蜜白玉のひとりごと
もくじかこみらい


2012年10月30日(火) 冬の入口と太陽礼拝

アホのような残暑も10月に入ったらやっと引き際がわかったのか、ときどき汗ばむ日をはさみながらも月末にはどうにか冬の入口に到着。朝に顔を洗う水のつめたさ、夜に鼻先まで引き上げる毛布の温かさで、これまでの冬を少しずつ思い出す。ベランダから見える富士山の頭はもうくっきり白い。冷えて固まった朝の空気をかち割るようなヒヨドリの鳴き声もまた冬のもの。赤銅色の落ち葉が早足の靴先にまとわりつく。

10月も他の月に負けず劣らず猛スピードで過ぎていく。何をしたのか何をしなかったのか、はて。職場の卓上カレンダーも自分の手帳もあれこれ文字で埋まっている。上旬は1年の中で最も仕事が忙しく(とは言っても定時には帰らされるわけだけれど)、いつものことながらいろんな人の目論見にふり回される。つくづく「鶴の一声」に嫌気がさす。

人に会う約束がいくつかあり、そのたびにたくさんお酒を飲んだ。今の季節はビールより断然ワインがおいしい。でも晴れた昼間に屋外で飲むときと鍋料理のときはやっぱりビールがいい。話が盛り上がって楽しければどっちでもいい。飲んでいる間はずっと食べているからか、最近お腹がますますズンになってくる。背中も腰も鈍く痛い。このままではまずいので、何年も前に買ったヨガの本を取り出してきて、ひとまず太陽礼拝をみっちりやる。人にもよるけれど、他の難しいポーズはさておき、太陽礼拝だけで10キロやせることも可能だとか(以前習っていたヨガの先生が言っていた)。その10キロやせた人がもともと何キロだったのかはわからないけれど、太陽礼拝の一連の動作と呼吸にそれだけの力があるというのはわかる気がする。呼吸と視線を意識して何度も繰り返していると、なんだか背が伸びる気がする。この先ずっと甘いものを食べることもお酒を飲むこともやめられるわけがないので、基礎代謝だけがダダ下がりな今、太陽礼拝にかけてみる。本当は朝日を浴びて行うのがいいようだけれど、これもまた無理な相談なので、夜やる。

以下に、今月買った本と読んだ本。

江國香織『犬とハモニカ』(新潮社)
もはや江國さんのどんな話を読めば納得できるのかわからなくなっている。これだって読めます。読ませます。幻想(つまりはあの頃の私)を追いかけているのか。なぜか明大前の啓文堂にて購入。


三浦しをん『本屋さんで待ちあわせ』(大和書房)
吉祥寺のBOOK 1st.にあった著者サイン本。タイトルとカバー絵だけで買った。中身は書評を集めたもの。いつものマシンガントークでほとばしる読書への情熱を語る。これと連続したカバー絵の『お友だちからお願いします』はエッセイ。そっちは買ってませんが。


太宰治『きりぎりす』(新潮文庫)
新幹線に乗る前、品川駅構内のbook expressで。ここはいつも混んでいる。通路が狭いのと、荷物のかさばる人が多いのとで、立ち読みの人の後ろをくぐり抜けるのもやっと。なんとかなりませんかね?なりませんよね。


ドラ・トーザン『パリジェンヌ流 今を楽しむ! 自分革命』(河出文庫)
これも品川駅だけど、エキュート(ケーキとかお花とか売ってる方)のエスカレーターを上がったところにあるPAPER WALLという本屋さんで。こっちはbook expressとは違ってこじゃれた感じで、品揃えも一辺倒ではなくて、棚を眺めているだけでもなんか面白いなあと思ってはいたものの、新幹線の乗換時間に余裕のある時しか寄れない。エスカレーター1個分の距離と、ハマってしまうとうっかり乗り遅れる危険があるため。苦もなく1時間でも2時間でもいられそう。どこかで顔を見たことがあると思ったら、ドラ・トーザンさんは少し前までNHKのフランス語会話の先生だった人。フランス人は(と一括りにするのもなんだが)、良かれ悪しかれ考えがしっかりしている。し過ぎている。なぜ迷わない。変わっているとか人と違うとかは褒め言葉みたいなもんだ。


田辺聖子『孤独な夜のココア』(新潮文庫)
渋谷のBOOKOFFにて山盛り。品川のPAPER WALLで見たけれど買わなかったもの。25歳で結婚を焦っているOLの話なんて、時代は変わったなあとしみじみ。今よりもっといろんなことが単純でわかりやすかっただろうか。それとも遠くから眺めているからただそう思うだけだろうか。誰かと知り合ったり仲良くなったりするのって、そんなに難しいことだっただろうか。


2012年10月09日(火) 新しいおもちゃ

この1ヵ月半くらいをかけて、あるひとつの計画が進行中だ。いよいよ今週末のお披露目に向けて、ほぼ準備完了。あとは、はじまってからの微調整だと思っている。私の書斎兼家事室兼物置となっている和室の片隅に、その計画が1/3だけ姿を現している。これから先、この計画が長く続いて、そしてそこからいろいろに発展していければなお、おもしろい。

やりましょう、ということになって、それからというもの寝ても覚めてもああでもないこうでもない、と考えをめぐらすのがとても楽しく、新しいおもちゃを与えられた子どものように夢中になった。そして、頭の中でこねくり回していた考えを形にすると、私はこんなことを考えていたのか、たったこれだけのことしか考えていなかったのか、と知ってがっかりした。もっとあると思ったけれど、そんなになかった。すぐ底が見えた。そんなもんだ。

それでももし万が一、おもしろいと言って共感してくれる人がいたなら、それはそれでものすごくうれしい。

それがなんなのかは、お知らせできるようになったらお知らせします。ここで。


2012年10月08日(月) 休日の夕方

夕方、美容院から戻ると、もう髪は伸ばさないんだね、その一言がひどくさびしそうで、そんなつもりは全然ないのに、この調子でいくと未来永劫、私は髪を伸ばすことはないのかもしれないとハッとして、それからなんだかこっちまでさびしくなった。先に言ってよ、と人のせいにする。

美容院の鏡で見たときはすごく気に入っていたはずの髪型も、家の鏡で見るとそっけないもののように映る。それが潔さなのか、それとも油断なのか、図りかねる。

すっきりした襟足が好きなのだ。まるいシルエットも。気温が下がって頭皮に汗をかかなくなって、空気中の湿度も落ち着いてくると、癖のある髪でも言うことをきくようになる。となれば、待ってましたとばかりに、髪型を変えたくなる。いやいや、ここで力説するとますます嫌われてしまいそうだ。

すっきりした襟足、まるいシルエット、あとはタートルネックのセーターで完成するのに。それを着るのにはまだちょっと暑い。


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