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探し物はナン(インドの)ですか
2002年06月30日(日)

ナンって良い言葉だ。
タッチの朝倉南ちゃんを「みなみちゃん」と発音せずに
こっそり「なんちゃん」(ウッチャンナンチャンの)と発音してみよう。
あの人、さりげなく脚が細い。指摘するとみんなびっくり&納得。

それにしてもどうにかならんのかねこの湿気は。
と思うぐらい「むっ」という空気なのだが、
……あれ、頭痛がない。不思議!それを通り越して不気味!
体調が良すぎる日はうれしいけど、同時に不気味。
そのうち、どんでん返しが待っている気がしてしまう……。
出川哲朗氏が「俺なんてさぁ、ラッキーなことが起きると
嬉しいより先に『ドッキリかな?』って思っちゃうんだよね」と
語っていたのを思い出す。
あまりにも裏切られすぎて、容易に物事を信じられなくなって
しまったのだろう。そんなコメディアンのほろ苦い体質。

昼間は某話し合いに参加。
「肉体が」「だから肉体がね」と、なんか怪しい会話。
今の学校に入ってから、たぶん生臭い会話が増えた。
それも魚市場的な意味での。
昔はヨーロピアンキャラだったのに、
最近めっきりアジアに染まっている。時代の流れもあるだろう。

犬がブラッシングしてもらったらしく、
毛並みがほややかになっている。
つややかじゃなく、ほややか。というニュアンス。
わーい、と触ろうとすると「ウー」と呻られた。
何で私は、立場の弱そうな犬や妹に対して
ヘコヘコしながら暮らしているんだろう。なんなんだ奴ら。
そのわりに、他の人にはさほどヘコヘコしないのに。
少しは外でヘコヘコしたらどうなんだ?

絵を描くのは好きなくせに、絵描きになろうとしないのはだめだろうか?
それとも、それを活かした違う者になればいいんだろうか。
人生は居場所を探す旅だ、と五味太郎氏は書いておられたが……。


晴れときどき錆止め
2002年06月29日(土)

さぁ、卒研のために情報収集しよう!
必殺・「今日はそういう日」宣言発令。
それには本を読むのも有効な手段だろうと思い、図書館に。
近所の市立図書館を目指し、てくてく歩いて行く。
妙に駐車場が静かだな、おかしい……と嫌な予感を募らせていたら、
正面のドアにはしっかり『休館』の文字。
そういえば昨日は学校の図書館まで、てくてく歩いた。
するとドアにはしっかり『休館』の文字。
……図書館なんて普段滅多に行かない人間が、
たまに行こうと思ったらこの有り様かい。ええ?
最近各地の図書館で『書庫整理ブーム』なのか、
それとも各地の図書館にて『はやさん警報発令中』なのか、
そのどっちかだろうと思うくらい、
「行ったら休館」率が急上昇中なけしき。なんたることや。

妹があれから少林サッカーに夢中になり、
ちょっと目を離すと「DVD買いたい」とか口ずさんでいる。
今日も着メロをダウンロードしたとかいって電子音で奏でている。
電子音で聴くからか、ファミコンの格闘ゲームのテーマみたいだ。
着メロの音って、静かにしたい時に耳にすることが多いので
不快なものだという印象があったりするが
よく聴くと昔のゲーム音楽にそっくりな音色をしている。
で私は、昔々の作文に「ファミコンの音楽を作曲してみたい」とか
書いていた……当時は絵よりもピアノが好きだったんだよなぁ。
着メロといえばダウンロードが主流らしいが、
音階がズレてたり和音が不正確だったりするからイライラしてしまう。
『みんなが使っているメロディを自分もお裾分け』って感じもする。
ストラップも着メロも、『あ、自分のだ』ってわかるから意義があるんだ。

一昨日くらいに自分の中で流行った、
「ドレミの歌をハニホで歌う」トレンドが復活。
♪ハーニホーハホーハーホー
 ニーホヘヘホニヘー……結構難しい。
たまに発作的に「音楽方面の小さなチャレンジ」をしたくなる。
そういえば絶対音感って衰えないんだろうか?
最近ずいぶんピアノを弾いていなくて、
履歴書の趣味の欄に「ピアノ」と書くのがうしろめたくなりつつある。
何でも良いから書いちゃえよ、と言う人もいるがどうも戸惑う。
こういうとこだけ変に律儀だ。
だから、「好きなスポーツ」の欄なんかいつも空欄だ。

絶対音感というのは自分の感覚の中にいつもピアノが
置いてあるということだと思う。
いつもその頭の中にあるピアノでドレミを弾いて、
その音を基準に音の高さを測っている感じがする。
そのピアノも、調律しなかったら錆びるのかもしれない。
だからあまりにも音楽を聴かない・奏でない生活が続くと……?
……いや、楽器の狂い方の怖いところは、
気付かないスピードでゆるやかにズレてしまうところだ。
ということは、もう既に狂っている可能性も!?わーもったいない!

卒研もこういう趣味っぽいことでやればよかったんだろうか…
なんて今から思っても遅いぜ遅いぜ。あっはっは(早くも……)。
それに音楽はもっぱら気分転換目的がいい。
もっと歳を取ってから、趣味にしたいもんだ。


夏の季語は
2002年06月28日(金)

動悸で眠れず。ビタミン剤とスポーツドリンクが朝食。
「忙しくて寝不足なんだよ」という人は多いが、
私は「具合悪くて寝不足なんだよ」というケースばかり。
私の忙しさなんてせいぜい睡眠時間が4時間くらいはとれる程度だ。
やはり、周りの人間に比べて打たれ弱い。と同時に、
無駄なことに相当なエネルギーを費やしているのも事実だったり。

具合がいまいちなまま学校に。
この動悸、視界のブレ、手足の底冷え感。すべてが、夏っぽい。
ビーチサンダルやサーフィンなんかよりもずっと。
電車の中でも眠れなかったため事態は悪化していて、
「具合大丈夫か」と訊かれ「だいじょーぶでーすよー」と答えるような、
大丈夫じゃないオーラを醸し出す有り様。
でも、頑張らなくては仕方ない。
これが治るのを待っていたら秋になってしまう。

しかしやっぱり動悸が酷い。どうしたんだろう、さすが夏。
昼ご飯はウイダーインゼリーと、『チーズケーキみたいなパン』。
本当にそういう商品名で売っていて、一見パンなのだが
中にクリームチーズとブルーベリーペーストが入っている。
今日の昼ご飯のテーマはつまり『栄養と好奇心』だったわけだが、
もともと食事の目的ってその二つなんではなかろうか。

家に帰って犬を散歩に連れて行ってもやはり動悸。
今も動悸が酷い。朝は貧血のような症状も加わって
視界がチカチカしていたことを考えれば、だいぶ回復してきているが。
どうにか、何か作業をしなくては。
明日の地味な計画を立てる。

自律神経おかしいんだよね。と言うと、
母も「あたしもー」。
共感してくれるのは嬉しいんだが、……同時に二人具合悪いと
やっぱり労働力不足な我が家。薬でどうにか頑張る。
彼女と私は体調を崩す時期や症状が似ている。
「マカロニほうれん荘を知らないなんて、今どきの奴らは」とか
時代錯誤な無茶を言うところも似ている。
そろそろいい加減に、21世紀を迎えようぜ。


コーヒーを学ぶ一日
2002年06月27日(木)

やっぱり寒くて雨だった。
学校に行って友達と飯(安くてお得だったなー)を食い、
そして紆余曲折(?)を経て数時間後、
地元近くのスターバックスにいた。そこそこ混んでいる。
なんだかソファーの席に座りたくなる。
安め且つ暖かいコーヒーを頼み、
「男はブラック!」と心でつぶやきながら、
でも私は男じゃないし、なんて意味のない言い訳をしながら
ミルクとかを入れて飲む。やっぱりコーヒー初心者。
そこで、卒研の資料や過去に自分で描いたものをゆーっくり見返す。
あーやっぱりソファーの方がお得な感じするなぁ、
マックになくてスタバにあるもの、それは硬くない椅子だと思った。

しばらくスタバで卒研思案。何かが足りない……形にならない。
もうそろそろ本腰を入れて、何でも良いから形にしたい。
できそうでできない、しなくてはいけないこと。
みんなはもう進んでるんだろうか。いや、考えない考えない。
集団の中の孤独って、周りのことが嫌だから感じるんだと思っていたが
別にそうじゃなくても感じるもんなのだ。
優越感も劣等感も、それぞれに寂しい感覚だ。

電車の時間がもう少しで間に合いそうな時刻であることに
気付いてダッシュ。
走りながら悟ったことは、『コーヒーって、飲んだあとは歩くもんだな』。
『コーヒー飲むなりダッシュ』という行動はいまいち趣がない。
麦茶や牛乳やカルピスなら、飲んだ直後にダッシュしても良さそうだ。
昔の漫画で遅刻しそうな主人公がパンをくわえて走っていたが、
あれコーヒーは飲んでないような気がする。なんとなく。

私がまったりするのが苦手なのは、ひょっとして
電車の時刻を常に気にしているような人生だからなんだろうか?
車や自転車が生活の中心だったら、こんなことにはなってないだろう。
電車に乗る習慣は何かを衰えさせる気がする。
それが衰えると、時計ばっかり見る大人になりそうだ。

家に帰って母と藤子不二夫の功績について議論していると(変な母娘…)、
いつしか体が重い。いや、体重が重いだけじゃなくて体が重い。
これは……久々に?来た???
……嫌なので、ビタミンCとスポーツドリンクを摂取しまくる。
夕食のメインは納豆と味噌汁と豆腐。
豆の力よ、どうか私を助けておくれ!!
おぼれるものは豆をも掴む。ぼろぼろぼろ。ねばっ(納豆)。
豆まき、って面白いけど贅沢な風習だな。食おうや。


笑いを考察する一日
2002年06月26日(水)

水曜日はレディースデーなのでいざ、と思い
妹と少林サッカーを観に行った。
「夏場に映画」という頭痛が来そうな組み合わせだったにもかかわらず
意外や意外、今日の気温の低さも手伝ったのか頭痛が無い。
その時点で「よっしゃぁー」。
さらに映画が始まって「よっしゃぁー」。
「次に起こることが予測できてしまう」話って、
普通ならつまらないんだけど、それが逆に心地よかった。
「で、ここで壁が崩れて、こうなるんだ」と
二つ先くらいまで起こることが読めるが、
二つ目まで予想通りで、三つ目に裏切りがあったりする。
「天丼」、「早い着替え」、「早い回復」、「楽しい悪役」と、
コメディの基本パターンはほとんど網羅してたんじゃないだろうか。
ベタはもちろんのこと、たまにシュールさも感じられる。
これがもし漫画だったら面白さが半減するんだろうな。
実写で、それも映画という高級な媒体でやってるところが凄い。

香港の笑いは、相手が誰だろうと有無を言わせない感じがする。
自分の面白さに自信があるのが全面に出ていてうらやましくなる。
顔も行動も態度も声も、全部面白いでしょ、どう?って感じ。
笑いのセンスと風土はやっぱり関係がありそうだ。
ミスター・ビーンはイギリス、って感じがするもんなぁ。
私自身は、関東平野って感じがするし。

さらにイラストと実写の違いなんてことまで考えてしまう。
漫画は本来、一人で映画を作れるようなもののはずだが、それは理論上。
映画にできることと漫画にできること、だいぶ違うよなぁ……
……なんてことまで、観ている間に考えてしまっていた。
ちゃんと観てたのか?でも、考えさせられる映画だ(注:私にとって)。

そんなこんなで妹と「後ろの人バカウケ(死語)してたね」等と
雑談しながら帰る。
プリクラ撮って行こうよ、といわれ撮影。
最近のプリクラは写真の上にラクガキを描けるそうで、
それをびゃーっと描かされる(描くのには時間制限あり)。
時間がないので、リピュアだ!と叫びながら、
写真の下から草を生やしてみる。
♪だけど僕らはくじけない〜
 泣くのはいやだよ笑っちゃお 進め〜〜〜♪
あのCM、外で車を洗う柴咲コウ嬢が
「(彼氏と)別れた。」とつぶやいてホースを頭に向けて
水を浴びようとし、
それをもう一人の女の子が「やめなよ!」と言いながら
ホースを取り上げて止めさせようとするのだが、
ホースの取り合いになるうちに二人とも水を浴びて
びしょぬれになってしまう、というシーン(長い説明)。
そこで一言、私からの提言。
「やめなよ!」と言った子の行動は、間違っている。
ホースを取り上げるんじゃなくて、
栓をひねって水を止めたらどうだろう?
その方が節水にもなるし。
妹は「確かに!」と納得してくれた。水は大事にしよう。

さて、それだけ色々と考えたのち、はたと気付く。
「そうだ、卒研!」
……さてと、あはは。ふぅ。
              〜つづく〜


長袖の一日
2002年06月25日(火)

本日は長袖。6月下旬にしてそういう気温。
今日も絵を描いていたけれど、集中していたのか肩がずしんと重い。
気温がおかしいというのもあるのだろうが、
夕方になって久々に、左胸に痛みを感じた。
小学生の頃からたまに襲ってくる、鋭い痛み。
いつも数分で良くなる。原因もはっきりしない。
私が「うっ」と胸を抑えて苦しがっていても、
あまり気にしなくなった家族はさすがだ。
家族の持病には慣れることが大切だ。
点心のような、ちょっとずつの症状。
心臓の検査は引っかかったことがないので心配はないのだろう。
それにしても心臓はエライ。今日もさりげなく勤続してくれている。

東京スカパラダイスオーケストラを聴きつつ作業。
今まで、特に夏はあまり音楽を聴かなかったが、今年は聴こう。
こういうところからでも、少しずつでもいいから世界を広げるために。
購入時はコンポなんてあっても使うわけないと思っていたが
最近はこれでラジオを聴けるようにしてみたいな、とすら思う。
それにしても、なんで買ったときに
ラジオを聴けるようにしておかなかったのだろう。
そりゃ、コンポ自体最初の数ヶ月はろくに使わなかったけれど。

あまり頭痛が来なくなった、そのことには繰り返し感謝。
病気は人に夢を与えてくれる。
悪いところを治す、元気になる、という夢。
病気を克服した人は、その夢を叶えることができた人だ。
と、病気と前向きに向き合う会の会長になった気分で感無量。

ヴォイスパーカッションの真似をしようとするが、
シンバルはできてもドラムの音が出せない。
その代わりに「スプレーの音」「ムースの音」
「ムースの缶の使い終わりの音」(地味)などを会得。
この世界は奥深い。
ちまたでハモるのがブームだが、
もし私が中高生の時に流行っていたらやっていたんだろうか?
歌うのは好きだが、仲間がいないな。うーむ。
それでもハモるのは好きな体質らしく、
今もCMの歌に合わせてハモったりしてしまう。
 ♪いーないーな アリコアリコ……
人のいない部屋で、遠くに響く竿竹屋の音声を
真似してしまうオウムのような、孤独な悲哀がある。


集中した一日
2002年06月24日(月)

夕べの夢は久々に突拍子もなかった。
乗ろうとしたエレベーター内に巨大なクモの巣がはってあって、
中川家という兄弟漫才師のお兄さん(小柄)が
それに引っかかって動けなくなっている。
弟さん(大柄で汗っかき)が近くにいないので、仕方なく(?)私が
「なに引っかかっとんねん」とツッコんでみると、
私の背後にいつしか人が集まっていて
「引っかかっちゃってるのにかわいそう」とガヤガヤと同情していた。
しかしなぜだか、あの人や三瓶は『エライ人』ポジションじゃないのに
周りからそっと気遣われている感じがする。
見ている方も『大丈夫かな…』と見守ってしまうような、そんな雰囲気。

今日は絵を描く日!!
雨が降ろうと槍が降ろうと塊が降ろうとそういう日なのよ!
と、決めてかかってから一日を始めた。
そう決めてしまうと、不思議と過ごせる。
この日は研究のことを考える日!
この日は英語を徹底的にやる日!
そう決めてしまえば意外といいのかもしれぬ。
シンプルな事実。

オムレツが下手になった。
フライパンのテフロンが剥がれてきているのが原因らしい。
油を多めにひいて、よく熱してやればよいらしい。
……そろそろ買い換えモードかな。


また気温が低い一日
2002年06月23日(日)

意外にも気温が低く、七分袖を引っ張り出してくる。
6月下旬とは思えぬ気温に皮膚を疑った。

高校時代の同級生と本当の飲み会。
なぜ本当の飲み会かというと、酒を飲んでみたからだ。
基本的にビール・日本酒などメジャーっぽい(?)酒が苦手だが、
カクテルの一部だけはジュース感覚で飲むことが出来る。
今月はさすがに、サッカーの話題が多めだ。
「○○と××がさぁ」等と言っていて、つまりよくわからない。
そういう大会の存在は知っていたのだから、
日本戦くらいは観ておくべきだったのかもしれない。
一般常識が苦手なことを、どこまで誇りに思ってよいのやら……。

話を考えたり、絵を描いたりするひとになりたいんだが
どうしたらいいだろうね、と聞いてみたら「絵コンテ描く人は?」。
絵コンテ描く人って………つまり誰だ?広そうだな、範囲。
何になるかはゆっくり決めてもよさそうだ。
と、人と話すとそう思える不思議。

それにしても、みんなちゃんと「学生」。
私は………何をしてたんだろう?学問、という感じがしないのだった。


たまに記憶がない一日
2002年06月22日(土)

「ハリウッド」と「狩人」って発音すると似てるなあ。
そんなこととは関係なく今日はだいたい家にいた。

PCで作業を少しと、それからえーと何だ。
……何をしていたか自分でも覚えていない。これはしたり。
 1.物忘れが激しくなった
 2.夢遊病にかかった
 3.記憶を操作された
  ……以上のいずれかに該当するに違いない。
豪華絢爛で魅力的な選択肢だけど、どれもちょっとずつ嫌だ。

焦っては大丈夫さと思い、また焦っては大丈夫さと思い。
その繰り返しがバイオリズムか何か知らないが、
波打つグラフを描いて基準点の周りを行ったり来たり。
振れ幅が落ち着いていくことを目標に……いや、
あまり落ち着いてもかえってよくないのだろうけれど、
不安定さがもう少し無くなってもよいものだ。
冬が来ればまた明るい気持ちになれるのだろうが、
当分日本の東京付近に住む予定であるので、夏を避けては暮らせない。
日本の夏をちょっとでも好きになるしかない。

なにかとくすぶりやすいのは好き嫌いが激しいからで、
それは平等を旨とするはやさん憲章(?)に矛盾することだ。
椎茸でもセロリでも寿司でも、好き嫌い無く食べなくては。
尊敬する人はマザーテレサ、と不定期かつ地味に言い続けている以上
彼女に向かって、少しでも心がけなくてはと思う。
平等と博愛。(自由が加わればフランスの国旗の意味だな……。)
みんなそこに存在していてよいのですよ。というシンプルなことだ。
それが成立しないから争いが起こったり、
朝の新宿駅で『無理なご乗車おやめ下さい、電車すぐに参ります』
とかいうアナウンスがあったりする(?)。この世はとても難しい。

……なんで好き嫌いから世界平和の話になっているのだろう?
誰にぶつければいいんだこの疑問。
日記は下書きをするものでもないし、考えたままにペンを走らせ…否、
キーボード連打するがゆえに、何が飛び出すかは割とお楽しみだ。
自分にもわからないことが意外とよく起こる(、という人もいる)。
日記を書くと自分が見えてくると聞いたが、逆にわからなくなった。
自分が2〜3人いるんじゃないかとすら思う(だから記憶がないのだ)。

妹に、『そのうち少林サッカー観に行こう』と言われる。
まぁ、映画なんて何年ぶりでしょう(60代主婦が言いそうなフレーズ。
若い時以来、久々に夫と映画館でデート。育児に家事にと
頑張ってきた彼女。ようやく夫が定年を迎え、子供達も巣立ち、
最近は二人の時間をゆったりと楽しむようになった、そんなイメージ)。
少林寺拳法といえば、Mくんという同級生のことを
思い出す(サークルが少林寺拳法だった)。
と、すっかり過去形なMくんだが、なんと現在も同級生だ。
同じ学校で同じ学年で同じ建物にいるはずなんだが、
全然見かけない人というのがかなりいる。
たまにそういう知り合いに会うと、卒業してもいないのに懐かしい。
こうなりゃ今から同窓会だ。


夏至の一日
2002年06月21日(金)

学校に行く。
今日は普段よりも人口が多い。
風が吹けば桶屋が儲かるように、
人が集まればサッカーの話題が出てくる今日この頃。
機会をうかがって、私がかねてから提唱していた
「日本ラテン化現象説」(日本がラテンになりつつある、という仮説。
 サッカーが流行ったり、女性の服装において露出度が上がったり、
 ドレッドヘアーが珍しくなくなったり、気温が上昇したりしているのは
 全てその影響)
について語ってみると、微妙な反応だった。
なお他にも「大阪はイタリアに似ている」(ピザとお好み焼きは親類)
「フランス語は北関東弁にちょっとだけ似ている」(口を大きく開けずに喋る点)など、
それぞれの地元の方から怒りのFAXが届きそうなことを考えていたりする。

うちの学校のいいところは、みんなやけに優秀なところ。
それも、全体的に健全な優秀さなのだ。
あまり病んでいないタイプの優等生が多いのにはびっくりする。
素直な欲求と高めな目標、暗黙の良識。
欠点は、いい人過ぎて損をする人が
多そうなところか(……などと、褒めまくってみた)。
でも実際、悪い方へ、暗い方へと気持ちが動いてしまう時に
「こんなこと悩んでる場合じゃない」と焦らせてくれる人が多いのは助かる。
走っても追いつけない人が多いのは確かだが、
そもそも人生は、走って誰かに追いつくためだけにあるものではない。
追いつくんじゃなくて、自分もどっか好きな場所へ向かおうと思えばよい。
どれだけ多くのゲームに勝つかではなくて、
どれだけ多くのものを見付けて好きになれるか、という価値観で
成り立つ世界も多分に存在していた。

その帰りに都会へ寄る。
地元も学校も決して都会ではないのに、帰り道に都会を通る不思議。
でっかいビルは片田舎にもあるにはあるが、
でっかいビルが広範囲に渡り林立しているのが(私にとって)都会だ。
そこで結構長時間うろつき、ようやく目的の資料を探し出す。
ピカピカの建物の中を一人でうろついていると、
落ち着かなくてダッシュで駆け回りたくなる。
でも、今ここで急にダッシュしたらよくないよな(※それは一応理解している)。
それどころか、私くらいのいい歳になったら、
ダッシュという行動じたいがもうだめなのだ。
だから今日は慣れない靴を履いてきて正解だった。
特にあの地下道、曲がり角のたびにすごいものが出てきそうでうずうずする。

帰りの電車で、傘をたくさん持った少女を見かけた。
傘をさして学校に行き、忘れて帰り。
別の傘をさして学校に行き、また忘れて帰り。
……それを繰り返すと、学校に自分の傘が何本も溜まる。
いい加減もって帰ろう、ということになり……
たくさんの傘を持って帰ることになるのだ(経験済み)。
決まって、晴れの日(『荷物』が多くなるから)。
当時は全然気付かなかったが、電車の中でそういう人は珍しい。
ふつう傘はたくさん持って歩かないものだ(売っている人は除く)。
そして、大人はなぜかそれが恥ずかしいのだ(忘れん坊の証だからだろう)。
昔は全然恥ずかしいとも、不格好とも思わなかった。
むしろ武器が多くて心強いと思っていた(帰り道は闘いだ)。

「沈黙してさえいれば普通の人」にも見えるであろう、今の自分。
それが良いのか悪いのかよくわからない。
ただ今の状況は、「見るからに変な奴」ではないだけに、
内部ではよほどのポテンシャルを維持し続けなくてはいけない。
そうでないと変わり者として認定されない。
高いクオリティを保つという目標を前に、怖じ気づいているのかもしれない。
負けるな……負けじと。(……しかし、何の話だ?)


雨量多めの一日
2002年06月20日(木)

出掛けた日に限って、雨量が多めだった。
雨女?……いやいや、嵐を呼ぶ女。
そう表現した方が強そうなので好ましい。

学校へ行ってぐだぐだと本を眺め、
雨が強いのに傘を忘れたので早々に引き上げることに。
傘を購入せざるを得ない。
その時にやたら色を迷い、売り場のお姉さんに不安感を与える。

口は災いの元、というが、私はまさにその言葉を
地でいっているなあと思う。
これからはもう少し、喋る、という手段を削ろう。
その分、動こう(?)。
動き回るぞ。欽ちゃんのように軽快に。

そういえば妹は「欽ちゃん」と言おうとして「銀ちゃん」と発言。
萩本銀一さん。……地方テレビ局で司会をやっていそうだ。


晴れていた一日
2002年06月19日(水)

晴れていたので、絵を描いた。
……相変わらず、天気ともそれほど関係ない暮らしをしている。

周りを気にすれば気にするほど個性の出し惜しみをしてしまう気もするし、
周りをもっともっと狂おしいほど気にしなければ生きてはいけない気もする。
前に誰かが言っていたように、
周りや自分が見えにくくても仕方ない時期なのかもしれないけど。

そもそも私は、どんな表現手法が一番似合うんだろう。
踊りとか音楽とか、いろいろな表現手段が存在しているけれど……
絵に関係することじゃなかったりして。
逆に文章?いやいやいやいや、それは副業だから楽しめるだけだ。
「向いてるんじゃないか」という図に乗った予感は、9割以上は蜃気楼。
職業にしようと考えてみた途端、幻想は砂漠の彼方に消えていく。
くそー、湖だと思ったのによー。という、器用貧乏ゆえの灼熱地獄だ。

現実が砂漠であることに気付いた人のことを、大人というのかもしれない。
子供はまだそれに気付かないか、気付く勇気がない。
              (朝臼新聞コラム・『今日のお言葉』)

そんなようなことを悩みながらじわじわ線を書くもんだから、
どうしても仕事が遅い。何割カットだ?というレベルでしか進まない。
うーんやばい。やばいな。

なんにもやってない、という感じのする日々。
自分の行動を監視カメラで撮ってみたい。
何をしているうちに日が暮れているんだろう?
夢遊病?いや、起きてるぞー起きてる。空白の時間がある。
犬の散歩と夕飯の支度の時間くらいで、あと残りの時間があるはずだ。
忙しい、というわけでもないが、すごく暇だった覚えもない。
記憶があるようでないような、ないようであるような。
部屋着じゃない服を着て靴を履いてどこかに出掛ければ、
こんな気持ちも解消されるんだろうか。

そういうことで、明日は定期を買う。
実は先週切れていた。
そしてそのまま、学校へでも行こうかと思っている。

小さめの旅に出よう、とにかく。多少暑くてもかまわない。


寒めの一日
2002年06月18日(火)

雨。朝から雨。
そして、図書館に行く予定を取りやめた。
昼下がり、サッカーの試合があったらしく家族が一部騒いでいた。
犬が淋しそうなので、雨の中散歩に連れてゆく。
ほとんど人が居ない道。
これって、みんなサッカー見てるんだろうか。
道路で前転しても大丈夫かな。
植え込みにダイブしてもバレないかな。
電柱に上っても怒られないかな。
………と悪事の限りを思いつくが、実行には移さない。

妹が買ってきた忌野清四郎氏の「ガンバレ日本」という曲をかける。
カップリングは「フーリガンがやって来るヤーヤーヤー」。
すごく楽しい曲だ。
 ♪君の村にもやって来る あの娘の県にもやって来る
  みんなの近くにやって来る フーリガンが
フーリガンって、基本的に怖いものだと言われているけれど
彼の声で歌われるとなぜか楽しげに思えてくるから不思議である。
こういうファニーな歌を真面目に録音して発売している大人がいる、
そう思うと、日本もまだまだ面白い国なんだなという気がする。
フツフツと彼のモノマネがしたくなって、少しだけ練習。
やっぱり、喉が痛くなる。

さっきまで小指の関節が痛かったけれど、今は親指の関節が痛い。
「けれど」って、この場合何の逆接なんだ。

バイトをしてみようかと思い、
プロフィールをメール送信したところ、
「熟考の末、採用をお断りすることになりました」
というメールが、二分後に返信されてきた。
熟考してないだろっ、というツッコミをする気力もない。

日本が(サッカーで)負けてしまった、という話を聞いた。
家族のうち、半分は盛り上がって、半分は別に、ふうん、という顔。
私も「ふうん」派の一人。
サッカーを応援できる人って若々しいな、いいなと思う。
サッカーの試合は様子を目で追っていると疲れて頭痛が来るので、
試合そのものはほとんど観ずに人づてに結果を知るのだが、
はぁーと言いながらうなずくばかり。
妙に冷めた、抹茶色のテンションのまま暮らしていたところ
「どうせお前は自分の応援くらいしかしねぇんだろ」と妹が罵ってきた。
完全に男言葉の妹にそう言われ、
「いかにもそうじゃ」と誰が使うのかわからない口調で返す。
自分の応援。そうともさ、がんばれ自分。
昔々「りぼん」で連載されていた少女漫画
『姫ちゃんのリボン』(古い)の主人公・姫ちゃん並みに、セルフ応援。
……しかし、もし私が一人暮らしなんかしていたらどうなるんだろう。
オリンピックもワールドカップも、気付かずに暮らすことだろう。

母親が「負けちゃった……」とつぶやいたので、
そのあとすかさず「おのれに。」と付け加えてやる。
そう、おのれに負けないぜ。(で、結局何が言いたいのやら)

喉が痛いのでちょっと嫌な予感がする。
(おそらく、忌野氏のモノマネをしたせいだろう)
もっと、もっと元気にならなくては。


荷下ろしな一日
2002年06月17日(月)

昨日働きすぎて、家族一同調子がいまいち。
なんという打たれ弱い遺伝子だろう。
私は家族の中でも「変わった奴」というナイスポジションに
君臨しているが、マイナス思考や疲れやすい肉体など、
ダメな部分はわりと似ている気がする。

頭が一日痛いが、気丈にwebで情報収集。
グラフをプリントアウトするも読む気力が余り起こらず、
気分転換にいろいろ創作をはさみながら頑張る。
そろそろ取材というか、行動を起こしていくべき時期だ。

家族が全体的に調子が悪いので、お好み焼きとカルボナーラを作る。
お好み焼きはともかく、カルボナーラはどういうわけか
「洋風卵とじパスタ入り」になってしまった。
食えないわけじゃないけど、これは違う。なんか違う。
どこで何を間違えたのだろう、
どこで二人はすれ違ったのだろう……?
失った恋。自ら選んだ別れ。
あの日の二人はもういない。
       (未来日記・続く)
……やはりなにかが不調だ(この日記は近頃暴走しがちな傾向にある)。
自分一人分しか作らなくて本当に良かった。
フライパン買い換えないとなあ、が口癖になっている。
「じゃあ、今度の私の誕生日プレゼントはフライパンで」
今度といっても2月だからなあ。

犬が大人しい。具合が悪いのだろうか。
昨日は一日掃除機をかけたり、大勢がわーわー動いたりと、
いつもは池に蛙が飛び込んだよ、とかいう俳句を詠みそうなほどの
静けさに包まれている閑静な我が家(そこまでか?)で暮らしている
彼にとっては刺激が強かったのだろう。
母親も同じことを言うが、週末は家の人口密度が増すので疲れる、
月曜日はわしらの休日だがや(ニコチャン大魔王口調)、とのこと。
犬にとってもそれは同じに相違ない。お疲れ。


疲労物質と疲労回復物質
2002年06月16日(日)

今日はエアコンの掃除。それも二台続けて。
意外なほど汚れていて一同軽度のトラウマに。
父の日だというのに父がやたら働く。
この人もくつろぐのが苦手なんかなあ、と思うほど。
ただ彼は健康なのでうらやましい。
くつろぐのが苦手で、プラス病気がちだと大変なのだ。

夕飯の前に働きすぎて、夕飯が食えなくなる程疲労困憊。
倒れるように一眠りして、ようやく食す。

夏がきた。という感じがする。
腕の冷たさと頭の火照りの対照的な感覚。
スポーツドリンクの季節だ。つまり、低体温の季節。
あなどりがたしスポーツドリンクの威力。あれは時々、命を救う。
体温が34℃台に落ちた時も、スポーツドリンクとビタミン剤で復活した。
体にいいっていうけど、スポーツドリンクまずいよね。と
母が言ったのですかさず説教(やな親子だな)。
文句言う余裕があるだけマシなんじゃい!と。
点滴と同じ効果がある飲料を飲まないと楽になれない、
ということはつまり点滴をされるべき体調不良ということ。
おぬしはまだ、核心に触れておらんのじゃ、と。
しかし私は何に触れたんだろう……ちょっと危険な洗礼。

オフサイドってなに、と質問してみたが、
「バスケのルールだと○○でしょ、だけどサッカーは△△で」
みたいなことを急にいわれ、首を傾げる。
バスケのルールなど忘れてしまった。

サッカー、テレビでよくやっているので観てみようかとも思ったが
試合の展開が早すぎてとてもついていけない。
入り乱れて動き回るもんだから、目で追うだけでぐったりしてしまう。
ブラウン管越しにボールを目で追うこともできないのに、
それを実際に走って追いかけている人や、実況している人や、
スタジアムで観ている人がいる。やっぱりすごいのだサッカーは(倒置法)。

野球は用語が多いが、一度ルールを理解すれば
試合がゆっくり進むので、混乱せずにすむ。
だから野球は観ていてもそんなに疲れない。
ちなみに「私はなぜ野球のルールを知ってたのだろう」と記憶を
反芻したところ、いしいひさいち著の「がんばれタブチくん」を
愛読していたから、だった(古いなあ〜…)。
私のような者でも、読むうちにスポーツのルールを覚えてしまう。
漫画もやっぱりすごいのだ。

うちの犬は前から、やたらときゅうりが好きだ。
今日は枝豆も与えてみたら、それも喜んで食べた。
なんなんだ、あいつ。


追いつめられ形式
2002年06月15日(土)

変な夢で目が醒めた。
よく覚えていないが、ものすごく忙しかった気がする。
そんなわけで一日の始まりから疲れていた。

絵を描いては家事、絵を描いては家事。
今日の天気……家事ときどき犬の散歩。
家事手伝い兼イラストレーター見習いのような一日。
そっか、アトリエに籠もるような生活をしているから
いい作品ができるのか。ついつい働いてしまうようじゃダメかいな。
冷蔵庫の整理くらい他の人に任せれば良かった。
犬の絵を一枚描いたがボツり(母が「こんなのうちの子じゃない」と
だだをこねた)、もう一枚描いて納得させる。
わがままなスポンサーを納得させないとプロになれないよ、と
もっともらしいことを言う母だが、どうもわがままの方向性が微妙。

夕方から、とうとうスタミナが切れてくる。
喉が痛いのでのど飴とビタミン剤とうがい薬を用意。
気の利く保健室のような生活になっている。

そういえば、我が輩は猫であるを1ページ目で挫折していたんだった。
読まなきゃ。ああ読まなきゃ。早く。
このままだと人生を、大事な人生を浪費してしまう……(おおげさ)。
そういう想いだけが加速するので、
夏休みの初日のような自己嫌悪が降り積もってゆく。

妹と、夏の想い出といえば何だろう、という話に。
「宿題だね」
「だね」
珍しく意見が一致(こんなところで……)。
縄跳びの宿題に苦しんだことは、永久に忘れない(が今まで忘れていた)。
縄跳びクラブというクラブが、週に一度全校生徒に
変わった飛び方を練習させるというお節介な活動をしていた。
それまで縄跳びに触れずに育った私はさあ大変。
夏休みの宿題の一つに「毎日、縄跳びを百回ずつ跳びましょう」と
いうのがあって、炎天下で毎日跳んでいた。
「そんなの、跳ばなくてもばれないじゃん」
「……いや、全く跳べなかったのよ。一番フツーの前跳びも。」
「前跳びも?(さすがだね)」
「だからさすがに、新学期跳べない状態で学校行ったらやばいと思って。」
「………。」
ちなみに妹が入学した時には、そのクラブは消滅していた。チクショー。

……小学生って、くだらないことをたくさん強要されるよなあ。
勉強が苦手な人は、私にとって「体育が受験科目です」と
言われたようなものなんだなあと思う。
そう考えると世の中って不公平だ。
いろんな特技の人がいていいのよ、って言われている一方で
髪型を考えたりメイクしたり、っていうことに才能がある人は
『校則』があるうちは本領を発揮できなかったりする。
「お前はこれができない、ダメな奴だ」とキツく言われて傷ができて、
痛いから傷口ばかりに意識が集中しちゃって、
視野が狭くなっていく。自分に似合うものを見逃す。悪循環だなー。


スペアのスペア
2002年06月14日(金)

今日は学校へ。
家族以外の人間に会うのがこんな周期でいいのだろうか。
いや良くはない。

胃の具合がいまいちなので、昼ご飯は食べないで帰ってくる。
しかし帰り着くと3時を回っていて、さすがに空腹もピークに。
結構大量に食べてしまう。後悔。

普通じゃないことをしたいというよりは、
誰もやらなかったことをやってみたいと思う。
誰かが歩いた道を、誰かが着たことのあるものと同じつくりの服を着て、
誰かと同じ化粧品を使って……なんてことしかしていないと、
いやいやそれは私じゃなくてもできるだろう。と、
妙な歯がゆさを感じてしまう。
人間は少なからず、そういう面を持っている(変わり者でなくても)。
そうでなければ部屋の模様替えなんてしたがらないだろう。

自分にしかできそうもないことをするから、生きているのだと。
たとえ気付かないところに本体がいて、自分はそのスペアだったにしても
一生それに気付かなければ自分こそオリジナルだと信じていられる。
思いこみでもいいから、つまり思いこめるくらい、珍しく。
みんなそういうことがしたくて、創作に手を染めるのかもしれない。
誰も彼も、誰かに目に留めて欲しいのかもしれない。

………と、そんな果てしない(ようでいて誰かの受け売りのような)ことを
考えたのは、現在考案中のストーリーに関係があるからだった。
私はそんなに人間が好き、という方でもないと思っていたが。
ある時「デザインを学ぶんだったら人間が好きでなくちゃだめ」と
某K氏に言われて「えっ、じゃあ無理だ」と思ったことがあるが、
(そのK氏の違う発言を聞いて「あー私、この専門選んで間違ったかも」と
 思ったことがあるのだが、今はそうも思わない。K氏が間違っていたと
 いうよりは、それはただ見解の一つだっただけだが……)
私のはちょっと変な方向からの「好き」なのかもしれない。


考え事をする
2002年06月13日(木)

胃腸が少しずつ快方へ。
まだまだ用心しつつも、いくぶん普通に食事。

気が付けば6月も半ばにて、考えることがたくさんある。
特に今、すべての計画が企画立案段階を迎えている。
さてどうするかしら、という感じ。エネルギーを食いそう。
こういう考え事をしたいとき、
言い訳かも知れないが自宅にいると
なんだかエネルギーがくぐもってしまって上手くいかない。
どこか、考える場所を探しに行きたいくらい。
考え事の場所として私は電車の中が結構多いが、
小説家が喫茶店で考え事をするのにちょっと憧れる。
自分も喫茶店で考え事をしたい、というよりは、
喫茶店で考え事をしている小説家を見かけてみたい、という種類の憧れ。
考える人ウォッチング。
  「あなた、今考えてましたね」
  「!?……い、いいえ」
  「嘘でしょう。その手元の原稿用紙!」
  「………ばれてしまいましたか」
ああ、そんな尋問、そんな出会いin喫茶店。
カフェ、なんていう呼び方じゃなくてそこはあくまで喫茶店だ。
あと、その喫茶店のマスターは意外な人と知り合いでなくてはいけない。
そこから謎が広がる。犯人がわかる。わかる楽しさ。(?)
ちょっと昭和っぽい歓びが、そこにはある。

最近、普通の人になってゆくようで怖い。
と母親にこぼしたら、
「あんたが普通の人になれるはずがない」と一蹴。
本当にそうだろうか……普通なんじゃないだろうか?
と言うと、
「大丈夫、自覚症状がないところまで行ってるようだから」とのこと。
暖かい応援ありがとう。よくわからないけど。


続・食いしん坊、断食に挑戦!
2002年06月12日(水)

今日は都内某所へ取材。
引き続き胃腸の具合が悪いので、無食。
でも気丈に電車に乗って、乗って乗って乗り換えて。

目的地のオフィス街に着いた頃、ちょうど12時近かった。
ビルというビルから、食事に出掛けるOLやサラリーマン。
そんなありふれた風景が、今日は違って見えた。

用事をあっさりめに済ませ、その辺を散歩。
体調がよくないからあっさり帰ればいいのに、と思いつつ。
こういうあてのない散策がストレス解消の一つでもあるのだ。
特に私は、滅多に行かない都会で散策することが多い。
しょっちゅう行くところでは刺激がないし、
滅多に行かなくても田舎だと、迷った場合帰れなくなる。
その点都会なら、人目も多いし怖くない。
道に迷ったら通行人や店の人に訊けばいいんだし、
体調を崩したらコンビニや薬局で薬を買えるし、
歩き疲れたらバス、タクシーだってある。
地図や案内板も多いし、山手線や地下鉄の駅の間隔は狭い。
今日も、ちょっと歩いたら地下鉄の駅が見えてきた。

カフェで昼食を摂りながらくつろぐサラリーマンを横目に、
帰途につく。ああ腹減った。

電車の中で、戦後の人のことを思う。
みんなもっと空腹だったろうに、その逞しさには感服だ。

家に帰って、トーストを一枚食す。たまに食べるから美味い。

夕飯は味噌汁中心ながら、ある程度食べることができた。
水分多めの食事はそろそろ終るだろう。
少しは痩せてるだろうか?いや全然。


食いしん坊、断食に挑戦!
2002年06月11日(火)

急に胃腸の具合が悪くなり、セミ断食デーとなった。

本日のメニュー
  朝食……アクエリアス
  昼食……スープ
  夕食……味噌汁+卵焼き
  おやつ……アクエリアス

という、ほとんど水分のみの摂取で一日を終えた。
小腹が空くたびにアクエリアスを飲んでいたので、
あの甘じょっぱい味に嫌気がさしつつある。
喉が痛いときにのど飴を二週間舐め続けた時のごとく
同じような化学物質で体が満たされている状態。
たぶん逆に体に悪いだろう。

夕食の時にはだいたい回復してきていて、
いくぶん普通っぽい食事をすることができた。
しかし未だにおっかなびっくり。
根本的に食いしん坊なのでそこはつらいところだ。
この「食いしん坊」という言葉は、そういえばいい言葉。
レトロ感と健康っぽさがあるし、
ただ「食べることが大好きだ」という要素だけで
一つの肩書きが成立してしまう明快さもよい。
暴れん坊とか忘れん坊とか、そういうわかりやすさこそが
最近の日本には足りないのだと思う(?)。

出掛けるはずの予定をキャンセルしてまで休養した一日。
あまり、まともなことが出来なかった。
なんだか一日のうち2〜3割は「腹減った」と思っていた。
明日こそは出掛けよう……。


女将の気分
2002年06月10日(月)

夕べ、ちょうどワールドカップの試合が行われていた頃、
私は一人で火照りと寒気に襲われていた。
火照っていて熱いはずなのに、寒いのだ。
気付くと頭痛が始まっていた。体の節々も痛い。
これはやばい。夏の体調不良が来ている。それもいきなり、団体で。
 『団体様お着きでございます』
 『あらあら、いつもご苦労様です』
 『女将、また来たよ!!』
 『お荷物お持ちしましょう』
あらあら、スリッパの数が足りないわ……。
私体調やばいみたいだよ、と家族に申告しに行こうとすると、
彼らは集まってロシア戦を観ていた。
「これーあと大丈夫かな」
「残り1分だよ、1分!!」

「………」

具合悪いんだ、と言い出せる空気じゃなかった。
だって日本勝ってるんだもん。
水差しちゃだめだよね、うん……。
言い出しづらいまま夜が更けて、体調もやっぱり悪化。
集団の中の孤独ってこういうことだ、と横になりながら思った。
日本で私のことを気にしてる人間がリアルに誰もいなさそうな瞬間だった。
普段から特に注目されているわけでもないのに、国じゅうに無視された気分。

……そんなこんなで今日も体調がいまいちだった。
夢の中で友達数人と会っているのだが、
あまりに頭痛が酷いのでその中の一人に車で送ってもらうことにした。
しかしなぜかその人の地元(O市)の市役所前で下ろしてもらっていて、
そこは私の地元(S市)とは遠く離れた場所だった。
こっから電車で帰るのか、と苦笑い。
妹に携帯で電話をかけるが繋がらない……頭痛いんだよ、早く出ろ!
と、思ったところで目が醒めた。
夢の中と同じ頭痛。
つまり痛みが酷くて起きたということになるんだろうか。

頭痛薬を飲んでから少し良い。
時々、火照りと寒気の二重奏が素敵に襲ってくる。
そんな時は水分を飲みなさい、とくにスポーツドリンク!
高校時代の恩師(保健室の先生)の言葉が甦る。
だから今日もアクエリアスだらけ。
パッケージにはサッカー選手。
スポーツドリンクはスポーツをする人のためだけにあるのではなく、
病人にとっては点滴と似た効果を発揮してくれる薬なのだ。

夏が来るということは致命的。毎年なので大変だ。
それでもそれはべつに大袈裟なことでもなく、
寅さんが失恋するつらさくらいだ。
本人も周りも、そのパターンに慣れてきてる。
しかしあの人、映画の数だけ失恋か。つらいなあ。
でも一番つらいのは桜なような気がする。
お兄ちゃん!どこにいるの、まあ、そんなところに?
お世話になった方にきちんとお礼するのよ。
今だったら携帯電話があるけれど、それがない時代だから
いつ連絡がとれるかわからない。心配は募る一方だ。
………映画としては趣があることだよなあ、それも。

午後からは再起動し、こまごまと動く。
研究の資料を集め、問い合わせをし、
明日からは歩いていって情報を集めようと決意。
そう、決意してしまえば多分今日ほどは崩れまい。

台風が来るかもしれないという。
そいつぁ大変だ。
低気圧にも負けない自分でいなくては。

健康にも気を付けたいプラス痩せたい場合、
どんな食事をすればいいのか悩む。
こういうとき、栄養士っていいなぁと思う。

夜半にかけて少しずつ体調が良くなり、でもまだ油断はできない。
こちらは大浴場になっております。
こちらが男湯、向こうが女湯でございます。
3階のフロアの方、ゲームセンターですので。
食堂は1階ですので、6時にご用意しておきます。
あー団体様、しんどいんだよ。早く帰れよ……。


蹴球日和
2002年06月09日(日)

今日は青空+強すぎる風。
スポーツするには良いかもしれない。
そんな「スポーツ日和」を何日過ごしても、
スポーツとあまり関係なくに暮らしていく人間もいる。

そんなこんなで日本vsロシア戦。
ワールドカップも盛り上がっているらしい。
しかし「日本中が熱狂」等とまとめて欲しくないのは、
それほど熱狂していない人も意外といるんでは、と思う。
たとえばこんな日、野球選手は何をしているんだろう。
多分地味に練習してたりするんではないだろうか。

体調は悪くないが、いまいち何もしない一日。
というか、やばい。家にいると、家事労働で動いてしまう。
それで「今日も一日頑張った、ごはんがうまいっ!」と納得してしまう。
で、夜くらいになって「………?」と疑問を感じる。
何か忘れてるような……。
いやはや、がんばりの方向性はきっちりしたいもんだ。まったく。


レッツゴー俺様
2002年06月08日(土)

朝テレビを観ていたら光浦靖子母娘が出ていた。
メガネを取ったら意外と美人、なんてのは漫画くらいだよ、
実際はメガネを取ってもだいたい本人だよ、と
思っていたが、彼女には当てはまるかもしれない。
メガネかけないで沈黙してたら、普通のお姉さんかも。
そういう私も、沈黙してれば普通の地味学生。

某所で会合。というか密談。
この夏はいろいろ、プロジェクトが忙しくなりそうな予感。
もくろみ、という言葉が似合う。
フッフッフ、色々と仕掛けるぞ!待ってろ人類!
『俺・出動!!〜2002〜』
そんなテンションで夏を過ごせたらいいなあ。

『俺様』って凄い言葉だなあと思う。
俺なのに、『様』付けでうやまっちゃっている。
いつの間にか、自分で自分に気を遣っている。
 ☆一人称占い☆
  自分のことを『俺様』と呼んでしまうあなた。
  そんなあなたは、本当に高慢なわけではなくて
  高圧的な自分を一生懸命キープしている人。
  方向をちょっぴり間違えただけで、
  意外に努力家でけなげなのかもしれません。
  ラッキーアイテム・手鏡
  ラッキーワード・「こんな俺、どう?」

体育会系のもの凄くゴツイ男性が、ハンカチの角まで
きっちりアイロンをかけているような、一筋のしわも許さないような、
一見相反する要素が同居した言葉。意外と、使われてない。

帰り道、ウォークマンを聞きながら歩いている人で、
音楽につられて歌っている人を見た。
つられちゃいけないっていうこともわかっているらしく、
ハッとして口ずさむのをやめたりするんだけど、
しばらくするとまた歌い始めてしまう。
よっぽど好きなんだね、ミスチル。


氷不足
2002年06月07日(金)

今日は学校。いや、そんな特記するほど珍しいことでもないが。

ゼミが少数すぎてびっくりする。
どっかの英会話スクールかよ、と思うくらい個人指導だった。
少人数しかいないのに掃除をする。
少人数で地道に頑張り、
少人数で昼食。
「精神年齢とは」「中学受験とは」みたいな会話で、
というか私は我ながら喋りすぎである……。

聞き上手になれたらいいのに、と思うくらいよく喋る日常。
もっと、人の話を聞くべきだな。
あと、より良い発声法を学びたい。
喋り方をきちんと整えたい。できたらプロに改造して欲しいほど。
鴻上尚史氏の『あなたの魅力を演出するちょっとしたヒント』という
本をふらっと立ち読みした時に、色々と書いてあったのを思い出す。
プレゼンや面接などの対策にもなるし、意思の伝え方の訓練は
生きていく上で必要だなあとぶつぶつ思う。

一般人はあまり持ち歩かないくらい大きなボードを抱えて帰る。
人の少ない時間を選んで正解だった。
電車の中で、駅で、道ばたで、
すれ違ううちのかなり大勢の人に「!?」という顔をされた。
美術館に行こうと思っていたが今日は行かなくて正解だ。
間違って展示しかねない。

それにしても暑い!アイスが食べたいような日差し。
『雪見だいふく』はどの季節の食べ物なんだろうか。
いつが『旬』なんだろうか。
どんなシチュエーションで食べるのが正解の中の正解だろう。
雪見しながら食べた覚えはないんだけど、パッケージは圧倒的に冬だよな?
ホッカイロばりに「あったかいよ」感がある絵だ。
でもなあ……基本的に夏に食べてるよなあ。例外もあるが。
………あーどうでもいい。


小さく元気
2002年06月06日(木)

今日はいくぶん体調が良い。
買い物に出掛けたり掃除したり食事の支度をしたり、
犬の散歩をして犬(自分ちの)に噛まれたり、
町内から出なかったわりに盛りだくさん気味な一日だった。
この程度の忙しさは冬場なら至って普通だが、
6月にもなってこの体調は珍しい。
元気っていいなあ、幸せだなあとつくづく思う。

そんな幸せの中にいながら、
そのことを全然活用してないんじゃないかと不安になる。
体調が悪かった時期は、もしも元気ならあれもできる、
これもできると思っていたが……。
体調はそういう意味での障害にはならなかった。
ただ単に意志の力がなく、行動力が欠如しているに過ぎないらしい。

しかし明日は元気でいられるだろうか?……それもわからない。

夏目漱石の「我が輩は猫である」をちょっとずつ読み始める。
これが一番お勧め、と母に言われたからだ。
そういえば、私はいしいひさいち著の「私は猫である」が大好きだ。
題名が「我が輩は……」のパロディであることは一目瞭然の、
小説家の広岡先生が主人公の4コマ漫画。
『となりの山田くん』もいいが、「猫である」の主人公は
気むずかしい感じがして、考え込み具合が滑稽なので笑える。
人間がひたすら考え込む様というのは確かに滑稽なもんだ。
自分自身をも笑いの対象にしたい。
というか、どうせ考え込むにしても面白く考え込みたい。
ある人は、電車のつり革で懸垂。
ある人は、民族楽器を打ちならしながら軽くサンバを刻みつつ。
ある人は、眉毛を上げたり下げたりして表情筋を鍛えながら。
……そういう方向で頑張るのも、また良し。


ビタミン補給
2002年06月05日(水)

今日は学校で仕事。
2月から始めたこの仕事もとうとう終盤(だと信じているが……)。
集合時間よりも早めに行って、炎天下をカメラ片手にうろうろする。
無人の建物の最上階等、怪しいところに一人で出入りする。
ああいう場所は、わくわくとおそるおそるのブレンド。
殺人現場目撃したりするのかな、という気持ちと、
私が殺されたりしないよな、という恐れ。
色んな意味で汗だくになる。
日焼け止めをきっちり塗るのは忘れても、
スポーツドリンクで水分&ビタミンを補給することだけは忘れない。

その後現れた編集長に、「ノートPCは持ち歩かなきゃ
宝の持ち腐れだよ」と言われる。確かに。
携帯電話を家に置きっぱなしのようなもんなのだ。

帰りの満員電車の中で、ずっと「○○学園……」と、
某有名校の名をつぶやいている人がいた。
何があったのかわからないが、ツッコみづらい行動だ。

体力を付けたい一心で、エレベーターやエスカレーターに
頼らないようにしている。夕べは少しだけ風邪を引く兆しがあり、
急いでうがい薬でうがいをし、ビタミン剤を飲んで寝た。
我ながら保健室だよりのモデルケースのような人間だ。

TVで、今年の新作水着はどうだとかいう話題が出た。
はやさん「水着ねえ……水着なんて、なんのために着るんだか」
母「泳ぐためでしょ?」
はやさん「あ、そうか。」
自分の行動の中に泳ぐという選択肢がなくなって久しいうえに、
最近は泳ぐ以外の理由で着てる人(グラビアアイドル)ばかり
見かけているのだ。いや、見たくて見かけているんではなく、
電車の中吊りの雑誌広告に彼女たちはいる。
世間が冬でも水着を着ていたりして、寒そうだなあと思う。
あれはあれで大変なお仕事なのだろう。

今日あたり、夏目漱石をそろそろ読もう。
余計暗い気持ちになるかもよ、と母が言う。
確かに、高校の教科書で読んだ「こころ」は見ていてもどかしかった。
高校の現文の教科書は、なんだか後味の悪い話が多かったような気がする。
源氏物語なんてもしも光源氏みたいな男が身近にいたら
肘でつつきながらスリッパで叩いてやりたいと思ったりしたし、
舞姫はやりきれないものですねとお茶を飲みたくなった。
物語に「どうあるべき」という規律はないし、
読んだ作品に反感を覚えることも、物事を考えるきっかけになるから
良いことだも思うが。
梶井基次郎の檸檬などは変なところだが共感できた。
わかるなあ、本屋に檸檬を置く気持ち。
整然とした抜け目ない場所ほど、自分の手でそっと乱したくなる。
そういえば大学入試で、檸檬が出たっけ……美味しかったな。


健康になるために
2002年06月04日(火)

虫歯予防デー、ということで盛り上がっている人は見かけなかった。
世間はワールドカップ一食。じゃなくて一色だ。
試合放送中に犬の散歩に出掛けたところ、
人がほとんど歩いていなかった。

一方私は、いかに体脂肪を燃やすかについて具体案を考える。
我ながらサッカーと無関係だ。
巣鴨の町も、今日はワールドカップよりも
“4”の付く日だということで盛り上がっているらしい。
納豆・豆腐など、大豆製品で蛋白質をしっかり摂り、
ヨーグルト・蜂蜜・アロエをおやつにすればいい。お菓子は食べない。
野菜は、少量で満腹感を得やすいサラダで食べようか。
飲み物は烏龍茶か緑茶あたり。
駅前の薬局に「燃やしつくしたいものがある」という
貼り紙があった。脂肪のことだそうだが……燃やすのはいいが、
燃やし「つくす」のはまずいんじゃなかろうか。まあ切実さの表れだろう。
五月はずっと体調が悪かったので運動不足だったため、
今月あたりたくさん歩いた方がいい気がしている。
駅と駅の間がせまいところはなるべく歩いてみるか。
特に山手線、駅の数が多すぎるだろう。
車内の空気が悪いから入れ替えるためなのか、という気もするくらい。
上野-御徒町間、新宿-代々木間などはびっくりするほど近かった。
あの程度ならちょうど良いかもしれない。
ただ落とし穴として、食べ物屋に入ってしまうと
一瞬にしてカロリーオーバー&金欠に陥る危険性がある。
だから都会は怖い(その点、関東の田舎は民家と水田が主なので
安心だ。空腹のあまり果物を盗むという可能性すら低い)。

「ほぼ日刊イトイ新聞」というサイトのメルマガを読んでみる。
更新の早いサイトなので、最近登録したばかりのメルマガもよく来る。
ちょっとおもしろげな暇つぶしとして良いもんだ。
最近押すのを忘れていた頭のツボを刺激してくれる気がする。
やっぱり、モニター上の文字だと結構読めるんだな。

半ば脅迫するように数日前から机上に置いてある夏目漱石の本を、
開いて読んでみようかな、と今日はかなり何回も思った。
でも今のところまだ開いていない。微妙に、息苦しい。

基礎的な問題は体力だ。健全な魂は健全な肉体に宿る。
今は打たれ弱い魂が打たれ弱い肉体に宿っている状態なので、
それこそ滝に打たれるくらいのことをした方がいいかもしれない。
いいなあ、滝。マイナスイオンも大量発生するというし。


Mg=メガグラム
2002年06月03日(月)

今日は半日仕事。
予想外にやることがあるらしく、
編集長と精神的にてんやわんやだった。
途方に暮れる夕暮れ。

そんな頭脳労働のおかげで肩が凝って腹が減ったため、
食堂で\240ほどの軽夕飯を食べる。
食べながら、メニューの7割が炭水化物であることにはっと気付く。

近頃こっそりと、栄養が偏っている。
変な時間にチョコレートを食べたり、
余ったからといって3食続けてカレーだったり、
腐るのが心配で牛乳ばかり飲んでしまったり。
物が腐りやすい季節を迎え、その傾向はますます酷くなる見込みだ。

栄養は不敵なエキストラのようなもので、
いるいる、稽古場の片隅にたくさん群れてるよー、と
団長に思わせておきながら、
油断すると一人、また一人と気付かれずに居なくなり、
出番になると誰もいなかったりする(たぶんバイトか何かだ)。
それは、………多分エキストラって言わないな。
とにかく栄養素は影の方にいて、存在感がない。
ほらごらん、今わたしはあなたの血液中で、
スポットライトを浴びながら華麗にロンドを踊っているの、などとは
自己主張してこない。そいつは栄養素ではなく赤血球だ(色があるから)。
少しくらい居なくなっても誰も気付かないけど、
どんどん舞台が痩せていく。
そしてカーテンコールの時にさあ全員出てこいと言われるのだが、
その時にはいないとおかしいのである。
客側としても「こんなに大勢の人が関わっていたんだ、
だからでかいホールで演ったのね、納得」という
充足感が得られないのだ。
なんだか舞台がだめっぽいので、怒った客がみかんを投げる。

はっはっは、次はみかんジュースを投げてやる。
やめてください、舞台を荒らすのは!
やめろだと?てめぇ、誰の金で成功したと思ってるんだ
あっ!やめてください、警察を呼びますよ!
………そんなやりとりが目に浮かぶ。
なんのことか私にもさっぱりわからないが、
マグネシウムだとか亜鉛だとか、
摂ったら体に悪そうなイメージのもんまで体に必要だったりする。
足りないとだめなものは結構あるもんだなあと思う。
意識したことはそれほどないのに。
よくみんな、どうにか生きているもんだ。
人体は教科書に載っている以上にタフなつくりなのかもしれない。


奏者
2002年06月02日(日)

10年以上付き合いのある友達の学校の文化祭へ。
違う友達と二人で遊びに行き、暑い暑いと言いながら
露店で野菜類(米も)を買いまくる。
暑い上に荷物が重い、そんな中でも
結構美味い物を食べたりしながら時は過ぎる。
でも人が一杯で暑い場所は苦手だったので、疲労は予想以上に蓄積した。
今度またお茶でも飲みつつゆっくり話そうぜー、と言って別れた、

だいたいそんな日だったが、
その中で変わった買い物をした。
カリンバというタンザニアの民族楽器。
金属の棒が10本ほど付けられた木製の板で、
その棒を爪ではじいて音を出す、オルゴールのようなもの。
大きいものはそれなりの値段だったが、
手のひらよりも小さいものは¥700。
はや「……」
友達「へー、楽器も売ってるんだ」
はや「……これ、買う。」
友達「えっ(まじで?)」
と、一瞬驚いた雰囲気になったが、
さすが彼女も古くからの友達だから、(ああ、はやさんなら
買うかもな、むしろはやさんみたいな人のために売ってたのかも)と
すぐに合点したようだった。

その楽器、金属の棒の長さで音階が決まるわけだが、
いくつか売られているものを弾き比べてみると
どれも音階がでたらめで個体ごとに音の出方がバラバラだ。
手作りだし、特にこのサイズで作れという規格がないのかもしれない。

一つの楽器で音が十種類しかだせないというのは原始的だ。
それもドレミファではなく、半音がまじったりして
いわゆる「美しい」音階ではない。すごく打楽器に近い。
ピアノのような整然とした音を構成するより
ノリで音を出してはなんとなく楽しむ、というのが
カリンバの正しい使い方だそう。
楽器=演奏の道具、と無意識に思い込んでいたので
その出会いは小さな衝撃だった。
こういう音楽も確かにありなんだよな、と。
むしろ原点だったのかもしれない。

各個体を弾き比べ、一番音の澄んだ(と思いこんだ)ものを購入。
帰って妹に見せたら大笑いだった。
「お前、うける」と。確かに、手のひらサイズのカリンバを
のぞき込むように弾いているとなんとなく切ない。
弾くときの親指の動き方はまさしく
ゲームのコントローラーをいじる時のそれと似ていた。
ゲームボーイやってるのかな、と思いきや民族楽器。
……それ、ちょっといいなあ。シュールな光景。

高校の友達で、ことあるごとにハーモニカを吹いていた人物が居た。
ここぞ!という時(?)にスッとポケットからハーモニカを取り出し、
みんなに驚かれても吹き続ける姿を見て、
音楽ってすてきだ…!!といつも思っていた。
…今度は、私の番だ。(えっ)


怖い話は怖いから
2002年06月01日(土)

ふっと、朝早めに自然と目が醒めた。
朝方の生活に戻れるのだろうか?……わからないが、
なるべくそうしないとキツイ。
家と学校が離れているというのも良いのか悪いのか。

FLASHと格闘。
レッスンというやつをじっくり見るがいまいち。
何がいまいちかわからないが、いまいち。
FLASHを学べるサイトとかないかなーなどとwebをうろつく。

なるべくソフトを扱えないといけないことに気が付いた。
いや気が付いてはいたのだが、最近それに実感が伴った。
実感、というのは大切だ。
自分が経験していないこと、直面していない問題について
ひととおり理解することはできても、実感・共感ということは得難い。
実感することを重視するあまり、最近描いた話の主人公が
自分に近い感覚の持ち主になってきてしまったのには困ったが。

そういえば私は、創作で人の死を扱うことがほとんどない。
物騒な話がひとつもない。
それは単に平和好きということではなく、なんとなく嫌だからだ。
「創作したことがもしも本当にあったとしたら」と考えてしまう。

本当に気のせいか?と疑うようなことが多いせいかもしれない。
以前、ある話にビルが爆破されるシーンを出そうと考えた。
すると一週間ほど経って、ニューヨークのビルが爆発する映像が
世界に流れた。同時多発テロだった。
公表予定のないものとはいえ不謹慎に思えたので、その話自体を没にした。
高校時代描いていた話で、主人公に風邪を引かせた。
熱は38.4℃。
すると数日後、自分もそっくりな症状の風邪を引いた。
熱は38.3℃。
あっ、…惜しい(?)
後も、ナイフで腹を刺される場面を描いた翌月に
原因不明の酷い腹痛で病院に行ったりした。
なんだか嫌なタイミングだった。

後の二つは心身相関というやつかもしれないが、
最初の事件は事態が事態だけに哀しい気持ちになった。
(※何も創作してなかったとしても哀しいことだ)
世界が大変なことになってるのに、わたしゃなんでフィクションに
精を出してるんじゃ、という気分になったりした。

だからよく人が死ぬ漫画などを読んでいると、
この人度胸あるなあ、などと思ってしまう。
(そりゃいちいち怯えているとは思えんが)
みんな何の気なしに人が死ぬシーンを見たり、
創作したりするのだろうが、
私には今のところ、闇を扱う用意はないなあ。
そのかわりというか、違う方向で奇想天外でありたい。
いぶし銀の美容院とか。