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「あー、ベストアルバム出してみてぇ」
2003年01月31日(金)

今日は朝から学校。といっても、誰に呼ばれたわけでなし。
後輩のゼミに、呼ばれてないのに二回連続参加。
そういえば「呼ばれてなくても皆勤賞」をスローガンに頑張ってた時期も
あったわけだし、それを今頃実現していると言えなくも、ない。
昼食は、奇跡的なくらい濃いメンバーで摂る。
今思い出しても、あれはなんだったのやら。
公開セクハラを行う人と、それに笑ってツッコむ人。
非常にコメントしづらいネタを嬉々として連発する人と、
それに「あー、うーん……」と普通に相づちを打てる人。
後者の存在が結構斬新に感じられたもんだ。
ああいう普通の相づちって、意外と打てないものだから。
すごいコラボレーションを見た。
あれが日常だなんて、彼らはそれぞれすごい人だ。(と、私も誰かに
思われているんだろうか?そうだといいが。)

昼下がりになると現れる人々もいる。
時間帯によって異なる昆虫が現れるブナの木のようだ。
オタクだのアイドルだのについて語る人々、
雑誌の可愛いモデルさんに「やばい!やばい!」と感動する乙女、
最近2ちゃんねるを見るようになった女性など、
もうそれぞれがそれぞれに末期症状を迎えている。
私は独り言が通常の3.7倍と、尋常でない数値をこっそり叩き出す。
そしてトイレに行ってふと鏡を見ると、顔に知らない傷が付いていた。
そんな季節だ。明日は2月だ。


シュールな薬味
2003年01月29日(水)

流れる景色を必ず毎晩見ている
うちに帰ったらひたすら眠るだけだから

……なんて歌詞に、当時は共感(?)していたけれど、
その頃は流れる景色を見る余裕があったってことだ。
最近は電車でも熟睡、家でも熟睡!……することが増えていた。
特に昨日の眠りっぷりはおかしかった。
最低限のことだけして、パソコンも付けずに眠ってしまう、
そんなことが意外と増えている。

でも今日はハイテンション!なぜかって、大事件。
駅構内を歩いていたら、何かがもじゃっと落ちている。
それは……かつら、だった。
「!!」
女性用と思われる、かつらというか付け毛というか、
とにかくそんなようなものだった。
それを見た私はもう、自分のテンションが即座に天井を突き抜けて
上空二万マイルまで駆け上がるのを感じていた。
――面白い!――
人の多い駅の中、雑踏に紛れて落ちている人工の毛束。
そしてそんなシュールな状態を見て見ぬ振りをして歩く人々の群れ
……なんかそれを見たら元気が出た。
あのかつら、いったい何十、いや何百の“日常”にスパイスを
振りまいたのだろう?
こりゃ今夜は眠ってる場合じゃないよ。ALL NIGHTで騒ごうぜ!
ぐらいのノリで、どうも間違ったはしゃぎ方をしてしまいそうな。
あーシュールったー。

けど意外と作業が進まない。
うーん。やっぱり眠いのか。
外に出かけないと集中できないのだろうか。
緊張感がないのだろうか、いやありすぎるのだろうか。
外に出るとかえってホッとしているような気もする。
家にいると、かえって精神的に疲れてしまうのだろうか。
なにかしなきゃ、なにかしなきゃ、みたいな焦燥感ばかり募る。
移動中である電車の中で妙に安らぎを覚えてしまう体質、
やはり少し悲しいのかも知れぬ。

全部問いかけ。
なんでだろう♪と同じである。
彼らは日常の疑問を投げかけて、客も「そうだね、なんでだろうね」と
微笑みながら共感するという形で笑いを取っているが、
その一歩先までプロデュースしているギター芸といえば
堺すすむ師匠の「なんでかフラメンコ」。
疑問のうまい答えを用意すると、謎かけになるのだ。


Yeah!めっちゃ高齢化
2003年01月27日(月)

最近土日の日記を書いていないなあ。
けど、別に週休二日をエンジョイしているわけでもない。

インフルエンザは体がだるくなるというけれど、
きっと精神的な理由もあるのだろう、私のこの肩凝りは。
体と心がリンクし過ぎること、それを自律神経失調症と言って、
病気と言うよりむしろ体質に近い。毎年改善されているとはいえ、
頭を押すとピヨピヨさえずる鳥のおもちゃを買ってみても気は晴れない。
今日も三都物語、雨の降る街・東京をそぞろ歩く。

妹と盛り上がる話題と言えば、電車の発着時に流れるメロディ。
「そうそう、お茶の水ってそんなんだよね」みたいな。
中川家の次くらいに電車が好きなのだ。
でも最近ふと思う。私は別に電車が好きなわけではない、
ただ電車に住んでいるだけだと。路線を愛する心の正体は、
全長数十キロにわたる、流動的な郷土愛なのかもしれない。

「めっちゃホリデイ」という言葉(?)、よく考えるとうらやましい。
私なんていつも「ちょっとホリデイ」止まりだった。
ホリデイがめっちゃあるなんて、かなりのゆとり教育に相違ない。


サイエンス・ノンフィクション
2003年01月24日(金)

一日うろついて、小さくショックなことがある。
大したことじゃないけど、いや大したことなのかな。
卒研のことで。

昨日ほどは寒くないけど昨日ほどはというだけで、
やっぱり寒い夜道を歩いて帰宅。

「千と千尋の神隠し」を見る。
忙しいのに見てしまう。くそう……。
これは一種の勝負なのだが、その番組が本当に面白いかどうかって
「つい手を止めて」しまうかどうかで決まる気がする。
ああーダイナミックにシュール!哲学的!!
これもまたちっとも子供向けじゃない。
映像表現だけでなく世界観もダイナミック。
「もののけ姫」は建て前で、「千と〜」は本音って感じだ。
『人間の外側 対 自然』を描いていたのが「もののけ」なら、
今度はとことん内側なのだ。若干水木しげるっぽくもあり、
その世界観の構造のパーツひとつひとつや
言葉の節々までが、様々な哲学を示唆しているように思うのは
私の精神的過敏症のせいだけなんだろうか。
なんせ映画等を滅多に観ないので、こういうのに慣れていない。

……それにしても、いいなぁ。羨ましい。気分いいだろうな。
やっぱり宮崎駿氏は凄い。同じ「はや」の類として私も頑張ろう。
うー、私も漫画みたいななんかが描きたい。
なんで『漫画』と言い切らないかというと、
なんかそういう形式に捕われていたくない気がするからだ。
誰か、俺にフィクションで世界観を作らせろ!
というかおのれで作れや。……。要するに本気じゃない、ということか。

モチベーションがある時に限って卒研が、現実が笑って背中を叩いてくる。
まったくもってノンフィクションにもほどがある。
そっか、学んできたのは「ノンフィクションを作ろうぜ!」と
いうことだったんだ。知らなかったわけじゃないが、
そういう言い方もできるんだ、と。
確かに、フィクションを作るより遙かに堅実な感じ。そして切実な。


日毎月毎年毎に
2003年01月23日(木)

スポーツ新聞のでっっっかい見出しって、
電車の向かい側に座る人からも読めるように、っていう
隠れた優しさなのかな。と、ひょんなところに人のぬくもりを探す。

そう、今日は寒い。
ゼミ中(……。)に母親からメールが入った。
内容的には「大変よー雪!ゆき!ひゃー。」ということだった。
家を出たときも、学校の近くでも全く降っていなかったので、
どうせ例によって大袈裟かつ老婆心からの戯言、と思った。
それがどっこい、試しに早めに帰宅してみたら。
県境あたりからいきなり銀世界。
パッと見だけなら「北の国から」みたいな。
しかも、我が地元付近の乗換駅に降り立ったときの気温の寒いこと寒いこと。
学校のある県はやっぱり、微妙に南国だったんだ。
なんて大袈裟な路線で物事を処理しつつ、
あまりの寒さに駅ビルに避難。
やはり駅って場所も寒いもんだ。
駅ビルの洋服屋で冬物がセールになっており、
そこにあった服があまりに暖かそうなのでとっさに購入。
そして思わず、化粧室で重ね着る。
もともと薄着で出かけたのもよくなかった。
なんて即効性のある使い方。さっそく暖かい!
ドラクエで、新しい防具を装備して防御力を上げた時以来の感覚。
よし、今後はもうちょっと厚着をしよう。

帰宅するとやっぱり一面に雪が積もっていて、
まぁ北国の人からしたら大したことじゃないんだろうが、
でもうちの近所では一大事件。
ダルそうに雪かきをする人、べちょべちょ歩く小学生などを後目に
「はやさんが朝と違うもん装備してる」と言われるために帰宅。
すると妹に「その服とっさに選んだんだ?
じっくり選ぶ時よりセンスいいじゃん」と率直すぎることを言われる。
やはり世の中、考えない方が上手くいくのだろうか。

そして一仕事、ああ目上の人に文章を書くのはやっぱり慣れない。
仕方ないことなんだが、神経が疲れる。
同級生たちはよく「実験」というものをやっている。
手の空いていそうな学生に声をかけ、
「ごめん、お菓子あげるから実験に付き合って」とかいって
「この画像の印象はどうですか」「この記号の意味はわかりますか」
みたいな質問の書かれた紙束を手渡している。
私もそういう「学生みんなで」創り上げていく感じの研究風景を
繰り広げたかった。でも私のテーマの場合そういう方法じゃなくて、
「知らない目上の人に手紙を書いてご協力頂く」という
ちょっと肩の凝る手段が相応しいのだ。なぜだか。
まぁいいけど、私の精神年齢はやっぱり高め。
それに、人と違う歳の取り方をしたいものだ。とこのごろ切に思う。
私は同世代の女性と同じことを悩んで、同じことを考えていちゃだめだ。
「あーわかるわかる、」とかそういう連帯感に満足してちゃいけない。
ここまでこの路線で来たからには、突っ走りたい。

けど故・園山俊二氏の生涯を振り返っていた番組によると、
氏は大学を卒業後広告代理店に就職したが、3時間で辞めてしまったそう。
「会社勤めには向かない」、と思いすっぱりと辞め、
のちに新聞の四コマ漫画・ペエスケを描く。
私はそういうタイプでもないのだ。
会社勤めをしろ、と言われたらそれなりに勤めるだろう。
まずいもの食べろ、と言われたら仕方なく食べるだろう。
決まりを守れ、と言われたらだいたいは守るだろう。
そういう無駄な我慢強さが人生をダメにすることもある。
まあ我慢が足りない人も事実多いわけだから、
バランスも見極めも大変難しいけれど、ひとつだけ言えるのは
いわゆる優等生を育てているだけじゃ、地球は絶対にダメになるということ。
我々のような層がちょっとそれに当たるから、かなり悲しい。
いくつかのタガを外してやればもっと伸びる人も、いるんだろうなと。
それに伸び伸びと優れている人っていうのも現実にいて、そういう人はたいがい
どっかタガが外れたような人。バカと紙一重みたいな狂気も内包していたり。
……まあ私も、見る人から見ればそうなんだろうか。
いや、『紙一重』のどっち側なんだろう……?

そして、いつか何かで「これぞ!」と納得できるんだろうか。
具体的にわからないけど、全てのエネルギーがその時を目指している気がする。
自分の皮膚なのに痒いところがわからない感じ。
いやすぐに見つけたらつまらないし、それを追う過程が人生なんだな、と詠嘆。

なんでここでこんなに哲学的になるか?
その答えは見えている。そう、「〆切前だから」。
……すべては、軽い現実逃避なのだった。

なにはなくともパワフルにならなくちゃ。
温野菜とココアとビタミンと……、また似たようなメニューかい。
でも去年の冬よりはずっとパワフルに暮らせている。
年々、驚くくらいに改善している。
来年の私は今より強いはずだし、2年後の私はもっと強いはずだ。


林屋パー子のモノマネする気力もない
2003年01月22日(水)

漫画という表現方法って、今の雑誌+単行本、っていう舞台以外には
発展しないのかな。なんてことを考える。
たとえばwebだと表示サイズがきっちりしてないから良くないのかな。
珍しく、世界に見劣りしない日本文化だと思うんだが……。

首と肩になにかしょっているような感覚を覚える。
これが凝りというものか。そうだ、そうともさ。

かつてより凝り性とは言われたけれど、それは作品作りを凝りに凝って
あまり妥協を許さない真摯な態度、という意味にとどまらない。
片子離礁、いや肩凝り性。もう10年以上前から。
むかしむかし、まだPOP-JAMの司会が森口博子だった頃、
おじいさんとおばあさんが住んでいました。
そして今も住んでいます。めでたしめでたし、的な程度の過去。

いや俺は未来を見つめるんだ。前へ前へと生きるのだ。
しかし寒い。風邪を引きそう、と思う今日は
おのれに厳しくなりづらい。
道行くマスクの人を軽く避ける自分に気付きつつ、
「あー無理しない方がいいなー」なんて
つぶやきながら電車を乗り継いで、普通に家に帰り……

……俺は何か忘れて……はっ、卒研!!(一同・「え――っ」)

卒業よりも健康が気になる。そんな一日。
きっとこの文章も、いつも以上に支離滅裂……。

それにしても、クレイジーケンバンドの
「クリスマスなんて大嫌い!なんちゃって」という曲、
中学校などの校内放送で放送部員が曲を流そうとした際に
読みづらいタイトルだなーなんて想像してしまった。
中二くらいのフツーの少年がボソボソ言うんだろうな。
ドリカムの「ハイッ!ハイッ!ハイッ!ハイッ!」以来の哀しさが。


調整ココアより純ココアの方が効きそう
2003年01月21日(火)

しばらく、熱海に旅行していました。

……というのは冗談だ。
ただ単に、日記を書く気力がなかったんである。
ああ今の私にとっては熱海が最も遠い場所。なんとなく。

熱海に旅行できない代わりに色々と忙しいことがあったのだが、
ここでは「卒業研究がらみです」の一言で整頓した方がよい。
ココアがインフルエンザにすごく良い!ということを聞き、
「その前から飲んでただよ!」と田舎風に自慢。
やっぱり効果的なんですな。
みのもんたの「ファイナルアンサー?」以前の持ちギャグで
「朝一杯のココア!」というフレーズ(?)があるけれど、
やっぱり本当だったんだ。空腹時に飲むとよいらしい。

家族や周りの人がインフレ……じゃない、
「インフルエンザ?」(断定はしない)にかかりつつあるので、
こりゃ私だけでも徹底抗戦の構えで。
とばかりに、普段飲んでるビタミンB群の他に
懐かしのビタミンC(高校時代の想い出)とポカリスウェットも加え、
さらにココアと温野菜とドリンク剤で手を打ってみました。
民間療法総出演。そしてここを読んだあなたは得をした(恩着せがましき)。
果たしてどうなんだか、でも一番大切なのは……
……「心」(と書いてハートと読む)だろっ。
要するに気の持ちよう。このたびの切羽詰まった空気を逆に利用するのだ。

そうだなー、元気出さなきゃ。
と思って出たのはから元気、窓の外にはからっ風。
けど、今日の夕刻に電車が急に止まって
わけがわからんくらい遠回りした末に帰宅したことも、
明日への翼に変えていくくらいのきらめきで。
書いていてもわけがわからないが。


懐古
2003年01月17日(金)

出川哲朗ただ一人だけが、ウッチャンを『チェン』と呼ぶ。
そんな今日この頃、私は疲労困憊。
今日の気温が暖かめでよかった。昼ご飯をいつになく早食い。

懐かしい曲に再会した。
たった一ヶ月だけ中学受験に挑戦してみたことがあって、
ゆとりのない生活を送っていた頃のこと。
学校で放課後の補習を終え、帰り道の駅で母と待ち合わせ、
ファーストフードで軽い食事を済ませてから、
母にランドセルを預けて、塾のカバンを受け取って塾へ。

その時のファーストフードでよくかかっていた曲だった。
シソソミソーシララーレララー♪、っていう
サビの旋律しか覚えていなかったのだが、
「あれ?知ってるな」と思って曲名を確認する。
サザンの「Ya Ya(あの時代を忘れない)」という曲だった。
若い頃はよかったよなあ、というような内容の歌詞だが、
私はこれを聴くと中学受験を思い出す。
今現在でっかい〆切に追われてピンチの私だが、
あの当時のことを考えたら何だって乗り切れる気がする。
あの頃はよかったなんて言える時代は、私にはまだ来ちゃいけないのだ。

「若い頃はよかった」と年上の人達が言うたびに積もったのは、
「この先年取ると、今以上にろくなことないのかな?」という恐怖。
なんだよー、この先生きていくのが怖いじゃん!脅かすなよ!と思った。
本当はそんなこともない、ただ人はいつも無い物ねだりなだけなのだ。
それに若い人は往々にして可能性という宝物を見過ごすので、
それがよく見える年になってから「よかった」って言うんだろうな。
若いなら若いなりに、相応の苦しみがあるように思う。

そうさ今日は大学入試のセンター試験。
受験というのはいつであれ厄介なもんだ。
一番辛かったのが中学受験。
会場が寒かった高校受験。
体に気を遣っていた大学受験。
覚えていない小学校。思い出したくない院。
……意外と受験に縁があるんだろうか?
よく考えたら多めに経験している。
学校が似合うタイプじゃないと思ってきたけれど、
最近型にはまった普通の人間になりつつある!
うちの学校を普通に楽しめるなんて、そういえばおかしいじゃないか。
もっとヤバイ人間になりたかったはずなのに。
「はやさんが来たので今日は休講にします!」って言われるくらいのさぁ。
授業にちゃんと出ていい人間じゃないのよ、本当は。精神的には。
まぁパッと見はただの人でも、精神的に暴れん坊ならそれでいいのだが。
そのうち時が経つとこういう懸念に溢れた精神状態が風化してしまいそうで、
しまいに「あの頃はよかった」。それだけは避けたい!

受験期や〆切前のフラストレーション状態において良いところは、
本当にやりたいことが雲間から覗くことがある、という点。
くたくたに疲れても体をこわしても、〆切はナイルの洪水のように
豊かな土壌をもたらすのだ。きっと。


2003年がよい年でありますように(今更)
2003年01月16日(木)

田中さんがあわててハンコを押したら、中田さんになっていた。
そんな今日この頃、いろんな理由で時間が怒濤のように過ぎていく。
最近、ベジェ曲線でたくさん絵を描く。
 一昨日はお家や携帯電話を、
 昨日は耳小骨・三半規管・蝸牛管を、
 今日はねぎとろ丼を描いた。
ほんと、何の仕事をしてる人なんだかわからない。

知り合いが盲腸になる。
ここに書いてもしょうがないが、お大事に!

そして自らも、小さくお大事に。
なんせ寒気が止まらない。こいつぁやばい。
今は風邪なんて特にやばい。
ここぞとばかりにご自愛するぜ。自分が大好き。

出っ歯のタレントは好感度が高いのか。と、
マチャミや明石屋さんまの顔を思い浮かべて考える。

それにしてもびっくりしました。
テツandトモがアニメ:「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の
エンディングになるなんて。なんでだろう。


呼ばれたなら語るぜ
2003年01月13日(月)

三連休の最後になって、ようやく少しやりたかった作業が
まとま……………………った?という感じ。
最後の疑問形はなんだろう。レントゲンの影みたいに怖い存在。

とりあえず今年度最大の目標(そうなのか?)・卒業に向けて
頑張るしかないのだ。……いやそうか?
今年の目標は、“ボブサップに克(か)つ”ことじゃなかったか?
いやそっちじゃないなあ、私は。
どちらかというと、“楳図かずおに挑む”とかの方角が近い。
今こんなことを言うのもアレだが、
卒業だけにとらわれるような一年なんか送りたかねぇ!
……そう、こう書いといてもし卒業できなかったらかっこわるいんだが、
でも「目標=卒業」にしちゃうと、後の人生がへろへろしていかん。
そうだ、若すぎる時期の受験でいけないのはそこだ。
合格が全て!って思ってちゃだめなのだ。
学校でてからの人生はもっと、まだ信じられない長さがある。
人生は生きる限り果てなく続くと思え。
何が滅びようとも、その先を正しく生きろ。

……来年は、どっかの自治体に呼ばれたいなー。
「新成人となる若者に、人生についてお話して頂きたい!」みたく。
うーん、……おそらく妹に説教して終わりだけど。

成人式を19歳で迎える奴も、探してみると結構いる。
みんなは酒でも、お茶でカンパイ!


ほろり ほろり 怒りぼっち
2003年01月12日(日)

ええいーああ君からーもらーい泣ーき♪

ああいうこぶしを回す感じの歌が、元ちとせ以降の流行なんだろうか。
だからどうってことじゃないが、ちょっと演歌みたいだ。

気付くともうお天道様が高くなっていて、
「あっ寝坊」と心で叫んだ。うーん、遠くに出かけないと
わかっている日はどうしてこうなんだか。
なんだかんだで10時間くらい眠っていたらしい。
そのうえ頭痛が酷くてしばらく仕事にならなかった。
うー悔しい、せっかくの休みがまた不完全燃焼かよ!
ええいーああ朝からーやつー当たーり。
なるほど、「もらい泣き」に対抗して「やつ当たり」。
誰がリリースしてもあまりヒットしないだろう、
でもつんくならどうにかするかもしれない。

明日ゴミの日だから捨てる物をまとめよう、いいえ捨てる物は古い自分。
何の話だかよくわからないけれど、だいたいパソコンで作業の一日。
妹は私が今どんな事態に立たされているのか理解しないで、
「明日ヒマ?」とか訊いてくる。くそー。
ええいーああ奴にもーやつー当たーり。うるさいのは誰です?

言うまいと思えど頭痛。
急に気温が上がったせいなのか、この頭痛は(今年初・倒置法)。
でも夜半過ぎて治りつつある。幸せ。

そう、あまり幸せばかり続くと、大事なことを見逃してしまう。
ひとつでも持病を持つと毎日が教訓だ。デイリー教訓だ。
なにはともあれ卒業研究。笑点を見逃すくらい一生懸命に。


とっとこハムレット
2003年01月11日(土)

「最近の若い子の考えてることはわからんね。まったくけしからん」

と、ぼやき始めたのは中一くらいからだった。
ということにふっと気付く。
おいおい当時のはやさんよ、今にして思えばお前もわりと若いよ。
でも大掃除ででてきた昔の感想文なんか読んでると
今と大して変わってないんだなあ。
物事の見方も、テンションも、文章も。字の汚さも。
まわりの同級生が子供っぽく見えると同時に大人っぽくも見える、
要するに自分はどっか浮いているという点も。
近年はちょっと表現がまろやかになっただけで、
要するに大して成長してないのか。……。

遊園地ではしゃいだり何かに素直に驚いたり、
その上本読んで映画観てたりなんかする、
そういう人がいるのを見て、
同じホモサピエンス-ジャパニーズ-femaleなのに
違うもんだねーと改めて感心する。
何が違うんだろうか。食べるものか。

だから全ての人をカバーするデザイン、なんて無理……いやいや、
あえて言い切るのもどうかとも思うけど、
無理に近いくらい難しい目標なんだなあ。
そこまでいかなくたって、たとえば
ほぼ全ての、20歳前後の日本人女性に好感を持たれたいなー
……なんてのも難しいのだから。

敵が見えないのは怖い。
今までドラマにしかでていなかった俳優が、
カメラ越しの何百万という視線が急に怖くなって
急に舞台役者に転向したくなる感じ。
ただ、それはそれでドジを踏むと
客に直接みかんをぶつけられる可能性があるわけで。
どっちにしろ厳しいのだ、スポットライトの中の世界は。
でも選んだ限り、この先絶望してもここで頑張るしかないのだ。
……と思って、みんな役者の卵として頑張ってるんだろうなあ。
えっ、いや私は別に役者ではないけれど。
ともあれ表現者はつらいのだ。そうでない人がつらいのと同じくらい。

さーてと、論文書こう……。

(※考え事のあまり、タイトルが本文と全く無関係なことをお詫び致します。)


線路は続くよある程度
2003年01月10日(金)

オートバックスに行けば車を直せるんだが、
オートバックスまで行く足がない。
そんな嘆きを耳にする今日この頃、
私は自らの間違いをようやく訂正することになった。

×dialy ○diary

スペルを間違えていた……のを、やっと直した。
前にも「……ん?」って思ってはいたんだが……。
迷った時は辞書を引け辞書を。と己を叱る。
どうも危ういスペルが増えた。いかんですなあ。
今回の修羅場が過ぎたら、また英語を学ぶか。

何も約束のない日の早起きはいいもんだ、
時間がゆっくりな感じがする。

今日はようやく手帳を購入。
年明けから早10日ということもあり、嬉しい半額。
去年と同じ地元近くの店で買った。
それも去年と同じ形の。表紙はだいぶ違う。
前回のは、一直線!今回のは、もう少し稲作っぽい。
いや稲作と言うよりは、口分田って感じか。

そして学校への旅路。
なんか知らないけど汗びっしょり。
日中は意外と暖かいようだ。
なのに重装備で電車に乗ってしまった。
マフラーをしっかり巻いたまま席に座ると、
両隣に気を遣って外すタイミングを失ったりする。
そのまま、窓から指す暖かい日光に照らされての小一時間。
遮る建物もないままの田舎の線路をガタンゴトンガタンゴトン。
後ろのブラインドを下げようかどうか悩んだまま眠り続ける。

学校では、とある石鹸にまつわることで人々が集っていた。
そしてそんな人々を捕まえては実験したりする人もいた。
私も協力したらお菓子をくれた。
それもたくさん!いやいやそんな、すいません。
なんて日本人ぽいことを言いつつ、有り難く受け取る。
みんなそれぞれ忙しく、合間を縫ってはギブアンドテイク。
生きるってこういうことなんだなあ。

4時間ほど作業し家に帰ると、すっかり夜。
ああ、これからまた作業……自分の能力より早め早めに動こう。
作業とパブロンは早めがいい。


日々のお供に
2003年01月09日(木)

今日は学校にわりとlong stay。
……いかん、また英語。最近レッド化が
進んでいる(注:レッド吉田氏風に時折英語が入る現象)。
日本に戻れ戻れ、帰国しろビザビザビザビザ。
そんな呪文を唱えるのはともかくも、
また軽やかに焦る。
いつかこの苦みばしった空気が心地よい疲れと変わるまで、
闘うのさ俺達は。

学校にいる方が何かはかどるような気がするので、
一見用のない(手帳に何も書き込んでいないような、という点で)
日もなるべく行ってみよう。
たまに誰かがお菓子をくれたりするし。

そうそう、手帳をまだ買っていない。
この前東急ハンズで買おうとしたけれど失敗した。
まず、人がやたらいっぱい!他の売り場は空いてるのに……
なんだお前ら、そんなに手帳コーナーに群がって!!
と、自分も群がっておきながら小さく逆ギレ。
年末年始はこれだから。なんてぐったりしながらも
満員電車で鍛えた“人混みに対する免疫”の力を借りながら
手帳を選ぶが、なかなかいいのがない。
手帳を選ぶ最大のポイントは、私の場合軽いことだ。
カバンのお供なのだ、軽くなくては。
「お前が重くてどうするよ!」と。
水戸黄門でいうなら『八兵衛が実は悪人だった』みたいな。
軽くて小さくて、でもたくさん書き込めた方がいいな。と
矛盾をどうにか妥協させなきゃならないような状況が理想像だ。
で、表紙はなるべく元気な感じで。
やんちゃなんだけど、「せいっ!」と怒ると黙るみたいな。
私には真似できないけどそんな姿勢もいいよね、という感じがいい。
あと、なるべく手触りがとんがってないといい。指を切っちゃうので。
……と結構わがままなことを要求しているので、
結局去年買った店を見てみようということになった。
いい加減買わないと、1月前半の予定が去年の手帳の適当なページに
慌てて書き込んであって、なんだかこの1月が可哀相なくらい。
でも、大事な時期なのだ……。


小作人
2003年01月08日(水)

ようやく今日になっていろんな痛みが和らいだ。
あと不自由なのは首くらいだ!と半喜び(←大喜びのハーフサイズ)。
とはいえ夕べは全く眠れず。
いや研究に勤しんでいたとかちゃんとした理由ではなく、
体調不良でなぜか寝付けなかった。めいっぱい悲哀が漂う。

夕方、というより夕飯時に学校を訪れると、
なぜか餃子作りの集いが!
私は私で、手のひら大の立方体(注:他人様の作品)を
たくさん積み上げたりする。
片道2時間かかる学校だが、行ってもあまり有効なことを
しない時があるのはなぜなんだろう。けど、集える限り集っとこう。

あー、なんだか右往左往しているうちに1月か!
ようやく最近、1月という感じになってきた。
え、13月じゃあ?というテンションが失せつつある。
意外と寒くないのが逆に怖い今日この頃。
2月は色んな意味で荒れるんだ……。
あっそうか、またかように恐れすぎているのだ。
“必要以上に身構えるから、かえってだめなんだ。”
これが大学で四年かけて学んだことの8割くらいかもしれない。
まじめになれと散々言われながらも、
遊べと言われたり。人生是理不尽哉。

そうさー、俺は闘うぜ。
自分と闘うぜ。いっそ海月のように骨のない感じで闘うぜ。
Don't think. Feel.みたいなね。ブルース・リーの教えを参照に。

でもどうしても、thinkに偏りがちなのだ。
今日もくだらないことを考えた。
人が考える葦ならば、私は考えるバカなのだ。
独身貴族とは、独身でお金を持っている人のことを意味する。
じゃあ、独身でお金を持ってない人はなんだろう?
……独身小作人か?
なんてことをしばらく、駅のホームで考えていた。
相当荘園を耕してんのかな、なんて。
苦手な日本史だけどアレンジすると嫌じゃなくなる。
さながら好き嫌いの子供向けの食事のようだ。
いやしかし、漢字で書くとまた違った趣があるものだ。
独り身で、小さくともなにかしら作っている人。
うーん、ちょっくら好ましい。


爆弾抱えて9回裏二死満塁
2003年01月07日(火)

日記を休んでいた数日は
論文?ようなものを書き連ねながら、
首と肩と腰に爆弾を抱えていた。爆弾、多いな!
何か、寝違えたんだか知らないけれど全身が痛かった。
風邪の前兆だったのか?なんだかわからないけれど、
色々と痛くてここに来る余裕がなかったのだった。
動けないから、膨大な資料を整理してホッチキスで止めておいたものを
片っ端からread read read。
(※なぜか最近、こういうとき英語がでる。)
ほんと膨大。……どうでもいいことまで読みふけりそうになるほど。

それにしても、スープスパはうまい。
コンビニで買えるクノールのを買ってみてそう思った。
暖かいものをそのものの実力以上においしく感じるこの季節、
それにしてもタイプを打つ指の冷えることといったら。
ああー、冷え性。でも酒が苦手なのに無理して口にした養命酒は
かえって具合が悪くなる感じのテイストだった。
健康になるためのひとつのハードルは「味」だと思う。
容赦なく苦い“良薬”に安くない金を払った上でず――っと服用し、
それでさらに「気を明るく持つ」こと。
地味に困難な手続きを経て、ようやく「病気でない」状況を手にする。
いやいや、それで済んだ私なんて全然いい方だ。
と、気付けば逆に感謝していたりする。そのくらい健康は得難い。

作業中に椎名林檎を聴いていて、ふと気付くと一緒に歌っていた。
これだから歌える曲はいかん、と洋楽にしてみても
やっぱり共に唄ってしまう。Instrumentalだけのやつでも
気付くと歌っている。怖い。
一人暮らししない方がいい最大の理由は、騒音かもしれん。自らの。

RAG FAIR、ゴスペラーズ、米米CLUBなどは、
相変わらずメンバーの個人名がよく思い出せない。
3グループ併せても石井竜也とジェームズ小野田くらいしかでてこない。
ようし、2003年は俺もソロ活動だ。
いつの日かポンキッキーズに出演してやる。待ってろよコニーちゃん。


月曜日っぽい
2003年01月04日(土)

情報収集をしに本屋へ行ったつもりが、
確かに雑誌は買ったのだが食料品まで買うはめに。
……うーん、主婦だなー。新年・主婦初め。

書き初めという(字が汚い者にとって)忌まわしい風習から
解放されてから早数年の月日が流れたが、
それにしても一年の計を書いて壁に貼っておくというのも
またひとつの手だな、と思うのだった。
なんか、言い出してしまうこと。それが大切。
ここにこんな文章を書いていることも、
「なんかどんどん言い出してみる」ということ、
そしてそれを残しおいて、
誰かが見てるかも知れない状況に常に晒し、
自分もそれを見返すことで「あっ、いけねえちゃんとしよう」と
我が身を振り返ること。そういったことが目的だ。
喋るという方法も好きだしストレス発散になるんだが、
かしましい自分の声は音となって空気に溶けてしまうので
とっておいて冷静に見直せない。仮に大事な要素が潜んでいたとしても
見逃しやすく、もったいない。
何かを言い出したらそれをちゃんととっておいて、
責任持って育てるなり取り消すなりする。
その作業は大事だなーと思う。
それを怠ると方針がとっちらかるから。

……そう、研究の方はちょっととっちらかっている。
でも少しずつ、落ち着け、落ち着けと、
正月ムードから微妙に覚めつつある街のように
私も便乗して冷静さを取り戻しつつある。
正月のどんちゃんした空気は好きじゃないが、
この正月から普通の日々に戻りつつある空気は意外と好ましい。
しょうがねぇ、いっちょ頑張るかー、と。
基本的に平日も嫌いじゃないのでこんなことを思う。
さぁ頑張らなくては。頑張るのも別に、嫌いではない。


芳しくない
2003年01月03日(金)

なんだか苛立ちながらも正月の三が日。
なぜオイラが苛立ってるかって?そいつぁ愚問だぜマドモアゼル(?)、
なかなか思うように進まないのさー。
なにがってー?論文あれこれさー。
そうさー。沖縄の海はちょっとずつ汚れてきているのさー。
BEGINの唄はちむにすみり(沖縄弁で“心に染みる”の意)。

年が明けてしまった。
今年の新年を笑顔で祝えないのは、その圧迫感があるせいだろう。
いや、明けたと思わなきゃ良いんだ。
今は2002年13月!そう……だ。……ふぅ。
現実逃避をしても何も変わらないのさ。
でも人々はそれでも、むなしい夢を見ているのさ。
だから宝くじを買ったり、スピードくじを10円玉で剥がしたり、
無理そうなギャンブルに走ったり、
家族ぐるみの変なチャレンジで100万円のために肝を冷やしたりする。
でも夢が夢でなくなったとき、人はそれを栄光と呼ぶのだ……
…………いかん、また何の話かわからなくなった。

とにかく私は歩き出さなきゃいけないのさ。
それはわかってるけど、せっかくの冬だけど、
正月番組を見るゆとりもない精神になってしまっている。
この場合は何が敵かというと、またおのれ自身だ。
自分の敵はおのれなり。かっこいいフレーズだ(?)。
〆切に怯えている自分自身が最大の敵なのだ。
攻撃は最大の防御なのだ。いや違うぞ。
攻撃は最大のストレス解消なのだ。

気分転換の意味で、今日は試しにTVを見てみる。
あした順子・ひろし師匠の漫才は相変わらず素晴らしい。
何が素晴らしいって、いいお歳を召しておられるのに
あの動きのキレ!ツッコミで頭を叩くときに遠慮なく響く音!!
きっと、辛いことや苦しいことをたくさん乗り越えて来られたの
だろうなあ……私なんぞ、すべて小さい小さい。

芳しくない一日が雨音に包まれて終わっていく。
それでも最低限、今日を肥やしにしていこう……。

頭痛だけでも止まらないかなー。あーもーっ。


少し残念なこと
2003年01月02日(木)

今年最初の大事件!
初夢を見なかった……去年は結構面白かったのになあ。

くっそー、見そびれ記念日だ。
いや、そんな祝日はノンサンクス。
そういえばカレンダーを作らなくては。
手帳を買わなくては。
卒研にて、今まで集めた資料・アンケートを(中略)しなくては。
しなくてはならないことが沢山だ。
あーっもう進んでない!
その割に全身疲労物質がみなぎってる!
頭は頭痛で煮えたぎってる!何故なんだ。
でも今日ようやく年賀状作りが終わった。
それも自分のためのものじゃなく、家族に依頼されたものだ。
何やってるんだ。でも終わったのでめでたい。
ここで初めておめでとうだ。

……いや、俺の正月はきっと2月下旬に来る。
そこで初めて、去年のクリスマスくらいからの分を祝うのだ。
でも祝うといっても、酒を飲むでなし宴を催すでなし人に会うでなし、
こっそり眠って終わりなんだろうけど。でもそれがmy pleasure。

そして卒業旅行に行こう。それも一人で、木更津か宇都宮あたりに。
この二つが、私にとっての二大都市だ。
漢字で書くと三文字なのもまた魅力。


新年明けた
2003年01月01日(水)

さあ新しい年。
今年のテレビ埼玉は、浦和レッズのサポーターが色々と語っていた。
そして年が明ける瞬間に「ピッ……ピッ……ピッ……ピ――」と
NHKニュースの始まり方にも似た音が聞こえた。
その音を無視してずっと熱く語っておられる熱心なサポーターの方を
「すいません、今年が明けたようです」とアナウンサーが遮っていた。
あのテレビ埼玉が、「年が明けた」瞬間にそのことを話題にした。
私はそんな光景を見たのは初めてだった……。
うーん、嬉しいような切ないような。そんな年明け。

今年の年賀状はどうもすべすべしている。そんな印象を覚えながら、
正月の朝からお節料理を完全に無視して、独自にトーストを頂く。
私たるものこのくらいでないと、ねえ。
そして当サイトも模様替えが修了、挨拶書込の小旅行をしつつも
さっそく論文だ。
……文章が、咄嗟に下手になるのはどうしてなんだ。
ここの文章に比べて筆の進まないこと進まないこと。

ああ……オラの村さに正月は来ねぇ。
来るのは豆まき、それだけだ。