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ワールドカップ開幕
2002年05月31日(金)

今日は学校。
最近、一週間に一度くらいしか学校に行っていない気がする。
そして、たまに行っては用事を一括して済ませている気もする。
そんなにまとめていてはきっと良くない。
寝だめ食いだめは良くない、続けることが健康!

ゼミが早く終ったのでみんなで昼飯を食う。
やけに発育が早めな赤ちゃんの話を聞いたり、
料理(結構大量)を半分ずつ食べる女性二人が微笑ましかったり、
怪しい病気(?)が流行したりした。

そして用事で色々駆けめぐり、夕方から夜にかけて家路につく。

いっぺんに用事が押し寄せてきて、忙しい。
そんなところにワールドカップかよ。
いや別に自分には関係ないさ。
……しかし、よくよく考えたら市内で試合がある。
駅によってはパニックになるらしい……いや
混雑はともかく、少なくとも無事に終わってくれたら幸いと思う。
世界中のエネルギーを大きく動かしてしまう、
スポーツのパワーはやっぱりすげぇね、と詠嘆。

本のパワーもすごい。
J.K.ローリング(ハリーポッターの著者)のドキュメンタリーを観つつ。
彼女の生き方や作品に対する想いの深さから、
果ては作品の社会的影響力まで。
紙から生まれたものがこれほどまでにエネルギーを持ち得るとは。

子供向けのもので流行するものは、奥が深い気がする。
ポケモンだって藤子不二夫作品だってアンパンマンだって、
少なくとも大人の間でしか流行らないエンターテインメントより
成熟した価値観をもって創られている気がする。
事実、一から創れと言われたら子供向けの作品が一番難しい。

とにかく連中には過去というものがほとんどなく、
参考にできるデータがないから戦いづらい。
あらゆる経験を積んで高みにいる人こそ、
足場をねらえば崩れやすくなってしまう脆さがある。
初めから寝そべっている奴を転ばすことがほぼ不可能なのと同じで、
彼らは小手先の技に惑わされることがはるかに少ないと思う。
はだかの王様じゃないが、本質を見る目があるのだろう。

そういえばハリーポッター、
結構前にうちの妹が買っていたが、今どこにあるんだろう?
相変わらず情報収集に関して貪欲さに欠けている。
名作読まず。名曲聴かず。名画観ず。
……私には作品を語る資格も作る資格もないな、と思う理由三拍子。


もしもシリーズ美容院編
2002年05月30日(木)

FLASHを使えるようになろう。と、また思った。
ここ一年くらい、月に一回は思ってきたこと。
が、思っているだけで未だに使えない。
そんな日々にLet's Say good-bye、とばかりに一念発起し。
これ以上ぐだぐだしていたらストレスが溜まってきそうである。

卒研でやろうとしていた内容を、
すでに先にやられていることに気付く。
それも気付いたのは、美容院で。
読んでいた雑誌の記事に関連があったのである。
……ただでさえこぎれいな場所に慣れていない上に
そんな発見まで加わってしまい、
一歩間違えば手頃な呪文でも口ずさみかねないほど動揺した。
沸きあがる衝動というのは、大半は抑えるためにあるのだ。

妹と、美容師さんて大変だねえと話す。
その一番の理由はその技術でもセンスでも立ち仕事の疲労でもなく、
「静かに振る舞わなきゃいけないんだ」ということ。
二時間に一回くらい、歌い出したくならないんだろうか。
ああいうパターンが決まっている場所は、ムズムズするもんだ。
昔のドリフのコントで「もし、こんな威勢のいい銭湯があったら」とかいう
もしもシリーズがあったが、その気持ちがよくわかる。

もしどこかに、いぶし銀の美容室があったなら。
頑固で取材拒否。都内の国道沿いなどにひっそりと存在し、
営業時間以外はのれん(!)を出しておらず、一見普通の民家だ。
店長じゃなくて、親方がいる。
毎朝4時に起きて、仕込み(※スタイリング剤の)にかかる。
洗髪するとき「かゆい所はございませんか」とかは聞かずに、セルフ。
むしろ洗髪じたいがセルフの場合もある(自主自律の精神)。
漆塗りの椅子(?)の横には雑誌が置いてあるはずもなく、
松尾芭蕉句集といった、機会がなければ読まなそうなセレクトになっている。
店のBGMは7割が演歌、2割が親方の自作曲で、1割が地元の民謡。
日本の心にどっぷりと浸かりながら、最低でもひと味は違う髪型に。
(ちなみに、髪型の選択権は親方にある。)

……いかん、またおかしいわい。
でも、そんな自分にふと気付く、こういう瞬間もまたいいものだ(?)。


また定番の考察
2002年05月29日(水)

そんなこんなで(?)学校へ。

帰る途中に、太った方を見かけた。
それも、立て続けに何人も。
不思議なくらい、同じ電車に乗る人のうち太めの方の率が高い。

昼飯を食べてから帰ろうと思っていたが、
それをやめたのはそんな理由からだ。

コミュニケーション不足とはなんぞやという話になって、
そういや最近学校で(比較的)そんなに喋ってないな、
そんなに親しい人に会わないからかなあ、というと
親が血相を変えて心配してきた。
あんた、いろんな情報足りないんじゃないの。
時代に乗り遅れるんじゃないの。
また一人だけ浮いてるんじゃないの。
……そんなことを憂えたところで、なにを今更(はっはっはっ)。
わりと何年も生きてきた中で、そんなことはよくあることだ。
どうも上手く説明しがたいことではあるが、
ある程度距離を保ったままの人間関係の方が落ち着く、という場合も
往々にしてあるということだけだ。
よそよそしい、といってマイナスにばかり取るべからず。
誰とでも親しげに振る舞う人は、逆に本心が見えにくいではないか。

それに人と話して情報を取り入れるのは良いが、
相手がなまじ優秀だったりすると凹む確率が高い。
凹んでもなかなか平常心を取り戻せない夏場は、
人と気軽に接触しない方が本当は楽かもしれない。
でもまあ、それは損なのであまり気にせず暮らそうとは思うが。

別に人間が嫌いというわけではないらしい。
私は多分、工業製品そのものを本気で愛でることはできない。
そういうモノを本気で大事に思っているであろう人は他にたくさんいる。
生き物のように活動するもの、つまりキャラクターか何かの方が
興味を持つことが(今のところ)できている。
生きている感じのしないものには、多分そこまで必死になれない。
きっと壊れてもあまり哀しくならないだろう。
それがもし壊れた時に哀しくなるかどうか、というのは
重要度を測る上で意外に有効な基準な気がする。
そのジャンル、その作品、その要素への思い入れの強さが
後々振り返った時に大きな意味を持ってくるんだろうと思った。
今は精一杯、思い入れを持てるものを探さないといけない気がする。
それで映画を観なきゃ、音楽聴かなきゃ、本を読まなきゃと
ノイローゼになるほど思うのだ(面白いくらいの本末転倒)。

思い入れ。
「腹減った」という今の気持ち(いやむしろ腹持ち)を含めると、
思い入れがあるのは「金・飯・寝る・あとできればお絵描き」くらい。

……なるほど消去法だったのか、絵さえも(笑)
金と飯と睡眠を得るためにお絵描きをする。
困りごとのほとんどを、その公式で解決するのがいいのかもしれぬ。
チャートは単純なほど良いと思う。すがすがしい。

ということで、
某社から「落ちたよ」という一通の手紙が届いたことから
発展していろいろと考えたりした一日だった。
落ち込みそうなので妹と話す。
「ねえねえお母さん」と、最近喋り方が三瓶に似てきた妹。
なんか知らんけどメールを打つとき「〜けど」を全部「ケド」にする妹。
……こんな奴でも普通に生きている、それだけで勇気が湧くのだ。
まじめに生きちゃあ馬鹿を見るんかな〜あ。
それ以前に、私はまじめだったんだな〜あ…。
もう何が基準なんだか。世界は広い。


いくぶん前進
2002年05月28日(火)

今朝の自分への朗報。
風邪が治った。
と、いう気がした。ということは多分治ったのだ。
頭痛もしないし喉もさほど苦しくない。
約半月ぶりに、『まったく健康』という気がした。

やることを紙に書き出す。
こんなに忙しかったんだ、ということが視覚的に見えてきて
ああこれは頑張ろう、とやっと思うことができた。
至って普通のつもりでも、これまで放心状態で暮らしていたらしい。
元気な色の手帳を選んで良かった。

丁寧な言葉でメールを書く。疲れるが仕方ない。
PCに向かってみて、久々に開くファイルをいじったり、
アップブロードしてみたりする。
……今まで何故凍結していたのかわからない作業の多いこと。

明日は学校。旅路が長いので、
天気が荒れなければいいなあと思う。
それにしても近頃の天気は何だ。
晴れたと思えば雷って、意外性かよ。
そういえばさまぁ〜ずの三村氏は
中継で空が映った直後にカメラに向かって
「晴れかよ!」と言ったそうだ。
ツッコむ対象が気象状況って、よく考えると斬新だ。
抹茶を楽しむ和洋折衷カフェとか、
三味線でロックバンドとセッションとか、
元からあったものを新たにアレンジする人が増えてきているが、
彼も多分そういう一人なのだろう。

この日記を読み返すと、さまぁ〜ずがネタに
なっていることが多いことに気付く。
面白発言が多い人たちなだけに、わりと好きかも知れない。

――好き、かもしれない。
そのことに、ようやく気付いた。
これって……恋?
           ―――続く―――

……えーっと、また暴走だぜ。
少女漫画かよ。
それにしても少女漫画は話のパターンが結構似てくる気がする。
それが必ずしも悪いわけではないけれど、
必死な歌でも書いたように、テーマが恋愛に偏りすぎなようにも思う。
そんなことをテーマに創作する人はもう結構大勢いるので、
貯金とか近所付き合いとか意地の張り合いとか、
地味だけど奇抜なテーマで話を描いてみたらいいんじゃないか。
誰が描くんやねん、というのもあるが(ここで私が登場?)。


活字恐怖症のリハビリ
2002年05月27日(月)

私の部屋には本棚がある。
なかなか大きい、古い本棚。今日はそれを開けてみた。
中には「日本の文学」というハードカバーが数十冊入っている。
他にも大量に古い本が入っていて、
私のものではなく家族の誰かのものである。
しかしどれもこれも、本。本。本だ。
たぶん中にはぎっしりと、どのページにも文字がある。
絵なんてほとんど無いんだろう(あ、隅の方に画集もあった…)。
ほとんどのページに文字が書かれた本が、
この部屋の本棚に数十冊、いやそれ以上存在している!!
その合計の文字数はいくらだろう?
……と思うだけで発狂しそうになったりしたが、
今日は勇気を持ってそれに立ち向かった。

たぶん私は、本当は活字恐怖症ではない。
電車の中吊りやwebページなら長時間見ていられる。
新聞・パンフレットなどはまだいい。
一番嫌悪感があるのは雑誌や、漫画・小説の単行本など。
本棚に並ぶ感じのものが特に苦手らしい。
そういえばうちの妹はチーズ嫌いだが、
粉チーズは好きだという。
彼女も本当はチーズ嫌いではないのだ。
(姉妹そろって微妙。)

中から夏目漱石を取り出す。
「坊ちゃん」「こころ」くらいは教科書で読んだ。
そういえば、国語の教科書を読むのは大好きだった。
国語のテストも、読解問題が面白くて(数学よりは)好きだった。
文章を読むことは、基本的に好きなんだと思う。
…なのに小説の本となるとすぐに飽きる。
どの要素が嫌なんだろう?
堅さ?厚さ?重さ?臭い?
……教科書はよくて単行本はダメとは、まるで
成績に関係ないことに興味が持てないみたいで切ない現象だ。

本を数冊取りだした。
さーて読んでみるか、と思ったが挫折。
一ページ目がどうしてか開けない。
その時点で、モチベーションが尽きた。
本だ、と思うだけでぐったりしてしまう。
それでも、よく頑張った方だ。
私の机の上には、ハードカバーの本が数冊置いてある。
置いてあるだけだが、それでも立派だ。今日の成果だ。

水が怖い子供が、プールのへりに座ってみた。
それだけでもえらいじゃないか、という次元。
はやくバタ足が出来るようになりたい。


調べ者
2002年05月26日(日)

キーワードを変えて検索、
出たものを覗いてはBACK、
出たものを覗いてはBACK、
出たものを覗いてはBACK、
次の20件へ、をクリック、
出たものを覗いてはBACK、
出たものを覗いてはBACK、
出たものを覗いてはBACK。
またキーワードを変えて検索、
出たものを覗いてはBACK、
出たものを覗いてはBACK、
出たものを……

あーもうっ、となってやめてしまう。

インターネットでの調べものというのも、
ラクじゃん、早いじゃん、とか言うけれど
それはそれで不毛な感じである。
ササッと済むイメージがあるから、
「こんなことで手間取ってしまった」という気分にもなるし、
それ以前に「ずいぶん調べたなー」という実感がいまいち湧かない。

高齢者の福祉における携帯端末の利用、とかいうことについて
しばらく調べる。
喉が少しずつ治りつつもまだ本調子でなく、胃がどうにも「?」という具合。
CARTOON HEROSを聴きながら作業をするも、
音がうるさいなーと思ったのでenyaに切り替える。
いきなり嫌死刑、もとい癒し系。(なんというダークな変換……)
しかし癒し系ってなんなんだろう。
三瓶は、癒しと不気味の賛否両論のような気がする。
「おすぎとピーコ」も、癒しと不気味のボーダーライン上な気がする。
怖いんだけど、なごむと言われればそんな気もする方々。
どーも君も、「癒し」説と「ちょっと怖い」説がある。
たれぱんだもそうだ。……そういう微妙なトレンドなんだろうか。

世界史好きの人はすげぇなー、と久々に昔の資料集を見て思う。
歴史が出来る人は本当に凄いと思う。
「暗記すりゃいいじゃん」と言われたが、いやいやそれは。
暗記だって、みんな知らず知らずのうちに体系立てて覚えているはずだ。
暗記という作業自体にもきっと得手不得手があるだろうし、
慣れ不慣れだってあるだろう。

暗記には純粋な心が必要だと思う。
小学生の頃は純粋だったから、
「この歌を覚えない人は、帰らせません」と先生に言われ、
修学旅行先でみんな必死にその歌(3番まで)を暗記したりした。
…恐らく宿を取っていないから結局帰ることになるじゃねえか、
ということに学年で誰も気付かない。純粋だった。

歴史が好きな人も、多分純粋な心を持っている。
本人が否定したところで多分どこかに持っているのだろう。
いや「好き」なものがある人はわりとなんでもそうなのかもしれない。
純粋に好き、という部分があるから
徹夜をしてでも本を読んでしまったりする。
そういう破天荒な勢いっていいなあと思う。
熱中できる趣味っていいもんだ…。

……あ、調べものしなくてはいかんな。
研究に熱中し過ぎて戦争があったことに気付かなかった科学者の
ように、打ち込めたらいいのだけど。


What we do is what you just can't do
2002年05月25日(土)

喉は少しずつ良くなりつつも、胃痛。
空は午前中晴れていたが、夕方雷雨。
「○○だが、○○」。逆接という接続詞じたいは好きだ。

そういえば今日は歌の歌詞にすこぶる共感したが、数秒後に苦笑も。
AQUAの「CARTOON HEROS」という曲を聴いた。
生きかえるん♪という生茶のCMに使われている曲だが、
「元気な曲が聴きたい」という理由で購入した。

普通はこの曲は「愉快そう」「元気」とかいう感想を持たれるのだろうが、
日本語訳の歌詞を読んだところ、私はちらっと感動を覚えてしまった。
なにしろこの曲は、『架空のキャラクターたちの歌』。
私もしょっちゅう(最近そうでもないな)生み出す者として、
「そうそう、そういうもんだよ!」と妙に共感してしまった。
これだからキャラクター作りやめられないんだよ、と思う時の
加速する気分が楽しげに表現されている。
今までフィクションのパワーをテーマにした歌を
聴いたことがなかったので、すごく新鮮だった。

これだけ歌詞に共感を覚えたのは、ウルフルズの「借金大王」以来だ。
……と思い、
 「あ、わしの執着って『金とキャラクター』なんだな…」
という事実に今頃気付く。
金と仮想現実のために生きている……(大笑)
我ながら、ものすごい寂しい人生みたいじゃないか、と苦笑い。
もっと人間に興味を持つべき。……と、何年か前から思ってはいるが。
人のぬくもりを探しに、小さな旅にでも出た方がいいタイプだろう。
いや小さな旅でなくて、むしろウルルン滞在記くらいの規模がいいな。
クイズとか挟みつつ、最後は涙の別れが……。

「○○島の狩猟民族・○○族に はやさんが 出会った……」(by下條アトム)


行動していた一日
2002年05月24日(金)

昨日一昨日その前に比べて動き回った一日。
学校に行き、写真を撮りながら散歩し(一応業務)、
帰りに買い物をし、さらに電車が止まっていたので
遠回りして帰り、地元の駅前で夕飯の買い物をし。
一人でぐつぐつゆだっているよりは、
出掛けて良かった、と毎回思う。(なのに出不精なんだよなあ。)

朝は声が出なくて、卒研の内容を無声音で説明していたが
M氏に頂いた葛湯で復活を遂げた。
珍しいものだそうで、すごく良く効いた。
少しヘンな声だが有声音で喋れるようになった。
しかしゼミの最中に鍋がぐつぐついっていたりする、
ちょっと不思議な研究室だ。
なぜだか病人が多い、ちょっと不安な研究室でもある。

ここのところ風邪が流行っている。
今日会った人のうち3割は風邪を引いていたような気がする。
もし、私が今日会った人が100人の村だとしたら、
33人は風邪を引いています。そんな感じ。

このなんでも100人の村にたとえるやり方は面白い。
本家は「全世界」というマクロなものを
100人に落としこんで分かり易くしていたわけだが、
私は逆を提案してみる。
ミクロを(わざわざ)100人の村にするのだ。
たとえばアイドルなら、
『ミニモニが100人の村だったら、25人が加護亜依です』
料理の感想なら、
『このカレーライスが100人の村だったら、16人ぐらいの辛さだね』
もっと医学的に、
『今の体調が100人の村だったら、65人は眠く、15人は頭痛です』
怒りの気持ちを表して、
『私が100人の村だったら、84人は百姓一揆だよ』
プロポーズの台詞は、
『俺がもし100人の村だったら、全員で君を愛してる』

……またおかしなことになってきたので、もうやめよう。


好奇心分泌不足
2002年05月23日(木)

早起きし、小さな用事で何回か近所まで出かけ、
犬の散歩をし、……といったリハビリ的一日。
明日は学校。
果たして、辿り着けるのか?
挑戦が始まる……とまでは行かないが、少し不安。
体調を長期間崩して、その後が肝心だ。
自律神経が乱れないように、計画をみっちり立てて
やりたいことをやり逃さないようにしたいものだ。

一番の問題はなんだろうと考えると、
好きになれることが少な過ぎることだと思う。
創作物に説得力と深みを出すためには、
人間としての厚みを増やさねばならないだろう。
とにかく新しいものに出会うことが大事だよなあ、と
思って普段買わない雑誌を買ったりもしたが、
ほとんど読まないで山積みにされている。

常に新しいものに好奇心を抱かないと、精神年齢が
腐敗していく、とテレビで言っていてなるほどと思う。
もう少し大らかな気持ちになった方がいいということだろう。
漫画だって、面白いものがないとも限らない。
本だって、影響を受けるものがないとも限らない。
音楽だって、心地よいものがないとも限らない。
映画だって、楽しめないとも限らない。
スポーツだって………………いや、これはないか。
うーん、でもひょっとして数年後、ものすごい夢中になっているの
かもしれない……だろうか?……それはさすがに無理かな。

スポーツ観戦なんかも健康にいいことらしいが、
野球もサッカーも凄いもんだと思う。
チケットを買って、その会場に行って、熱気の中応援する。それも大勢。
恐ろしいくらいのエネルギーなのだろう。
今月末くらいからワールドカップが始まるが、
「何もそこまで」と思ってしまうくらい熱狂している。
何日か前に日本代表が決まった、と言って家族が騒いでいたが、
ようやくそこで「日本も出るのか」ということを知った。
場所を貸すだけかと思っていたが、そうか出るのか…。

スポーツのどういう所が面白いのか今の私には実感できないが、
とにかくそういう世界があって、みんな必死だという事実は
受け止めておくことにした。
そういうことにいつか共感できるようになるなら、
人生観を変えられそうだ。


自由ユーザー
2002年05月22日(水)

今朝は寝坊して説明会をキャンセル。
そんなに眠い理由はやはり薬を替えたせいだと思われる。
なにしろその薬が切れた、とおぼしき時間帯からは
シャッキリとレタスのように目が醒めて、
黙々と絵なんぞ描いていたのだから。

明後日は学校。
その前に……何をしよう?
風邪を治せ、と。(完結)

……あとは、そうだ、早起きしよう。
学校に行くための体力を養うのだ。
最近、バイトでも始めてはと思う。
就職活動を半ば諦めた以上、生活のリズムをきちんと戻して
いい感じに忙しい生活をしていないと……
休むばかりでは体力が衰え、社会復帰できなくなる(誇張気味表現)。
いやもちろん、今だって本当は忙しいのだ。
卒研、というものもあり(大問題)
院試、なんていうものもあり(やっぱり大問題)。
ただなんだろう……うーむ、生活のバランスがとれない。

小学校から去年まで、それこそ十年以上の歳月、
与えられた努力をこなすことに慣れすぎていたのかもしれない。
アサガオを観察しろの、縄跳びを百回跳べの、
その延長でずーっと頑張っていたと言える。
と、これからは何をするか、だ。
多分、こういう状況に慣れていないのだ。
夏休みの自由研究の不自由さと同じような息苦しさがある。
そりゃそうだ、他の宿題はがんじがらめに縛っておいて
急に自由に研究しろと言われたって、そりゃみんな混乱するさ、
自由を使いこなす教育がされとらんのよ、とか今だから思うが仕方ない。

♪時間は欲しいけど〜
 いざ自由って言われると〜
 何していいかわからない〜
 命令されたい縛られた〜い
 自由が苦手な
 せつなーい人間
      (小林賢太郎戯曲集より)

自分で自分に課題を与え、
自分で自分を監督することがいかに困難か。
それが難しいから学校に行って不自由を得る必要があるのだと思った。
怠けても叱られない今は、一時からすれば夢のような生活だが
その分別の意味でシビアなもんだと思う。
逆にここが勝負、と言われている気もする。
そう、言われている。……誰にだ?誰だ!

 誰だ?誰だ?誰だーーー
 空のかなたに踊る影
 白い翼の ガッチャマン
         (科学忍者隊ガッチャマンより)

……いやー、派手に取り乱したなあ。
なぜガッチャマン?ま、いいか。


循環
2002年05月21日(火)

喉痛いなー、なんて言いながら掃除をし、鉛筆で絵を描いていた一日。

一行で書くとそんな感じの日だったわけだが、
貴重なことに頭痛が全くなかった、とか
かなり寝坊した、とか、
寝坊したものの予定がなかった、とかそういった要素もある。

循環する、という現象は自然の理にかなっている。
健康というのは、何かの流れが調子よく循環していることなんだと思う。
血液も循環し、水分も循環し、食物連鎖も循環し、
輪廻転生の考えでいうなら命も循環しているらしい。
スカート丈の流行なんてのも循環しているという。

どうにも自分のフィールドが狭いなと思い立って
本を読んでみたりするが、
物語性が強い本だとイライラしてすぐやめてしまったりする。
そのせいで漫画もあまり読まなくなった。
その話が好き、嫌い、とは関係なくイライラする。
なぜこんなことにと思っていたが、循環の問題かもしれない。
自分も何かを精一杯発信していないと、
他人が発信した創作物をちゃんと受け入れられない気がする。
それができていないと、何も吸収できないのだ。

今日は部屋の掃除をし、要らないものを捨て、絵を描き。
ちょっとだけ循環した気がした。
その意味ではたいへん有意義な一日。


耳鼻科へレッツゴー
2002年05月20日(月)

昔「海へレッツゴー」という歌があったような……。

まだ喉が本調子でないばかりか鼻づまりが酷く、
昨日の日記にそう言えばつぶやいた言葉を実行に移した。
耳鼻科はやはり少し混んでいた。
風邪を引いた人が多いのだろう。

同じく風邪を引いている妹の学校の話を聞く。
担任が意外に面白い人で安心したそう。
ともあれ、無事に生活して無事に卒業してほしいものだ。
そんな彼女の口調が三瓶に似ている気がして(嫌だなそれ)、
ひょっとしてお前、お笑い芸人目指してるんじゃ?
と冗談で言っていたら母が
「あんたには無理よ、やめなさい。」
ここまでは普通の親なのだが、
その後続けた言葉はさすがだった。
「あんたには無理よ、はやさんの方がまだ向いてる。
(姉妹「そっちかよ!!」)

今週は天気が良くなりそう、と聞いていたが
今日もなんだか底冷えのする一日。
こんな調子だから私が風邪を引くのか、
それとも私が風邪を引いているからうちの近所が寒いのか。
いやいやいや、後者はあり得ないだろ。恐らく。
どっちみち、元気ならば雨も風も寒さも気にならないはず、という
主観的な発想で考えるならありうるが……。

雨にも負けず、風にも負けず。
雪にも夏の暑さにも負けぬ丈夫な体を持ち、
欲はなく、……一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ、
あらゆることを自分を勘定に入れずに、
日照りの夏は涙を流し、寒さの夏はオロオロ歩き。
みんなにでくのぼうと呼ばれ。

そういう者になれたらいいが、
まず一行目でつまづいております。


ずっと頑張るためには
2002年05月19日(日)

鼻づまりで眠りづらい日々。
風邪自体は治りつつあるのだろうが、
薬が今日で切れてしまうのでまた病院に行こう……と決意。

鼻づまりと喉の痛みと口内炎がひどいんだよね、
どれか一個でも治らないかな、とこぼしたところ
「ビオフェルミン飲め」「ロイヤルゼリー摂取しろ」
「蜂蜜が効くようだ」「野菜食べろ」「とにかく動け」←?、
といったアドバイスがバラバラに返ってきた。
どの意見が一番信憑性且つ即効性があるのかわからないが、
とりあえず全部試す。

久々に絵を描く。といっても、スケッチのようなさりげないものだ。
ここ最近、絵を描くというシンプルな行動を意外に忘れていた。
大学のあいだ、もっともっと絵を描いておくんだった。
学生時代に後悔が残っているとしたらそのことくらいだ。
合コンしとくんだった、とはやはり思わない。
前に人から「青春を楽しんでないなあ」と言われたが、
そういう言われ方は正直少し腹が立つ。
ただその人の楽しみと私の楽しみが違うだけだ。
十把一絡げにされるのが嫌いな人間なので、そう思ってしまう。

青春、という言葉の価値観だってそういえば違うもんだ。
私の青春は数年前に終わった感じだし、
やなせたかし氏の青春はまだ続いている気がする。
この前、NHKの番組で氏の取材をしていて驚いたばかり。
80歳を超える方だが、とにかく元気。
入院した翌日もミュージカルで歌ってしまう。
若い作家に負けないように、きちんと手作業で戦い続けている。
読みあげたばかりの五味太郎著の「大人問題」に、
大人に求められることは、生涯本当に現役であること。
何かをわかった、と言い切ってみることではなく、
何かをわかろうと追い求め続けること。だというような
意味の言葉があったが、この方もそういう大人の一人かな、と。

肩書きは向上意欲を邪魔するんだろうか、と思う。
たとえば、いい学校に受かった、という肩書き。
高い給料をもらえる立場である、という肩書き。
そういう安心感が人をダメにするし、
ダメになった人を見て育つ子供もダメになっていく。

……でも、あんまり安心感がなさすぎるというのもギスギスするよなあ。
と、テストの成績順に座席が決められていたNという塾を思い出し。
どのくらいの緊張感が、頑張り続けるのにちょうど良いんだろう。


口内炎ドリーマー
2002年05月18日(土)

まだまだ具合悪いぜ。イヤッホーゥイ。
………………ふう。

風邪薬の副作用による口内炎がひどくて、
口の右半分でものを噛むようになっている。
首をちょっと傾けて食っている。
以前、首が曲がったまま元に戻らなくなった時を思い出す。
そのせいか食べ物が食べづらく、
ここ数日でちょっと痩せたか?という気がする。
体重計という現実なんて見ない。
「ちょっと痩せたかな」その気分だけで、あたいは幸せなんだよ…(?)。
そんな、うたかたの幸せに拠り所を求める今日この頃。
結局風邪を治したいということだ。

  本当の幸せは目に映らずに
  あんまり側にあって気付かずにいたのですが
             (椎名林檎「幸福論」)

……そう、本当の幸せは『口内炎がない』という状態そのものだった。
失って初めて、僕は気付いたのさ。なんだそれ。


寒々しい一日
2002年05月17日(金)

熱と喉の痛みで、ゼミすら欠席。
大丈夫なんだろうか?と思うくらい学校離れしている。

それでも、手帳を見たら「健康診断最終チャンス」という文字を
発見したからさあ大変。
今日健康診断を受けそびれたら、地元の病院で\5000ほど払って
別途に診断を受けなくてはならない。これはいかん。
「学校へ行くのぢゃ!」と、「じ」が「ぢ」になるくらいの気合いで
病身をひきずって学校へ向かった(注・片道2時間)。

風邪でゼミを休んだのに健康診断だけ受けにくる、というのも
気まずいもんだ。
\5000をケチるためなら病気も厭わぬ根性もさることながら、
健康じゃない時に健康診断を受けるという、なんとなく矛盾した行動。
すべてが渦巻く中、「……あ」
健康診断の帰りにゼミ同輩・Y嬢に会った。
ちょっと「ぎくっ」という表情になる自分。
「あれー、ゼミは?」
「健康診断受けにきたんだ」
……。ま、そういう日もあるのだ。
なんとなく切なくなって、体調は良くないものの研究室に寄る。
確かに、色々と片付けられていた。風景を殺すと書いて殺風景。
「風邪は引いたんだけど健康診断を受けに来た」
(わざわざ二時間かけて…)(風邪なのに健康診断って…)等、
心の中でいろいろなつぶやきを付け加える。
でも体調が悪いときに無理してゼミに出ると、久々に凹みそうな気がする。
臆病さはほどほどに、とは肝に銘じながらも。

しかし行き帰りがとにかく寒い。
天気が良ければ楽しい旅路になるのだが……
ほんとに、なんでこんなに寒いのだろう?
体調を崩しているのは、変な気候の影響もあると思う。
いやそれ以上に、努力の方向が漠然としていて定めにくい、という
こともあるんだろうな……最近「課題」というものを
やっていないことに気付いたので。
授業を取っていないのだから当然だが、
長年の夢だった「宿題からの解放」によって調子が狂うとは。
同じく長年の夢だった「体育の授業免除」が
持病によるものだったときのように。
「これ嫌だな」と思うものに限って、いなくなると寂しいらしい(?)。
そう…、君がいなくなって初めて、その存在の大きさに気付いた(??)。
わけがわからなくなってきたが、
乳歯が抜けたときの違和感のような、微妙さがある。



2002年05月16日(木)

説明会をキャンセルし、
健康診断を先送りにし、
仕事の打ち合わせを休み、
今日は風邪で寝込んでいる。

熱がどうも、中途半端だが高い。
高熱、というほどでもないが、元気だとはいえない。

昨日体調が悪いのに半分徹夜で書類を書き上げ、
そういう無理がたたったのだろう。
今朝一番に郵便局に行って速達で送った。
そして家に帰ったら、途端に眠気が襲ってきた。
編集長に「すいません休みます」というメールを送り、
しばらく眠ってしまった。

喉と口内炎と頭の痛みも、ネットで見た噂のことも、
自分の今後のことも、とりあえず忘れたいと思った。

夢を見た。
中学の制服を着た私が新宿駅にいる。
しかしその新宿駅というのが見たこともないほど難解な作りで、
有楽町に行きたいんですけど、なんて言いながら人に道を聞く。
その新宿駅というのがどうにも駅らしい形をしておらず、
駅のホームというホームに屋根や天井が無く、
そびえ立つはずの建物も全く見えず、青空がめいっぱい広い。
でもそこは確かに新宿だ、と思っているのが不思議なところ。
山手線は黄緑色だよな、と思ってひたすら看板を探すが、
看板といえる看板が存在しない。駅に天井がないからだろうか。
こっちかな、と思って行ったホームには成田エクスプレスが来た。
「なんだよこれっ、サイン計画はどうしたサイン計画は」
……と思って目が醒めた。

よくわからないが、いろんなトラウマがごっちゃになったような夢だった。

夢はその人の記憶のゴミ箱だという。
忘れるはずのことをきちんと忘れないと、前に進めない。
だから夢の内容を覚えている人は脳が疲れやすいんだとか。

そういえば今年の初夢はさまぁ〜ずの大竹氏が出てきたな、と思い出す。
あれも何かを、忘れたかったゆえの産物だったんだろうか……。


喉が痛いまま
2002年05月15日(水)

喉が痛く、頭痛が酷い一日。
ついでに薬の副作用で口内炎が酷い。まいったもんだ。
webを見ていて、「社会人になるのって大変だ」と痛感する。
というのも、自分がエントリーしようかなと思った企業の
良くない噂を聞いてしまったからだ。
どうしようかな、とまた迷うが、一応エントリーはしてみることにする。

進学したいという気持ちを持ちながらの小規模活動なので
中途半端な感じは否めない。ただ、小規模なら小規模なりに
精一杯得るものを得た、と思えるまでは全力で頑張りたい。

……とはいえ、目標のない努力がこんなに漠然としたものだとは。
砂漠に街を作れと言われるくらい漠然としている。
作品作りは、モチベーションを注ぐテーマを
ひとつ決めてそれにむけて頑張るというスタンスになるのだが、
就職活動の場合は頑張りの性質自体が異質だ。
しかも私の場合総括するべきテーマも輪郭がぼけている。
受験と就職の一番の違いはこういう所にあると思う。

やりたいことを見付けるのは難しいし、
やりたいことをやれる場所を見付けるのも難しいし、
そこに辿り着くのも難しい。
困難なことがどうしてこんなに生まれたのだろう、と
思うくらいに、複雑怪奇なことで満ちているなあ。と思ったら、
不思議なことに、嫌な気分で曇ると共に頭痛が止んでしまった。

人間が人間であるがゆえに、馬鹿げたことはある。
そのどうしようもないことを全て笑って受け止められるように
なるには、私はまだまだ修業不足ということだけだろう。

社会を知る意味でも就職する、というのは正しい。
問題はその後だ。
就職してどうするのか、ということが見えない。わからない。
わからなければいけないのか、それともわからなくて当然なのか、
判断はつきかねる。

何が起こるかわからない、でもわからないから面白い。
先に内部のMAPを渡されてから入るお化け屋敷などつまらない。
どんと来いやぁ、くらいに思っていればいいのだ。

……体力に自信がない時はついマイナス思考に陥るが、
それにしても全然視界が変わるものだな。フィルターが違う。
体調がいい時と悪い時、気分がいい時と暗い時、すべて色の彩度が変わる。


いまさらG.W.
2002年05月14日(火)

今日の私はG.W.(具合悪い)。
昨日一日寒かったせいだろうか、喉が痛くなった。
ふらつきながら、すぐさま耳鼻科。

待合室で五味太郎氏の「大人問題」という本を読んだ。
絵本作家である氏が、大人社会に対する疑問や矛盾を書いた文章で、
なるほどなあ、と思いながら数十ページ読みすすめた。
氏の絵本はよく読んだが、「子供はこうあるべき」というような
ありがちな意図がそういえば感じられなかった。
余計な要素がなく、簡素に面白い。
多分今読んでも同じ面白さがあるだろう。
子供を子供扱いせず、「人間初心者」として見ている。
私は安直な気持ちで「絵本が描きたい」などと言っていたりしたが、
そのためには自家製のポリシーがなくてはならない。
「専門家」としてものづくりをするにはポリシーが必要。
でも奔放さや遊び心も不可欠。
「あんたは好きなことやれて楽しそうよね」と言われたりしても、
楽しそうに見えてやはり楽じゃないのだ。

明日の説明会予約をキャンセルし、
〆切間近な某社の履歴書を書こう、書こう、書こう……と思いつつ
眠ってしまう。体調が悪いから仕方ないとはいえ、〆切は来る。
とりあえず、精神だけでも全力投球しよう。


でっかい!
2002年05月13日(月)

せんせえのおつかい(幼児風)で、でっかい図書館に行く。
やはりでっかい。
初めていく場所だったので、オロオロする。(キョロキョロ、ヨロヨロも可)
コート着て入ってはいけない、というので予想以上に寒い思いをする。
でも負けないぞ、と思いながら用事を完了。
威圧感をひどく感じる古めかしい建物であったが、
こういう場所でも平気でいられる人間にならなくてはと思う。
非日常を感じる場所では、なんだか落ち着かなくて
すぐ走り回りたくなってしまう。
そんなことではいかんなあ。
でも高校の時、スポーツ大会直前の朝練か何かの直前に
クラスメイトのHさんが急にY字バランス(片足を高く上げるバランス)を
始めてしまったことがある。
「どうしたのっ」とみんなが聞くと「お…落ち着かなくて」
落ち着かないとY字バランスをとってしまうなんてさすが体操部。
そういう人もいたっけか、じゃあ走り回るくらいOKかな、などと
判断基準がよろめきはじめた。世の中いろんな人がいる。私もいる。

そんな広い気持ちで図書館を後にし、
地下鉄に乗って学校向かう。
なぜ地下鉄、と明記するかというと、あまり地下鉄に乗らないからだ。
そういえば最近都内に行く用事があって何度も乗っているが、
基本的に行動範囲ではない。
入り組んだカラフルな路線図をまじまじと眺めながら思う。
東京の地下は大丈夫だろうか?と。
実際地盤沈下なども起きていたらしいが、
これだけトンネルだらけの地面の上でよく、
寝たり起きたり働いたりしてるもんだ。
飛行機が飛ぶ理由を感覚的に理解できない時のような
いぶかしげな気持ちのまま。

地下鉄の駅と線路、デパートやビルの地下。
木の枝が伸びている範囲は、それと同じくらいの広さで
地下にも根が張られているんだよ、と聞いたことがあるが、
東京もたぶんそんな感じだ。
高いビルもあり、張り巡らされた地下道もあり。

東京、やっぱりちょっと怖いなぁ。なんとなく。
その中で行動している間は全く怖いと思わないのだが、
外に出るとホッとするってことはやっぱりどっかで
怖がってるんだろう。水泳した後の筋肉痛のような感じ。


母の日
2002年05月12日(日)

うちの母には母がいる。
とても元気な母がいる。
母の母が、「私ね、最近人生が
下り坂にさしかかってきた気がするの」と言った。
20代の孫がいるような年齢になって初めて、
『下り坂』にさしかかった気がする程度らしい。
ということは○十歳の今が「ようやく真ん中」あたりで、
最終的に今の年齢の二倍は生きる感じの人生なのだろう。
ネットの精神年齢鑑定をやらせたところ、彼女の精神年齢は15歳。
若い!若すぎる……せめて二十歳以上であって欲しかった。

そんな一方で、孫にあたる私は
12歳にして「いかにも」という言葉を使いこなしていた。
たぶん、その頃から現在と同じ調子である。

そして母。
私のことを「最近(自分の)お姉さんみたいだ」と言う。

妹のような母親と、娘のような祖母がいる。
そして今日は母の日。……なんとなくややこしい。
でも母は母なので、今日は私が夕飯を作ろうか?と言い出してみた。
しかし、寿司を買ってきた後だった。
家族で唯一寿司が食えない私は、めげずにオムレツを制作。
しかし、日本人は寿司が大好きだという説どおり、
みんな基本的に寿司を食べていた。
そんなわけで今日の夕飯は寿司だった。
私はオムレツでお腹一杯である。
そういえば私が大学に合格したときも、
夕飯が寿司だったな。
大学に合格したあの夜、一人で納豆ご飯食べたっけ。
やりやがったな日本人。

備考:私の実の妹が一番好きなクイズ番組は、意外にも
   「パネルクイズアタック25」(テレビ朝日)だそうだ。


リモコン愛好会
2002年05月11日(土)

ある日の深夜のテレビより。

シリアスな、「あ、これぞドラマ!だなぁ」という感じの
恋愛ドラマをやっていた。
その裏番組は「Gパラダイス debuya」という番組。
これらを交互に見ると。

水辺で、見つめ合う男女。
 女「ごめんなさい……」
男が目を伏せる。女も目を逸らし、つぶやく。
 女「私には…そんな資格無いの」
(―――チャンネル変更―――)
満面の笑みを浮かべた石塚英彦とパパイヤ鈴木。
定食屋の前にて。
パパイヤ「今日のテーマは?」
石塚「親子丼です!」
テロップ『大盛りの美学』
(―――チャンネル変更―――)
女の独白「どうして…一つの愛で満足出来ないんだろう……」
(―――チャンネル変更―――)
石塚「おおっ!」
パパイヤ「すごい大盛りですねぇ〜」
親子丼の大盛り二人前が運ばれてくる。

はやさん「どうして…普通の量で満足出来ないんだろう……(笑)」

結論。花よりは団子だな。


粋だろ、粋っ。
2002年05月10日(金)

朝の電車に、マナーの悪い集団が乗り込んできた。
もし私に安岡力也ばりのガタイがあったなら
「静かにしてくれねぇか」の一言と眼力で
黙らせることができたのに……無念。

学校は久々。卒研に向けて本腰入れなくてはならない。
色々とやることが加算されていく。
しかし学校というフィールドだけでなく、それ以外の場にも
これから出ていかないと、という必要性を感じるので
今後ますます忙しくなるのは仕方がない。
未使用のエネルギーはまだまだあるはずだ。

頭痛が軽く鈍く続いていた。
眠気ゆえかもしれない(朝の電車で眠れなかったせいだ)。
家族以外の人間とちゃんと喋ったのが久々で、
以前と比べて自分の声が出なくなっていた。
腹筋が弱っている……鍛えたい。

雨が降っていて寒い。
5月にしては寒すぎだよ、とみんな言う。
そういう風にみんなが言ううちはまだ大丈夫だな、と思った。
みんな「いわゆる5月」のイメージを共有できているから。
近い将来、もはや「本来の5月の気温」を覚えている人間が
いなくなるかもしれないから怖い。異常気象が日常になるのだ。

異常と言えば、今日はS嬢が妙に爆笑していた。
パンフレットの校正の時に「イキ」(一度修正して×を付けたところを
やはり修正無しでそのまま原稿にする、という指示を意味する用語)という
言葉が書いてあった。
それを彼女は「粋」と勘違いした。
……粋な文章、そして粋な画像。
いよっ、粋だね大将!!
それが笑いのツボにジャストフィットしたらしく、
大笑いし続けていた。普段物静かなだけに新鮮。
いつも大人しめの人々の中にこそ、才能(?)があるのかもしれないと予感。
そして、そんな金の卵を発掘したくて仕方ない私。
みんな仲間にならないかい!?(余計な勧誘)

いき【粋】
 (「意気」から転じた語)
1:気持や身なりのさっぱりとあかぬけていて、しかも
  色気をもっていること。
  伎、浮名横櫛「その粋(すい)な多左衛門どのなればこそ、
  かうした――なお富さんを」
2:人情の表裏に通じ、特に遊里・遊興に関して精通して
  いること。また、遊里・遊興のこと。「――筋」 ⇔野暮(やぼ)

はやさんの面白広辞苑コーナー、
こんなところで復活(以前、某掲示板で連載していた)。
いつもポケットに広辞苑。などと言いつつ、今日は
孵る帰るとき傘と共に辞書を忘れそうになった。ドンマイ自分。
しかし「さっぱり」なのに「色気」は難しい。
口溶けのよいガトーショコラを作るくらい大変なのだろう、粋とは。

そういえばうちの妹、「粋」を思いっきり「わく」と読んでいた。(×枠)


やや上向き
2002年05月09日(木)

昨日から無性に絵が描きたい。
だがそのわりには実行に移せない一日ではあった。

具合がいいとは言えないのだが、
ひどい頭痛はおさまった。いや、日中おさまっていた。
(これを打っている現在は結構な頭痛である。)

と思いきやIllustratorの調子が悪くなり、
急に勝手に終了したりするようになった。
あーもう。なんでやねん!どうすりゃええねん!と、
関西弁でパソコンにツッコミを入れた。

朝昼飯(ブランチ)を食べながら、母と多目的会議。
白熱した議論の結果、私の精神は子供と老人の融合体であり、
「若者」や「中年」になることは難しいという仮説が浮上。
「始まりであり、終わりである」をコンセプトに
自己PRを展開すればいいのだとか言いながら、
それってどんな状態なんだろうねぇ、さあねぇとお互い疑問を放り出す。
彼女と喋っていると、つい変なことを論じあってしまう。

頭痛がまた酷くなってきた。
明日は学校。たまには頑張れ自分。


よく歩きよく考えた
2002年05月08日(水)

今日は6時に起きた。長い一日だった。
慣れないハイヒールを履いて行動したからだろうか。

とある会社に行ってみたのだが
その結果、「……どうも、これは違う。」と思った。

話題は「趣味活動は」とか「サークルは」とか、
そんなようなことばかり。
みんな周りの人は、「リーダーシップを取る上で」とか、
「自発的にこんなことをしてみた」とかをぺらぺら答える。
同じ質問に、私は「サークルは入ってません」。
趣味は、現在は無い。音楽は受験でやめたし、
学校で勉強していることも限りなく趣味に近い。

「仲間とグループ作業をする時に、あなたはいつも
どういうポジションですか?」とかいう質問をされた。
人間の中に混じったときに、どんな役割をするのか?と。
普通、そんなけったいな質問にすらすら答えられるものだろうか。
「このメンバーだと俺のポジションは…」とか、本気で気にするのは
バラエティタレントくらいだと思っていた。

ちょっと考え、私は「横からアイディアを出したり、します」と
いうようなことを確か言ったと思う。
リーダーなんて間違ってもあり得ない。
昔から誰も私にリーダーシップを望まないし、
それでいいのだと思っている。
私がリーダーだなんて、日本の首都が急に種子島に
移るくらいの驚きだ(かなりの引越しが必要)。
だけど多分、私の答えは『不正解』なのだろうと思う。
長い時間考え込んだ時点で多分不正解。
……真面目に答えたいから、嘘を付きたくないから考えたのだが。
周りはみんな、びっくりするほどはきはき答えている。

人間関係でどんな衝突があって、それをどう解決したか。
そんな具体的なエピソードの一つや二つなくてはならないらしい。
私は中学を卒業してから数年間、
誰かと本気で衝突した覚えがない(一方的に誰かに
嫌われたことはあるのかもしれんが、少なくとも気付かなかったし
私は別に誰のことも嫌いではない)。
穏やかさを手に入れられて、とても幸福に思っている。
みんなで仲良く暮らしました、おしまい。
マニュアルでいうと、大学生活はそれではいけないらしい。

大学生はみな旅行が好きで、サークルに入っていて、
自発的に活動を起こし、人間関係にてこずったのち解決し、
やる気があり、スポーツをし、恋愛をし、
専門分野も頑張り、多趣味で、若々しい。……のだろうか?

なんだかその企業が求める若者像というのが見えてしまった気がした。

中学の時「もう疲れた。あとは田舎(笑)でゆっくり暮らす」と
友達に言い残して東京を去り、その後軽い病気をじわじわと
患いつつ、地味な校風の大学に受かり、
好きなことをしながら穏やかに余生を送っている。
犬の散歩が日課。欲しい物は「生活費と健康」で
口癖は「あらまぁっ!」。
放っておくと健康の秘訣を語り出しかねない。
……そんな二十代前半は(彼らにとって)NGだろう。
椅子から立ち上がるとき「どっこいしょっ」もNGだろう。

面接で人を見ることの切なさを感じた。
受験もそうだが、人が人を測ることは難しいと思う。
その企業が私を気に入らないというのは
相性や考え方が合わなかっただけのことだから構わない。
ただあまりにも一般的な「理想の大学生」像が
出来上がってしまっているな、という感があり、悲しみを覚えた。
遺憾(私訳:私のせいじゃないけど残念なことね)という単語が似合う。
個性の時代と言いながらも、その頂点に君臨するのは実は、
企業が想像する「ありがちな」安っぽい個性なのかもしれない。

実際の大学生は、恐らくもっとぶっとんでいるのだ。
個性とは往々にして、先人の想像を絶する。
想像を絶する個性のパワーを正当に評価できる勇敢な人間は
あまりいない。(だからこそ個性なんだろう)
新しい価値観の存在を認めると、それまで築いたものが無になるからだ。
だから本当に新しい物は受け入れられにくい。
……もっとも、結局「普通の人」の需要が一番高いのだろうけど。

みんなが誇張したり、演出したりするのを見ると、
TVのバラエティの「やらせ」を思い出す。
番組はショーだから演出や段取りを重んじるのは納得できるが、
面接や自己PRはショーでいいのだろうか。
もっとまっさらな場にしておくべきではないか。
たとえばコンビニにおやつを買いに行って、
その後ペットボトルのお茶を飲みながら日向でくつろぐ時の顔、
そういう日常の破片のような「ありのまま」でもいいのだろう。

「作品」で勝負する仕事を選んだだけ正解だった。
判断基準がわかりにくいと思っていたけれど、
ある意味でフェアだったんだ、と気付く。
自分がそこにいる意味を手っ取り早く示せる手段を、
そういえば私も持っていた。うちはそういう学校なのだ。
今日の一番の収穫はその発見だった。
やはり絵を描かない人生は、私の人生ではない。

……ということで、一般職のエントリー(済)。
どうしようっかな。取り消すってできんよな。受けてみるかな。


予定前日の元気
2002年05月07日(火)

急に気温が下がった。
そのせいか頭痛は来なかったが、この急激な気温変化に
体調を崩さないかが不安だ。

目覚まし時計をセットしてもいないのに、朝7時に目が醒める。
気味が悪いほどの健康生活的時間帯に驚く。
夕べは早く寝たわけではない。
ネットでいろいろと調べ物をしたり、
妹が部屋に入ってきて「BACK-UPやるから絶対見ろ」と騒いだり、
(注・BACK-UP……フジテレビの深夜番組の一つ。
 おすぎとピーコのトークの合間に、これから知名度を上げたい
 若手お笑い芸人やミュージシャンなどのパフォーマンスが流れる。
 オカマ兄弟の喋りとマイナーな人々の努力で成り立つ、
 全体として怪しいエンターテインメント番組。)
結局「ネットで調べ物をするかたわら
オカマのトークを小耳に挟む」、そんな一夜だった。

なのに今日は早く目覚め、頭痛も無い。
調べ物をしたり明日の準備をしたりと、いくぶんアクティブだった。
そう……明日は、忙しい。
午前は都内某所で就職活動、午後は都内某所で就職活動の用事。
丸一日都内だ。昼飯を食うのもきっと都内。

はー、会社といえば都内か。
カッコつけやがってこのやろう(意図のない威嚇)。
ともかく、予定が入ったことで元気になったらしい。
基本的に弱い体質だが、近年はここぞという時は絶対体調を崩さない。
だから予定が終った時が怖い。

最近、本を読もうという気持ちが膨れあがっている。
そのせいで体調さえも悪い気がする。
読みたい、という欲求が膨れあがっているのなら読めばいいのだが、
読もうという意志だけが肥大して、
読みたいとは決して思わない。
なぜなんだこの矛盾する感情。このもどかしい気持ち。
もし私が昔のギリシャあたりの詩人だったら、
この想いを歌にしてハープで奏でるに違いない。
そして、太陽の神アポロンに向かって
岩の上から海風に乗せて夜通し歌を歌うだろう。

そのくらいわけがわからなくなったので、
なんでもいいやと一冊読むことにした。
マイ・ベストセラー、「お父さんは心配性」。
久々に手に取った。
正確には本ではなく漫画で、岡田あーみん著の古い作品であるが
これは多分ある意味で名作である。
正統派少女漫画雑誌である(少なくとも当時は)りぼん誌上で、
この連載を数年間にあたり続けた氏の功績は偉大であった。
そうだ、好きな本を聞かれたら、今度からこれを答えようかな。
……とまで思ったのだが、10ページくらいで読むのをやめてしまった。
なぜこんなに、「読む」ことが苦手なんだろう。

映画や本から知識を吸収しないと、そのうち人としてネタが尽きるだろう。
と、10年も前から気が付いてはいる。
ある意味これは拒食症だろうか。
教養不足なんだから、いくらでも吸収すればいいのに
なぜだか上手くいかない。本当になぜなんだ。
だいたい多くの「すごい人」は、色々なことを吸収できる人だ。
多くを吸収しながら、センスを磨いたりするのだろう。

自発的に学ぶ習慣の大切さを今頃になって痛感。
今からでも、どうにかそういう癖を身につけたいものだ。


犬陽
2002年05月06日(月)

今日は痛みを我慢せずに頭痛薬を早めに飲んだからか
かなり素早く痛みが止まった。

日光の下で犬を散歩させる。
彼の笑顔は見ていて眩しい。
いや、犬だって笑うのである。
笑う犬の生活(冒険・発見)。

草の間を移動する彼の茶色い背中には、
北海道と呼ばれる白い模様がある。
この形は北海道というより四国だろ、と
私は思っているのだが。

そういったことで犬と一緒に過ごした。
ああ、なんとなく休日っぽい。とようやく感じる。
明日からは、適度な緊張感と緩和とのリズムを大切に
精進の日々である。
体調が悪い、という理由で凍結させていたさまざまなことを
始めなくてはならない。

作品作りをそろそろ、いい加減再開しよう……。


できることとやりたいこと
2002年05月05日(日)

できることをやればいいのか、
やりたいことをやればいいのか、で迷う。

仕事を探すというのは漠然とした作業である。
昔の人は自分の足で歩いたり、
周りを見渡したりして仕事を探したが、
現在はもっぱら自室にこもりパソコンに向かい、
たくさんの中から選んでクリックしたり、
バックボタンをおしてまたクリックしたり、
そしたら読み込みが遅くてやるせない気持ちになったりする、
そんな作業が就職活動なのだ。
だいたい1時間も観ていると目がチカチカする。
酷いときは頭もガンガンする。
そして「あーもうっ、」と思い全てのブラウザを閉じてしまう。
活字恐怖症という持病を持つ身としては非常に億劫だ。

「できるかな、これ」と思える仕事ならきっとあると思う。
でも、本当にやりたいことなのか?と悩む。

そもそも「社会人」として仕事をしたこともなく、
ましてバイトもあまり経験のない自分に
そんなことがわかるはずもないのだが。

たとえば寿司を見たことのない人に特上寿司を作れと言っても、
何が寿司なのか、何が寿司として特上なのかが判断できない。
寿司を食ってから考えた方がそりゃいいだろう。

だから転職が流行る理由はうなずける。
会社と人が「出会う」ためのツールが充実し、
理想の職探しを追い求めようという風が吹くほど、
「あれ、俺……これでいいのか?」と思う人間は増加し、
転職して人生を考え直す人が多くなるのだろう。

住めば都、という気もするが。
転がる石には苔生えぬ、という言葉は二つ意味がある。
腰を据えないのは良くないという意味と、
苔生さずに新鮮でいられるから良いという意味。
難しいもんだ。


歯がゆく頭重く
2002年05月04日(土)

「くそー、薬も効かねぇ」と心でつぶやいた。

夏の恒例行事と化した「頭痛の一日」。
頭痛、という二文字だけの理由で一日ろくな作業ができない。
昨日までは体調全般がぼんやりとだるかったが、
今日はその不調が具体的な痛みとして現れている。

しかも薬を飲んでも止まってくれないため、
冷やして寝るしかないのでどうもイライラする。
もっと、やるべきことがあるはずなのに……。

本来、人生において勝負の時期になると
馬鹿力を発揮するタイプだというのに。
頑張るべき時に体調を崩す、というタイプではないはず、なのに。

気分転換すれば?と家族が言う。
普段、絶対しないようなことすればいいんだよ、と。
たとえば?
たまには、学校まで歩いて行くとかさ。

……約70kmを?

確かに、それができたら頭痛も治りそうだが。


天然ボケの金持ち大募集
2002年05月03日(金)

夕べは高校時代を思い出しそうな種類の体調不良。
アクエリアスで命を長らえる。
「お湯とスポーツドリンクを、ちょっとずつ飲みなさい」
と保健室の先生の言葉がリアルによぎった。

こんなに体調がぐずぐずなのも、
急に上がったり、下がったりする気温の影響だ。
上がってんの 下がってんの みんなはっきり言っとけ。
マルシェといえばカレーマルシェを連想する私は、
すっかり時代に遅れている。
しかし前は、時代と逆行することを美徳と見なしきっていた。
今は、時代にちょっかいを出すことをナイスだと思う。
時代にちょっかいを出してみたいものだ。
ぐえっへっへっへ(悪役っぽい笑い)、みんな逃げまどうがよい!

ちょっかいといえば、リモココロン。
普通は「RPG」とか「シューティング」とか書いてあるはずの
「ジャンル」の欄に「ちょっかい」と書いてあった。
あくまでもジャンルは「ちょっかい」。
素敵だ。と感動し、買ってしまった。
そういえば、まだクリアしてないな。
PS2を購入し、「DVDが見られるんだよ」と言われて
「へー」と思った記憶があるが、よく考えるとその
DVDとやらを一度も観たことがない。観たいソフトもないからだ。

まずい。このままだと将来、
「免許がないのに車を購入」「酒が飲めないのに酒の種類に詳しい」など、
ツッコみどころの多い人物になってしまいそうだ。
「漫画買ったのに読まない学生」というレベルで
とどまっているうちが華なのかもしれない。

でもそういう人は眺める分にはとても楽しい。
さらにそういう人物が金持ちだった場合はことさら楽しい。
大胆に金の使い方を間違える人間。
一人くらい友達にいると楽しいかもしれない。
「お前、相手いないのに結婚式場の予約取っちゃったのかよ」とか、
そんなツッコミメールを月一回は打つのだろう。
華やかな対岸の火事。ちょっといいなあ。
それで、その人には気楽に生きていてほしい。
気楽でバカな金持ちと知り合い。
「こんな奴にも明日は来るんだ」……明るくなれそうな気がするのだ。


晴天
2002年05月02日(木)

写真を撮るためだけに学校をうろつく。
木々の緑も美しく、と打とうとしたら
「みどり」が「美登里」と変換されたうちのパソコンは
おかしいのかもしれない。

いい写真というのはむずかしい。
まず、カメラを持って歩くのがむずかしい。
人々が「あっ、あの人カメラ持ってる」という顔で
こっちを見ている(気がする)ので、
緊張してしまう。「いやいや、すいません
撮影しますよ、でも決してパパラッチではござらぬ」
というオーラを体じゅうから放って、
なんだか消耗。
写真は撮られるより撮る方が好きだが、
それでも撮るのは苦手かもしれない。


はやさん街へ行く
2002年05月01日(水)

と、絵本のような題名を付けてみる。

今日は地下鉄に乗って都会へ行った。
就職試験というものを受けるためだ。
一般職なので、ダメもとというやつである。
一般的な就職試験はどういうものだろう、という興味ゆえだ。

そんなこんなで就職試験を終え、
てくてくてくてくと歩く。
景色の見えない地下鉄がいやになったので、
帰りはJRの駅まで歩くことにしたのだ。
途中、色々な店があった。(店というのはこの場合、
すべて食べ物屋を意味する)
なにしろ昼ご飯を食べる時間がなかったので、
はやさんはすっかり腹ぺこである(ちょっと絵本風の単語)。
しかし、なんだかおいしそうな洋食屋さんには
一人で入りづらい感じがしたし、
逆にファーストフードは「普段来ない所に来たのに」と
敬遠してしまう。
腹減ったなー、というシンプルな欲求を胸に歩く。

こういう車がたくさん通るデカイ道の脇には
なぜか決まってツツジが植えてある。
アスファルトに咲く花、という感じ(涙の数だけ強くなれそうだ)。
花の香りと排気ガスの臭いが混じった熱い空気がなんだか懐かしい。

もし東京に就職することになったら、と考える。
東京にはいい想い出も悪い想い出もたくさんあるので、
まだまだ知らない場所ももちろん多いのだが
「過去の場所」というイメージがある。
思い切って「新天地」を求めるなら遠い場所がいいんだけどな、と
先月行った関西を思い出す。
最近、地方都市に行きたいと思うようになった。
電車の多い地域で、なるべく東京っぽくなくて、
ほとんどの人と言葉が通じて暑くなければ理想的。

車が運転できないから、地方やアメリカで就職は難しいかもしれない。
いや、いいのさ、真の電車好きは免許なんていらないのさ。

そういった調子でJRの駅に着く。
あっ、腹ぺこのまんまだな。まあいいか、カロリーオフ政策(?)。
そして、はやさんは太り気味を気にしながら帰っていったとさ。
めでたしめでたし。


(※こういう物語はめでたい結末でないと
 終ってはいけないルールになっているため。)