蜜白玉のひとりごと
もくじかこみらい


2008年12月26日(金) よいお年を

昨日あたりから、よいお年をお迎えくださいの挨拶を頻繁にする。もう今年も残り少ない。

一日遅れで年賀状を書きあげる。26日朝投函。まだ家の大掃除は残っているものの今日で仕事納めということもあり、ほんの少し浮足立った気分になる。

一年を振り返ろうとしてみても、夏より前のことはあまり思い出せない。何をしたかどこへ行ったか。とにかく耐える一年だった。他人の都合に振り回され、いろいろなところにしわ寄せがいき、迷惑をかけ、我慢を強いた。

巻き込まれてかなわん、と文句を言っているのではない。振り回されているものが「自分の都合」ではなく「他人の都合」であることをしっかりと認識しなければいけない。あくまでも私ではなくて「誰か」の都合であり、それは私にはとうてい制御不能なのだと何度も自分に言い聞かせる。

そこをわかって関わってみれば、そう腹も立つまい。しんどいと泣くこともあるが、本当は泣くことでもない。わかるまでにずいぶんと時間が要った。

週末ごとほったらかしにして実家に行ってしまう生活も、こうしてあれこれ考えを巡らせてはぽつぽつと書ける心境でいられるのも、夫の理解と健康によるものだ。支えられてはじめて成り立っている。そのことがひときわ大きく感じられた一年でもある。


2008年12月21日(日) たまには魚も

昨日の続きで大掃除。朝から床のワックスがけ、と言っても手抜きワックスなのだけれど、物をどけたり掃除機かけたりしてやっているとそれなりに時間がかかる。自転車部屋(自転車が3台置いてある相方の書斎というか趣味の部屋)からはじまって、リビング、キッチン、寝室、廊下。つまり和室と洗面所以外は全部だ。ワックスがけは相方がやってくれた。私はアシスタント。相方は夜になってふくらはぎがつりそうだと言う。ワックスがけのせいだろうか。

午後は図書館へ行き3冊返して2冊借りる。返却期限が来年の日付だ。スーパーで追加の食材を買って帰る。かぼちゃとゆずも忘れずに買う。夕方までかかって年賀状印刷。今年はエクセルで住所録を作って宛名印刷もしたけれど、手間がかかるし結局手書きとどっちが早かったかなんて思ってしまう。見栄えはいいけど。

晩ご飯にはカレイの煮付け、もやしナムル、かぼちゃの煮物、豆腐と椎茸とたまごの中華スープ、玄米。魚が嫌いな相方に魚料理を出すのは少し後ろめたい気分だ。たまの休日に嫌いなご飯で悪いなあって。でも煮魚なんて平日はあまり時間ないからできないし。苦手でしょ?と聞くと、基本的には嫌い、でも肉ばかりじゃなくてたまには魚も食べないと死んじゃうから、週の半分くらいは魚でいいよ、と殊勝な返事。それはそれはよき心がけなり。私はカレイの煮付けの卵が好きで、相方の分ももらって食べた。

冬至。お風呂はゆず湯。

大掃除は来週も続く。来週は水まわりで、お風呂と洗面所、台所のシンクも磨くか。


2008年12月20日(土) 筆ペン見つけた

大掃除は金曜日の夜からはじめると効率がいい。週末にやろうと思っていてもいざその日になるとなかなかやる気が起きない。だから前の日からちょっとやっておく。仕事から帰ってきてご飯を食べて、のんびりしたいところでもうひと踏ん張り働くのである。そうして一つ片付けておくと、土曜日の朝目覚めたときには何やらすでに勝った気分になっているというわけ。手始めに台所の換気扇に取り掛かる。分解して洗えるところは洗い、拭けるところは拭く。ついでに周りの壁やレンジ台もみがく。換気扇に不織布のフィルターをつけて完了。掃除の途中で相方が帰宅。いやいやごくろうさん。どうもどうも。

土曜日はふたりして大掃除を本格的にスタート。普段どかさないものもどけて念入りに掃除機をかける。うっすらホコリの積もった巾木も忘れずに。なくしたと思っていた筆ペンが見つかる。いったんスーパーへ食料品の買い出しに出かける。その後は洗濯と並行して本棚の整理。本を全部棚から出しているいらないを分けて並べなおす。買わないようにしていても本は増える。厳しく仕分けをしなかったからか、捨てる本はあまりなかった。

お昼ご飯のあとは窓拭き。リビングの大きな窓はやっかいだ。この大きな窓が気に入ってこの部屋に決めたのだから、大掃除のときくらいは窓拭きもがんばらねば。ベランダに出たついでにメダカ鉢の水替えもする。極寒の中でもメダカは8匹ともなんとか生きている。えさの食いつきはよくないが冬はいつもこんなものだ。

夜は焼き肉。はじめの方、火加減が弱かった。中と強のあいだがちょうどいい。ハラミ2人前は多い。あとはよし。満腹になって夜の吉祥寺をぶらぶらして帰る。ロンロンの文房具屋さんが閉店セール。本当の閉店で今日が最終日で、棚にはもうほとんど品物がない。売れ残りからピンセットを見つけて買った。ピンセット、あったらあったで便利だと思うけれど、使うのか。

大掃除は日曜日へと続く。


2008年12月16日(火) もっともだ、もっともだ

伊藤比呂美著『女の絶望』の残り1節「さいごはかいご」は衝撃的だった。私がこの1年くらいずっと考え続けて最近ようやくたどり着いた答えとほとんど同じことが書かれていて、ああよかった、間違ってはいなかったのだな、もっと別の考え方もどこかにはあるかもしれないけれど、これはこれでひとつの到達地点なのだな、冷淡なようだけれどこれはこれで成り立つのだな、と安堵する。同じところを何度も繰り返し読んではうんうん頷き、しまいには横でテレビを見ている相方を捕まえて、私間違ってなかったよ、同じことが書いてあったよ、と今にも音読して聞かせようとするくらいに興奮した。

冷淡というのは、たとえば情の厚い親戚のおばさん相手に今の私の考えを聞かせるとしたら、たちまちそんな縁起でもないこと、育ててもらった立場でよくそんなことが言えるもんだとでも非難されそうな、という意味の冷淡で、でもやっぱりどう頭をひねっても、心中でもしない限り最終的にはひとりひとりの寿命があって、みんな死ぬときはひとりなんじゃなかろうか。まあそうは言っても親とか配偶者とか兄弟とか、場合によってはとても仲のいい友人とか、相手によってはその過程に付き合えるところまで付き合おうという心の準備はある。気にはかけるし面倒もみる。でもそのことに引きずられて自分まで壊れたり、人間関係が失われたりするのはどこかおかしな話なのだ。できれば仕事を辞めることなく、当然自分の家庭は壊すことなく、もっとも根本の自分を見失うことなどないように。

これに似たような話をずいぶん前に私は目にしていた。

一番大切なのは自分
二番目に大切なのは自分の同居家族
三番目に大切なのは離れて暮らす親

今になって身にしみてこの言葉の意味がわかる。親が具合が悪くなった直後はなんとかしなきゃ!で我も忘れて奔走する。自分のことなどそっちのけでとにかく動くしかなかった。最初の大波が過ぎ去り、在宅介護のスタッフも決まり往診の先生も見つかり、ほころびは多々あるにせよなんとか在宅で父を看られるような状況が整った。それからは、徐々に病気が進行し具合が悪くなっていく父と体調に浮き沈みのある母を遠くから心配するだけの、いつまで続くともわからない遠距離介護生活に突入した。このときもまだ、父の苦、母の苦を思うと自分のことなど考えてはいけないような気がしていた。

でも離れているがゆえの苦労もある。心配や不安は尽きない。直接手を貸してやれることは限られている。そう思って親の方ばかりに手をかけていたら東京の自分たちの生活がまわらなくなる。お金もそうだけれど、気持ちがすさむのがいちばんよくない。問題は時間と体力だ。そのどちらにも限界がある。

休日のたびに(妹と交互に、もしくは妹と一緒に)実家に行く生活を続けてみるとやっぱりそのうち疲れが出てくる。使命感だけでは体も気持ちもついてこなくなるときがある。自分が倒れては何もならない。自分が元気であってこそ、すべてが成り立ちまわっていくのだということがひしひしとわかる。「介護とは言え仕事を休むなんて」「たまの休日にも自分の家のことはほったらかし」「自分の親なのにろくに面倒をみてあげられない」など考えてみればあっちにもこっちにも負い目だらけで、それを克服しようとつい無理をしがちだけれど、そこはぐっとこらえて、どんなに非難されようとも周りにわかってもらえなくても私はこの考えで動いていきたい。すべては誰のためでもない、自分のために自分で選んでやっていることなのだ。

(一番目二番目三番目の話:NPO法人パオッコ 〜離れて暮らす親のケアを考える会〜 太田差惠子さんのお話より)


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相方と結婚したときになんとなくふたりの努力目標みたいなものを決めた。これから生活していく上で大切にしたい心がけのようなものだ。それは「折り合いをつける」ということ。ふたりの間で折り合いをつける、双方に歩み寄るというよりは、自分たちとそれ以外の周囲とで折り合いをつける、ということを想像して口にした言葉だったと思う。ふたりでよく相談して、できるだけ周りとうまくやっていこうということだ。妥協ばかりのように聞こえるかもしれなけれど、すんなり飲み込めないようなことも自分たちで話し合って「折り合いをつける」べくして取った選択ならば、それほど後悔もないだろう。今じゅうぶんにそれがいきている。


2008年12月11日(木) それはもうまったくそのとおりで

伊藤比呂美著『女の絶望』あと1節とあとがきを残すのみ。タイトルには女の、とあるが女に限らない悩みの数々に対して、伊藤比呂美ならぬ海千山千の「しろみさん(江戸弁)」が自らの体験をもとにすがすがしいまでのあけっぴろげさで答えるエッセイ?フィクション?実用書?いつものように形態不明のテンポのいい文章。

男女のドロドロした話の先に、私が聞きたいようなことも書いてあった。夫婦のこと、それも自分たちのようなのではなくて、何十年連れ添った夫婦のこと、それから介護のこと、あとは老いや孤独、・・・挙げだしたらきりがない。今、四六時中、私の頭から離れないのはそれらのこと。

自分の都合じゃなくて他人の都合に思い悩んでるってことに気がついて力が抜ける。とんだお笑い草だ。他人のことで悩むなんてバカみたいだとも思う。でも「自分」ではない「他人」とは言え「親」のことだから放っておけるわけもなく、やっぱり気になって、病気そのものはともかく、人間関係がもうこれ以上ひどくならないようにと、不毛なこととは知りながらもついあれこれと思い悩んでしまうのだ。

似たような話にきっぱりとしろみさんが答えてくれていた。なんだそうか、やっぱり私の手には負えないのだな、と観念した。夫婦のことはその二人にしかわからないことで、いくら年をとっても子どもとの間には深い深い溝がある。話し合え、と助言したところで無駄だったのかもしれない。しろみさんが言うには「話し合えないからこそ夫婦」だ、なんて聞きたくなかったが、それならもうこの際仕方ない。自分は自分で、少なくとも自分のところだけはそうなるまいとしっかり踏みとどまってやっていくよりなかろうよ。

以下、補足付きで覚えておきたい言葉。

(基本そのいち、)あたしはあたし

(基本そのに、)人は人

(基本を実行するには、)あたしはあたし、あたしはあたしが好きで大切、そこまでいかないと、人は人とは思えない

(しんどいようなことも)辛いと思うな、おもしろいと思え

(不倫とか離婚とか介護とか、まあいろんな状況にあてはまるだろうけれども、どんなに変わってほしいと思ったところで)他人は変えられないから、自分を変える

(極めつけ、)あたしはあたし、死ぬときゃ一人

ええ、それはもうまったくそのとおりで。ぐるぐる考えて行き詰ってつらくなったらまた読むことにする。


2008年12月01日(月) 師走到来

思うことあれこれ、11月中にもっと書いておこうと思ったのにあえなく12月に。カレンダーは残り1枚で壁の上、ペラペラとさみしい軽さだ。

マックに怒ったまま通り過ぎてしまった11月は本そのものを読むことは少なく、むしろネット上でニュース記事やブログを読むこと多し。こやつらのいけないところは手元に残らないということで、たとえA4縦からはみ出さないようにあれこれ操作してプリントアウトしておいたところで、半分に折ったその紙がガラクタの間に埋もれたりするのだから、あるのもないのも同じこと。以下メモ。生産を忘れ消費ばかり。とても悲観的。でもそのあとに楽観があるのかも。0系特集。洗濯機の泡を見て、今思えばあの頃が分かれ道だったのか。

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週末は夫婦でいつになく熱心にスケートを見る。ある青年の華やかなデビュー。演技を見たのは初めてだ。テレビに向かって手を振り返す。


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