核――特に、内核と呼ばれる層です。
一方、政治の中心は内閣にあります。
地球科学と政治経済の両面から切り込んだ、
「どっちにしろナイカクやねん、ほんまは」という
身もフタもない見解が顕れております。
どんなストーリーなのかはよくわかりませんが、
おそらくマジメな内容です。
「だーかーらあ、世界の中心は地面の中にあるんだってばー!」
「そんなことより、選挙に行こうよ!」
……みたいな、文系と理系の切ないすれ違いを描いた作品。
「またクラス違っちゃったね」みたいな。
「しょうがないよ、あいつ数学好きなんだもん。」

そして、平井堅の曲をカバーするのは、この私だ(※法螺)。


夏に見る夢
2006年08月01日(火)

ひさっびさに、MISIAを聴く。
音楽を聴こうとすることじたいひさっびさかもしれない。
今日は涼しいから、夏だが、しばらく音を聴いてみる。
……頭痛が来なきゃいいけども。

MISIAの「Mother Father Brother Sister」という、
デビュー曲「つつみ込むように…」などが入った初期のアルバム。
CD屋で、何度も、買おうかなーと迷って、
「み」の棚の前でうろうろして、
あげく発売から7年ほど歳月が経ち、
去年の夏、ようやっと借りたもの。

やっぱり。売れてる人のだから、
どっかで借りられるんじゃないかなあと思って!
気になっていたけどずっと買わないでいたのだ。
やっと借りたのは去年のこと(約6年の逡巡の末!)。
でもって、まだ全曲聴いてない(約7年の放置の末!)。

CD一枚買うのにも躊躇したわけだ、
当時の私は、今とは比べものにならないほど音に弱かった。
だけどJ-POPについては、あの頃が一番詳しかった気がするなあ。
「誰かの話題についていくために」番組を視聴するような
タイプではない私だが、それなりに若者らしく、
時代の気分を感じながら生きていたということだろう。

頭痛がしてきたので、音楽をストップ。
今年の場合、調子のいい日でも、連続して3曲くらいで止めたくなる。
最近また、体の調子がおかしいらしい。
一時期だいぶましになってきたのに。

音に弱くなっているかどうかで、自分の調子がわかる。
他にも私にはいくつかバロメーターがある。
たとえば、坂道を登りきったときの体の芯のぐらつきとか、
朝、目を開いたときのまぶたの重さとか。
疲れたとき、突如視界に閃く火花の明るさとか。
皮膚に顕れる湿疹やかぶれ、血圧に体温。

そういうわけで今年は、「夏が来た」という当然の事実を
感じることじたい、いつになく怖いのだ。
私の体調のぐらつきはワインの出来と同じ。
カミサマにしかわからないというやつだ。
……もっとも、誰の体調も命運も、カミサマ(と、その人が
心で思っている“何か”)にしかわからないものだけど。
ああー夏、早く過ぎてくれ、どうか無事に!
別にTUBEにうらみはないけれど。

そしてまた8月がやってきた。
夏という季節は私にとって大変なことばかり起こるけど、
いろいろな苦味を乗り越えて成長するのも8月。
音楽をまた習うのが夢だなあ。
ささやかで、ちょっとどうでもいい夢。
「この戦争が終わったら、故郷で農園をやるんだ」的な夢。
「MISIAのアルバムを聴くんだ」的な夢。
意外と、長年の。