蜜白玉のひとりごと
もくじかこみらい


2011年07月21日(木) エロと愛と影

相変わらず、砂がジャリジャリするしじみの味噌汁の中で暮らす(比喩です)。

台風が来そうで来なかった。台風6号は四国に上陸して、紀伊半島をかすめて、あろうことか旋回した。北上してきた台風がくるっと踵(台風にもきびすがあるのか)を返して南下したのである。はじめて見た。東京では一昨日から雨がざっと降っては止み、風も時折思い出したようにボーボー吹いたりしたものの、全体的に大したことなくて長靴履いて歩いた私にはちょっと肩透かし。でも降ったところは降りに降って1000ミリを超えて大変だったようだ。1000ミリってどこかの国の年間総雨量じゃないのか。今朝、窓の外は季節を間違ったみたいにひんやり涼しかった。涼しくてほっとした。風に当たっていたら、だんだんさみしくなってきた。

先週、また髪を切ったのだけれど、いつも行く美容院の近くに新しく古本屋ができていた。行きの途中に気づいて、ああ好みだなあ、と思ってその場は通り過ぎた。帰りに、ああ寄ってみようか、と思い出して入る。開け放した扉、ゆるく効いたエアコン、古い本に新しい書架、大きくて古めかしいスピーカーからは音楽がごく抑えたボリュームで流れる。並んだ本はそれほど多くないわりに、ああでも好きかも、と思わせるものが次々と目につく。その日は挨拶代わりに荒木陽子『愛情生活』(作品社1997年)を購入。

この頃相方が荒木経惟の写真が好きだと頻繁に口にするので、そこでも「荒木陽子」の文字がパッと目に飛び込んできた。荒木経惟の亡くなった奥さんであることは知っている。数行読んで即決、これは買いだ、この人のエッセイは絶対におもしろいとわかった。なぜ今まで読む機会がなかったのか不思議なくらいだ。写真も載っているから相方にも見せてあげよう。

毎晩、適当なページを開いて1、2節読む。どの文章からもふたりがとても仲がいいことがにじみ出ている。エロくて楽しくておかしくて、とにかく愛おしくて、そして、その全部にせつない影を見るのは、陽子さんがそう遠くない時期に亡くなることをすでに私が知っているからなのか。

棺の写真のこととか、断片的にしか知らない。亡くなったことに注目しがちだけれど、私はもっと荒木陽子のエッセイを読みたい。アラキとの生活からうまれる彼女の言葉を追いたい。


2011年07月06日(水) 待つ本棚

本棚の棚板が重さでたわんで割れたので、新しいのに買い替えた。同じ本棚をふたつ買って並べ、右側が相方の陣地、左側が私の陣地だ。それぞれ適当な間隔で棚板を取り付け、好きなように本や雑誌を並べる。大きな本棚でかなり余裕があるのでDVDも並べる。それでもまだまだ余裕があるので、タイプライター(いつぞやのオリバー君)や天秤計り、ランタン、写真などを飾る。

この頃、気がつくと本棚を眺めている。どこに何を並べたか全部自分で知っているのに見ていて飽きることがない。仕事でいやなことがあったときには、遠くからこの本棚のことを考える。少しだけ楽しい気持ちになる。おうちに帰りたいなあ、と思う。家では本棚がひっそりと待っている。


2011年07月05日(火) しじみの味噌汁に砂

早くも7月。空梅雨なのか、たいした雨も降らず毎日暑い。徒歩通勤は日差しが痛い。

節電の夏を突き進む。節電の不穏、計画停電の予感、大規模停電の恐怖、・・・省エネ自体は賛成だけど、節電に至る話はなにかごまかされているような気がする。途中でうまいこと問題のすり替えがされているような、納得のいかない感じ。しじみの味噌汁に砂、みたいに。

大多数の人は真面目だから、こまめに電気消したり、エアコン我慢したり、節電商品買ったり、職場でも(こちらは消費電力量によっては15%の節電失敗1回あたり100万円の罰金があるし)、なにやら大変なことになっている。暑くて体の具合が悪くなることだけではなくて、例えば大切な何かを腐らせてダメにしてしまったり(低温室とか冷凍倉庫とか)、機械が動かせないから期日に間に合わなかったり(今日も朝からサーバ止めちゃってるし)、それどころか外に出ちゃいけないものが出てしまったり(恐ろしいけど例えば菌とかガスとか)なんかした日には、いったい何やってんだか、こっちだってたいがい危険だよ、ってならないとも限らない。今まで(今も、だ)どれだけ電気サマサマだったか。

繰り返し言うけど、「省エネ」は賛成。限りある資源だし無駄使いはしない方向で。でもせめて「今のところ安全に動いている(であろう)原発」を止めるのは、その代わりになるもので電力供給できる見込みをある程度たててからでもよかったんじゃないのかな、とやや引き気味に思う。電気がなくて「不便」なのが嫌なんじゃない。電気がないと「危険」だから嫌なのだ。今まであったはずの電力がないことで、原発事故と同じくらいか、それ以上の危機だって、起こる可能性があるんだってこと、そっち側の想定って誰かちゃんとやっているのかな、と思うのだ。

6月の熱中症搬送、昨年の3倍ってすごい数字だよ。極論だけど、電気があれば(エアコンつけてれば)死ななくてもすんだ人がもしかしたら死んでしまったのではないの?せめて夏過ぎて少し涼しくなってから運転停止やら何やらでもよかったんじゃないのかと思わなくもない。今まさに近くに住んで身の危険を感じているならともかく、そんなでもないのに、無意識に今までじゃんじゃん電気使っておきながらくるっと手のひら返してはんたーいって、私は言えない。絶対安全なんてこの世の中にはない。だから考えるんじゃないか。

こんなこと書くと怒る人がいるかもしれないとも思ったし、周りと少しずれているのかもしれないけれど、でも書いた。そう言えば亡くなった父なんて、最期の2年半くらいは家でまさに電気の力で生きていたから、他人事じゃない。病院に行けばいいと言われても、どこの病院も引き受けてくれないから家にいたのに。

----------------------キ--リ--ト--リ--セ--ン-----------------------------

6月の熱中症搬送者数  6877人 (死亡15人)


6月27日〜7月3日の都道府県別熱中症搬送者数 

愛知  512人
東京  398人
埼玉  331人
千葉  283人
神奈川 280人
・・・
青森    6人

*65歳以上 全体の52%

搬送時の症状
重症    3%
中等症  37%
軽症   58%

毎日新聞(7月6日)より


蜜白玉 |MAILHomePage