蜜白玉のひとりごと
もくじかこみらい


2011年03月21日(月) (続き)

== 3月21日(月・祝)==

朝から雨。雨でもめずらしく犬は散歩に行きたそうだったから、傘をさしていく。雨に濡れたくないのか、昨日とはうってかわって早足。ときどき豚みたいに鼻を鳴らす。

どこへも出かけず、テレビを見るともなく見る。今日も結局停電なし。私が実家にいる間、母の停電につき合ってあげることはできなかった。帰りの新幹線が大混雑。満席で通路もデッキも立っている人がいっぱいで身動きできず。疎開した人がもう帰ってきたのか。原発の近くの人たちは本当に大変だけれど、それ以外の地域の人が過剰に反応するのはちょっとはずかしいというか、自分さえ助かればいい、という気持ちが透けて見えるような気もする。ただのお彼岸の帰郷だったのかもしれないけれど。


2011年03月20日(日) (続き)

== 3月20日(日)==

今日も休日だから停電なし。どうせろうそくつけるならアロマオイルを炊けばいいかなと思ったり、魔法瓶の水筒に温かいお茶を入れておけばキャンプ気分かなと思ったり、母の停電に役立ちそうなものを詰め込んだリュックを背負って実家へ。地震後、はじめて母の顔を見た。やや疲れているもののひとまず大丈夫そうだ。お昼ごはんを食べた後、母と一緒に近くの公園へ長めの散歩をする。お菓子と魔法瓶に温かい紅茶を入れて持っていく。犬はすっかりおじいさんになってあまり歩かないので、坂道をときどき抱っこして歩く。重たい。ベンチに座って紅茶を飲んだり、少しストレッチしたりして1時間半くらいで戻る。途中、携帯電話の緊急地震速報が1回鳴った。

来週の父の一周忌の予定を確認したり、親戚に電話をしたりする。夜は疲れて早めに寝る。


2011年03月19日(土) (続き)

== 3月19日(土)==

休日だから停電はやらなくて大丈夫なのだそうだ。停電が実施されなくても節電はだいぶ身に着いた。ある意味、今度の電気代の請求が楽しみでもある。我が家は選んだ家がたまたまオール電化住宅だったため、ガスは引かれていないし、何をするにも電気だ。灯油の暖房もマンションの規則で禁止されている(はずだ)。取り立ててオール電化住宅に住みたかったわけではないけれど、別に当時はそこまで拒む理由もなかった。今となってみれば、東京電力め!と思わないでもない。

こんなときでも予約の歯医者に行く。歯医者さんと地震の話をする。歯医者さんに限らず、会う人ごとに無事でよかった、とか、お米が買えなくて困っている、とか、テレビを見てると涙が出てしょうがない、とか、そういう話をする。みんながいつもより優しくて近い感じがする。

東急ハンズの防災用品売り場は大混雑していた。ホースを1.5M買った。深夜電気温水器(空気の熱でお湯を沸かすエコキュート)がいざとなったら生活用水に使えるため、その時のホース。今日は妹が母のところへ行っているので少し安心。明日は私が行く。


2011年03月18日(金) (続き)

== 3月18日(金)==

見に行くと義父は寝ていた。せっかく寝てるのに起こしちゃ悪いかなと思って、相方も私も声をかけるのをためらったけれど、看護師さんが大きな明るい声で起こした。私たちが来たことはわかったようだ。今日から発熱しているらしく、そのせいか少しつらそうだ。こんな地震の時にお父さんも災難だけれど、毎日病院に行く家族も大変だ。今は毎日ふつうに生活しようとするだけでいろいろ気を遣う。状況がこれ以上悪化しないようにと祈る気持ちだ。

行き帰りの新幹線は幸い時間通りに動いていた。急にラーメンが食べたくなったので、うちの近くでラーメンを食べて帰った。

我が家は今日も停電はなく、母のところは昼間停電だった。母の地域の停電情報は自治体のホームページに実際の停電時間のお知らせが載ることがわかった。東京電力のは何度見てもわかりにくい。明日は停電はやらないらしい。


2011年03月17日(木) (続き)

== 3月17日(木)==

職場の引越し。整っていた部屋が一気に混乱する。引越しは何度やっても疲れる。

朝、コンビニでご飯を買えないので、今週はお弁当を持ってきている。節約だ。それに地震の日からいつも以上にたくさん歩いているのと、緊張と疲れで一気に体重が2.5キロ減った。全然落ちなかったお腹の肉が落ちた。なんて皮肉なこと。まだ酔っている。酔い止めが効くというので飲んでみるがあまり変わらない。

母のところは今日も停電。夕方から夜の時間帯で、だんだん暗くなっていくとやっぱり不安なようだ。そりゃそうだ。そして家の中の電気製品の多さに改めて驚くとともに、家電が常にブーンとか小さくなっている音が意外に安心するということに気づいたらしい。停電になると全く何の音もしないのだそうだ。山の中だからなおのこと本当に静かなのだろう。

明日は油断ならない様子の義父を見舞いに行くことになる。


2011年03月16日(水) (続き)

== 3月16日(水)==

2日ぶりに仕事に行くと、職場の引越し計画が二転三転してひどいことになっていた。急遽、箱詰め荷造り作業。ここへきて肉体労働はつらい。体に力の入らない感じ。食欲もあまりない。

私の住んでいる地域はどうやらよっぽどのことがない限り停電しないらしい。ただ母の住んでいる地域は容赦なく停電する。初めての停電がいちばん遅い時間帯の18:20〜22:00というのにあたってしまう。実家はガスと水道が使えても真っ暗じゃあどうしようもない。母は停電が始まる前に早々とご飯とお風呂を済ませ、エアコンもファンヒーターも使えなくなるから湯たんぽと毛布を準備して、ろうそくと懐中電灯もテーブルの上に置いて、ラジオをつけてスタンバイ(させる)。停電が始まる頃に電話すると、ちょっとドキドキするといって不安そう。停電中は暗さで不安が増大しないように気を散らせるつもりで妹と私でメールをたくさん送って、30分おきには携帯電話に電話もしてなんとか21時前に電気回復。やれやれだ。自分が停電する方がよっぽど楽かもしれない。

義父は転院したようだ。


2011年03月15日(火) (続き)

== 3月15日(火)==

長い夜が明けた。緊急地震速報が鳴り響くとドキッとする。何が来るのかわからない不安と船酔いみたいな地震酔いも相変わらずで、緊張がほぐれない。テレビを見れば被災地の悲しい現状が克明に映し出される。番組によってはわざとこちらの感情をあおってお涙ちょうだいのようになっていて不快感すらある。被災地の様子を届けるといっても、そんなやり方はかえって被災者に失礼なんじゃないかとすら思えた。ひとりひとりの人生に目を向ければ、その人の暮らしやかけがえのない人を失ったつらさを思い涙が止まらない。

仕事は休み。午前中、一度はやめようと思った転職活動の面接を受けに行く。節電で全ての照明が消されている中、面接と筆記試験。試験中、高層ビルの薄暗い部屋にひとり取り残されること1時間余り。今ここで揺れたらどうすんだ、と思った。結果は一週間後に。午後、地震で返しに行けなかった図書館の本を返しに行く。最寄りの図書館はいつもより早い17時閉館。

テレビの前から動けなかったり、涙が出てきたりするのはよくない傾向らしい。情報を取り入れるのは大切だけれど刺激の強い映像を見続けるのは精神的な負担が大きいから避けるべきということなので、L字型に区切った画面に文字情報を流していて番組はふつうのをやっている局を意識的に選ぶ。ほとんどテレ東を見ることになる。午後のロードショーでユー・ガット・メールをやっていた。なつかしくて少しホッとした。たのしい映画やってるから見てと母に電話した。

夜、もう早めに寝ようと思った頃、大きな地震。すぐ実家に電話してつながる。震源地は静岡県東部、静岡県富士宮市で震度6強。東京でもグラングラン揺れた。今回の地震は本当に強烈だ。余震が本震(ていう?)くらい大きくて怖い。このときの地震で東京、神奈川、静岡の家族に被害はなし。


2011年03月14日(月) (続き)

== 3月14日(月)==

少し早起きしてテレビをつけると鉄道の情報。JRほとんど運休。私鉄も動いているのは少しだけ。駅はシャッターが下ろされ駅員もいません、というアナウンサーの言葉が日本ではないみたい。会社から特に連絡はないので相方はとりあえず出社。私はいつも通り歩いて出かける。その後相方から連絡があり、渋谷まで行ったもののそこから先へ進めず出社を断念。会社からも無理に出勤しなくていいとの連絡網があったそうで、家に引き返すという。

私はいつも通り仕事。とはいえ気もそぞろ。地震と停電とその他の様子が気になって、仕事中にテレビが見られないことが不便でならない。ひとり暮らしの母も停電やら何やらよくわからずおろおろしているのではないかと心配でたびたび電話する。昼過ぎからは母を東京に連れてくるとか連れてこないとかで妹と大騒ぎになる。結局、電車の運行が極端に少なかったせいで、計画停電は実施されなかった。

地震の影響で流通がいったん途絶えたのと、停電に備えてと、テレビで見る被災地の救援物資の少なさに影響されてか、首都圏でも買い占めの流れ。今日がたぶんいちばんお客さんが多かった。スーパー、コンビニの商品の一部(米、牛乳、卵、レトルト、カップめん、トイレットペーパーなど)とガソリン、灯油が品薄〜品切れ〜入手困難になる。いつもストックしたがる相方に文句を言っていたことをこのときばかりは謝らなければと思った。

この日、義父が救急車で運ばれ入院する。


2011年03月13日(日) (続き)

== 3月13日(日)==

時間がたつにつれて死者・行方不明者の数が増え、いくつかの町では半分の住民と連絡が取れないと報道されるようになった。現代にこんなことがあるのだろうかとにわかには信じられない。わからなさと怖さに息が詰まる。母に電話をしたら、さっき過呼吸になったと言っていて少し苦しそう。

東京電力福島第一原子力発電所の動きも刻々と変わる。もっと素人でもわかるように伝えられないものか。そんなに世の中、原子力発電所に詳しい人ばかりでもないだろうに。それとも私が無知なのか。

昨日からちらほら出ていた輪番停電、計画停電とやらをいきなり明日からやるという。東京電力の準備の悪さ、お知らせの下手さに怒りを通り越してあきれる。せっかくこの土日で都心の電車運行状況がよくなってきたと思っていたのに。週明け、朝から電車が動いているのか、自分の住んでいる地域や職場のある地域はいったいいつ停電するのか、結局よくわからないまま夜中になったので寝てしまった。


2011年03月12日(土) (続き)

== 3月12日(土)==

朝からテレビにくぎ付け。津波と原発の様子が交互に繰り返し放送される。ときどきチャンネルを変えてずっとテレビを見続ける。東北地方や千葉県を襲った津波の威力に驚き言葉もない。津波が到達する前にどれだけの人たちが逃げられたんだろうか、そればかりが気になる。

何度も何度も同じ映像を見続けておかしくなりそうだったので、とりあえず外に出ようと、歩いて西友に買い物に行く。昨日家に帰れなかった人たちが帰宅するのとすれ違う。他にもあったような気がするけれど、この日のことはぼんやりとよく覚えていない。母にたくさん電話をした。


2011年03月11日(金) 大きな地震がきた

3月11日 14時46分 東北地方太平洋沖地震(東北関東大震災) M9.0 震源地:三陸沖 最大震度7(宮城県栗原市)



これを書いているのは地震から11日目です。思うことはいっぱいあって何を書けばいいのかよくわかりません。

被災された方へ心からお見舞い申し上げます。

私の家族や親せきは、東京・神奈川・静岡・千葉あたりにそれぞれ住んでいますが、地震による直接の大きな被害はありませんでした。次々起きる出来事にふり回され、自分を見失い、これ以上ないくらいに動揺した日々をふり返ります。


== 3月11日(金)==

突然のグワンとした揺れ。めまいじゃない、地震だ。揺れはどんどん大きくなり、建物は大きく音を立てる。吹き抜けの天井の蛍光灯はブンブン左右に揺れ、窓のブラインドもガッタンガッタン壁にあたる。職場は5階建ての2階。とどまるべきか逃げるべきか。同僚が逃げましょう!と言って二人で非常階段を駆け下り裏口から外へ出る。他の部屋からも走って出てくる人たちがいた。免震構造ゆえの船酔いのような気持ち悪さ。建物が地面の上をスライドするのをこの目で見た。横の手すりには「この建物は免震構造です。挟まれないように」と書いてあったのを初めて見つけた。

相方、ひとり暮らしの母、妹にそれぞれ電話を試みる。当然つながらない。Eメールを送って様子をみる。余震のたびに外に逃げ出すこと3回。仕事にならず。テレビのついている部屋にお邪魔する。東京は震度5強だった。お台場で煙があがっているのが中継されている。東京に大きな地震が本当に来てしまった。いつか来るとはわかっていたもののこんな形とは。私はいつも歩いて通勤しているから家に帰れるけれど、電車がなくては帰れない人がたくさんいる。家に帰りつけないだけのことじゃない、これからもっと大変なことがいろいろ起きてくるんだとおそろしい気がした。津波警報が大津波警報に変わり、東北地方では真っ黒い津波が畑を走る映像を見た。周りの車は無事逃げられたのだろうか。

定時に職場を出て歩いて家に帰る。今日は夕飯を作る気力と余裕はないのでスーパーでオムやきそばを買う。相方から電話があり、これから徒歩で帰宅するという。てっきり今日は会社に泊まって電車が動いたら帰ってくるもんだとばかり思っていたから驚く。埋立地の高層ビルに長居はしたくないということなので、道もわかることだし大丈夫かと思い、説得は諦めて折々連絡を入れてもらう約束で帰りを待つことにする。

帰宅してテレビをつけたら動けず。次々入る情報と映像に飲み込まれる。津波が町や村を襲い、車も家も船も流される。都心では帰宅困難者が駅周辺や道路にあふれる。相方は結局5時間半、25km歩いて夜中の0時前に到着した。寒い、足が痛いと言っていた。新宿近くの営業を終えたモスバーガーが無料で出してくれたバター付きパンの切れ端と温かい紅茶、環7を過ぎたあたりの民家のガレージでいただいたお茶とおせんべいに救われたそうだ。人の温かさに触れた思いがした。

この日は相方が無事家にたどり着いたこと、夜の9時過ぎには母や妹と電話がつながり無事を確認したことに安心していた。夜が明けるまで東北の惨状は知らされない。


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