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218.8
2002年01月31日(木)

この数字は何かというと、今日一日の私の
電車での移動距離(単位・km)。
ちなみに、東京-焼津間が193kmである。

今日はどうしても夕方の授業をサボりたいと思った。
朝っぱらから英語の聞き取りテストで、
その後5時間も待たなくては授業は始まらない。
正直、嫌気がさしていたのだ。
こういう日常にも、繰り返しにも、政治にも。
いいやだめだ、これ以上欠席したら余計
わけのわからんことになると思う恐れと、
帰って休んだ方がいいのかも、という危惧が
私の中で渦を巻いた。
ちょうど三陸海岸沖の潮目のようなイメージである。
暖流の魚と寒流の魚がメンチをきった末、
一つの結論に達した。

「5時間を利用して旅に出よう。」


……一時間後。
私は、知らない路線の知らない駅にたたずんでいた。
初めて来る場所だ。存在すら知らなかった駅。
野生の勘で飛び乗った電車が2両編成で、
完璧な単線で、ホームは都電のように(と
書いたところで都電自体がマイナーか…)
一つしかなく、つまり「行ったり来たり」する
のみの路線だった。
「すれ違う」ということがあり得ない、小さな路線。
見えるものは農家と畑、駅舎と見せかけていたのは
屋根のついたベンチwithゴミ箱。
駅員というものも存在しない小さな駅だった。

……風吹きすさぶ中、無人のホームで一人。
30分待った。
ようやく私を元いた場所へと帰らせてくれる
電車がやって来た!異様にうれしい。
どうやらこの路線、一時間に一本らしい。

最近は新宿だとかをうろついていたので、
こういう「電車が来たっ」「建物があるっ」という
素朴な感動を忘れてしまっていたようだ。
なんでもないようなことが幸せだったと思う。
って、これ昨日も書いたな。(なぜだ。)
人はいつしか、そういうことを忘れてしまう。
よくわからないけど、その辺のことを何か悟った。
ぶらり旅っていいもんだ。
何が良かったのかわからないけど。



多分ものすごい疲れてるんだ
2002年01月30日(水)

ものすごく、が正確だがそんなことどうでもいい。

明日は英語のテスト。しかも、6時に起きる。
そしてその後夕方まで授業を受けて……

……当たり前のことさ。
いままで一年間そんな生活だったじゃないさ。
なんでもないようなことさ。
なんでもないようなことが、幸せだったと思う。
とかなんとかいう歌があったなぁ。

心地悪いタイプの疲れ方をしている。
この手の疲れの厄介なところは、
「どうして」疲れたのか、「どこが」疲れたのか
はっきりしないところだ。
全体的に、何となく、雰囲気で疲れている。
役者に演技指導するときに、
「自然に」と連発する監督は良くない監督だという。
そんな曖昧な概念では、具体的なイメージを伝えられないからだ。
今日の私の自律神経はまさにそんな感じで、
「なんとなく」ばかり連発されている。
どことなく疲れている。
どこで疲れたか覚えてないのに。
歯医者の治療のあと、麻酔でしびれて
感覚がないほっぺたの内側を噛んでいたことに、
麻酔が切れて初めて気付くような嫌な意外性
……とりあえず、寝よう。


散歩
2002年01月28日(月)

市川、上野、新宿。と、
いろいろな街をぶらり旅したが、
今日は地元にほど近いがあまり立ち寄らない、
母校のある街に行ってみた。
晴れ具合も寒さ具合もほどよくてよかった。

一応でかいデパートがあるものの、
在学中はほとんど立ち寄ることはなかった。
体調を崩していた当時は寄り道をする体力も
なかったし、人混みも今以上に嫌だった。
それでも絵が好きだったので、
画材屋には時々行っていたなぁ。
……などと思い出しながら、
デパートを抜け画材屋をうろつき、
近くにある神社の脇道を通り抜けた。
人の顔のような巨木に夕日が当たって、
油絵で描きたいようなテクスチャーが浮かびあがる。
趣があるな、と久々に思った。
あーいいなぁ美術って。と思う。
在学中は、単純に絵を描くのが好きだった。
多分今もそうなんだろうが……。

母校の前を通った時に、静かな感動を覚えてしまった。
寄り道もできないほど体調を崩していた人間が、
あれから今の学校に合格し、
今日は遙かに遠い学校に行って
その帰りにぶらり旅をし、
それから更にバイトに行こうとしている。
数年前に不可能と思っていたことが、
思いのほか叶ってしまっていたんだ。
そう考えたら、
……ああ神様ありがとう、と思った。
別になんの宗教を信じるわけでもないが、
誰かに感謝しなくてはという
気分にさせられてしまった。
そのくらい、今の私は幸運なんだ。
人並みの体力と、好きなことをやれそうな環境。
それをどうにか手に入れられたんだから、
これ以上わがままを言うもんじゃないな、と思った。
珍しく、いろいろと反省。

帰り道、電光のデジタル温度計が
8℃と9℃の間をピカピカ行ったり来たりして
点滅しているのを発見。
あいつ(温度計)も迷うことってあるんだな。
珍しいものを見たなぁ、と変なお得感を得た。


いろいろな不調
2002年01月27日(日)

体調が悪い。
いろいろと考えすぎたせいだろう。
数学のテストと、パンフの〆切と、
レポートの〆切と、英語と、卒研。
わりとてんこ盛りな一週間だった。
卒研のことを丸3日にわたり考え、
とうとう何かが切れた。
今日は物理的におかしい。
頭痛が止まらず、薬を服用。
すると今度は寒気と胃痛が始まった。
明日以降、大丈夫なんだろうか。

どうして探していることは見付からず、
どうでもいいことばかり目に映るんだろう。
いつもそんな気がする。
だが、実際はそれほどでもないはずだ。
案外見付けているんだろうと思う。
ただ「いくらあっても足りないもの」――すなわち
アイディアだとか、財産だとかは、
常に「ない、足りない」という感じがするものだ。
地球から戦争がなくならないことや、
結構美人なのに「あたしどうして
こんなブサイクなんだろ」と嘆く女性の心理と
根本的な理屈は同じなのだろう。
ああ、何が言いたいのかよくわからない。
今日はもたいへん混乱している。
混乱ついでにひとつ気になることがある。
「アッコにおまかせ」というのは、
結局のところどの辺をおまかせしてるんだろう。
具体的なところが気になる。



己を取り戻せ
2002年01月26日(土)

火曜日にテストが終わって以降ずっと、
「なんだか悪い夢を見ていたみたい」症候群で
ぼや――っとした日々を暮らしていたが、
昨日のゼミでちょっと目が醒めた。
現在〆切間近でひたすら奮闘努力なさっている
先輩方の姿をしかと目に焼き付ける。
我々も、意外とすぐにこういう時期を迎えるのだろう。
人生は意外とあっと言う間だ。
卒研のテーマはまだ固まらない。
英語+絵というので失敗し、
英語を切って「絵」で何ができるか、という
シンプルな問題に戻してみた。
昨日は「料理」、その後は「医学」、
今日は「時刻表」。何をドッキングさせれば
一番ハッピーになれるのやら、
そもそもハッピーってなんなのやら。
絵を描くことが好き、というだけで
全てが片付くほど甘いはずもなく。
昨日と今日で、市川・上野・新宿を卒研散歩。
明日も余力があればここではないどこかへ(GLAY)。

そういえば先日母に「絵を描く仕事に
就けたらいいんだけど」と言ったら、
「えっ、あんた絵描くのがいいの?」
「そうだけど?」
「つまんなくない?それだけでしょ」
「……いや、自分は絵描くのが好きなんで」
「あ……そうなんだ?」
彼女とは私が生まれて以降の長い付き合いに
なるが、私が絵を描くのが好きだという事実に
まさか気付いてなかったんだろうか。
思わず、「すいません、初対面じゃ
ないですよね?」と確認。
かくなるうえは毎日自己紹介だ。



眠い
2002年01月23日(水)

全身がだるい一日。
やはり無理がたたったのだろう。

プリンターの調子が悪い。というフレーズが
口癖になっている今日この頃、
パソコンはしばらく使わずに
アナログでスケッチや下書きをしようと思った。
が、疲れ目がひどい。
こういう日は、すべての稼働がにぶい気がする。
結局能率が悪いまま過ごしてしまう。
なんてこったい(特殊語)。

ただ、風邪を引きそうだったが
油断しなければ持ちこたえられそうだ。
それはなによりであることだ。


ああ努力賞
2002年01月22日(火)

統計学のテストがあったことは忘れよう。
新たな自分よこんにちは!

そんなこんなで、気付くと一月も後半。
そのことにようやく気付いた。
どうやら日付を気にする余裕もなかったらしい。
ようやく人並みの生活リズムに戻れるというものだ。
もういいんだね
これでもうわたし
他の誰かのものになるよ
そうだよ
私の全部で
数学解いてた
そうだよ
……と、written by吉田美和のような
切ない気持ちになっていた。
何でも良いから歌い上げたい。ちくしょう。

思いの丈を小さくぶちまけたところで、
今日はゆっくり眠ろうかと思う。
なんだか風邪を引きそうだ。
こういう方向に関しては
勘が冴えている自分が本当に呪わしい。

しかし整理して考えると、
周りの同輩の人々はそれぞれに
就職やらなにやら頑張っているようではないか。
彼らに「追いつく」ことをしようとは思わない
―――今から追ったとしても追いつけない。
ということにはっきり気付けたことが、
2001年最大の収穫だったように思う。
ただ、私は私でしなくてはならないことが
山ほどあるんだなぁと最近思い知らされる。
彼らに対して私が「すげぇ」と思っている分だけ、
自分も「すげぇ」と思われてみたいもんだ。


TO-HO-HO
2002年01月20日(日)

創作意欲が溢れる日、というのがある。
頭の中で映像が流れる。
それは実写ともアニメーションとも
絵コンテともつかぬ、ただストーリーそのものとしか
言いようのない流れだ。
今日もそれが浮かんできて、小一時間ほどメモり続けた。
そのくらい止まらなくなるのだ。
こっちの方がいい、こんなことがあるかもしれない、
いやでもダメだろうか……?と、静かに迷いながら
形にするのを渋ったりする。
でも経験上、こういう形のない物は
とにかく形に起こした方がいいのだ。
その方が技術も磨けるし、人生が楽しくなる。

……ああ、創作っていいなぁ、創作したいなぁと
思ってしまった。

なんでだろ。
明後日テストなのに。
……トホホ(死語を超えてもはや古語)。


追いつめられるといつもより主観的になる
2002年01月19日(土)

課題のレポートと頼まれた仕事を片付ける。
……どちらも、それなりに精一杯やったつもりだが
それも現時点での話。じきにアラに気付くのだ。

自分がもう一人いたら、と思う。
自分の仕事を客観的に見られる人はその仕事のプロであり、
自分の人生を客観的に見られる人は人生のプロだ。
もう一人の自分が現れて、問題点を指摘してくれたら
いいのに……できればおもしろおかしく。
そいつがツッコミで私がボケ。
 「なに眠ってんだよ」
 「そこでサボるなって」
 「どんだけ連休に期待してんだよ」
 「そっちの意味の努力かよ」
 「民間療法信じすぎだよ」
 「電車ひとすじでいいのかよ」……etc、
ひとり漫才のような日々になるだろうなぁ。
…………あっ、やっぱり嫌だなそれも。
自分にツッコむのは良くも悪くも自分ひとりでたくさんだ。

とりあえず提出物は終わったが、
一番問題の物が残った。
数学のテスト勉強だ。
にも関わらず喉が痛い。
これは…………小さなピンチかもしれぬ。
さらに、のど飴を舐めたら、口の中で生じた破片で
舌を切った。切なさ倍増。


また頭痛
2002年01月18日(金)

私の頭は、連休の最初の日は使い物にならないことが多い。
今日も荷下ろし頭痛、という種類の頭痛が来ている。

やることが一杯あるにも関わらず、
「あ、学校行かなくていいんだ」という安心感からか
出掛ける予定のない休日には全神経がホッとするらしい。

……そんなに無理した暮らしをしてるんだろうか。
何も緊張する必要無いのになぁ。

しかし仮に、個性的であろう、面白くなろう、
ヘンな奴であり続けようとしていること自体が
無理なんだとしたら、
それは私が平凡な人間だということだ。
……と書いていたら哀しくなった。
しかし何故だろう、
「普通」扱いされるのを妙に嫌がってしまうのは。
何かに関して「普通ですね」と言われた場合、
他の人はどう思うんだろう。
そんなに気にも留めないかなぁ。
むしろ、「変ですね」と言われると焦ったり、
するんだろうか。
私はそれを生業としている部分すらあるのに。


英語のテストが終了した
2002年01月17日(木)

結果は20問中19問正解の、19点でした。

「210個覚えさせといて、出題が20問ってねぇ。」
「ねぇ。」
と、友達とテンションの低い会話を交わす。
ちなみに例文は420文、和文英訳が出来る状態を
目標として勉強していた。
それでも一問間違えるあたりが、
完璧主義のなりそこないである。
ああまさしく人間たる所以よ、と考えながら
研究室に向かう。
そうそう、とM氏に仕事を頼まれる。
仕事が増えるのは全然構わない、というか
勉強になるし、むしろこんな危なっかしい奴に
任せて下さる勇気を褒め称えたいくらいだが、
問題はその〆切が、
「数学のテストとレポートの〆切」と重なっていること。
三つ、か……(と夕陽を浴びたような気持ちで呟く)
…まぁ、どうにかなるさ。(小石を川に投げる気分で)

こうやって()内に意味不明の演出を加えてみると
思い出すのが中学時代に歌った歌に付いている
「歌唱法ひとくちメモ」みたいな一文。
合唱の楽譜のタイトルがあって、
作詞作曲者名のわりと近くにそれは書いてある。
「いきいきと、はずむように」
「季節を感じて」
「郷愁をただよわせるように」

しかし郷愁って、中学生に求めてどうするんだろう。
そういうのはある程度歳取って初めて、
「あ……故郷って」みたいに噛みしめる
もんなんじゃなかろうか。
中学生くらいだと、おそらく全体の過半数が
地元に飽き始めている年ごろだろう。

なんだか歌が歌いたくなってきた。
長い間歌わないと音感が腐りそうな気がする。
絵も音感も自転車のようなもんで、
一度会得すれば基本的には忘れない。……とは
思うが、でもあんまり長い間放っておくと
取り返しが付かなくなりそうだ。
できればどちらとも、一生縁を切りたくないなぁ。


続・英語三昧 〜ツッコミがとまらない〜
2002年01月15日(火)

午後はずっと英語の自習をしていた。
一時半から五時半まで英単語。
英単語英単語英単語。
ということで私は、実はいつも以上におかしくなっている。
自分ではよくわからないが、それはたいへん恐ろしいことだろう。
しかしおかしいといえばこの英語の例文。

Could you fill me in on what was discussed?
(何が議論されたか詳しく教えて頂けませんか?)

She was radient with happiness.
(彼女は幸福で輝いていた)

なんてのは全然許せるのだが、

You really get on my nerves.
(おまえ、本当にムカツクな)

むしろお前だよ、と買い言葉を返したくなる。
できれば強気に。

Burst into simultaneous laughter
(同時に大笑いする)

っていうのは、誰と誰が同時だったのだろう。
くそう、気の合うコンビめ。
と、「そいつら」に腹が立つ。誰だか知らないが。
あと笑いといえば、

an infectious laugh
(伝染性の笑い)

というのも、やけに楽しそうで悔しい。
何みんなで笑ってんだよ!くそー!

極めつけに怪しかったと言えばこれだ。

Our exalted ruler
(われらの高貴な支配者)

誰?


しかし…ここに書いたやつだけは、
間違えたくないものだ。

I'm exhausted.
(もう疲れたよ。)


英単語三昧
2002年01月14日(月)

一日、英語の勉強をしていた。
210個の単語と、420個のセンテンス。
それを、明々後日までに暗記しておけという。
頭の中は、なかなか凄まじい状況だ。
ことあるごとに「dispute=論争」、とか
つぶやきっぱなしだ。

暗記していたら、中2の頃を思い出した。
当時はヤバいくらい暗記していたなぁ。
人生で一番、勉強した時期だと思う。
その頃を思えば、何も怖くないなぁと思う。
一度地獄を見てしまえば怖いことは何もない。
そういう風に考えれば、どんな地獄も人生の役に立つといえる。
……と、理性ではわかるんだがなぁ。

昨日キャラクターを二点ほど応募した。
今年初公募だ。
当たると良いな、空気清浄機かファンヒーター。


出産と育児と
2002年01月13日(日)

OBの某氏によれば、氏の経験上
レイアウトが得意な人は、キャラクターや漫画を描くのが苦手。
キャラクターや漫画を描くのが得意な人は、レイアウトが苦手。
……なんだそうだ。
私は思いっきり後者の典型ということになる。

レイアウト。
白い紙に色を付けたり、
写真や文字を並べること。
いやいや、美しく並べること。
そう、完成品は『美しく』なければならない。
レイアウトのデザインは決してアートではないが、
ある意味美術だと思う。まさに『美』の術。

キャラクターや漫画を描くというのは術でなく、
むしろ生理現象に近いような気がする。
キャラクターを生み出すのは、あまり術ではない気がする。
……もちろん、経験上こうだというのもあるが。
多分もっと血なまぐさい。ものっすごく泥臭くて、
全然余裕がないイメージ。美しさなど言語道断。
自分自身、すごく有機的になる瞬間だ。
生物だ、という感じがする。
なんか「あれ?」と思って、鉛筆を手に取る。
何かのきっかけで産気づく。
白い紙(チラシの裏でもよい)にそれを走らせたら、
人間の出産で言うと分娩室に入った状態。
難産の時もあれば、さらっと生まれる時もある。
で、誕生。
最初は猿みたいに不格好な赤ん坊のようで、
後で見返すと笑える。
それを、何度も何度も何度も……描くうちに、
ちょっとずつ「あれ、これが本当の自分か?」と
そいつ自身が気付く。気付いてくれる。
そいつに自我が芽生える瞬間だ。
親の私はただ最低限の愛情をもって、
エネルギー源となる鉛筆を走らせるだけ。
自分の子供を養ってやるようなもんだ。

あとはもう、随時呼び出すのみ。
人に見せて「ここは○○の方がいいよ」と言われたら
そいつにちょっと言いきかせてみる。
社会に馴染むためのしつけだ。
するとそいつは形を変えたり性格を変えたり
服装を変えたり色を変えたりして、
ちょっとでも好かれよう、ふさわしくなろう、とする。
社会性が身に付く。色んな場所へ行き、
色んな人に可愛がってもらう。
私であって私でない、大事な子供を持った気分。
たとえお婆さんのキャラであっても、
それはまぎれもなく私の娘。
実年齢はとっくに無視した、精神世界での親子関係。

漫画を描く場合はもっと面白いことになる。
キャラクター同士が友達だったり、
家族だったり、敵同士だったりする。
喧嘩したり、どつきあったり、恋愛したりする。
元を辿ればそいつらは全部私のような
もんなのだが、それぞれに勝手な連中なので
明らかに他人同士として暮らしている。
私の中に大勢の人格ができていく。
いや、人格というより空気感か。
ハワイの空気とスイスの空気と
オランダの空気が同じ部屋に漂う感じ。
それらがどう違うのかは上手く説明できない。

キャラクター作りは意外と癖になるらしく、
私は3歳頃からずっとやめられないままだ。
失敗したり上手く育たなかったりする
ケースの方が多いけれど、
なんかこの先もやめられない予感がする。
レイアウトにもこういう方法論みたいなものがあるなら、
誰かに語ってみてほしいなぁと思う。
……つくづく偏ってるなぁ、自分。


自分の謎
2002年01月11日(金)

今日はプレゼン。というか、
作品集の見せっこ。

ひとことで言うと、「なぁんだ」である。

それぞれ、力量の違いはあれど
精一杯自分の土俵で頑張る。
本当にそれだけのシンプルなことなんだと思った。
難しく考えなくていいんだ、という気持ちに
なると同時に、別の意味で焦る。
走る道がなんとなく見えたとなれば、
あとは急いで走らなければならない。

帰りに本屋を覗く。
手に取ったのはダイバーのための雑誌。
そういえば、海の中の生物のキャラクターを
たくさん生み出してきたくせに、私は一度も
海の中の写真をじっくり眺めたことがなかった。
……なんで、ろくに見たことがないのに
描けていたんだろう。
自分のそういうところは結構不思議だ。

たとえば海が好き→海のキャラクターを描く、とか
キャラクターグッズが好き→キャラクターを描く、
とかなら納得できるのだが、
私は海もキャラクターグッズも好きではない。
なのに、海のキャラクターが妙に描ける。
そのうえ、描いていて楽しめる。

漫画に関してもそうだ。
基本的に漫画はほとんど読まない。
実はそんなに好きな方でもない。
なのに、漫画が描きたくなる………。

多分本能的に描いてしまうんだろうが、
それがいまひとつ納得できない。
結構寒い日なのにもかかわらず
突然アイスクリームが食べたくなる場合の
「なんで?」と似ている。


パニクりそうになりながら
2002年01月09日(水)

明後日までに作品集を(ある程度)作らなくてはならない。
それは今日突然言われたのではなく、
先月から言われていたことだった。

 「……」

どうにも、微妙。
明後日が怖い。
いや、自分自身の作品の出来は仕方ないとして、
問題は周りだ。
あの面子……知っている人は知っているし
知らない人は知らないことなのだが、
うちのゼミ同輩はとてつもない。
全員、どこかがスゴイ人達だ。
これはお世辞でも洒落でもない。
それまでの2年余りの学生生活の中で、
それぞれ、別々の理由で
小さく尊敬したことのある人ばかりだ。
たとえば斬新だったりキレイだったり、
アイディアが豊富だったり緻密だったり、
それぞれにスゴイ作品を作れる人達。

そんな尊敬できる所を持った人々の中で
育っていけることは幸せなのだ。ということを
十分に自覚した上で、

……また落ち込むんだろうなぁ。

その自分の落ち込みを予想するから、怖い。

人が凄ければ凄いほど、ちょっと凹むのだ。
本当にアホな話。非常に稚拙な感覚だけれど、
中学の時にテストが悪くて悔し泣きをした時のような
そういう単純な感情とは違う。
悔しいというよりは「どうしよう」に近い。
スゴイも悔しいも羨ましいも興奮も諦めも
全部含んだ「混乱」だ。
そして、自分は何か足りないなぁと思う。

最近はそういうことにもずいぶん慣れた。
なるべくその混乱を緩和するには、
少しでもましな作品を作る。
それだけ、なのだけど……。
年末年始は統計学に明け暮れていた私に、
あっと言わせられるような準備などはない。
良くも悪くも、いつもの私だ。

昨日キネマ旬報を読んだら、
脚本家の君塚良一氏の「脚本(シナリオ)通りにはいかない!」
という連載の中にこんな部分を見付けた。
「これだけは断言する。
 お金のためにものを創作することなどできない。
 ……その気力は、お金のためという動機では
 とても維持できない。
 お金のために作ったものが、
 人を面白がらせることなど出来るわけがない。」
これは映画やドラマの話なんだろうが、
何故か私まで納得した。そして安心した。
今の自分に出来ることをやるしか、
本当にそれしかないんだと思った。
周りの人がどうだとか、お金がどうだとか、
そういうことは後から付いてくるんだと思った。

その言葉を反芻しつつ、今日は地味にプリンターを修理。
少し、機嫌を直してくれたようで嬉しい。


久々に長旅
2002年01月08日(火)

先月以来、久々に電車に乗った。
毎日アホみたいに電車で通っていると、
もうそこが自分の家のようになってくる。
乗り換えは、隣の部屋に移ったという感じ。
階段を上って、降りて、
大勢の人とすれ違いつつ違う部屋に飛び移る。
駅も電車も、私にとっては自分と無数の他人とが
共有する大きな家のようなものかもしれない。
小さい頃は遊び場にしていたし、
勉強もしたし、本も読んだし、
眠ったり食事したりしてきた。
正直、一番ホッとする時間かもしれない。
なんの問題とも向き合わなくていい時間。
『移動中』だからカウントされない時間。
自分自身に何も期待されない時間。
本当の意味での自由時間……
家で過ごす夜中のように、
何時まで眠らなくてはならない、という義務もなく。
だから長めの休みが明けると、電車に乗って
「ただいま」、という感じだ。
そんな電車との再会も束の間、
帰りにまたダイヤが乱れた。
ああくそぅ、これさえなきゃ電車に住んでもいいのに。

そういえば帰り道、電車で隣りにいた人が
昔の同級生かなぁ?と疑いつつも、
声を掛けられないまま30分ほど過ごした。
うーん、多分あの人だよなぁ。


字詰め日和
2002年01月05日(土)

今日はIllustratorを起動させっぱなし。
Photoshop派の私にしてはたいへん珍しい。
何のことはない、いつものように
パンフレットやら作品集やら作っている。

家族以外人に会わずに過ごす連休は、
雑誌やテレビといったメディアにあまり触れない
自分にとって、学校で人と話すことがどれだけ
大きな情報源になっているかということを実感する。
『どうすりゃいいだろ、作品集。』
……多分学校に行けば相談相手もいるんだろうが、
行くのはどうにもなぁ……。

学校以外ではあまり(専門的な面で)役立つ情報を
くれる人間がいない、というだけだろう。
あらためて考えれば仕方ないことだ。
高校時代の友達に「Webの知識とか全然ないから」
というと、「サイト持ってんのに」と言われる。
そりゃそうなんだけど……就職でプラスになるほど詳しくない。
サーバーをどうこうとか言われてもさっぱりだ。

とりあえず、気分転換に統計学。
やばい、余計ブルーだ。


なんとなく日常が戻ってきつつある
2002年01月03日(木)

今朝は、日常会話でたとえると
「おす」
「おぅ。」
「……」
というような微妙な空気だった。
我ながら何が言いたいのかよくわからないが、
その空気こそ、正月が終わった証しなのだろう。

妹は遊びに出掛け、父は仕事に出掛け、
私はPCで作業する。

で、ふと我に返ってみると
やらなくてはならないことが意外と多く、
ああそっか、私それで焦ってたんだ。と、
『そっか、私こんなことで悩んでたんだ』と
言いながら笑って涙を拭く人とは
真逆の感情――不安感を、めいっぱい味わった。

初夢の話を妹に話す。
「夢ん中でも笑い取ろうとしてたの?」
と笑われた。
笑わせるのは好きだが、笑われるのは微妙。
日本一面白い素人を一応目指す(ことにした)からには、
その程度のプライドは持たなくてはなるまい。
しかし本職のお笑いの人は大変だろうなぁ。
面白くて当然、と言われてしまうのだ…厳しい。
だから私は他に食べる道を見付けつつ、
「なんでこいつ素人なのに面白いんだよ?」と
言われる人間になりたい。
街に一人くらいは、そういう曲者が居てもいいだろう。


小さな闘い
2002年01月02日(水)

ここは、洋風の豪華なお屋敷。

あでやかなドレスに身を包んだ人々が、
穏やかな音楽に乗せて優雅に踊っている。

その中を、私はグレーのスーツに身を包んで
歩いていた。
ほとんどの人々は私には気付かずに、
談笑したり、踊ったりしている。
ああここは映画のワンシーンか何かかな、と
私が思うほど、それは私とは無関係に
展開される世界観だった。

執事のような外人の年配の男性と目があって、
軽く会釈する。向こうも私に軽く会釈する。

二階へ続く、湾曲した階段。
ピンク色の絨毯を申し訳なさそうに踏んで、
私は二階に上がっていった。
すると、階段を上がってすぐのところで
一人のドレスを着た日本人女性が、
立ち止まったまま黒いハンドバッグを
探っていた。
どうしたのだろう、と思った矢先、彼女は
顔を上げて私に言ったのだ。
  「千円あげる。」
  「……え?」
彼女は、二つに折られた千円札を私に差し出した。
周りの人々が私に注目する。
音楽は流れている。
  「……」
これは何かひとこと言わなくては、
という気持ちになった私は、
  「あ〜、こりゃ棚から」
ぼたもちですな、と言おうと思って、
いやしかし、棚から出てくるもので
もっと意外なものは無いだろうか?と
瞬時に考えてしまったのだ。

  「フィッシングですな。」
  「……」
  「…若しくは、フェンシングですな。」
いや、確かに意外だけどもさ。
自分どうした、と思ったが、
周りの人々は特にそれをあざ笑うでもなく、
穏やかに流した。
千円をくれた女性は、気付くと消えていた。
彼女、失礼だが結構ブサイクだったなぁなどと
思っていると、知っている顔が現れた。
さまぁ〜ず(バカルディという名前だったが
改名したお笑いコンビ)の大竹氏だ。
白いタキシードを着た彼は静かに笑いながら
近付いてきて、
  「いやでも、今の良かったんじゃないの。」
と、一言褒め言葉を残して去っていった。

棚からフィッシング。
……どうなんだろ、自分の中で
どう評価したら良いんだろ。
大竹氏は褒めてくれたが……

そんな、自分の笑いのセンスに
微妙な自信と不安を抱えたまま、
私はしばし立ちつくすのだった。


……以上、今年の初夢であった。
棚からぼたもち以外の物を出そうとして、
ひねりすぎておかしくなる過程が、
まさしく私の弱点のような気がする。
豪華なお屋敷が舞台のわりに、
もらう金額が千円であったりと、
どこか貧乏臭さが拭えない。
今年もきっと、私は面白いことを模索するんだろうな。


2002年、始動。
2002年01月01日(火)

とうとう元旦になった。

年が変わる瞬間は大抵絵を描きながら過ごす。
今年もそうだった。
テレビ埼玉を付けながら、漫画を描く。
これこそ理想の大晦日……と勝手に思いこんでいるあたり
自分はどこか凄いと思う。
こういう、「え?」と言われそうな凄さを
大事にしていこうと思う。
どうでもいいことにこだわるのは、一つのギネスの入り口だ。

新年の番組はどれもやたら賑やかで、
逆に気分が沈む。
一日中、雑用に追われ過ごすという意味では
それが大掃除であれお節料理の支度であれ
大して変わらない。
大晦日であれ元旦であれ、
二度と来ない大事な一日であることに
なんの変わりもないのだが、
そのことを普段人は意識することはない。

ありふれた一日がどんなに貴重かということ。
そして、それを365回繰り返すと
地球は太陽の周りを一周するということ。
そのことを思い出すために、人は年という区切りを
大事にするのだろう。
正月もそう、誕生日もそう、
結婚記念日も創立記念日もそう。
記念日はすべて大事な一日で、
そうでない日も大事な一日なのだ。

また日付が変わって、
社会はちょっとずつ動いて、
生物はちょっとずつ老けていく。
新年が来たからといって気持ちを新品にするより、
ずっと変わらずに同じ調子を続けることの方が
凄いことではないか、と思う。
日付に流されずに、自分の一日を暮らしたい。

p.s.だからというわけではないが、
  年賀状はeメールで済ませました。……。