蜜白玉のひとりごと
もくじかこみらい


2010年05月28日(金) 読んだ本≪2010年5月≫

3冊。
読書ぼちぼち復活。図書館でもまた借りてきた。自分よりずっと年上の女性にかっこいい人たちがいて、とてもうれしい。その人たちを心底かっこいいと思える自分がいて、また楽しい。


武良布枝『ゲゲゲの女房』(自分の)
一行感想:GWに何となく見続けていたらハマった。この夫婦の歩みに興味津々、学ぶところが多い。毎朝、真剣に見ている。


水木しげる『カランコロン漂泊記−ゲゲゲの先生大いに語る』(図書館)
一行感想:生きる力の強さに脱帽。どんなに困難な状況でも、自分からあきらめたのではだめなんだな。


田部井淳子『いつでも山を』(図書館)
一行感想:NHKの番組でルー大柴と山登りをしていたのを見て、とてもおもしろいおばさんだと思った。調べたらすごい登山家でもっと驚いた。かっこいい。


2010年05月27日(木) 泣きミソ

父のことをふり返って何か書きたいと思ってはいるものの、少し思い出せばほとんど瞬時に鼻の奥がツーンとして涙が出そうになるので、なかなか何も書けずにいる。

ひどいのはひとりで外を歩いている時で、仕事の帰り、家までの道をひとんちの庭を見るともなく見ながら歩いていると、勝手に涙があふれてくることがある。何となく考え事などしながら歩いているので、知らず知らず父のことを考えていたのかもしれない。周りは住宅と畑で、遅い夕方は人とすれ違うこともほとんどないから、泣きながら歩いているところを誰かに見られることもない。大の大人が泣きながら歩いているのを見たら、ぎょっとするかもしれない。

父のことを考えていると、考えの行きつくところはいつも、ただ、もう、どうあがいても父に会えない、会って言葉を交わすことができないという事実だ。その事実はあまりにも絶対的で、不動で、そのことに打ちのめされる。父の介護に後悔はないけれど、今までにない虚無感にたじろぐ。それと同時に、父と過ごした時間の温かさがじわじわと広がり、ひとりでに涙が出てくる。

ああ、だめだ。こうして書いている間も、やばい。

ひとりで外を歩いているときに、泣くことがある、と言ったら、泣きミソだなあ、と言われた。泣きミソは相方がよく使う言葉で、泣き虫のミソっかす、とでもいうような意味だろうか。いつも言われるばかりで、聞き返したことがない。


2010年05月23日(日) 茶トラ

日曜日、四十九日法要と納骨。銀座線は終点浅草のひとつ手前、田原町のすぐ近くにお寺がある。父は妹の運転する車に乗って母と一緒に、はるばる神奈川県の西の端から東京までやってきた。何年ぶりの東京だろうか。父は後部座席できちんとシートベルトを締めていたのが微笑ましい。

朝からあいにくの雨降りで、納骨のときは傘の取り回しに気がそがれた。お墓のすぐ横の塀の上、隣の建物の屋根が少し出っ張っているところで、茶トラの猫が雨宿りをしていた。納骨の間、何回か気になってそっちを見ると、猫は相変わらずそこにいた。お墓を開けたり、のぞきこんだり、読経したり、人が入れ替わり立ち替わり騒がしかったはずなのに、猫は驚きもせず逃げもせず、ずっと座ってこっちを見ていた。あの時、お父さんは猫の姿を借りていたのかもしれない、と思えないこともない。

本当の四十九日は5月26日(水)。


2010年05月05日(水) まるの木

父のことを書こう書こうと思ううちに、まるも向こうへ行ってしまった。

昨日、ひとしきり泣いたあと、相方がどこからか探し出してきてくれた小さな箱に、これまた相方の白いハンカチで着物みたいにくるんだまるを安置する。ベランダに咲いていたゼラニウムの花も切って入れる。ピンク色だったくちばしは今では紫がかっている。ぷっくりとした頬はそのままで、目を閉じて眠っているようだ。小さな頭を人さし指でそっとなでる。羽毛のすぐ下の皮膚はつめたくて少しかたい。つめたさも然ることながら、指先が敏感に感じ取る皮膚の弾力のなさへの戸惑いは、父が亡くなったときもそうだったと思い出す。

服を着替えて駅の向こうの花屋さんへ行く。相方が2メートルくらいあるオリーブの鉢植えを買ってくれた。帰りがけに小さな花束も買った。鉢植えは配達を頼むとお昼前には届いた。相方と二人がかりでベランダに運ぶ。

まるの顔を見ていたくてなかなか決心がつかない。それでも日のある明るいうちがいいだろうと思い、部屋の片付けが一段落した頃、オリーブの根本、鉢の深さ半分くらいまで掘って、木の方に向いてまるを静かに置く。赤いゼラニウム、ピンクのガーベラ、名前のわからない白い花で囲んで、大好きなエサと、いつも食べていた甘い匂いのする粉末カルシウムも入れてあげる。まるバイバイ、じゃあね。さらさらと土をかけるときには、私も相方も、泣いて泣いて仕方なかった。

目印にアイスの棒と同じくらいの、木のマドラーを立てておく。


2010年05月04日(火) 落鳥

文鳥まるが死んでしまった。

朝、鳥かごの辺りがあまりにひっそりと静かで、予感がした。鳥かごにかぶせた布を半分までめくって中をのぞくと、まるは止まり木の下に横向きに倒れていた。信じたくなくてパッと布を元に戻した。横にいた相方に、まるが死んでる、と言おうとしたけれど、目を見開くばかりで言葉が出ない。

意を決して布をどかして、震える右手でまるをそっと鳥かごから出す。あとはもう、涙が止まらなかった。

昨日の午後、私が実家から帰ってきたときにはもう、さらにお腹が前に膨れて、口をあけて苦しそうに速い呼吸をしていた。これはいかんな、と思いすぐに薬と水を飲ませてしばらく様子を見ていたけれど、それ以上は何もしてあげられない。まるを包むように手に乗せると、しゃがんでウトウトし始める。手のひらに触れる足がぼうっと熱かった。それでも鳥かごに戻してあげるとしっかりといつもの場所に止まった。まだもう少しの間だいじょうぶかもしれない。でももしかしたらだめかもしれない。考えが行ったり来たりした。

夜、寝かせるときに鳥かごに布をかけながら、まる寝るよー、おやすみ。そう声をかけたのが最後だった。まるは私が家に帰ってくるのを待っていたのだと思う。そして私の誕生日まで生きていてくれた。まる、がんばったね。ありがとう。


 まる (桜文鳥・メス・5歳) 
 2005年4月25日 我が家に来た日
 2010年5月4日  落鳥


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