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雨vs根性
2005年05月30日(月)

いばらでなくいばら、アボドでなくアボド。
世の中は意外とにごっていません。

雨が降っていて傘がない時でも、
根性でどうにか解決する人がいる(無視する、とも言う)。
今日の雨降りの中を歩きながらも、
この雨は根性で解決できるレベルかなあ、
人によってはそうでもないかなあ、なんてことをぼんやり考える。

雨を根性でおぎなうのは大変だ。
服が濡れてもめげないか、荷物が濡れてもめげないか。
女性の場合、メイクが落ちてもめげないか。
いやメイクは女性に限らないな。
男性でもしてたりする場合があるからな。
美輪明宏とか(※珍しい例)。
……いや、あの人の場合、雨とか当たらない次元かもしれない。
畏れ多すぎる。
髪の毛黄色いしなあ。

私は雨に当たっても多少なら大丈夫だが、直射日光に当てると溶ける。
だから数年前のゼミ合宿の時は、
なぜか炎天下でニンニクの皮をむきながら溶けていた。
「ニンニクの皮むきの作業って、屋根のある場所でもできたことだよね」と
ためしに数日後に言ってみたけど、後の祭りでやんした。


教養と無学の間
2005年05月29日(日)

昨日は美術館へ行き、名画とふれあった。
じかに絵を見ることは、作者を身近に感じることができるので好きだ。
油彩画の「ピッ!」ないし「ほわっ」といった描き味の巧さに感服。
「いやー、すごい!さすがっス!」
「こんなにでっかい絵、どうやって描いたの?」
「キャンバスに寝っ転がったの?」
そんな質問攻めを浴びせたくなる。
その人はもう数百年前に亡くなっているのに、
そんな気分になってしまうのは、実はすごいことなのだ。
心が、同じ次元に引き寄せられていく。
美術館はその入り口だ。

しかし、自分があまりに画家の名前を知らないことに気付く。
最近気が付いたのだが、私は文化・芸術方面の教養が著しく欠如している。
一見大学とかを出てるからといって油断してはいけない、
ここまで常識の欠けた人間もいるのだなあ、となぜか他人事の目線で考える。
絵の名前だって、「モナリザ」と「最後の晩餐」「落ち穂拾い」ぐらいは
ギリギリ知っているが、……画家の名前はさっぱりだ。
唯一知っているレオナルド・ダ・ヴィンチは、
画家だけど画家じゃないような気がするし。
あっ、ゴッホは知ってる。
ピカソも知ってる。
箱根で待ってる人だ(彫刻の森美術館のCMソングより)。

ピカソと聞くと、アニメ「めぞん一刻」のテーマソングを
歌ってたグループも「ピカソ」だったなあ、という無駄な知識を思い出す。
“サヨナラの素描(デッサン)”とか、「え、ピカソだけに?」なんて。
はたして、このネタについてくる人はいるのか?
ええい、いなくても構わぬわ!!ザシュッ(※殿がご乱心なされたようす)。

教養はなくても部分的な雑学ならある。
日本で初めて「フロート」を出したお店が、
銀座の資生堂パーラーだということは知っている。
クリームソーダを飲みつつ披露できるような雑学はあるんだが、
守備範囲が点在している状態なので、なるべく面に近づけていきたい。
……なにごとも勉強あるのみ、である。

今日は小説を買う。
仕事の事情でたまたま知った若い作家さんの作品。
こういうご縁から、何か面白い世界が発見できるかもしれない。
いろんな“きっかけ”に積極的に関わっていかなくちゃ、勿体ないのだ。


混乱ショップ
2005年05月27日(金)

一時間寝坊して、慌てて家を飛び出したが、
よく考えたらそれでも間に合う時間だなー。
いつも妙〜にゆとりを持っている自分がいる。

遅刻はしたくないので、早め早めの行動を心がけている私だが、
「会社訪問する時に遅刻は厳禁だけど、
アポイントの時間よりも極端に早く来られちゃっても、
かえって迷惑なんですよー。
早くてもせいぜい、十五分前〜十分前に来るぐらいがいいですね。
待合いの場所は限られているし、会議室が空いてなかったりするから」
というお話をある社員の方からうかがって、うわぁーっと恐縮する。
近くのカフェでコーヒーを一杯飲むとか、
駅のベンチで休みがてら書類や手帳を確認するとか、
時間の調節をすることも、やろうと思えばできることだ。
応対してくださる方にも配慮できてこそ大人なんだなあー、と納得。
大勢のお客様を迎えた経験のある方だけに、勉強になるお話だ。

ある人にプレゼントを選ぶが、うーん。
めったに行かないおしゃれなお店で、右往左往の大混乱。
だって買えるものが少ないんだもん(どれもこれも高ぇー!)。
おしゃれで高価な食器がズラーッと並ぶと、
ここで地震起きたらすごいよなあ、
なんて不謹慎すぎることを考えてしまう。
インテリア誌みたいな洗練と整然の世界には、
ワンポイントとして“不謹慎”を添えたくなっちゃうんだな。
なんてことを考えながら、ああーどれにしよ、安いのどれだ。
おしゃれで、地元に無くて、手頃な価格のもの。
閉店時間も迫ってくるわ、帰りにトイレも寄りたいわで大混乱。
ダイコン乱!(※ダイコン乱…ダイコン軍が反乱を起こし、
ニンジン軍に奇襲攻撃をしかけてせめぎあう行事のこと。
別名:「ダイコンとニンジンのあえもの」)


ジャパンフードwith檸檬茶
2005年05月26日(木)

自らの今日の食生活を振り返ってみたところ、
「うむ、日本人らしいなあ」という感想が生まれた。
概要は以下の通り。

朝食・おにぎり
昼食・納豆ごはん
夕食・おにぎり
夜食・納豆を油揚げに入れたもの

おにぎりと納豆による怒濤の波状攻撃である。
普段はどこかに「パン」「ラーメン」等の異国の文化が入りがちだが、
今日はいつにない統一感だ。
ただ強いていうなら、夕食のおにぎりを食しながら
飲んでいたのが「レモンティー」だったのは残念である。
ドラクエの装備でたとえるなら
「はがねのつるぎ・はがねのよろい・きのぼうし」ぐらいに
残念である。
なぜそこで「はがねのかぶと」をかぶらないのかと。
しかし「きのぼうし」「木の帽子」……かぶったら頭痛くなりそう。

目の前にあることをやっているだけではだめで、
先々を見据えて行動を起こしていかなくちゃ、
プラスを生むどころか維持もできないんだなと最近思う。
今までの人生、ずっと怠けてきたツケをいい加減払わなくてはいけない。

周りには休日を楽しみにしている人が多いが、
私にとっては休日の方が実は気が重い。
限定された自由時間をどう使うか、試されている時間だからだ。
やることがある程度決まっている「枠組み」に安住したい気持ちや、
悩むことから逃げたい気持ちがあるゆえに、平日の方が気楽なのである。
少しでも価値あるものを吸収したい、と焦るばかりで、
休日をきちんと楽しめる心境には、まだまだほど遠いなあ。


おのれにダメ出し「フォンドボー」
2005年05月23日(月)

とある事情で仕事が休みなので、
それを利用して美術館へ。
アート作品の波に「ほほーっ」と気分良く飲み込まれる。
私の神経と知能だけではとても評価しきれないぐらい
広く深く末端までこだわり抜かれた表現にはもちろんのこと、
こんな特殊なことを日夜頑張っている人生がある、ということ自体にも、
漠然と畏敬の念を覚えるのだった。
ずがーんと、頭上でおっきな鐘が響いたような振動を感じる。

その後大学を訪ね、先生方や後輩のみなさんと喋る。
いろんな方に名刺を渡す。今までで一番名刺を渡した日である。
ここで覚えたことのうちで、今すぐに役立つことはほんの一部だが、
これから時間をかけて恩恵を受けていくんだろうと思う。
高校まではほとんど「次に進むための」勉強をしていたが、
大学に入ってからの勉強で、生き方を作る材料集めをした気がした。
答えのない状態を「ヨシ」とすることとか、
考えを伝えることの楽しさとか……じわじわ効いてほしいもんである。

最近ずいぶん都会にも慣れたが、
おしゃれすぎる店は相変わらず緊張するなあ。
恐縮デスッ、ってなってしまう。
今日も、フランスパン一個500円で売っている店で、
トング片手に「恐縮デスッ」となってしまった。
まかりまちがって、おいしそうなデニッシュのパリパリした表面を
「ざくっ」とかつっついてしまったら、
弁償代を取られるんじゃないかと思うぐらい。
賠償金を請求されるんじゃないか。
訴訟を起こされるんじゃないか。
「パン訴訟」だよ、「パン訴訟」。
パンソショー、フォンドボー、炭素棒。
炭素棒って、電極にすると発砲したりするやつだっけ。
あっ、またおぼろげなのにノリで書いている。
化学は苦手だったじゃないか。
なんとなく語感が近い単語を思い付いたからってさ。
そもそも、「フォンドボー」でもすでに苦しいよ。


コカコーラの歌もつい口ずさんじゃう
2005年05月22日(日)

アロエロアロエロアロエロア♪というフレーズが妙に耳につく今日この頃。
なーんか、広告代理店の戦略に乗せられている感じがして悔しい。
なかなか素直な消費者になれないのであった。
同じヨーグルト業界でいえば、ちょっと前に
「ドマッシュノ!」が口癖になった時期もあったなあ。
だめだなー、そんなノリのいい性質じゃ。

高校の友達と、総勢十名での夕飯。
私の知人の中だけでも、いろんな人種がいるもんだなー、と感心。
そのぐらい、やっていることがバラバラな人達。
強いて言うなら公務員と技術系が多め、だろうか?
そんな真面目そうな勤務先でも実はおもしろい人達と、
ゆるめの勤務先でも思いのほか真面目な私。
おもしろい調和である。

私は交友関係が広いとは言えないが、長続きすることが多い。
親しげなふりを繕うことが得意でない方(特に昔は)なので、
合わない人は自然に離れていってしまう。
なんにせよ「装う」って疲れることだ、特に精神にとっては。

高校時代はほんとに、精神的に楽な時代だった。
……で、大学に入ってからはそのぶん落ちこんでばっかりだなあ。
ただ、「落ちこむという現象は、何かを頑張った人にしか起こらない」と
どっかの本に書いてあった。
高校時代は何一つ頑張らなかったなー。それだけは確かだ。
べつに頑張らなくても生きていけることが、わかった時期でもある。
「高度経済成長期を終えた後のニッポン」みたいな精神状態。
経済成長の弊害であった環境問題にようやく取り組んで、
汚染された河川を浄化することに一生懸命だった、って感じ。
じゃー今はなんだろう。レッツ・サミーット!(?)


ドライブインはきっとコンビニよりもたくましい
2005年05月20日(金)

休日出勤の代休を取り、法事のお供え物を選びに行った。
……ま、しめやかな予定ですけども。しっとりと。
昼下がりのスーパーで、フルーツをじっくり見ていた。
傷がなくて、色が良くて、形が良くて。できれば、安くて。
故人はフルーツが大好きだったからなあ、としみじみ。
宗教とか信仰とかいうものを特に意識しない私でも、
亡くなった人を思いやる気持ちを持つことは大事だと思うし、
こういう行動はその気持ちを表現する手段の一つなんだなあ、と
いきのいいフルーツたちを連れて帰りながらぼんやりと思う。

なんとなくだるく、ヘンな時間に眠ってしまう。
会社員になってからはそういうこともなかったなあ。そりゃそうか。
でも朝はきちんと同じ時間に起きてしまうし、
習慣っておそろしいものだなあ。

自分の興味の幅が狭いことを最近嘆いているので、
これから一日に一回は「好き」という言葉を口にしよう、と決めた。
食べ物でも音楽でも動物でも、
なるべく多くのものを好意的に見る訓練が必要かもしれない。
そういう部分が足りなかったんだろうなー。
疑い深いのも慎重なのも倹約家なのも悪くないと思っているが、
そのぶんだけ好きになるものもあっていいのだ。
……とはいえ、最近犬の散歩をしていると
虫がたくさん飛んでいて、嫌でしょーがない!
野に咲く草花は嫌いじゃないんだけど、そこに群がる虫は嫌いだー!
虫のいない地域に引越したい。
極寒のどこかとか。
酸素のうすいところとか。
それじゃ私も住めないか。
コンビニとかモスバーガーとかが無さそう。
ドライブインはありそうだけど(そんな期待感)。


普通の会話恐怖症
2005年05月19日(木)

帰りがけにカバンが壊れた。
すごいラッシュだったから無理もない。
右手とかが壊れなくてまだよかったよ、とマウスを握りつつ思うのだった。

仕事の能率をなんとか上げたい!と思いつつも、作業が遅いなあ自分。
周りの人が早いだけなのか?それとも自分が遅いのか?
そのへん、どこまで頑張るべきなのかが時々わからなくなるのだった。
自分の輪郭をどこに見いだしたらいいのだろう、なんて。
限られた範囲でいいから、考え方とか特性やなんかが
もっと認知させられればいいんだろうけど、時間はかかるだろう。

大学の時の共同体は、今いる集団から見てすごく特殊だったと思うし、
私はその中でも更に特殊なはやさんだったからなあ。
で、今いる所も社会の中ではすごく特殊なんだろうし。
そうなってしまうともう、今後の人生はどこに飛び込んだとしても
「特殊なポジション」以外の道はないんじゃないだろうか。
じゃ、迷わずに特殊な方へ行くよ。
しかし特殊というのはフリーランスなぶんだけ迷いがつきもの。
なんにせよ迷うのだなあ。

最近、自分は普通の会話が苦手だということを発見した。
「休日は何して過ごすの?」とか、普通のことを訊かれるのが苦手である。
何してるかなんて急に言われても思い出せないし、
なにより当たり前の答えじゃつまんないと思うから悩んでしまう。
毒にも薬にもならない質問にも身構えて、面接並にギクギクしてしまう。
私には普通の質問に普通に答えられるような能力はない。

週末が近付くと怖い質問が「今度の休日はどこに出掛けるの?」である。
休日は何かをしたり、どこかに出掛けたりするものだと思う人が多いが、
私は、そもそも休日とは休む日だと思っている。
王道の中の王道を行く定義だと思うんだが、世論の支持をどうも得ない。
経済活動が活性化しなくなるからだろう。
それに、休日とはいいながら心は決して安まらない。
そういうのが、人間だもの。 みつを

何か訊いてくるにしても、「ソムリエって、外人の名前っぽくない?」とか
そういうのだったらいいのになぁと思う。
「あーそうですね、ソム=リエとか、韓国に嫁入りした日本人ぽいですよね」
って感じで軽く返せるのになー。
なんで誰もそういう質問してこないんだろう。
休日に関する質問にしたって、もうひとひねりあると違うのに。
「今度の週末をSMAPでたとえると誰っぽい気分?」
「んー、森くんですね」
「おおっ、ベタなところ行くねー」
気分的にはレーシング!


メガネはメガネ、顔は顔、カモメはカモメ、俺は俺。
2005年05月15日(日)

妹がメガネを修理するので、生まれて初めて私もメガネ屋に足を踏み入れる。
待ち時間に、いろんなメガネを勝手に試着。
面白い!メガネは顔の一部だけども、メガネ屋の店員も宣伝の一部。
店員、みんなメガネかけてるんだなあ。しかも、どれもちょっと変わってる。

歌のサークルの発表会にお呼ばれして、鑑賞してくる。
約四時間にわたる音楽のシャワーを浴び続けて、なーんかスッキリ!
歌う前に、指揮者が口角の端を指差して、みんなに
「笑顔で歌おうね!」と呼びかけている様子が、すごく懐かしかった。
そうだー、合唱って笑顔で歌うものだった。
人に見せるために笑うっていうんじゃなくて、
自分がポジティブになるために笑うことを心がけていたい。
背中が身震いするような歌のエネルギー、ごっつぁんでした。

帰りの電車で、就職活動中の友達と話す。
私も、決してえらそうなことは言えない立場だが、
その人は少人数過ぎて参考になる同級生がいない大学院に通っているので、
なるべく体験談を聞かせてあげたい。
「私は私」という姿勢の人ほど、孤独になりがちな作業だ。
「参考までに、こんな人もいるんだよ」っていうことを
知っているのと知らないのとでは、考え方の幅が違ってくる。
……で、就職活動というのもある程度は慣れの問題で、
後半にならないとコツが掴めてこないものだ。
コツが掴めてバッチリ☆になる頃、内定がもらえる。
そのスキルを次の世代に継承できるなら、……でもまあ、
その人にはその人の、私には私のやり方があるから、
他人のやり方がそのまま使えるほど単純なノウハウでもないのだが。
一見ありふれて見えても、人生はなにもかもオーダーメイド。
Gパンじゃないけど、ほころびや色落ちも味である。


日本も負けじと「オオサカチーズケーキ(濃厚)」とか作んなさいよ
2005年05月14日(土)

カラオケで友達と歌いまくる。
「一時期より音階のキレが悪いなぁ」なんて言いつつも楽しむ。
やっぱり歌うとスッキリするもんです。
その後、最近できたカフェで「ニューヨークチーズケーキ」を食す。
「どのへんがニューヨークなんだろう」
「盛りつけ方じゃないかな」
「そーなのかー?」
謎は深まるばかりだ……。

と、こんな記述が。
「クリームチーズにサワークリームを加え、小麦粉は使わず、
天板にお湯をはって湯煎焼きで作った、
しっとりと濃厚なタイプのチーズケーキ。
ケーキの底に砕いたグラハムクラッカーを敷く。」
ほほー。
つまり、結局のところ……
……よくわかりません(※もともとチーズケーキの調理法を知らない)。
ま、ひとことで言ってしまうと「おいしいもの」だ。

まだまだ先は長いし、いろいろ勉強していかんとねー、などと話す。
私も最近生活態度がだらけてきているので、
ここらでまた引き締めないといかん、と思っていたところ。
違う状況で頑張っている同級生と話すと、刺激になる。

ぴしっと気合いを入れながらも、新しい楽しみを見付けていかないとなあ。
周りを気遣いながらも、「他人は他人、自分は自分」と割り切らないとなあ。
一見相反しているかのようにも見える課題を、両立させたいものだ。
そんな中で一番恐れているのは、
私は実は、もう何も吸収できない人になっているんじゃないかということ。
精神年齢が年取っているだけでは単なる老人なので、
「大人らしい思考・行動」が自然にできるようになりたいのだ。
大人ってなんなのか?ということも含め、難しいテーマだと思う。

けど、どんな状況にいる人であれ、
「未来が見えない、見えないけども確かに未来がある」という点では
みんな同じである、と思うことができた。
たぶん私にも未来があるなら、と。

15歳の頃に「これがもしも悪い病気だったらどうしよう」という
恐怖に一人身震いしていたことを思い出す。
実際は大したことのない病気だったので取り越し苦労になったが、
長期間にわたる身体的不具合を初めて経験したことで、
自分の命が有限であることを強く感じた。
幸運なことに、私はその後も人生を続けさせてもらっている。
だからそのことの幸せを、辛くなるたびに噛みしめようと思う。
誰でも過去を見渡せば、
「あの時死んでいたかもしれない自分」がずらーっと並ぶ。
若い人でも、生きていることは「可能性の高い偶然」でしかない。
未来があること自体が、素晴らしいんである。


まだまだ忙しくなれー、でも疲れそうだー!
2005年05月12日(木)

顔の皮膚にちょっと異常が。
肌が荒れてるなー、なんか虫にも刺されている気がするが、
じんましんだったりしないだろうな。
最近うーわあ、とばかりに仕事が押し寄せて……もいないか。
もっと「うーわあ」が大きいことが過去にあったか、私の経験の範疇でも。
今のところ、終電には楽勝で間に合ってるし。
まだだ。まだこんなもんじゃーあ社会に出たうちに入らねぇー!

とはいえ、私の仕事が遅い・準備が悪いために、
色々な人の手をわずらわせてしまう。
なるべく自分でも、ぼやぼやせずに動いているつもりだったが。
忙しそうな人に話しかけるのも、少しは得意になったつもりだったけど、
やはりコミュニケーションが下手でもあるんだろう。

あれもこれも自分でやんなきゃ、と思いすぎるのも考え物である。
できもしないことをたやすく「できます」なんて言わずに
「できない」ときっぱり言えるのも勇気、というか責任感だなと思った。
自分のスペックはこのぐらいです、ここまではできますがここからはできません。
それを把握しないと、「能動的に仕事をする人」とはいえない。

で、いろんな部署の人に会いに行く。
今の部署はあくまで仮配属だから、今後が気になる。
ものすごーく、気になる。
じゃあ落ち着かないでしょ、と言われて、はい落ち着かないです、と答える。
いいところに落ち着きたいね。
みんなが忙しそうに仕事をしてて、
辛いけど楽しいと思えているような、
動く遺跡のようなクセモノの上司がいて、
困った人だけど尊敬もされているような、
そんなところに行きたいものだ。


映画「銀のエンゼル」に出るぐらいの位置を目指して
2005年05月09日(月)

今日は、300人超の人の前で話した。
社会人になってから、こういうのにちょっとずつ慣れてきてる。
……っていうのは、どういうことだ。
わたしゃタレントか。しかも地方の(町の広場でロケをするイメージ)。
『300人超』っていう規模が、地方タレントっぽい。
そういえば、バラエティ的番組に出演するのに慣れてきている先輩がいる。
うちの会社で出世すると、行き着く先はローカルタレントなのか。
第二・第三の大泉洋か。ちょっといいなあ。

最近、「てきぱきした人」に憧れる。
ガムテープをちゃんと貼ったり、段ボールをさっさと積んだり、
紙を100枚きっちり数えたりできる人。
もともと私はありとあらゆる手際が悪いので、
忙しいとより一層焦る気持ちが先行してしまうので、
なかなか「てきぱきした人」になれない。
「ばたばたした人」になっちまう。
だいたいなんなんだい、「てきぱき」ってのは(抜本的な問題)。
まずは焦らないことなんだろうなあ。
精神的な問題だけでも、2割以上解決できそうだ。
それが難しいっちゅうこっちゃなあ。


その名前を聞くたびに「養老の滝」を思い出す
2005年05月08日(日)

母の日。ということと関係なく、寝坊してしまった。
こんなこっちゃあいかん。
休日もある程度早めに起きないと、体がなまる。言葉もなまるべ。

先週「なんか欲しいもの、あるかい?」と母に聞いた。
すると、「ゆでたまごが自動的に作れる機械が欲しい!」とのことなので
それをプレゼントすることにした。
……が、私から是非!ということで
半ば強引にプレゼントしたのが『キッチン用の大きなゴミ箱』。
足踏み式で開くフタが付いていて、
生ゴミが出たらすぐさま入れなさいと指導した。
どんなに気を付けていても田舎だから虫がたかりやすいので、
それを最小限に抑えようという試みだった。
これで、夏場も安心!かな!?
ハエ・ゼロ運動をやっております。
それにしても、卵を楽にゆでたいとか生ゴミをキレイに捨てたいとか、
実用性重視の親子だった。
そういえばお互い、アクセサリーとかに興味ないやね。
スキンケアぐらいならまだ興味があるのかな。
「肌が老化しちゃって困るわ〜」と今ごろ嘆く母親に、
「じゃあ心はどうなんだい?あなたの心は、果たして若いのか?
 肌が若くても、若い内面が伴わなければ虚しいではないか?」と
難しい問いを投げかける娘。
私のように内面がとことん老化していた人は、
もうこれ以上老ける心配がなくて楽である。
表面的なことなんて小さいことに思えてくるほど、心の問題は根が深い。
アンチ・アンチエイジングである。ややこしい。

「たまには、いい物語を読もう。」と思い立ち寄った近所の本屋で、
結果的に選んで買ったのが「バカの壁」。
物語じゃないよ。まあ、いいか。
『養老さん』ってすごいお名前だなあ。説得力、あるぞ。


永田町見附
2005年05月07日(土)

寝坊できたのはいいが、予想よりも忙しい休日。
よく考えたらやらなきゃいけなかった、
学生時代の論文に関する用事を、完全にフィニッシュさせる作業をし、
ならびに、犬の散歩と家族の夕飯作り。
夕飯を作った後は、「はー疲れたー」とばかりに
普段以上によく食べてしまい、胃が重くなる。

「アド街ック天国」の「明日行きたい街特集」を見つつ、
「こんなベタな街を紹介してどうすんだ!もっと穴場をつつけ!」と
ツッコミを入れる。
通常放送は、ゴールデンの時間帯にもかかわらず
「重箱の隅つっつき感」をほのかに残しているところが魅力だというのに。
「明日行きたい街」って、1位が「お台場」2位が「ディズニーリゾート」。
個人的にがっかりだよ。正直。
ここで1位が「北赤羽」とかだったら、「ええ!!?」ってなるのに。
「東中野」とか、行ってみたくなるよね。黄色い電車でさ。
社会諷刺の路線でいくなら「永田町」とかね。
休日の永田町に何があるのか……、何もないかな?(未確認)
それにしても永田町と赤坂見附がほぼ同じ場所だなんてね。
言葉の響きとして、イメージが違うなー。


主婦目線の大学生
2005年05月06日(金)

怒濤のような一週間が終わり、ほっとしている。

GWがあった週に皮肉なことだが、
休日が来てほっとする理由がなんとなくわかった。
私の場合だと、休めるからでも遊べるからでもなく、
自分が思いもよらなかったような急な用事はたぶん入ってこない、
その精神的な静けさが心地よいからなんだろうな。
私にとって静けさとは頭痛を癒すもので、さりげなく必要だ。
仕事をしている時もそれなりに楽しいからいいのだが、
なにしろ体力がついていってない気がするなあ。
自分では元気に動いていて休みなんていらないぐらいのつもりだけど、
体がついていかないらしく、気付くと行動が支離滅裂になっていたりする。
時々意識して小休止を入れてやらないと、いかんらしい。
体調が危なくなっていることを自分で気付く能力が低いのかもしれない。

今朝は初めて寝坊した。こりゃ体調おかしいのかな、と思いつつ、
朝ご飯も食べず、メイクもそこそこに家を出るが、
いつもの電車に間に合わず。
しかし、始業十五分前には会社に着いた。
…………いつもこの電車でもいいんじゃないか?いやはや。
部署内で一番早く出社する、ぐらいの気持ちでいるんだが、
いつも一人だけ先に来てる人がいるので、
その人を追い越そうと必死である。微妙な差だが、なかなか勝てない。

そして、深夜に帰宅。
いつもより遅い時間だが、会社を出る時間としてはごく一般的な範囲。
それが家に着くと深夜になってしまうのである。
引越しした方がいいんじゃないかなー。と思うのはこんな時。

仕事中に終電を気にしなくてはいけないのも辛いところだ。
大事故があったのに不謹慎かも知れないが、
鉄道会社がもし24時間営業だったら、利用者としては便利なんだが。
家が近かったら、あと2時間ぐらい平気で仕事できるのにと。

大学の頃はどうして平気だったんだろ。
今ほど、仕事が楽しくなかったのか、体調が良くなかったのか、
大学のあったあの街の物価が(片田舎にしては)高かったからなのか……。
うちの地元とほぼ同程度の片田舎だけど、物価が高いよねえ。
冬場に一回、トマトを3個100円で売っている八百屋があって、
思わず買って(二時間かけて)帰ったっけ。
今となっては学生時代の懐かしい想い出だが、しかし主婦かよ。


真GWが終わった
2005年05月05日(木)

説明しよう。(むかしのヒーロー物?)
真GWとは「しん・ごーるでん・うぃーく」と発音し、
五月の三・四・五日のことを指す。
土日の休みに依存しない固有の休日のことを、
はやさんがたったいまそう名付けたのだ!

……ということで、真GWが終わった。
今年の私の真GWといえば、
地味にお金を数えたり、段ボールを運んだり、
こっそりカレーを食べたり、ひたすら退屈だったり、といった感じだった。
あまりに退屈だったので、携帯電話でパズルゲームをやったりもした。
そしたら帰り道に、電池切れを起こした。うーん。
携帯電話もノートPCも、スペック以上にバッテリーが重要だ。やはり。
そういえば私は、ノートPCを電源のない所で起動したためしがない。
で、電源を接続しているのに電力残量の指標のところに
「残り時間0:02」とか表示されていたりする。
フタも一部壊れて、きちんと閉まらなかったりする。
古いんだろ、そりゃ。

空が青く晴れて、コンビニまでの道はまっすぐで、
ツツジの花もきれいに咲いていた。
こんなすがすがしい道なのに、なんでこんなに首と肩が重いのだ。
いろんなものを双肩に背負ったんだろうね、責任とか、未来とかをさ(?)。

帰り道、紅茶のお店で試飲。
さ・わ・や・か〜♪
ペットボトルの飲料とは違う、
ポットで手間暇かけました!という穏やかなテンションがあり、
こちらも思わず会釈してしまう(誰に?)。
お茶はいいよね、やっぱり。
フレーバーティーとか、ハーブティーとか。
いろいろな茶葉があるのがわくわくする。
明らかに花びらや果物が浮いているのとか。
毬藻みたいなのが浮いているのとか(茉莉花うんぬん、とかいう中国茶)。
「オマエ、ほんまにお茶かい!?」と、
大袈裟にツッコみながら味わいたい(気分台無し)。


表情筋肉痛
2005年05月04日(水)

今日は朝から仕事。
普段なら絶対行かないだろうなー、という現場で、驚きっぱなし。
うちの会社、未知の世界をたくさん扱っていて
「驚きっぱなし」の人が多いせいか、社員があまり老けていない。
もしくは、若い頃から老けっぱなしという切ないパターンもある。

仕事である以上、好き嫌いはなるべく言いたくないんだが、
「接客」をした日は疲れ方が違う気がする。
私は、「作り笑顔」がすごく苦手らしいことに気付いた。
そういえばコンビニ・飲食店等のアルバイトはしたことがないし、
なんかニコニコしていると表情筋が疲れてしまう。
よく知らない人との他愛のない世間話も、なんかぎこちなくなる。

逆に考えれば、今までの二十数年間
「本当におかしい時以外には無理に笑わなくてもいい」環境に
いることができたということで、
それだけ、笑うということに対しては素直に
暮らしていたということでもある。
苦手な人に対しては、わりと小さい頃から
感情をストレートにぶつけずに一旦反芻してから冷静に対処してきたが、
そういえば「嘘の気持ち」をわざと出すようなこともしてこなかった。
嫌いな人には無理に愛想笑いをせずに済んできた人生。
ラッキーかもしれない。