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多摩という街
2001年11月30日(金)

今日は遠出をした。
学校に行き、ゼミ。その後多摩まで行く。
美術館で行われた、コンクリートアートの講義に参加。
コンクリートアートとは、具体美術のこと。
そこに存在する人や物は具体的だが、
絵に描かれた人や物は、具体的ではない。
絵の中で具体的なものは、点や線や図形のみ。
そういう意味での具体的なもの――つまり、
点や線や図形を構成して作るアートのことだという。
予備知識ゼロで行ったが、なかなか面白かった。

さまざまなポスターを見る。
私はレイアウト音痴なので人一倍勉強しなくては、と思う。
(そういえば昨日もそれで本を買ったっけ。)
歌が音痴だという人も訓練をすればある程度治るように、
レイアウト音痴も訓練をすれば改善できると信じる。

帰りに、おぉっ!という光景を見た。
パルテノン大通りとかいう多摩センター駅前の
メインストリートが、イルミネーションで輝いていたのだ。
クリスマスツリーを筆頭に、植え込みやら
動物の形にカットされた植物?やら、
全部がきらきらしている。
「電気のムダやねん」とぼやく自分も何人かいたが、
たいていは「おぉ!」と詠嘆していた。

振り向いて眺めると、光る植え込みが
遠近法のように続いて、その途中にクリスマスツリー。
それなりの壮観。
プロっぽい機材を持った人が写真を撮っている。
その傍らで、親子連れがシャッターを押し…
「あれっ?」「どうしたの」「おかしいなぁ」
……シャッターを、押しそびれていた。
今日見かけた人の中で、一番面白かった。

もう一度見ようと思って振り向く。
そのくらいのクリスマスツリーを背に歩いた。

帰りはモノレールで帰る。
本日、総移動距離200km。
多摩って不思議に豪華な街だ。
ベネッセと遊園地の間に美術館があるとは。

そしてたった今気付いたこと。
明日から、12月なんだ。


新宿にて
2001年11月29日(木)

東急ハンズ・高島屋・紀伊国屋をうろつく。
本当は授業があったが、さぼる。
……良いアイディアを考えるには、
小さな旅が必要だと自分で考えたからだ。
アイディアはどうしたら見付かるのだろう。
アイディアのつくりかた、という実在の本を
探しているが今日も見付からず。

新宿はあまり好きではない。
3年前に一人で新宿に来た時に、
ふと「宇宙で最悪の場所がこの近くにありそうだ」
という気がした(根拠のない直感)。
今はそこまででもないが、やはり好きでない。
人混みと車の多さとゴミの多さが嫌なのだろう。

いかにも都心だぞ!という建物は嫌いではない。
ピカピカしたビル。白っぽい壁とガラスがたくさん。
もうちょっと下町の方にある、レトロな雑居ビルとはコンセプトが違う。
あそこは職場だが、これはオフィスなんだという感じ。
ここがニッポンの都会なのかぁ、と思う。
ここがニッポンなんだなぁ。

街には面白いものが潜んでるんだろうか。
全国の若者が東京に憧れてやってくるが、
過去の云々を差し引いても、私はあまり好きになれない。
いまだにあまり好きになれない。

ハンズはクリスマス一色。
パーティー用品が意味不明で良いが、
一人でじっくり見るのもどうかと思いちらっと見ただけ。
マニアックな素材に関しては池袋の方が
充実していたような気がするけど、
池袋の方には長いこと行っていない。
そっちは小学校の時行ったのが最後かもしれない。
紀伊国屋でペンギンの絵本を読む。しみじみ。
結局、レイアウトの本\2500と
クリームチーズ\780を購入して帰る。

家に帰って、変な時間に一眠り。
その後、急にカレンダーが作りたくなる。
今日の時点では面白い、と思っているが明日はどうだろう?

最近、自分のあらゆる体液が芸術家っぽい。
それで数学が苦手なんだ、と思うようにすることにした。


音楽を聴いた
2001年11月28日(水)

今日は久々にコンポのスイッチを入れ、音楽を聴いた。
よほど体調が良くないかぎり音楽は聴かないのだが、
冬になるとそういう日が増えるのでうれしい。
そもそも私は音楽は好きだったな、と思いつつ
山積みにされていたMDの中から適当に聴く。

買ったCDでも一回しか聴いていなかったりして
勿体ないなぁと我ながら思うが、考えてみれば
漫画などは買っても数ページしか読まずに
放置してあるものが結構あるからもっと酷い。
ユーミンのモノマネ練習用MDもあまり
聴いていなかったなぁ。……特訓せねば。

BGMが流れる部屋でPCの作業をしたり、
犬の散歩をしたり買い物をしたり。
冬らしい地味な疲れがたまり、指先が冷えきり、
夕方にかけて穏やかに具合が悪くなる。
ゆったりとした下降。

ばたばたと夕飯の支度を補佐しながら思う。
私は休みをとるのが苦手なだけだ、と。


インフルエンザ注意報
2001年11月27日(火)

今年は流行るらしい。
インフルエンザ。
去年はからきしで、顔見知りの薬剤師さんが
「経営キビシイ」とこぼしていたのを覚えている。
今年はそれなりに儲かるのだろうな。
良かったね、と素直に思いづらいけれど。

病院や薬局が儲かったり、
警察官が多忙だったり、
……繁盛するのが微妙な職種っていうのも
考えてみるとあるものだ。


イン・キャラクター
2001年11月26日(月)

Character:
(個人・国民の)性格性質気質
(ものの)特質特性特色

……ああ、キャラクターって英語辞書で引くと
こういう意味なんだよね。
と思いつつ。

私はスタイリッシュなものを『作る』のは苦手だが、
キャラクターやデフォルメ画を『描く』のはいくらか得意らしい。
今日も人の作品を見て、圧倒される。うちのめされる。
ああスゲェ、かっこいい、と感嘆する。
微妙にユーモアのセンスも漂ったりしていれば
尚更惹かれ。

でも、なぜか『芯から憧れる』ところまではいかない。
自分に合う世界観は別にあるのでは、とどこかで思う。

今まではそれを探すために本屋へ行ったり、
初めて行く雑貨屋へ行ったり、
珍しく都会に行ったりしてきた。
うろうろと歩いて、歩くうちに脚力がついて
最近体はいくぶん健康になってきている。
ただ歩いた分、絵を描くことを置き去りにしていた
気がして、それはそれは哀しかった。
なんだか常に絵を描いていないと不自然なような自分。
だとすれば、ずいぶん長い間私は
不自然な酸素の摂取方をしていたということだ。
キンギョをむりやり水槽から出して
酸素マスクを付けさせたような。

探している世界観は、
案外自分の部屋で見付かるのでは。
と、そんな気がしてきた。


朽ちないものと朽ちるもの
2001年11月24日(土)

小学校時代、とある藤子不二夫作品を
読んだ時のこと。
街角の風景を描いたコマの中に、
見知らぬ木の箱が置いてある。
「これなに?」と傍らにいた母親に訊いたところ、
「昔のゴミ箱」と答えた。
その漫画が描かれたのは、昭和40年代。
ゴミ箱がプラスチックではなく木で出来ていたころの話。
そういえば、ドラえもんののび太のパパは、
学童疎開の経験があるのだった。
会社では背広だが、家に帰ると褞袍を着用した世代が、
小学生の父親だった時期。

そんな時代に描かれた作品なのに、
ちっとも「古くさく」ないことに驚いた。
キャラクターたちの呼吸の仕方――たとえロボットで
あっても――が、自然界の普遍的なリズムと合致する感じ。
生き生きとして躍動感があるというよりは、
地に足の着いた生活感がある。
手塚漫画になくて藤子漫画にある魅力だと思う。

昔買った携帯電話はたいへん古くさく見える。
買った当初はまぎれもなく『新品』であり、
『技術の最先端』であったのに。
私が工業製品にいまいち傾倒しきれない原因は、
このあたりに潜んでいる気がする。


平和ながら
2001年11月23日(金)

某冊子のカット用イラストを描く。
まじめな依頼っぽいのでまじめに描く。
でもやっぱ、アナログの作業の方が好きだなぁ。
久々すぎて緊張するのが哀しいやら……
手を動かす習慣は本当に大事だ。
ベジェ曲線が上手くない分、アナログで努力をしよう。
地道に地道に。あせらずへこまず。


不思議なラッキーと日没
2001年11月22日(木)

今日は、小さく運がいい一日だった。

まず朝。
起きるのに望ましい時間よりも10分早く、
自然に目が醒める。いつもの頭痛も無い。

久々に朝食を食べる。
いや、毎朝抜いているわけではない。
この時間に食べるのが久々なだけだ。
今日のように出発時刻が6時台であると、
そういう朝は私の場合、たいがい
食欲もなければ時間もないものなのだ。

ところが今朝は、食欲もあった。時間もある。

昨日買ったカルツォーネ(餃子状の包み焼きピザ)を
焼き直したもの半分と、烏龍茶を一杯。
ああなんか朝だなぁ。家族も寝ていて、静かだし。

で、家を出て電車に乗る。
いつものように車内で熟睡していたのだが、
乗り換えるべきN駅に着いたと同時に
パカッと目が醒めた。
こういうタイミングの良さ。
しかもたいてい寝起きは頭痛がガンガンしているのに、
今日はそういった小さなストレスが一切無い。

学校に着く。
いつもは眠いのに、眠くない。不思議だ。
……夕べ寝たのは2時過ぎだったはずなのに。
あっ、いつも授業に来ている友人が来てない。
風邪だろうか。と心配ではあるが、
今までの自分の幸運があまりにも珍しくて
ひょっとしてこれは夢の続きでは、と
一人疑っていたので
電話をかけようとも思いつけなかった。

昼間も、ラフなスケッチを描いたりして過ごした。

頭痛が来ない。太陽もあたたかい。
図書館が空いている。
私は珍しく、授業をサボろうかなどと思っている。
だってこれ、夢だろう?

……しかし違った。
現実はすぐやってきた。
太陽が沈むくらいの時刻だった。
突然、降って湧いたような頭痛が襲いかかる。
その瞬間かつてのように、声を出さずにうめいた。
ああそうだった、こういう日はまとめて『来る』んだ。
ずる賢いゲームの相手のように、
それは油断した時にやって来る。
治ったと思うとまた繰り返す。
先刻までの調子の良さは夢というよりフェイントか?
来たら腹をくくって、治すしかない。
しばらく冷え切った指先でこめかみを冷やす。
少しずつ痛みが引いていく。
この手の痛みの性質は、知り尽くしている。
だから何事もなかったように人と会話し、
階段の手すりも使わずに70km離れた自宅まで
帰ることができるのだ。

……今日の小さな幸運は太陽とともにどこかへ沈んだ。
急激な気温の変化で調子が乱れたからだ、と
自分で自分に説明する。
そうしないと、あの痛みを正当化できない。

温度変化に慣れてからは、普通に。
そして今も、何事もなかったように。

今日も平和な一日であった。


JRのおもひで
2001年11月21日(水)

11月18日、Suica発売。

私は発足当初以来のJRユーザー。
自他とも認めるJRユーザー。
なにしろ徒歩とJR以外の交通機関で通学した経験はゼロ。
バスも私鉄も使わず、自転車は乗れず(笑)。
Suica。という、新しい何か。
必要経費は最低500円。
これは買うしかないかな、と半ば好奇心で購入した。

ピッ、という小気味良い音。
カバンに入れたままでも通れる。
「おぉ、21世紀が来たっ!」と、
片田舎の駅で急に実感しているアホここにあり。

1990年4月、自動改札を初めて利用した時も、
都会の改札口で「わぁっ!!」と感動した。
80年代はもう古いぜ、という感じだったろうか(不明)。
当時導入されたJR初の自動改札機は、
渋谷駅と駒込駅にのみ設置された。
4月いっぱいくらいは、メーカーの方が
折り畳み椅子に座って毎日見張っていた。
そして、詰まっては修理、詰まっては修理。
まだ試験段階だったのかもしれない。
改札機の中を開けて修理する風景は今もよく見られるが、
当時のギャラリーにとってはその様子が珍しくて
いい大人まで足を止めたりしていた。
そういえば見なくなったなぁ、
「裏が白い定期券をお持ちのお客様は、
 駅係員のいる通路をご利用下さい」という貼り紙。
水が付くとにじんでしまう厚紙の白い定期も、
長いこと見ていないし。

技術はどこまでいくのだろう。
そんなことを少ない頭で考える。
もうこれ以上いいじゃない、と思う反面、
目新しい物が面白いとつい立ち止まって見てしまう。

通路だった改札がみんなのオモチャになり、
切符のハサミ跡は丸い穴になり、
厚紙は預金カードになった。
今後も色んな物を卒業して、時代は進化していくのだろう。
私もようやく、その流れをギリギリ実感できる
程度には長く生きたのだ。

改札に立つ駅員さんの足元に、
冬場は小さな暖房機が置いてあったっけ。
そんな光景も無くなったなぁと思い、
なんとなくここに書いてみる。
どれも小さな事なんだけど、ただ忘れないために。


大先輩
2001年11月19日(月)

数年前に某大手企業から独立されたK氏の
講演会があった。うちの学校の有名なOBだ。

濃厚な2時間だった。
あくまでも俺は俺だ、という生き方を
貫いておられる方で、日本では各人の個性を殺すような
企業が多いことについて鋭く批判しながら、
熱く語る6×歳。お若い、というか生き生きしている。
ウン十年後、私もあのくらい元気でいたいものだ。

質問ありませんか、というのに誰も手を挙げない。
天性の目立ちたがりが功を奏して、私は挙手していた。
だって勿体ないじゃない、という感じがした。

自分が人と違う感じがするのは、
未熟だからなのか個性なのか。
それが解らないんです、悩んでいますと訊いてみた。
それは実は、幼い頃からの疑問だった。
すると舌の根も乾かぬ内に、「解らなくて当然です」と
はっきりとした答えが返ってきた。

やり方は周囲と同じでも、考え方は同化してはいけない。
自分の現在の稚拙さなど、うまく見えなくて当然。
悩まずに、やりたいことをやれば良い………

他の人にも言われてきたことだった。
ただ、特に彼の場合、気持ちいいくらいに即答だった。

なにかを熱心に続ければ、自然と向上していく。
ましてや好きなことなら、尚更。
その基本を大切にしていこう、と思った。


100の質問の嵐
2001年11月18日(日)

最近、いろんな「100の質問」を見かける。
例えば「小説書きに100の質問」だと、好きな作家や
書く上で気を付けていることなどといった質問。
「○○好きに100の質問」なら、ハマったきっかけとかだろうか。
たまに質問を作るのに疲れたのか「50の質問」とかもある。
まぁ確かに、100問もあると答える方も疲れてしまう。

ネットで遊ぶ姉さんたちに100の質問、というのには
実際答えたことがある。
「ネットデビューはいつごろですか」といった
差し障りの無さそうなものから、
「最愛の彼氏(ダンナ)が浮気!
 あなたならどうする?」といった、
プライバシーつかみ取り放題な質問まである。
こういう質問を受けると必ず笑いを取ってしまうのが
私の哀しくも実は楽しい性で、
上記の「最愛の〜」質問には、いちおう
「お笑いのオーディションを受ける」と答えてみた。
こんなことなら浮気するんじゃなかった、と
その彼氏が海よりも深く後悔するくらい、
浮気された怒りのエナジーを利用して売れてしまえ!
そんな臨機応変な姉さんがいたら、是非とも応援したい。
その行動力は世界を変えるであろう!
いやほんと、発想の転換って大事じゃないかと思うので(笑)

他にも、「自分を動物にたとえると何?
その理由は?」というのがあった。
私は「キングスライム」。
理由は、「偉いのかそうでもないのかよくわからない」。
……エニックス限定というのもまたミソである。
どうあがいてもファイナルファンタジーには
出演できそうもない生き物だ。
尚、自分をドラクエのキャラでたとえるなら
ダーマ神殿で職業の説明をしている人だと思う。
たまにテンションが暴走するところなんて、
まさに適役(?)。

友人数人で同じ質問に答え、それを照らし合わせる。
すると、自分の答えがたいてい一番ファニーなのでわくわくする。
(理由:他の人は別に笑いをとろうと意図していないため)
私が好きなのは、自分が残した面白い足跡を
見直す瞬間のようだ。
いつまでも面白いと思えるもの・こと。
そんなものが大好きだ。
流行の化粧品について考えることなんかよりも、ずっと。

自分の人生を見直せば、面白いことばっかり。
常にそんな風にいられたらいい。
その反動か、普段は身近な人間に対して
愚痴っぽくなりがちな気がする。(ここの雑文然り。)
おしゃべりな分、かなりうけたたましく愚痴っているので
周りにしてみりゃ迷惑だろうに、みんな結局いい人だ。
私は最近、上向きな感情を節約している気がする。
まるで普段節約してきりつめてきりつめて、
タンスの中に小金を貯めてニヤついているような。

私の中のプラスの要素は、
一箇所にこっそりとしまってあるのだ。きっと。


前例
2001年11月16日(金)

前例が無いなら、自分が最初になってやろう。

最近の自分には、
そういう気持ちが欠けている、と気付いた。
実際それができなくても、そのくらいの覚悟を
持つことは尊いのではないかと思っている。

普通じゃない、と差別化を図ってきた自分も、
気付いたら前の人の足跡ばかり追う人間になっていた。
まぁ私より歳をとった人や凄い人は当然たくさんいるわけで、
特にここ数年はそういう人に会える事が多い。
(そういう人に会える場所に
 集える権利を掴むための努力、
 それが受験勉強だというのが私の持論だ)
凄い人に会った分、驚く回数が増え、
自分自身が情けなくなる回数が増えに増え。
わけのわからない恐怖感がある。
人を見たら凄いと思え、になった。
(それまでは泥棒と思え、だったのに。)
人まねをしようとして、それすらもできなくて、
あ〜、世捨て人になりたいなどと思った
(世捨て人も多分そう甘くはなかろうに)。

一人きり、で何が怖いというのだろう?今更。
(あっ、お金をくれる人がいなくなるからか!
 あ〜……それは怖いなぁ。)
でも人と同じ事をするということは、
その人にしかなれない、ということに近いような
気がして、それが恐怖感の原因かもしれない。

度胸が無くなったという以上に、
疲れが嫌になったのだろう。
でも、精一杯なにかできる人間の方が、
そうできない人間よりも遙かに凄いわけだから、
いい意味で怖いもの知らずでいたいもんだ。と思う。
どこに行っても、決して消えてしまわないように。


杞憂
2001年11月14日(水)

デザインだとか何だとかいう世界を考えると、
世の中ありとあらゆるものがありすぎる気がする。
もう生み出されるべきものは生み出され尽くして
いるのではないか、だから自分は
不必要では?という不安すら覚えるほど。

私は幼少期から面白いことを考えるのが好きだった。
周りと違うことをするのは当たり前だった。
(幼い時期を大らかな環境で過ごせたことは
たぶん良いことだったように思う。)
しかし、面白いことを生み出すのは難しく、
才能には必ず限界があるらしいよ、ということを
7歳くらいの頃たまたま聞きかじった。
なぜか不安になった。
自分に何か才能があるかどうかは努力しないと解らないし、
努力を積んだ上で才能がないと気付いてしまう
人間がゴマンといるという。
自分の持っている鉛筆が、
自分に何をもたらすのか。何を導くのか、
すごく不安になった覚えがある。

自分が鉛筆で書いた文、絵、線の一本一本が、
やがて過去になり、それを見直して下手だと
言われるのは嫌だなと思っていた。
やがてつたなくなる現在のために消費される
ノートのせいで、何本の木が倒れただろうと
嘆いた。
でも、何かを書かなくては私はつたないままなのだ。
そんなにまでして自分は育つ価値があるのか。
地球を汚して、外国の知らない子供が飢えている
最中に平和な食卓で夕飯を食べ、
そんな自分に生きる資格があるのか。
などという内容のことを、
もっとずっとシンプルな言葉ではあるが悩んでいた。
……どんだけ可愛げのない子供だろう。

私は頭が良くも悪くもないが、
ゆっくりというよりは素早い方だろう。
無駄なことで憂慮して損をするタイプで、
人の三倍の速度で歳を取っている気がするのは
無駄に考え込んだ量が多めだからかもしれない。
時々、自分の知性と感性のピークは
10歳で過ぎたかな、あとは死に至るまでの
履歴にすぎないのか?と思ってしまう。
無駄だとわかっている悩みを抱える癖も
当時そのまま。困ったことだ。
どんだけ可愛げのない学生だろう。

もっと行動することにエネルギーを費やすようにしよう。
自分の顔を触って、まだ老人ではないことを確認。
しわはない。
このままだと、当分は生きていられそうだ。


人生の笑いどころ
2001年11月13日(火)

誰の生活にも、一つや二つ笑いどころがある。
そんなことない、俺の生活楽しくないよ、と思うのは
ただそれを気付かずに見落としているだけなのだ。
とある四コマ作家の言葉によれば、
「ネタは考えるのではなく、拾うもの」だという。
どんなありふれた生活でも笑いのポイントはきっとある。
ある落語家は、自分が胃ガンの治療で胃を摘出した時、
それをネタにして笑いを取っていた。
そうまでできたら凄いなあと思うが、
面白くなりたいーーと叫んでいるだけでは
そりゃ面白くなれないよなァと思った。
自分の人生の不幸や背負ったコンプレックスすら
一気に笑い飛ばすような、
そこまでひねくれた着眼点を持ちたいものだ。

しかし、ひねくれ度としては自分は充分かなと思うこともある。
MasterCardのCMを見ていた。
女の子がユニフォームを着て
サッカーの応援をする時にかかるお金のCM。
「初めてのブルーのユニフォーム ¥5300」
「初めてのフェイスペインティング ¥1800」
「サポーターフラッグ ¥2800」
「その熱い思い priceless」

というCMを見て思った感想は、
 第一位・「高っ!!」
 第二位・「わ〜…こんなにかかるんだ?」
 第三位・「これ、さらにチケット代もかかるんだよな?」

………ますますスポーツ観戦から遠ざかる自分が居た。
などと世知辛いことを考えていたら、
アメリカン航空機が墜落した。
世界は色々複雑だ。ニュースを見ながら
顔をしかめていたら、日付が変わってしまっていた。

今日も存分に混乱したところで、
とりあえず眠ろう。
考えるのは最近苦手だ。
頭そのものはそんなに悪くはないはずだが。
私の頭は悪いというより、弱いのだろう。


楽しませながら楽しむ人
2001年11月11日(日)

昨日は妹とその親友の引率として、
某専門学校の学園祭に行って来た。
その専門学校に進学したい、というわけでもない
二人を連れて、どうしてわざわざ出向いたか。
それは、とあるお笑いコンビがゲストだったからである。
妹の親友がめちゃくちゃファンだそうで、
妹を誘い。
で、更に学校までの行き方が解らないので
「お笑い+電車=はやさん」という解答が出たらしい。
くわえて、ちょっと帰りが遅くなりそうだったのだが
「はやさんが一緒なら大丈夫でしょう」と
親友の子のお母様も納得したのだそうで。
(実際そんな頼りある姉さんではないのだが)

体調が悪くなかったら行くけどね、と
言っていたのだが、
体調が特に悪くなかった上に気分転換
したかったので行ったのだ。

人の多そうなイベントには絶対顔を出さない私が、
珍しくそういうイベントに参加した。
とはいえ、持ち前の席取り技術を駆使して
行き帰りの電車では全て座り、
休憩を上手に取ったために今日もそれほど疲れていない。
イベントもしっかり座って観た。
何より、妹の親友の子がとても良い子で、
こういう子と親しいというのは妹にとって良いことだな、
とつくづく思ったのも精神衛生上良かった。

知らない場所に人を連れて行くのもいいもんだ。
一人で出掛けるより楽しかったのは、
楽しそうな二人が側に居たからだろう。
誰かと一対一だと、よほど親しくないかぎり
なんだか会話をしなくてはという切迫感があって
苦手なのだが、3人以上だとぼーっとして居られるので
かえって自由な気がする。

で、お笑いのライブを見た。
あーさすがだなぁ、と思った。
素人とは何か違う。上手く言えない、何か。

芸で飯を食うのは大変だ。
頭の回転が速くて、度胸があって、
精神もタフでなくてはならない。
自分の生き方をそのまま売っている。
そんな気がする。

何かを作る人と受け取る人と、
人間を二種類にわけたとして、
お笑いの人は前者にあたるだろうし、
私も前者を目指している。
くわえて、人を楽しませることに
生き甲斐を感じるという点も共通している。
だからなんとなく、私はお笑いさん方に
淡い親近感を持ってしまうのかもしれない。

裏側の苦労を微塵も見せずに、
人を楽しませること。
それがプロの仕事なんだなぁ、と思った。
私もいつかプロになりたい。


睡眠と酸素が足りない
2001年11月08日(木)

今朝は六時前に起床し、学校へ。
英単語80個も覚えてられるかよーとか
ぼやきつつ、朝ご飯兼昼ご飯を食いまくる。
で、昼間はぼーっとお絵描き。
最近たまに、絵を描きたいという気分になれる時があり、
それが妙に嬉しい。自分の選んだ道が少なくとも
『大間違い』ではなかったことの証しを得た思い。
それからふらふらと研究室に立ち寄って、
先輩方の十人十色な日常のひとコマを見守り
ふたたび授業へ。
しかし寒い。本日、常に4枚も重ね着。
おかげで腕が曲げにくいったら。

就職にまつわる話を長時間聞く。
寒さのあまり、未来よりも今日の心配が大きい。
自分の未来の職業と、健康が気になる。
生きていなくてはやはりどうにもならぬ。

ゼミ同輩のM嬢から、おかべりかさんという方の
絵本を借りる。この方、出身地がうちの近くだなぁ。
懐かしげな面白さがある。
なんか忘れていた種類の笑いだ。

ものすごい勢いで何かが流れていく。
20代は過ぎるのが早いというが、
私の場合どうなるのだろう。気持ちは初老。

帰りの電車、酔っぱらったおじさん3人が
大声ではしゃぎながら乗ってきた。
「俺はァ〜、そこらへんの男とは違うんだよ」
と大声でのたまう。
どこが違うんだよ、と心でツッコんだのち思う。
私もそんな程度かな。と。
自分の非力さは常に切ないが、
だからこそ自信を持たねばならぬとも思う。

まずは行動あるのみ、とはいえ眠い。


結局在宅。
2001年11月07日(水)

結局、「風が強すぎて」といった頼りない理由で中止。
意外とハメハメハ大王の親類かもしれない。

で、何をしていたか。
………強いて言うと、話を考えていました。
ストーリー作りは基本的に好きだ。
そういう目的のある「ぼーっ」とした時空間。
つまりほとんど充電的な一日だったのだが、
卒研のことばかり考えすぎて、自分のしたいことが
見えなくなっている私にとってそれは
必要な時間なんだと思う。
真面目、というのは良いことだが、それも基本的な話。
「真面目過ぎ」てもいけないのだ。
過ぎたるは、なお及ばざるがごとし。
しかしどこからが「過ぎ」なのか、
どこまでだと「及ばず」なのか。
基準はファジィ。
どうしたら、心理的代謝がきちんと巡るんだろう……


モーターショーに行かざるべきか
2001年11月06日(火)

小さく悩んでいる。
明日はモーターショー最終日。
混むんだろうなぁ。

だったら、モーターショーにいったつもりで
別の場所へ行くというのはどうだろう、などと考える。
「疲れたけど、モーターショー行く予定だったんだから
 それよりはましだよね」と言って苦笑する余地がありそうだ。

それにしても混雑は嫌である。CO2が多すぎる。
空気がうまい場所はいい。
空気がうまいことの価値は、
都会にいたことがあれば実感できるだろう。
若者はたいてい街を目指すが、
私は若者と呼ばれる前に街を嫌ってしまった。
しかし自分は虫も苦手で車も運転できないので、
完全に都市部生息型の人間なのだ。
物理的条件を無視すれば、田舎に住むだろうが
心意気のみで人は生きられず。
人間風情、現実に縛られざるを得ないのか。
そんなわけで人混みに馴染まねばならんらしい……。


社会のノート
2001年11月04日(日)

人に誇れる作品。
そんなものを、私は残しただろうか。

誇れる、というのがどの程度のものかは
よくわからないが、まぁここでの意味は一応
友達に「これ、面白い(?)から見てみてよ」と
軽くおすすめ出来る程度のもの、としておこう。

そう考えると、ない。
少なくとも、近年は。

「私は人よりも絵が上手いのではなかろうか」と
調子に乗ることになったきっかけは何だろう。
人に勧められないような有害物質ばかりを生産する
迷惑な奴が、一体どういう経緯でお絵描きの世界に
入ろうと思うに至ったか。

その答えは、私の場合だと中学の時の社会のノートに
あったようだ。
当時一番苦手な科目は社会で(今もだが)、
どうにか社会の成績を上げないとヤバイ、という
ことになった。このままでは社会を嫌いに
なってしまいそうで、それだけは避けようと思った。
小学校時代は強制的に勉強させられてきた私だが、
もう中学生になったわけだし、学問を楽しむ余地が
あってもいいじゃないか(※注・まだ義務教育中
なんだからとにかくやっとけ、と今では思う)。
などと当時の私は思った。
今と考え方が同じである。
苦手な物をイラストで楽しみながら学べないか、と
考えたわけだ。

当時の社会のノートを開くと、そこは極彩色の世界だ。
30色近い水性サインペンと、
輪郭用の黒い油性ボールペンで、
漫画チックなイラストを全編に渡って添えた。
歴史的な流れは、トピックごとに絵を描きまくり、
矢印で縦横無尽に展開しながら、先生からの情報を描き記した。
先生の話は全神経で聞いた。
即座にネタを考え、下書き無しで
一気に色塗りまで仕上げ、授業が終わる時には
描き終わっている。
当時の時事問題(○ウム事件等)がふんだんに盛り込まれ、
先生も面白がっておられたようだ。

とにかく、楽しかった。
面白さを求めて、描いているという行為と、
出来上がったノートが増えていく経過が。


そして迎えた高校入試。

―――社会の点数は―――26点。(40点満点)

他の科目が良かったから合格できたものの、
実益がともなったかどうかは微妙なノート。
今でも手元に保管している。

楽しさと、実益と。
両方見つめるとなると難しい。

でも、両方損なうくらいなら、
楽しいだけでも構わないではないか。
まだ転んでも、今の私の場合先が長いのだから。


すじちがい
2001年11月02日(金)

袈裟尾北。
いやいやいや、今朝起きた。
すると、起きあがれなかった。
 「………!???」
ヤバイ。動けん!!

仕方ないので家族を呼ぶ。
私がこうして人を呼ぶのは初めてではない。
部屋のドアが壊れて開かなくなったり、
急に酷い腹痛で生命の危機を感じたり、
で、今回は「動けない」だ。

原因は首。
首がほとんど動かせなかった。
手を引っ張ってもらってようやく起きる。
漫画でいうなら、首を動かそうとするたびに
『ギギギ……』ないしは『ぎぎぎ……』という
効果音が書き文字で入るはずだ。

右しか向けない。
正面が向けないのだ。
今はだいぶ楽になったが、
それでも右斜め前を向いて書いている。

今日を含めて連日予定が入っていたが、
おおかたキャンセルになりそうだ。
原因はむろん首。