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死を意識したこと
2001年10月31日(水)

今年の6月、ちょっと不注意で後頭部を打った。
大事をとってすぐに帰宅し、
翌日は脳の検査に行くことにした。

その日、多分大丈夫だろう、と思いつつも
久々に死ぬということを身近に感じていた。
頭を打つ人は大勢いるだろうが、そのうち
『打ち所が悪い』人はどれくらいいるだろう。
それは神様か何かが決めた、偶然という名の運命で決まる。
人間の力だけではどうにもならない場合があって、
そんな状況のことを『運が悪かった』と言う。
――そんな風に思ってしまう。
それくらい人間は非力だ。
非力だから、病気や怪我といった苦痛、
さらに死を恐れる心を持つ。

検査結果を待ちながら、
数年前のことを思い出した。
立ち上がれない、歩けないぐらいの頭痛。
家庭医学事典というぶあつい本の
頭痛のページを繰ると、一番最初に
怖い単語が並んでいた。
くも膜下出血。またはその他の脳の障害。
これらは激しい頭痛を伴い、とにかく
非常に危険であるといったことが書いてあった。

その時、悩んだ。深刻だった。
頭痛の原因は他にも色々考えられたが、
生半可な痛みでない以上、
しかも薬を飲んでも治らない以上、
一番最悪のケースばかりを疑ってしまっていた。
脳の血管に障害が出るにはまだ若すぎるという
事実だけが救いだった。
自分はもしかして死ぬかも知れない。
ひょっとしたら、今日、
ここで交わす会話が最後の言葉になるかもしれない。
世界中が不思議といとおしくなる。
すべてが、平和になれよと願う。
不思議に創作意欲が湧いてくる。
何か少しでも多く描き残さなくてはと思う。
嘆くよりはよっぽど賢い行動だと信じて。

―――……結局、結果は良しと出た。
脳にも血液にも異状は見られず、
痴呆の心配も当分ないと言われた。
年齢相応の健康な肉体であると診断された。
それはそれで哀しかった―――なにしろ、
当時テレビを見るのも辛いくらいの頭痛が
24時間止まらなかったのだから。
他の、元気そうな人達と一緒にされては納得行かないじゃないか。
で、『なんで悪いところが見付からないんだよ』
という、私の逆ギレ患者人生が始まった。
原因が見付からないので治しようがない。
結局漢方薬と民間療法で治すことにし、
かなり改善されたこんにちでも
日によって体調にばらつきがあったりと、
わりとアンニュイな生活をしている。

―――もし“これから”が無いとしたら、
“今日”、何をするだろうか。
一分一秒が大切で、雑草の一本さえ愛おしい。
むろん、息をしている自分のことを
普段以上に愛しながら。


それにひきかえ今の私は、
やりたいことを見失いつつある。

そう思う若者は結構いるだろう。
いや、あまり若くない世代の中にも、
そう思う方はおられるのではなかろうか。

自分が本当にやりたいこと。

『天使にラブソングを2』の中に、
確かこんな台詞があった。
歌手になるのを諦めようとしている女の子に、
ウーピー扮するシスターがこう言う。
 「あんたがもし朝目覚めて、
  歌うことしか頭になかったら、
  そりゃあ歌手になるべきよ。」

……ちなみに、今日の朝目覚めて
私が思ったことは、
  「やばい!違う非常口探さなきゃ!!」

………また、デンジェラスな夢を見ていた。

追加:何をやりたいのか、ますますわからない。


また頭痛
2001年10月29日(月)

頭痛が酷い。
そんなこんなで、今日はよく解らないまま
一日過ごしてしまった。
学校に行ったりバイトに行ったりと、
それなりに予定は多かったはずなのだが。
ぼんやりとした意識のまま、
総移動距離150km以上。
こんなぼやけた人間でもそんなに移動できる時代。
……怖いもんだなぁ。とは思う。少なくとも。


方向性
2001年10月28日(日)

ここのサイトに飾ってある私のイラストにいる、
海産物キャラクターが意外に好評らしい。
私がやりたいのはいしいひさいち的笑い画なのだが、
そっちよりは緻密なメルヘンに傾いた方がよいのでは、と
なんとなく思うようになった。
工業製品を書くのもキライじゃないが、
表情のあるキャラクターを描くのが本当は好きだ。

最近、ある程度の年齢になれば
大抵の人が普通にぶつかる問題に
直面している。就職だ。

イラストレータァになれたらそりゃ一番いいが……
なんせこんな有り様である。
漫画もきちんと描いたことはないし、
どのみち、何をして暮らすにしても
今のままの私で通用するはずなどない。
じゃあ何を磨けば良いか、ということを
早急に決断して実行に移すべき時になりつつある。
機はある程度熟したのだ。

自分の感性を学校に合わせることないからね、
ととある友人が言っていた。
確かに、学校に捕われすぎてはいけないなぁ。
自分あっての学びの場なのだ。


やることがいっぱいだ
2001年10月26日(金)

英語に興味を持ち始めて、はや三週間。
やたら英語教材についての情報収集に蠢いている。
なんで英語か、というと今自分が学びたいと思うからだ。
大事なのは英語という言語そのものでなく、
英語をツールとして得ようとすることで生まれる
人生経験だと思う。例えば、知らない文化へのチャレンジだ。
そういう広がりは言葉という媒体の面白さだと思う。
言語はそもそも勉強するものではない。
本来、数学や理科と同列のものとして並べるべき
たぐいではないと思う。
なんだかなぁ……まだまだ深い。
絵本、という形式にこだわりすぎているかもしれない。
全てを参考に。


海外で得たこととは
2001年10月23日(火)

英語。
それは、なんとなく国際人の証し。
英語の教材(?)らしきものを作りたいと考え、
英語にまつわる考え事をしてみた。

7年前の夏、私は初めて英語圏の国に足を踏み入れた。
夏休みを利用しての、一ヶ月間のホームステイ。

アメリカの、一般のご家庭。
ご両親に、男の子二人と娘さんがいっぱい。
そのメンバーに紛れ込むように、
娘の一人として、ひと月の間暮らした。
その間、日本人は全く見かけない。
無論、日本語も話さない。会話はひたすら英語だ。
大人数の家族特有の大らかさとつつましさ、
ご両親の品の良さと優しさ、
そして子供達の元気さが融合したような、空気。

その中で学んだのは英語だろうか?と最近思う。
あの一ヶ月で私が得たのは何だったろう。
語学力?会話なんてもんは中学の英語で充分通じたし、
発音や聞き取りの力も、帰国して数年も経てば元通りだろう。
ただ。一箇所だけ大きく変わったと言えるのは、
自己主張の強さではなかろうか、と最近思う。
言葉の通じない国で知らない人と仲良くなるには、
全身で自己主張しなければいけない。
考えたことはすぐ行動で示さないと、誰も振り向いてくれない。
黙っていても流れてくれる空気などない。
すぐに息苦しくなってしまう。
能動的にならなくては、と骨身にしみて思った。

帰国して1ヶ月後、私は前々から自分に合わないと
思っていた学校を自主退学することを決意した。

海外で過ごしたあの一ヶ月で、英語が上手くなったか
どうかは今となっては定かではない。
強いていうなら、行きの飛行機で関西人としゃべっていたため、
関西弁が伝染ってしまったことくらいだ(未だに抜けない)。
それ以上に、何か変わった。
あれから、余計な発言をするようになった。
鬱陶しいキャラになった。
人と違う自分であってもそれほど気にしなくなった。
自分を伝えるにはどうしたらよいかを考える
最初のきっかけになった、とまでは言い過ぎかもしれないが。

ああいう、自分を変えてくれるような旅を
またしてみたい。もう無理だろうか。


腱鞘炎疑惑の朝
2001年10月22日(月)

多分……多分筋肉痛だろう。
筋肉痛であってくれ、この指と腕の痛み。

マウスを握るとズギズギする。
ズキズキ以上にぎこちない、
ズギズギである(よく見ると違う)。

つり革を掴むのも辛い朝、私は学校に向かう電車に乗っていた。
そんな朝に限って親子連れが車内で
おにぎりを食べていた。座る私のすぐ隣りで。

一言:ここは公園のベンチかよ!!

こっちは夕べから何も食べていないのに、
さらにこの後昼時過ぎまで何も食する暇がないのに、
そんな健康的な顔でパクつかないでくれ……。
米粒シートにこぼさないでくれ……。
おしぼりで手拭きまくらないでくれ……。
そういった思いでいたら、
立っている年配の男性と
妊娠中らしき女性が同時に私の視界に入る。
あ、これは譲らなきゃ。
自慢でも善人ぶりたいわけでもないが、
私はわりと席を譲る方だ。
なぜなら、自分が譲られたいからである。
さかのぼること5年前、最も体調が悪かった頃、
譲って欲しくて仕方なかった。
しかし顔が若いので誰も譲ってくれなかった(そりゃそうだ)
その時の悲しさの裏返しなのである。
で、その二名のどちらかに譲ろうかと思ったが
妊娠中なのか太っておられるのかがわからず、
判定しかねたので年配の方に譲ることにした。
それ以降はずっと立っていたのだが、
席が空くたびに「あ、むこうの妊娠中のような人は……」と
その女性ばかりを気にしていたので、
毎回座るチャンスを逃していた。
そんなこんなで1時間弱。
朝からぐったりする私の背後では、
例の子供連れがほのぼのとなごんで座っていた。
長時間つり革に捕まったせいで、
私の手は痛みを感じないほどにしびれていた。
あ〜あ、ある意味楽だわな。全然痛くない。
何か触っても感じもしない……。

……………旅に出よっかナ。
などと、こういう朝は特にそう思うのだ。
気分的にはJR東海。


疲れている……のになぁ。
2001年10月21日(日)

なのに何故かピアノ磨きと掃除をしてしまった。
どうしてだ、どうしてなんだ。
ぼろぼろな時に限って働いちまう。
頭痛と胃痛と喉痛だけならまだしも、
両腕がおかしい。先週から腱鞘炎気味で
動かすとピリピリとしびれる。
絵の描きすぎでおかしいんならまだしも、
多分重い物の運びすぎと冷えこみのせいだ。

そんなこととは無関係に、
結婚式の司会がやりたいなぁ。
人生のビッグイベントを私に任せる勇気のある
ファンキーなカップルを小さく大募集しているが
みんな苦笑いして逃げていく。
大事な門出に私が司会するってことは、
その後の人生怖い物無しになるに相違ないのに。
勿体ないことだ。


Halloween
2001年10月20日(土)

10年越しの付き合いをしている友人が、
英語がらみの専門学校に在籍している。
その学校では日本人の子供に英語を教える
外国人講師による英語教室も開催されていて、
専門学校生はその授業の助手をしている。

その友人に誘われて、
子供のためのHalloweenPartyの
手伝いに行ってきた。
絵を描く係の他に子供の誘導やらなにやらで
なかなか疲れる。しかも、会話は全部英語だ。
子供らも普段習っているだけに英語を話せるし、
講師はほとんど外国人である。
簡単な会話なんだろうが、聞き慣れていないからか
早口で言われると「?」となってしまう。
自分の英語能力のなさに切なくなる。

英語の教材を作りたい、と最近思うのだが。
現状はまさに自分、ターゲットは自分だ。
調査と考案を重ねなければなぁ、と
帰りの地下鉄車内にて思う。
というか、喉が痛い。全身がだるい。
これを書いている今も結構限界だ。
……明日一日で治さねば……。


再会
2001年10月18日(木)

久々にピアノを弾いた。

3歳から初めて、大学受験の前まで続けた。
しかし生活が変わって随分弾かなくなっていた。

幼なじみに再会するような気分で蓋を開ける。
ショパンの「幻想即興曲」にリストの「エステ荘の噴水」、
気に入っていたレパートリーは無数にあったのに、
たった一曲しかまともに覚えていなかった。
そのドビュッシーの「アラベスク第一番」は、
12歳の時に練習して以後○年の月日が経つ。

楽器のレパートリーとは不思議なもので、
最初に練習した当時の気分が甦ることがある。
それは記憶のように具体的なものではなく、
ただ12歳だった頃の空気が甦ってくる。
嫌で嫌で仕方なかった練習なはずなのに、
自分の記憶の中にある旋律を
絶対音感で読みとりながら、
無我夢中で復元させていく。
(指が動かないのが歯がゆい!)

あー、懐かしかった。


何か忘れていた
2001年10月17日(水)

と思ったら、ご指摘を受けてびっくり。
このHP、私のメールアドレスが載ってなかった
のですね( ̄▽ ̄;)
……どうりで、なんか、なんか足りないなと(←アホ)。

今日は卒研について考える。
やっぱりおもしろ中毒の私のことだ。
おもしろいものを作らづには居られないのだろう。
先日トリトンスクエアに参上したときは、
面白いことを考える余裕もなかった。

絵や文章や言葉や態度。
人に何かを伝えるには、いろんな手段がある。
私はどんな方法に身を投じている時でも、
どんな状況でどんなことを悩んでいても、
共通して面白いことを追求してきた。
それは誰に強制された覚えもない、
本能的な習性とも言える。
息をするようなことと同じくらい。

それを封じ込めないことが鍵かもしれない。


健康な気分の一日
2001年10月14日(日)

今日は体調がいい。珍しい。
昼間はパソコンは付けまい、と思った。
ノートに落書き的漫画を描いた。
大量に天ぷらを揚げた。
そして、心地よく疲れがたまった時点でふと
課題の存在を思い出す。
その恐怖ははかりしれない。
そんなわけで、頑張ろう……。


キョウフの荷下ろし頭痛
2001年10月13日(土)

狂は、いやいや今日は頭痛が酷い。
昨日珍しい場所に行ったせいだろう。

自律神経失調症の人間は、どうしても
頑張らなくてはいけない時は
どうにか頑張り抜くことができる。
でも、「もう頑張らなくていいんだ」と思った
その瞬間、夥しい疲労感とあらゆる症状が出る。
私の場合は頭痛がひどくなるのだが、
そういう頭痛を荷下ろし頭痛と呼ぶらしい。
休日はたいてい具合が悪い。

思えばこの疾患じたい、
受験が終わった、
その大きな荷下ろしの影響なのだろうか。


落ち着かない
2001年10月12日(金)

晴海トリトンスクエアに行った。
きれいすぎて威圧感だらけだった。
初めてペットショップでトリミングしてもらう犬のような気分。
広いのでひとしきり迷子になったが、
20代の女性を装って侵入したため
たやすく人に道を聞くのもしゃくだ。
そんなことでは、東京に負けた気がする(?)。
そういえば以前もそう思いこんで道を聞かず、
2時間ほど余計に歩いたことがあった。
東京には負けなかったが自分に負けたのだ。
今回は自分に敗北する前にどうにか
係の方と目があって道案内をして頂けたが、
拙者つくづく、広すぎる場所は苦手なり。

そして、帰りは一駅分余計に歩いた。
その方が電車代が安くあがるのではと思った。
実際、80円ほど浮いた。
先ほどの新しい、「すごいだろ!」といわん
ばかりの建物をやや遠くに望みながら、
車がたくさん通る太い道路をかこむ商店街は、
下町らしいごみごみした空間だった。
もんじゃ焼きや、丼の店が並ぶ。
私の前を歩いていた小学生が
ある時フッと視界から消えたと思ったら、
気付けなかったほど狭い路地を曲がっていく
後ろ姿があった。
奥には普通の民家やアパートがあるのだろう。
下町の独特な雰囲気は懐かしい。
昔遊びにいった友達の家の近所を思い出す。

そういう場所は安心できた。
生活感とリアリティーのせいだろう。
夢と魔法の国より、駅の方が落ち着いてしまう……。


記憶
2001年10月11日(木)

過去のことばかりを気にしている人は
精神が歳を取っているという。
未来のことを意欲的に考えられる人は
たとえ肉体が年配であっても若いと言える。
現在のことで手一杯な人は、……中年なのだろう(推量)

今日で、とあることからちょうど7年。
などと数えているうちは捕われている証拠だ。
こういう辛気くさい性質を払拭したい。
生きていれば誰にでも嫌なことはあるし、
私などはきっと幸運な方だ。
困難の中にあっても前向きな人は大勢いる。
この甘ったれた生き方からいつまでも
立ち直れないようでは元も子もない。
全て無になる。

だから来年には、今日がどんな日であったかを
うっかり忘れるような自分でありたいと思う。


排水溝と旧・体育の日
2001年10月10日(水)

狂は、もとい今日は某所で排水溝を掃除した。
他にも色々なことをしたと思うのだが、
排水溝の掃除が一番鮮やかな想い出として
心に残った。日々の中の濁った一ページとして。
今世紀始まって以来の、汚いモノを見た。
「何だこの現実!?」と実際に叫ぶ。
(私のリアクションは基本的にオーバーだ。)
タワシ片手に地味に格闘し、
終わる頃には5歳くらい歳を取っていた気がする。
浦島太郎の様なスピード感だ。

掃除というのはこまめにやるべし。
心の中の教訓がまた一つ増えそうだ。

そして、今日はかつての体育の日。
東京五輪が37年前に開催された日なだけに、
統計的に見て雨の降る確率の低い日だと言われている。
にもかかわらず、本日は大雨。
一同びしょぬれ。そのうえ寒い。
なのに蚊が大量に居て、短時間で3箇所刺された。

そんなこんなで色々切ない。
明日は英語の単語テスト。ちぇっ(死語)。
学生らしく苦しむこととしよう。


唐突変人道講座
2001年10月09日(火)

突然だが、
 変わり者ほど多弁であれ。
  ……というのが私の持論である。

「あれ、自分は変わり者じゃなかろうか?」
と14歳の頃につぶやいたところ、
「自分で思うほど変わってないんじゃないの?」
という冷静な答えを頂いたことがある。
それの真偽はともかく、
自分は変だと言い張る奴はたいてい変なんじゃないだろうか、
そして変であることは必ずしも悪いことではないのでは、
と近年では思う。

変な奴ほど、よく喋るべきである。

なぜなら、喋らないと怖がられるからである。
黙って変な生き方をしていると、周囲の人々に恐怖感を与えがちだ。
他人とズレた好み、ズレた味覚、
ズレた睡眠時間帯を憎めないと思うなら、
それを他人に伝えて、解ってもらう必要がある。
全ての人と国際交流のような気持ちで接して、
習慣の違う大勢の人々に自分を伝えなければならない。
怖い奴と思われるよりはうるさい奴と思われた方がましだろう。

変わった人間ほど伝える努力を多くしなければ
社会で生きることはむずかしい。そして、
社会とつながって生きることは避けられない。
変人であり続けることは純粋培養されるといった性質のことではなく、
人混みの中で一人そっぽを向いてこそ、
その個性の真価が試されるというもんだろう。

だから人混みに出よう。
そして、自分は変なんだぞと自慢しよう。
気味悪がられない程度に。



1.0以上・1.0以上
2001年10月07日(日)

この題名はなんぞやというと、
私の視力である。
この「以上」という表現。
「もう測ってらんねぇべ」という投げやりな感情が
溢れていて、やさぐれた趣を感じる(?)。

私は視力だけは、昔からたいへん良いままだ。
しかしながら不思議なことに、
課題などでポスターを作成する時において、
『こんな小さくちゃ読めないよ』という理由で
文字をやたらでかでかと(これも死語風味)書いてしまう。
スタイリッシュもくそもあったもんじゃない。
…視力は、確かに良いはずなんだが。謎である。
それともそこまで、活字が苦手なのか。
にも関わらず電車の中吊り小説の復活を
静かに切望している。なんとも矛盾したことだ。
とにかくポスターは苦手分野なようだ(前々から思っていたが)。
私には華やかさも、スタイリッシュも似合わない。
社会に於いて、『それ以外』を担当することにする。


本を読む
2001年10月05日(金)

一昨日、久々に本を買った。
『経済のニュースが面白いほどわかる本・日本経済編』
という、参考書のような本。
この本を書いた細野真宏氏は、落ちこぼれから
短期間で天才になったというなんだか凄い過去を持つ。
会ったことはないが凄い人らしい。
私は高校時代、この人が書いた
『数列と順列が面白いほどわかる本』という
数学の参考書を買い、「あっわかりやすい」と感動した。
たぶん小泉総理以上に、感動した(余計な一文)。
それ以降この数学の参考書シリーズにひたすらお世話になり、
無事ミルフィーユ大学(仮名)と
カフェ大学(仮名)に合格した。
………と書くと、まるでどっかの合格体験記みたいだが。

でもこの人の本を読むと、
落ちこぼれの気持ちが分かってもらえた気がして暖かい。
経済なんて中学以降さっぱりだったが、
これを読んで少し賢くなれたらいいと思う。
自分がバカなのか、周りが賢すぎるのかわからない。
近頃の私は、本来相対的なものを
無理に絶対視することで、
自分の価値を決めつけがちだなぁ。あはれ。


今朝の不運
2001年10月03日(水)

今日は小さな不運に遇った。
電車が遅れたのだ。

地元の駅で知った。
普段乗っているS線が、事故のため
途中までしか行かないということに。
……仕方がないので進路変更。
普段とは違う路線で学校に向かった。
だがしかし、普段とは違うこの路線にも
小さな不運が訪れる。
電車内で急病人が発生したのだ。
体調を崩された方が気の毒とは思う一方で、
たまたま乗った電車が遅れてしまった私も
なかなかアンラッキーだといえよう。
…ともかく、今朝の遅刻にはそういう背景がある。
こんなところで言い訳をしたところで
関係者は誰も見ていないだろうが……
いいんだ、ただの深い穴へのつぶやきだから。
「王様の耳はロバの耳!」みたいな、小さな暴露でも。

体調が完全に復活したら、本を読もう。


声が出せない日
2001年10月01日(月)

朝気付いたら声が出なかった。
もとい、出そうとしたら酷い痛みが走った。

近頃喉が荒れっぱなしで微熱も下がらない。
この日記を見返してみると、先月の17日から
体調が悪いことに気付く。もうかれこれ2週間。
意識せずに2週間もアンニュイな体調でい続けたとは、
ベテラン軽病人冥利に尽きる(謎)。

風邪が治らないまま、授業の日々が始まった。
喉の痛みと咳で一睡も出来ないまま朝を迎え、
6時台の電車で学校へ向かう。
で、それだけならまだしも電車は冷房がきいていた。
……もう10月だ。しかも今日、関東は雨。
空気は十分に冷えている。
何故そこで冷房なんだ○R東日本!?
電車は私にとって第二の自宅である(大袈裟)。
少なくとも電車の中の環境は一日の健康を大きく左右する。
……結局、2時間ほど冷えた車内でゴホゴホいいながら過ごした。
学校にようやく辿り着く。
……授業を受ける元気はもう無かった。
カサカサした声で「すいません、帰ります」と言って
すごすごとヨロヨロと退散したのであった。
学校の滞在時間・およそウン十分。
往復の4時間はなんだったのだろう。
……頑張れ自分。生きろ自分。

注・その足で病院へ直行。