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完全休業日
2003年03月31日(月)

喉の調子がおかしすぎて、全然眠れない。
とうとうバイトを休む。
……体調が、喉がもうだめだ。
上沼恵美子の次の次の次の次の次くらいによく喋る日本人女性は
私ではないかな?と中途半端なおしゃべりを自負している人間なので、
声が出なくなると出かける気が失せる。
とはいえバイト先では結構寡黙(と本人は思う)なふりをしているんだが。

久々に病院へレッツゴー。
開店もとい開院前から並んでみるが、五番目。
花粉症の時期ということもあって、
すっかり“行列のできる耳鼻咽喉科”である。
予想はしていたが、子供連れと高齢者しかいない。
子供のような高齢者のような私はどっちなんだろう。
すっかり顔見知りの看護婦さんやお医者さんから、
ずいぶん長いこと来なかったねぇ、的な視線を浴びる。
いやいや違いますよ、別の病院行ってなんかいないですって。
ただ元気だっただけですって。いやいや。
じゃああなた、このシャツに付いた口紅はなによ?みたいな。
ここ数年でしっかりと「コイツはよく病気する奴だ」という
マークだかレッテルだか貼られている気がする。
髪型を変えたくらいじゃごまかせない、だってカルテがあるんだもん。

喉が痛いと、アイスが食べたくなる。
今日はバニラアイスではなく、スーパーカップのヨーグルト。
これからはアイスの季節だなあ。
夏は苦手だが、アイスがおいしく食べられるので妥協してしまう。
喉が痛いのに、「はじめてのチュウ」のモノマネなんぞしてしまった。
 ♪眠れない夜ー君のせいだよー
いやいや、眠れないのは喉のせいだよ。どう考えても。


俺は忘れない、花粉症の脅威を
2003年03月30日(日)

昨日今日とぐじゃぐじゃしていた。
なぜって、花粉症が悪化して喉まで痛くなり
だるくなり呼吸困難になり云々、みたいなことが起きたから。
……いや、いままで体調を崩さなかったツケが来たのだ。
だいたい異常だったのだ。私が何ヶ月も良い体調を保てるなんて、
こんなおかしなことってあるかい?と自問自答。

だが「吐くと楽になる」じゃないけど、
だらだらと低空飛行を続けるよりは、
いったん崩して休んでしまうことでかえってシャキッとする
場合もある。今回もちっとはそういう状況にならないだろうか。
なんせ、入学式までに体調を戻さないとならない身である。
ちなみに入学式と言っても自分のだけでなく、妹のも。
“not only A but also B”みたいなね。
嗚呼、父兄だ。

そんなこととは関係なく、「徳光」って豪華な名字だと思う。
周 富徳の「富徳」と併せればきっと最強だ。
「徳光 富徳」……うーんゴールデン!でも言いにくい!!


俺は忘れない、書類を
2003年03月26日(水)

難しい手続きを終えた。
人が一杯いて怖いので、ビラを渡されないよう走って帰宅。
「ケンタッキーフライドチキン」という店のことを
「KFC」と略すのは通じるのに、
「鶏肉屋」とメールに書いたら「なにそれ」と返事が来た。
もっと文の意味を考えて情景を豊かに思い描くことが肝心だ。
「鶏肉屋で昼飯」って言えば、そりゃ……うーん、数々の。

安いコロッケを思わず買った。それはいいんだけど、
問題はそれを二時間離れた家まで持ち帰ること。
明らかに大家族のお母さんみたいな荷物を持っていると、
なーんか、電車内で悲しい。

またバニラアイスを食べてしまった。
こう書くとあたかも中毒のようだがそうでもない。
牧場しぼりというやつ。前回のmowに味がそっくりなため、
競合商品と思われる。
パッケージの配色的にはmowが、
名前の説得力では牧場しぼりが勝ち。
「生絞り」みたいな説得力がある。


俺は忘れない、あいつらの流した冷や汗を
2003年03月24日(月)

早起きは三文の得、という。
いやそれもそうかもしれない、だが
早起きは基本的に仕方ないからする、のだ。
せざるを得ないからだ。
ニュートンが見たリンゴが重力に従ったように、今朝私は早起きした。

そしてわけのわからん部品を体じゅうに装着し、
ぎぎぎぎぎ……と軋ませながらお供を従えて遙か彼方の街へ。
嫌っちゅうほど慣れているはずの電車の旅も楽じゃない。
そしてその部品が壊れないように、外れないように、
神経から神経へと変な信号を送り続ける。
そういうエネルギーが必要だから、
着物を常に着ていた昔の日本女性は偉いと思う。なんて思う。

懐かしい人に会ったり、でも再会ついでにお別れを言ったり。
卒業特有の不思議な切なさをようやく実感し始めた。
自分はまだまだ、教職員のように居残るわけだけど……
でも卒業はする。それはどうやら嘘ではない。
ということを知らせてくれるのが卒業証書である。
ただなんとなーく「卒業できるといいね」みたいな気分で
過ごしていた毎日は漠然としたもののようでありつつも、
一枚の紙が「いいんだよ、そんなお前も卒業生!」と念を押してくれる。
そういう手続きによってようやく、履歴書に一行分増える。
そのたびに、あーそうなんだ、俺も年取ったなー。みたいに思うわけだ。
かなり長い間「大学に受かったこと自体がドッキリなんじゃないか」と
疑いながら過ごしていた自分にとっては、
今日その紙に念を押されたことで
いろんな事実に対する確証が得られた。

「やっぱりこの学校に受かってたんだ」
「あっ、卒業したのもドッキリじゃないんだ」
「自分の本籍地はN県だったんだ」
「私はこういう本名だったんだ」
「今日は平成十五年だったんだ」
普段から、ほぼ記憶喪失の状態で暮らしていることがわかった。

みんなみんないい奴だー!的なテンションもたまには良い。
ただ、私は目立ちたがりな反面緊張しいなので
暴れたり落ちこんだりの差が激しい。なんと付き合いづらいことだ。自らと。
今日も人の写真を撮ってやるときに
シャッターを切る瞬間だけ「ハイ、チーズ♪」と声を変えてみたり、
使う機会の少ない特技を存分に活かして楽しんでるぜ!と思いきや
緊張や着物の帯のせいで筋肉か内臓かが急に痛くなったりと、
もうなにがなんだか。
でも、みんないい奴だから許す。
しかもそのうちの大半と、当分会えないんだろうから。

「立食パーティーは落ち着かないよ」なんて善良な人々じゃないか。
うちの学校の人々が持つそういう素朴さには毎度癒される。
各自個性は強いものの、おおまかに言ってうちの学校の雰囲気は
“センスがよくて努力家の田舎者”という感じを覚えている。
私の中で“田舎者”というのは決して悪い意味ではない。
日本のほとんどの地域は田舎と呼べるわけだし、都会育ちの人は
たまたまそこにいて慣れているだけのことだ。
田舎は日本を救うと思うんだがなあ。林屋こん平師匠みたいな考え方だが。

そんなセレモニー気分を、一気にぬぐい去るような帰り道!
テンションの高い人々を後目に、なんでだか
Tくん(カリスマ)とTくん(ジャズ)と三人で帰ることになった。
くそー、まぎらわしいイニシャルしやがって。
これは凄いメンバーなんである。まずあり得ない。
ある日の昼食のメンバーと同じくらいあり得ない。
悲しいかな、2人のTくんの凄さは私の説明だと伝わりにくいのが欠点だ。
できれば実物を見てもらいたいが、実物を見ても伝わりにくいのも欠点だ。
一般人には彼らの凄さは最初わかりにくいが、しばらくするとびびるぜ。
なんか凄い、なんか凄いと思いながら電車で一時間の道中。
終始ぬる〜いテンションだった。奴らの領域だった。
私がこんなに聞き役に徹するのも珍しい。
そんな私を待ちかまえていたのは凄いラッシュだった。

卒業式で泣いたことは一度もないけれど、毎回淡く悲しい感じが残る。
しかしある人が涙として何かを発散している分を、
泣かない人は体内にずっと閉じこめているんだとすれば、
その方がかえって、卒業にはふさわしいんじゃなかろうか。
悲しいことがあった場合でも、よく泣く人ほどケロリとしている気がする。
泣くという機能は明るく生きるために必要な機能で、
だいたい汗と同じなのだろう。しょっぱさ的にも。

そういえば今日はいつも以上に汗をかいた気がする。
夜十一時の気温が15℃って時点で、どうもおかしいんだが……。


逃げごし豆腐
2003年03月23日(日)

もしくは駆け出し豆腐。
まだ駆け出しですから、みたいな謙遜。
一度くらい言ってみたいもんだ!駆け出せ青春。

そういった雰囲気で、着物と格闘。
着物を着たり、または着せられたりして時間が経つと、
イライラしてキーッとなる。
見る物見る物が敵に見える。
ジャングルジムを見かけたら最後、上って歌い出す。
「♪ダ〜メェ〜〜ジヲ〜〜ナ〜〜ク〜〜〜ソ〜〜ヲ〜〜」
ダメージをー♪みたいな気分。
やばい、こんな気持ちで大勢の人がひしめく場所に行ったら、
その場にいる全員を倒すまで闘い続けるかもしれない。
(多分、二、三人倒したくらいで取り押さえられるだろう。)
あるいは、シーンとした現場でたまたま隣りにいた知らない人の耳元に
小声でダジャレを囁き続けるかもしれない。それも、寒いのを!
なんて恐ろしいんだろうin千葉。
しかし千葉と埼玉の闘いがあんなにプチプチ行われていたとは知らなんだ。
妹までが「さいたまさいたま……」とつぶやくようになった。
怖い時代。

夕方、友達から電話。
「あのねー、」から始まる電話に良い知らせは少ない。
友あり、遠方より電話。また暴れ出さざらんや。

そういえば大事件。
変なものを喜んで食べることで有名なうちの犬、
今日は梅干しを食した。それも、嬉しげに。
……さすがの我々も普通に引いた。


発掘のあった日
2003年03月20日(木)

今日は学校で発掘があった。
掃除もしくは片付けという名目で集まったものの、
敢えてこれを発掘、と呼ぼう。

本当に様々なものが見付かるのだ。
「Tさんへ」と書かれた謎の紙袋を開けると、
中身は米だった。
この米の中にマイクロチップが入っているのか?それとも、
米(のように見える粒々)自体が「Tさん」という名前の生き物なのか。
何か秘密があるような気がしてならない!テンションうなぎ登りである。
今現在絶対使えないチューナーも出てきたし、
壊れたらしきゲームのコントローラーも出てきたし、
想い出のかけらもたくさん出てきた。
あの日の夢も、埃にまみれて見付かった。
そうさ俺達、いつからか汚れちまってないかい。
何の話かよくわからないが、ふと気付くと「さいたま」という街は
ネット上で相当いじられていた。

昼食を見ながらニュースを食べる。
いや、昼食を食べながらニュースを見る。
もうどっちでもいい。そのくらいのニュースを何人かで見ていた。
さてどっちへいったらいいのか判らない時代になったもんだ。
何を指針に判断したらいいのか見えにくいだけでなく、
実際今日これから何をするか?という選択肢の多すぎる時代なのだ。
我々を構成している無数の分子やら遺伝子やらが
何年何月何時何分何秒、どこでどうしているものか。
ミクロで考えてもマクロで考えても、どうすりゃいいのかわからない。
ただ悲しいニュースを見るたびに、電気的に何か走るだけだ。

そんな切ない気持ちもありつつ、今日は学校にお客さんがいらっしゃっていた。
うちの魚らを小さくほめられたので、魚屋のようなうれしい気分。
今日も活きのいいのが漂ってますでしょう。

家に帰ると、とっぷりと夕暮れ(昔話風)。
近所の商店街は不思議なことに、めぼしい店が次々につぶれていく。
今じゃろくな店がないわねーという不景気な話をしていた時、
母が悲しそうにつぶやいた。
「駅の向こうに引っ越してみたいわね……」
……夢が小さいよ。小さすぎるよ。
駅の向こうには望んでいることがらが何もかも待っていると
思っているんじゃないか?
それは勘違いだ。そんなことじゃ何も解決しないぞ。
俺は、駅の向こうを夢見て旅立った勇敢な若者を何人も見てきた。
だけどみんな、結局あんなことになっちまって……!
…………あれ、どんなことになっちまったんだっけ。
まあとにかく、住めば都だということだが。

帰り道に買ったアイスが美味だった。
mowという、牛の鳴き声みたいな牛乳っぽいアイスだ。
おいしいと寒いの饗宴。
そういえば今日の体感温度もそれほど高くない。袴は寒いんだろうな。
気味が悪いほど幸せで、風邪引きそうだ。


リアクションは難しい
2003年03月19日(水)

たまーに なのだが、CDを衝動買いしてしまう。
珍しく訪れた、都会にあるでっかいレコード店。
扱われる品物のほとんどがレコードじゃなくてCDなのに、レコード店。

ポイントありまっせ、みたいなうたい文句が耳にこびりつく。
きれいな円盤を買うたびに、素敵なカードにマークが増えるんだそうだ。
「一年以内にもっと買ってね」
1000円引きという甘い誘惑に誘われたがために、
明らかに1000円以上使い込んでしまう、そんな現代人たちの群れよ。
そんな雰囲気全体に包まれていると、私は時折
「CDの衝動買いくらいしないと、
 いっぱしの大人とは言えないんじゃないか」みたいな
変な価値基準を心に据えてしまうのだ。

no music,no life。というのは言い過ぎな気もするが、
音楽は結構大事(cookieもきっと大事)。
それを奏でる、口ずさむのはかつて私の趣味だったことだが、
長年気になっているのは音楽をどうやって創り出すのか、ということ。
もとい、“いい感じの”音楽を。

確かに、いい感じのメロディを次々にクリエイトできる人はすごい。
言葉を紡ぐこともそれなりに大変そうだが、
メロディの方が難しいように思う。
演奏することにしても、歌を歌うことにしても、
決して自分自分がそれらにすごく長けているわけではないが、
ただどうしたら上達するかといったプロセスを幾つか知っているだけに
作曲に比べさほど難しいことと見なしていない気がする。
いやそれらも十分大変なんだろうけど。

メロディってのもアイディアのように降ってくるんだろうか。
それか、キャラクターのように土からめりめり生まれてくるんだろうか。
どっちも、漁のようにむずかしいのだ。

そんなことがあってから、夜は追い出しコンパ。
関東を横断して辿り着いてみれば、なんと
本当に追い出されていた!すげぇ!!
けど、みんないいやつだ。多分。というきれいな結論で。
卒業式はしみじみと、あったかく迎えられ……そうだな、きっと。
長い道のりだった、どうあれ頑張ったのだ。
ただ問題は、袴をどうするかだ。
あんな寒くて動きづらいものを着て関東を縦断するなんて、かなわんぞい。
今日はその予行演習として、長いスカートを履いてうろうろしてみた。
うーん、時々裾がうっとうしい。特に階段が……。


雨の中で殴り合って友情を確かめろ
2003年03月18日(火)

ブレーカーと無礼講って似ているなあ。発音も、意外性も。

そんなことを考えつつも、今日の土砂降りはなんだねいったい。
私の住んでる町だけかもしれないが、天気予報が大ハズレだった。
今日の夜は晴れるって、あんた言ったじゃない!
競馬はもうやめるって、あんた言ったじゃない!(?)みたいな剣幕で。
天気予報は、外れるのは仕方ないんだが謝らないのがいかんと思う。
みんな君のことを信じているんだから、謙虚な態度でやったらどうかね。
たとえば太宰治なんか、特に何も言われなくても謝ってる。
「生まれてすいません」
そんなに自分を責めるなよ!と、クラスの正義感が強い奴に励まされそうだ。
太宰治が生まれたことは別にいいけど、そして彼の生き方も別にいいけど、
天気予報はせめて「はずれてすいません」くらい言ったらどうだ。

折り畳み傘を持ってりゃよかったんだが、持ってなかったおかげで傘購入。
コンビニのこれ見よがしなビニール傘の売り方もいやらしく、
でも歩いて帰る弱みとばかりに\400ほどはたいて購入だ。

最近この日記が飛び石になっている。
っていう話題そのものがなんか嫌だ。
いや別に、病気なわけではない。
ただなんとなくだ。なんとなく忘れてしまうのだ。
花粉症の薬の影響で眠気が三割五分増しなせいかもしれない。
これだから春は困ったもんだ。
もうすぐ春ですね、ちょっと太ってみませんか。いやですか。


果汁の疑惑
2003年03月13日(木)

あーまた来たか、この変な感じ。
と、新鮮味の全く感じられないまま
動悸が酷くなったので、ポカリスエット。
眠くなってはポカリスエット。
寝起きはココアだけど、出先でまたポカリスエット。

保健室の先生に勧められて以降、よく飲むポカリスエット。
それはスポーツ飲料とは名ばかりで、私の中では病気の時の味だ。
体温が34℃台にまで下がって、穏やかにやばい状態を迎えた時も、
これをあっためたやつとビタミンCで救われた。
あれからだいぶ元気になった僕がいる、ああ今日も歩こう太陽が昇る。

そんなポカリスエットと私だが、こないだ重大なことを発見した。
マニアの間ではすでに常識なのだが、ポカリスエットのパッケージには
でっかく「無果汁」と表記してある。
However!(訳:しかしながら!)
そのすぐ下にある「原材料」の欄をなにげなく見ていて、
その中に「果汁」の二文字を発見してしまったのである。
!!なんだよお前、果汁含まれてたのか!騙したなコノヤロー。
しかも「果汁」って、なんの果汁かもわからない。

そんな発見をしてしまった以上、誰かに報告せねばならない。
という衝動に駆られ、私は思わず妹に、次のような簡潔なメールを打った。

   「それはそうとポカリスエット
    は無果汁って大きく書
    いてあるのに原材料名
    をくまなく見ると「果
    汁」のふた文字が。  」

こんな感じのメールを慌てて送った。するとすぐに返事が来た。

   「ホントだ〜!!!\(◎o◎)/」

しかしこうして書いてみると、姉妹揃ってヒマそうだなあ。



2003年03月11日(火)

酒は基本的に苦手だが、甘ければ許す。
かといって甘酒は苦手で、ジュース的なカクテルにかぎり
ちょっとだけ飲むことができるのだ。

そんなわけで、飲み会。
労働の後の飲み会。
でもその飲み会の集合時間の直前の数時間、
出席者の9割が同じファミレスでぐぅたらしていたことを
記述しておこう。
「あのファミレスでもよかったんじゃ」
そんな気持ちをちょっぴり潜ませたまま
居酒屋へ数十メートルの移動。

出席者はみな疲れていて、でもいいやつだ。
級友の多くが異国の地へとサバイバル命の洗濯をしに
旅だった今日この頃、それでも日本に残ってマジメに
展示の準備やら片付けやらをこなした素敵な連中なのだ。

そんな素敵な連中なのに、なんで頼んだものの多くが
メニューの写真の印象と比べて 小さい んだろう?
「うそ、あれってこんなに少ないもんなの?」
っていう料理の多いこと。
コピー機の操作かなんか間違えたんだろ、縮小かけたの誰だよ?
なんなのさ。あんたあの子のなんなのさ。

穏やかーに、飲み会。
飲みっぷりの穏やかな人が多かった。んだろうかね。きっと。
体調を崩しやすいこと、酒を飲まないことなどの理由から
私はあんまり飲み会に参加してこなかった。
同時に人と馴染むのに時間のかかる性分でもあり、
なんだかんだであまり同級生と親しくなれていない。
そこは若干惜しまれるんだが、これはマイペースというやつだ、
悪い病気とかではない、性質だ、と
言いきかせ気にしない。気にしない風に。
しかし飲み会の帰りの風の強い夜の旅路、
ユーミンの『卒業写真』の歌詞はなんだっけ?なんてことを
思い出しながらつり革に掴まっていると、
しんみりするのだ、そういや卒業するんだなーと。
大抵は普段親しくしないし、別に連絡も取らない。
会うこともほとんどない人もいたが、
それでも、後から効いてくるタイプの寂しさが
こみ上げてきそうな気がする。

小学校とか中学校とかよりも、
高校・大学の卒業の方がよっぽど「バラバラ」感がある。
特に大学はバラバラな地域からバラバラな人が集まって、
何年か集団であくせくした後にまたバラバラになっていく。
なんせみんな、それなりに大人である。
どこへいこうが、何をしようが自由。
どこへいくことも、何をすることも可能。
長い川の上流、中流、下流と来て、
いま海なのだ。という感じがする。
……でも私は、もうしばらく三角州あたりにいることになる。
三日月湖ではない。たぶん。


記憶までもおかしい
2003年03月05日(水)

昨日の日記を読むまで、昨日自分が何をしたのかとんと忘れていた。
危ない危ない、いやもうとっくに危険地帯だ。
こうなると『安全地帯』っていうグループの由来を知りたくなってくる。

今日は昨日とはうってかわって寒いわ花粉症酷いわで、
2月がまた戻ってきたかと思ったわよ奥さん。
1月は行って2月は逃げて三月は猿、とよく言う。
1月と3月は自らの意志で居なくなる感じがするが、
そこへ行くと2月はなんなのだ。逃げて、って。
お前は何から、どこへ逃げるのだ。どのように逃げるのだ。
わたしゃアラバマからバンジョー肩に、っていうスザンナみたいにか。

あー、いつにもましておかしい。
プリンターの調子もそういえば良くない。
まったくもう。買ってから一年とひと月、
ちょっぴりへそ曲がりだけどいい奴なのさ。血液型はなんとなくAB型風。



春一番だと人は言う
2003年03月03日(月)

二千三年三月三日。三が並んだだけなんだがちょっと嬉しい。

ちょっと久しぶりに学校に行くやいなや用事で駆けめぐる。
学校とは、そういう所なのだ。
忙しいなら忙しい、暇なら暇で、悩みは尽きない。
人間とは、そういう生き物なのだ。

それにつけても今日の風はとんでもなかった。
髪型が二秒おきに七変化。傘は意味を失う。
折り畳み傘というのはこういう時に頼りない存在で、
すぐ「おちょこ」型になってしまう。
いわゆる「漫画チックな強風の時の傘」っぽくなる。

淡くびしょ濡れの中、A1の紙を濡らさないように運ぶのは大変だった。
でもどうにか成功。それはよかったのだが、
それにしても私はだめだなあ。と、わかりやすく自己嫌悪。
なんで、定規を上手く使えないんだろう?
ヒトとしてどうなんだ。人類として。

集中力が低下しているばかりか、最近ときおり頭痛が来る。
二週間ほど前からだ……春だなあ。