蜜白玉のひとりごと
もくじかこみらい


2012年02月28日(火) もう少し、あと少し。

2月ももう終るというのに、憎きスギ花粉も飛んでいるというのに、明日は雪が降るらしい。都心も積もるかもしれないそうだ。

今年の冬は寒い。毎年寒い寒いと思うけれど、今年の寒さは特に空気がピリピリと痛い。外へ出るのも億劫になるし、体はなまるし、皮下脂肪はつくし、肩は凝るしで、もう寒いのにも飽きた。早いとこ、三寒四温のぐずぐずした時期を切り抜けて、半そで1枚で散歩したい。・・・それはまだ少し先か。

日が長くなってきたのがせめてもの救いで、夕方4時半、5時でもまだ明るさの残る空を見ると、時間に余裕があるようでほっとする。ろうそくの炎の形をしたコブシのつぼみの産毛が、冷たい空気に震えて、小声で春を告げている。日々寒いながらも着実に春が近づいてきているのを植物は敏感にとらえているようだ。

もう少し、あと少し。


2012年02月27日(月) まぼろしの2冊

おかしいな、売っちゃったんだっけ。いや、さすがにあれは売らないよな、誰かに貸したんだったかな、でも誰だっけ、覚えてないや。そもそもいつからここにないんだろう。もしかしたら最初から持ってなかったなんてこと、あるかな。あるかもな、もう10年近くも前のことだもん、がっかりするくらい覚えてないな。

私にとって4回目くらいの須賀敦子ブームのさなか、須賀敦子追悼特集の文芸誌の別冊と、大竹昭子さんの『須賀敦子のミラノ』が本棚に見当たらないのである。

『須賀敦子のローマ』も『須賀敦子のヴェネツィア』もあるのに、ましてや岡本太郎さんの『トリエステ』と『アッシジ』まであるのに、『ミラノ』がないなんておかしい。きっと誰かに貸したままになっているんだ、とはじめは思ったけれど、待てよ、『ミラノ』だけはもしかしたら私が誰かから借りて読んだのかもしれない、とヒヤッとした気持ちになった。貸してもらった『ミラノ』を読んで気に入ったから、『ローマ』『ヴェネツィア』と続けて自分で買ったのだったか。記憶がまるで抜け落ちている。本当にそれこそ忘却の彼方だ。

それでも、須賀敦子を読むようになったきっかけだけは覚えている。須賀さんの作品を最初に薦めてくれたのは大学の精神医学の先生だった。手始めにそのとき話題に上った『コルシア書店の仲間たち』を読んで、イタリア人の印象ががらりと変わった。それまでの彼らの印象は底抜けに明るく軽く、おしゃべり大好きでナンパもするし、人生の悩みなんて皆無さ!ってな風だと勝手に思い込んでいたのだけれど、須賀さんの語るイタリア人は静かで思慮深く、ときに暗く不器用でもあり、譲れない緻密さも持ち合わせていた。回想形式のエッセイのはずが、いつの間にか小説を読んでいるような錯覚にとらわれるくらい、本の中は美しい文章と完成した世界観に満ちていた。

なぜこんなに須賀さんにのめり込むのか、何度目かのブームがやってきてもいまだにその理由はよくわからない。10年ほど前、イタリア人の印象の違いに驚いたことにはじまり、その1年後くらい、友人とふたりで読もうということになったときにはその文章と言葉の選び方に惹かれた。それからしばらく時間があいて、数年前には父の介護に疲れて助けを求めるような気持ちで読んだ。今回は北イタリアの都市に興味を持って、しばらくぶりに取り出したところだ。毎回違う視点で近づいていくことができる。

ただ、須賀さんの文章を読もうとするときはいつも、呼吸を整えて耳をすませるような姿勢になる。それが本と対峙するときの私の理想の形であり、それは私にひととき平らかな心をもたらすような気がする。文章に寄り添うことで、穏やかな時間を取り戻すことができる。


2012年02月18日(土) トリエステに導かれて

将棋とイタリア語は、どちらも上達するというには程遠い状態だけれど、好きというか、むくむくと興味がわくので、ひとり細々と続いている。

好きなことに関係するものには自然とアンテナがピーンと張っているもので、今日初めてイタリア人の友人ができた。彼女はイタリアは北のフルウリ=ヴェネチア・ジューリア州出身で、州都はあのトリエステだ。須賀さんの話をすると、そこからすっかり文学の話題で盛り上がり、距離が縮まるのにそれほど時間は要らなかった。1冊の本をふたりで覗き込みながら、思い思いに話をした。ちょうどウンベルト・サバ直筆のイタリア語の詩が載っているページがあったので、思い切って、イタリア語で読んでもらえますか?とお願いすると、快く音読してくれた。韻をふんでいるところもおしえてもらった。彼女が読んでくれた「トリエステ」という詩は、イタリアでもとても有名な詩で、教科書にも載っているし、トリエステの人にとっては、トリエステという町の現実をよく象徴しているすばらしい詩として、とても気に入られているということだった。

今日の会話はすべて当然、日本語だった。彼女はたいへん日本語が達者なのだ。いつかイタリア語と日本語を織り交ぜて話ができるようになったら最高に楽しいだろう。想像はたくましくふくらむ。


2012年02月02日(木) こぼれ落ちる時間

楽しいことが何もないかといえば、そんなわけもなく、小さな楽しいことというのは探せばいつでも見つけられるものである。この頃はワインを飲むことと、つまみを考えることと、料理本を眺めることが楽しい。

つまみは考えるだけで、実際にはあまり作らない。作ったらきっとひとりで全部食べてしまう。相方は基本お酒を飲まないので、ワインは私ひとりで、晩御飯の前に飲んでいる。つまみがあれば、その勢いでひとりで食べてしまうに決まっている。それから帰ってきた相方とまた普通に晩御飯を食べるわけで、そんなに食べたら流れに乗って(調子に乗って)どこまでも太っていきそうでこわい。だからおいしそうなつまみは考えるだけで、実際のつまみは一口チーズとかそんなのでいい。

料理本はイタリアとかスペインの料理や食材の本、向田邦子の料理本、雑誌「料理王国」のバックナンバーやらを眺めて、想像を膨らませて遊んでいる。たまに作ってみて、おいしかったものもあるし、がっかりしたものもある。これらは晩御飯のおかずになるからまあいいとする。

小説やエッセイを読む集中力はどこかに置いてきてしまったようなのがさびしい。図書館で借りてもほとんど読まずに返すことの繰り返し。でも借りるのをやめないのはこれはもうただの意地である。いつか調子が戻るんじゃないかと思って、目の前に本を絶やさないようにしているだけ。

時間、たくさんあるはずなのにね。どこにボトボト落っことしているんだろう。


2012年02月01日(水) 底の続き

時間があるのかないのか、気ばかり急いて、たいして何も手につかない。毎日がぼんやりと霞がかっている。

ひとの心配ばかりしている。ケロッとして、どんと来いと思えるときと、どうしよう、っていうよりどうしようもないな、いつまで続くのかな、などと気弱に思ってしまうときが、交互にやってくる。

心が鈍っているときは、気がつくと体も鈍っている。寒いからあまり動かない。冬の間はどんどん体が鈍る。体重も増えるし、厚着で体のラインが見えにくいのをいいことに油断する。ズン(胴)になる。いかん。

体に気持ちを向ければ、鈍った心も自然についてくるだろうか。どう考えてもストレッチだけはまじめにやり続けた方がよさそうだ。


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