蜜白玉のひとりごと
もくじかこみらい


2009年08月31日(月) 読んだ本≪2009年8月≫

1冊。これっきり。

武田百合子『富士日記(上)』中公文庫(自分の)
一行感想:これはもう本当に救いの一冊。



2009年08月29日(土) 何ぞや

言ってみれば軟禁状態のような介護生活。先月緊急入院したときに比べれば落ち着いているとはいえ、父は常時マスク式呼吸補助器を装着し、全身の筋肉が削げ落ちているから動けないし、しかも肺活量低下と球麻痺でしゃべれない(用があるときは文字盤使用)人については、どうしたってやっぱり目が離せないので、いつも母とふたりでベッドの横のテーブルに張り付いていることになってしまう。何をするにもふたりがかりで介助する。訪問看護師さんですらこの頃はいつもHさんとMさんのふたりで来てくれている。

テーブルを離れるのは自分がトイレに行くときとお風呂に入るときだけだ。夜は近くに布団を敷いて寝ている。外へは玄関から2、3歩くらいしか出ない。例えば、宅急便を受け取るとか、訪問看護師さんを見送るとか、そんなときくらいだ。今も横目でちらちら父の様子を伺いながらテーブルに持ち出しだパソコンでこれを書いている。

常に立ち働いているわけではないけれど、気が抜けないから疲れる。そこへ、父のわがままや、父と母のいさかいが発生したりすると、さらにうんと疲れる。

夫婦とは何ぞや。老いるとは何ぞや。病と共に生きるとは何ぞや。


今日の富士日記
昭和四十一年十月二十七日〜
読んでいるとお腹がすく。今日はお好み焼きが食べたくなった。


2009年08月28日(金) くめ納豆

本当にショック。くめ納豆がつぶれた。くめ納豆、大好きなのに。

納豆売り場では(あれば)必ずくめ納豆を買う。いつの頃からかくめ納豆を見かけないことがたびたびあって、でも納豆が食べたいからミツカンやおかめをしぶしぶ買うことが続いて、そのときはくめ納豆の禁断症状が出そうだった。

おかめ納豆はニオイがいまいち好きになれない。豆もちょっと苦味を感じる。ミツカンの金のつぶやにおわなっとうはあっさりし過ぎていて味気ない。豆もつるっとしていて食べごたえがなく物足りない。くめ納豆は豆の味もニオイもいちばん好きだ。ああいとしのくめ納豆。

ミツカンがくめ納豆の商標権と営業権を買った(?)そうなので、「くめ納豆」の名前でこれからもスーパーには並ぶのだろうか。とにかくあの納豆のニオイと味だけはこの世からなくなってもらっては困るのだ。

昨晩からまた実家。日曜日まで。平日に東京に戻っても昼間は仕事に出てしまうため、自分の家にいなさ過ぎてうまく充電できず、頭がボーっとしてくる。


今日の富士日記
昭和四十一年九月八日〜
上巻を読み終え、中巻へ。


2009年08月25日(火) 43年前

夜、帰京。

帰りの新幹線で富士日記の続きを読む。昭和四十一年八月二十二日のところ、娘の花さんの記述で、甲子園の決勝に松山と中京が残ったとある。そういえば今夏、中京は43年ぶりに優勝と言っていたな。この決勝は中京が勝つんじゃないか。

花さんの記述の二日後、八月二十四日、百合子さんと花さんと出版社(どこだか忘れた)の編集者の三人は富士登山をする(夫・泰淳は下痢のため留守番)。その登山で、ラジオを抱えて甲子園の決勝戦を聴きながら登頂するおじさんに出会う。この日の日記には肝心のどちらが勝ったかについては書かれていない。百合子さんは甲子園にはあまり興味がなかったのかもしれない。

昭和四十一年が今から何年前になるのか計算するのに少し時間がかかる。私が生まれる12年前、いま私が31歳だから、足して43年。昭和四十一年はちょうど43年前だ。このときラジオで優勝と流れたのは中京で間違いないだろう。

いま私がいるこの夏と、43年前の富士山の夏が、つながった気がした。


今日の富士日記
昭和四十一年八月二日〜


2009年08月23日(日) いつもの過ごし方

昨日はひさびさに東京での週末を過ごす。家具を動かして念入りに掃除機をかけ、ふとんカバーとシーツと枕カバーを洗濯する。相方も一緒にやってくれる。お昼ご飯を食べながら、ずいぶん前に録画していたモヤさまをとりあえず2回分(大森のとき)とフットンダを見ておおいに笑う。

吉祥寺に出て、ヨドバシカメラとユニクロに行く。ヒートテックを買いこむ。暑いさなかに真冬のことを想像するのはなかなか難しい。どうしても甘い読みになる。何度もかごに入れたりやっぱりと思って棚に戻したりしながら、長袖2枚とタイツ2枚とハイソックス6足を買った。長袖は昨年のもまだ着れるし。

時間がないのでお茶したいところを我慢して井の頭公園駅まで歩き、そこから電車で浜田山まで戻ってマックでひと休み。駅前の人だかりの視線の先には真っ黒に日焼けした石原のぶてるがいた。図書館に寄って本を2冊借りる。

いつもの週末の過ごし方をしていると、じわじわととうれしさがわいてきて、安心に変わる。

今日はとんぼ返りで夕方からまた実家。世界陸上の女子マラソンを見る。スタートからじっと息をつめてマラソンを見続ける。尾崎選手が2位だった。ずっと応援していた赤羽選手は残念だった。


今日の富士日記
昭和四十一年七月三十日〜


2009年08月17日(月) 横の気配

夜9時半、帰京。

父と関わるときの心がまえというか気分の違いみたいなものについて、今回気づいたことがあったから、帰って相方に話す。今までは何も意識せず父と向かい合わせで対峙していたけれど、これからは父の隣りに並んで同じ方を向き同じ景色を見て、横の気配でやっていこうと思っている、と話す。どうも正面きってあたると意地の張り合いになりやすい。

それで今はどこに座ってるの?と相方が訊くので、いや実際のことじゃなくて気分の話、と答える。こうすることで父のわがままや要求にそれほどイライラすることなく対応できる(ことが多い。いつもじゃないけど)。そして、どれだけ忍耐強くそのわがままや要求に付き合ったとしても、何かが解決されたり解消されたりすることは残念ながらないこともわかっている。

明日、明後日と仕事。明後日の夜に再び実家へ。相方は私のいない間に家事とまる(文鳥)の世話を確実にこなしてくれている。ひとりだと不眠(夜更かし)になってしまうらしく、申し訳なくて仕方ない。


今日の富士日記
昭和四十一年四月八日〜


2009年08月16日(日) 網戸の前の夏休み

昨日から実家。今朝またバルーンカテーテルつまる。小手先の対策もむなしく変化なし。訪問看護師さんに電話する。病気にお盆も日曜日も関係ない。よって介護にも看護にも休みなし。訪問看護師さんもいやな顔ひとつせず来てくれて本当にありがたい。

バタバタしながら10時までに朝食を終え、掃除、洗濯など。エアコンと空気清浄機のフィルターもはずして掃除機で吸う。風は涼しいので、日陰は窓を開けて風を入れる。網戸の前でしばしぼうっとする。かろうじてそこだけ夏休みの気分だ。

実家にいると2日目にしてだんだんイライラしてくる。お腹がすくと助長されることがわかったので、父には悪いが食べたいときに食べたいものを食べるようにする。それでも私は痩せていく。


今日の富士日記
昭和四十一年三月二十四日〜


2009年08月12日(水) 世間は休み

母の通院日。昨夜遅く来た妹と二人で留守番する。お昼ご飯はたこ焼き(チン)ですませる。変な時間にクッキーを食べたせいだ。

病院から帰ってきた母が、今日は電車の中が遊びに行く人ばかりだった、と嘆くので、こういう日でも働いている人もいるんだよ、電車が動いてるのだって電車を運転してる人がいるからでしょ、となぐさめる。他人をうらやましがってわざわざ自分を落胆させるのは母の悪いクセ。世間はお盆休みで、遊んでいる人も多いことだろう。でもそうじゃない人もいる。今は我が家はそういう巡り合わせなのだから、その中でやっていくより他ない。文句ならいくらでも出るが、いちいち凹んでいては身が持たない。15時過ぎのロマンスカーで帰京。


今日の富士日記
昭和四十一年一月二日〜

夏空の下、冬の雪深い富士を想像して読む。少し涼しくなる。


2009年08月11日(火) 地震と台風

朝5時過ぎ、地震に飛び起きる。日曜日に引き続き、かなり揺れる。それでも震度4だった。台風9号も接近し、風雨強くなる。踏んだり蹴ったりとはこのことか。朝7時前、父のバルーンカテーテルにトラブル発生。自分でできる対応策をやり様子を見るも変化ないので、24時間対応の訪問看護師さんに電話する。かけてもかけても電話に出ない。つながったのは50分後。疲れる。


今日の富士日記
昭和四十年十一月二十三日〜

この前から少しだけ進んだ。日記は富士の山荘にいる日だけつけられているので、毎日ではない。品川アンカってなに?ハイミーってなに?と母に聞く。


2009年08月07日(金) 今日の富士日記

武田百合子『富士日記』をエンドレスで読むことに決める。次に何を読むか決めるのが億劫なのでそうする。持っているのは中公文庫の上中下巻で、下巻まで読んだらまた上巻に戻る。

今は上巻、昭和四十年十月のところで、昨日から3ページも進まない。しおりのところを開いてもすぐには文章が頭に入ってこない。集中し始めたかと思った頃には呼ばれ、あれこれやり、やれやれと一息ついて戻ると、どこまで読んだかわからなくなっており、また同じところを読んでしまう。その繰り返し。

でも本がなくてはやってられないし、どんなに読めなくてもそばに本があるだけでいい。自分を保つためには本が必要だ。

今日の富士日記
昭和四十年十月七日〜


2009年08月05日(水) 日一日

エンピツが携帯電話から更新できることがわかった。いまこれは実家へ向かう新幹線の中で書いている。

実家に着いたら妹と交替で、私は今夜から土曜日の午後までいる。父の一挙手一投足、その全てに介助が必要となり、内容によって片手で足りるものもあれば、大人ふたりがかりで汗だくなものまである。昼も夜も、場合によっては夜中も。

先週の水曜日に退院してきて、その日から4日間付きっきりで介護していたら、また腰痛がぶり返してしまい、私が動けなくなっては話にならないので、腰痛バンドを巻いて対峙する。少しはまし。

東京に戻ると疲れ過ぎてぼーっとした頭と体が、日一日と調子を取り戻すのがわかる。

楽しいときは笑え。寝れるときはとりあえず寝ろ。細かいことは気にするな。


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