蜜白玉のひとりごと
もくじかこみらい


2010年01月31日(日) 読んだ本≪2010年1月≫

2冊。もうこうなったら(どうなったら?)半分以上読んだ本は読んだことにしてしまえ。


伊藤比呂美『読み解き「般若心経」』(自分の)
一行感想:新幹線で読んでたら泣いてしまった。席が空いててよかった。


吉田篤弘『フィンガーボウルの話のつづき』(図書館)
一行感想:ラジオ局の話が気に入った。私もおばあさんになって一人だったら、やろうかな。


2010年01月26日(火) 頭の片隅に

これからは読んだ本のことだけではなくて、読もうとして読めなかった本についても、せめて作者とタイトルくらいは書いておこうと思う。読んだ本のことについて書ければ何よりなのだけれど、あいにくそんなには読めそうにないので、読もうと思って買ったのに(あるいは借りたのに)読めずにいる本のことも記すことにする。忙しさにまぎれて、何を読もうとしていたのかさえ忘れてしまうから。その本のことは頭の片隅にでも置いておきたい。


+++ アタマノカタスミニ +++


樋口一葉『大つごもり・十三夜他5篇』(岩波文庫)
メモ:川上未映子のブログにあったから借りてみた。読まずに返す。いつかきっと読みたい。


吉田篤弘『それからはスープのことばかり考えて暮らした』(中公文庫)
メモ:大好きなお話。文庫になったから解説は誰なのかと思って借りてみたが読めず。もう買ってもいいくらい。


小川洋子『カラーひよことコーヒー豆』(小学館)
メモ:エッセイとなっていたけれど、小さな物語の集まりのよう。ふたつみっつ読んでタイムオーバー。


2010年01月15日(金) 生きることとか死ぬこととか

年明け1冊目は伊藤比呂美『読み解き「般若心経」』である。伊藤さんとは世代も介護の中身も違うけれど、彼女が介護を通して考えた「死」や「家族」についてもう何年も延々と書き綴ってくれるので、私はそれをむさぼるように読んできた。そして何度となく救われた。

親のことでどうにもこうにも消耗してうんざりして、でもその苛立ちや怒りをぶつけてどうなるわけでもなく、ええい、もう全部投げちゃおうか、と薄っすら思っても、彼女の開けっぴろげな文章を読めば、あら不思議、何だかとりあえずまだやっていけそうな気になる。

今のところまあ健康な体である自分が、生きることとか死ぬこととかについて、こんなにも真剣に考えることになろうとは。もちろんきっかけは父の病気とその介護である。考えようによっては、ものすごく興味深い人生の授業ではないか。そこで何も思い巡らさずにただうろたえているだけなんて、私にはもったいなくてできない。それに何か得るものがなくてはやってられない。

本の内容についてはまた後日。今ちょうど半分くらいまで読んだところだ。今回もまたおっしゃることがよくわかる。どれもこれも、今まさに、なのだから。


2010年01月14日(木) 赤ちゃんならかわいいでしょうけど

夜中、ほぼ1時間おきに父に起こされる。30分のこともあれば1時間半のこともある。ひどいときには10分おきなんていうときもある。用事は目が覚めて眠れないから薬を入れてくれ、だとか、体勢が悪くて苦しいから直してくれ、だとか、足がしびれたから揉んでくれ、だとか、まあいろいろあるけれど、どれにしたって寝ているところをいきなり起こされるのだからこっちは頭がボーっとしているし、深い眠りの最中だったりするとぐるんぐるんめまいがすることもある。そして機嫌は最悪だ。でも言われたことはとりあえずやる。やらないといつまでたっても父は寝ないし、そうするとこっちも眠れないからだ。

毎晩そんな調子である。もともと寝つきがよくて朝まで一度も目が覚めない私にとって、こんなに頻繁に起こされる日々はつらい。あまり眠れてないようですがだいじょうぶですか?と看護師さんが気遣ってくれた。こんな感じですよ、と話をすると(言わなくても記録ノートを見てわかってくれてはいるのだけれど)、子育てと似てますね、と言われた。まあ、そうかもしれない。でも、それはいちばん一緒にしてほしくないことでもあった。もちろん、看護師さんは意地悪で言ったつもりは全然ない。娘さん(私のこと)が小さいとき、お母さんはそうやってたんでしょうね、という話の流れでもあった。でもトゲトゲピリピリした私にはそれを素直に聞いて受け止めることはできない。

ずっと思っていた。夜中に何度も授乳で起きなくちゃいけないから眠くて大変なの、と言う人たちにこの話をすれば、似てるね、わかるわかる、と言われかねないだろう、と。そしてそれに対して私は、そうだねえ似てるねえ、と笑って答えつつも、心の中は荒れ狂っているだろうということに、ずっと前から気づいていた。

そうだろう。夜中に何度も起きるのは大変だ。おまけに泣き止まなかったりしたらそれはもううんざりもするだろう。でも、それとこれとを同じ「大変」にくくってほしくない。私にはその夜中の授乳の大変さがわからない。かわりに、自分の子どもを育てるお母さんたちには、私が夜中に「苦しいだのなんだの眉間にしわを寄せて訴える父の面倒をみていることの大変さ」はわかるはずもないのだ。

ただ、それだけ。幸せの度合いが、全然違う。だから今日のところは看護師さんには、「赤ちゃんならかわいいでしょうけど、父はかわいくないですから」と笑いながら言っておいた。それを聞いた父は大笑いしていた。父が笑っているのをいいことに、私は「かわいいって感じじゃないですよね?」とさらに念をおして言っておいた。ちょっとした冗談のようになった。


2010年01月13日(水) もう一月も半ば

七草がゆの日も成人式の日も過ぎてしまった。まったく時間だけは、いや、時間までも容赦ない。

疲れた悩んだ大変だった、と書いた次の日から、父はまた発熱し、苦しい、息が入ってこない、と訴え、それは大変であった。こんな年末にどうすんの?とタイミングの悪さを思ったけれど、いつも来てくれる訪問看護師さんも往診のY先生も、晦日だろうが大晦日だろうが対応してくださった。熱が下がって落ち着いたのは年明けてしばらくたってからのことだ。さんざんな年越しであった。

状態が悪くなってこれからどうしようというときに、相変わらず父は自分のことなのに、病院に入院したいのかしたくないのか、もう少し家でがんばるのか、家族に看てほしいのか、病院の方が不便はあれどもまだ安心なのか、あれこれ尋ねても明確な返事をしない。仕方がないので、父の気持ちを(私が)推測し、母や妹に「お父さんはこう思ってるんじゃなかろうかと思う」と話して確かめ、我が家の今後の方針を決めることになる。父はそれについていいとも悪いとも当たってるとも間違ってるとも言わない。よくわからない、どっちとも言えない、やっと返ってくるのはそんな言葉だ。他の誰でもない、自分のことだろうによ、と腹が立つ。

これからどうしますか、どうしたいですか、と訪問看護師さんにもY先生にも尋ねられる。こちらの希望を伝えてそれにそって動いてもらわなければならないので、そういうことを訊かれるのは当たり前なのだけれど、それに返事をするのは「いつも」私なのだ。損な役回りだと思う。でも誰も決めないので私が決めるよりない。そのことは訪問看護師のHさんにも愚痴まじりでお話した。笑いながら「そうみたいですね」とよくわかってくれた。

生きるか死ぬか、どう生きるかどう死ぬか、娘とはいえ、どうして他人の私が率先して決めないとならないのか。望みはかなえられない場合ももちろんあるけれど(それはY先生もおっしゃっていたし、私もよくわかる)、自分の考えはこうで、こういうふうにしてくれるとありがたい、くらい言えないもんか。もしくは具体的な望みはないけれどみんなの迷惑にならないようにしてもらっていい、とか、できるだけ家に居たいとか、なにかあるだろうによ。何もなくて、でもこの大変な状況を何とか切り抜けなくてはならなくて、そしたら私は何を道標に進めばいいのか。

全部が済んだとき、お姉ちゃんが勝手に決めた、と言われないように、つい説得しがちなところをなるべく説得はせず、皆の意見を聞くように心がけている。それでなくては責任が重過ぎて、怖くて前に進めない。

そんな年の始まりである。今年も懲りずによろしくお願いします。


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