蜜白玉のひとりごと
もくじかこみらい


2008年07月31日(木) 幸せなことよの

まあね、そんなわけでかなりの頻度で実家とこっちを行ったり来たりしている。新幹線で。ついに買いましたよ、新幹線回数券。1回乗るごとに1000円近く安いんだから買わなきゃ損。

やることいっぱい考えることいっぱいで、走ったり本読んだりはとんとしていない。それは今がいろいろ変化が起きるいちばんしんどい時期だからであって、いずれまた「それなりに」落ち着いてきたら、なにかしようかという気力もわくことだろう。この日記を書けるようになっただけでもいいじゃあないか。

父を看て母を看て、いったい何だってこんな大変な思いを、と誰にともなく言いたくなることもあるけれど、看られるだけ自分が元気でよかったし、妹とふたりで何とか補いあってかろうじてできているのも、見方によっては幸せなことよの、と思う。


2008年07月30日(水) 近況

とうちゃんの病気は相変わらず。かあちゃんは3週間前から臥せっている。持病の悪化により入院中だ。母の入院騒動から父の日中ひとり暮らしの方法を考えあちこちにヘルプを頼み、病院、役所、合間に仕事、もちろん愛する我が家のことも!

もう満身創痍である。はじめの1週間で3キロ落ちて、体はペラペラになってしまった。服の中で体が踊る。妹も実家から仕事に通ったりして大変だ。でもひとりじゃなくてよかった。


2008年07月09日(水) 散歩の効用

我が家の移動手段はもっぱら歩きか自転車だ。さらに遠くなら電車。車を持っていないし、これから先買うこともたぶんない。都心に住んでいれば必要ない。ふたりともペーパードライバーだからというのもあるけれど、車に乗りたきゃ練習すればいいだけのことで、そうしないというからには、やっぱり車があまり好きではないということだろう。スピードが速すぎるし(道端の景色がよく見えない)、酔うし(これはどうにもならん)、怖いし(自転車に乗っていると乱暴な運転の車が気になる)、お金がかかる(駐車場とか税金とかガソリンとか)。まあ便利なのだろうけれど、私たちの生活にはなくてもいいな。

だから、ふたりでよく歩く。

平日は朝一緒に家を出て、駅までずんずん歩く。歩道が狭いうえに駅へ向かう人がたくさんいるから、横並びでは歩けない。前と後ろで1列になって時折、あついね、とか、ねむいな、きょうこそはやくねよ、とかぼそぼそしゃべりながら18分発各駅停車に乗るべく早足で行く。この頃はつばめの様子を見るのが習慣で、今日も親鳥はじっと卵を温めている。ヒナがこわごわ巣の外に顔をのぞかせるまでにはまだありそうだ。

休みの日は適当に散歩に出る。というより、外に出ればそれが散歩だ。目的地があるときもあればないときもある。とりあえずローソン、なんてのもある。平日よりもだいぶのんびり歩く。寄り道もまわり道もOKだ。公園に集まっている人たちを見に行ったり、売り出し中の一戸建てが売れたか見に行ったりする。歩く道はどこでもいいのだ。一緒に歩いてくだらないことをしゃべって笑う。

私たちはよくしゃべる。ふたりとも話したがりで、お互いにいい聞き役だ。外を歩きながら話すのは、自由な感じがして好きだ。壁も天井もないから声は発せられた途端にどこへともなく吸い込まれて消えていく。重い話はそれほど重くなく、軽い話はさらにかろやかになる。

ローソンで立ち読みして、ロッピーでポイントを確認して、ひやかしでからあげくんなんか買ったりして、それでまたまわり道して帰る。


2008年07月08日(火) ため息が出るんだな

つばめはこの時期に2回、卵を産むんだそうだ。前のヒナはみんな巣立った。今は2回目。この暑いのに、軒下の小さな巣の中でじっと卵を温める親鳥、ごくろうさん。

毎日蒸し暑い。エアコン、扇風機、窓開け。いろいろやってみるけれど、どれひとつ快適な方法なし。首の後ろにびっしょり寝汗をかいて目覚める。

いざというときに携帯電話がなくても困らないように、手帳にだいじな連絡先を書きうつす。前に使っていた携帯電話はある日突然、電源が入らなくなった。電池パックを交換してもうんともすんとも言わず、相当ヒヤヒヤものだった。どうにかこうにかアドレス帳と写真を新しい携帯電話に移せたときはほっとしたけれど、いったいなんだってそんなにケータイ依存なんだ、と呆れたものだ。日常生活のかなり重要な部分をこのちっちゃい機械に握られている。今の携帯電話だっていつどうなるか、わかったもんじゃない。

結局頼りになるのは手書きだ。家族と親戚と、あとは病院の名前ばかり。それもどんどん増える。今日も1件増えた。

この頃、気がつくとため息をついている。ついてから自分で気がつくときもあるし、相方に、ため息ついてどうしたの、と言われてはじめて気づくこともある。

状況はこっちのことなどお構いなしに容赦なく悪化し続ける。そんな中でも、自分ではこの1、2年の内面の落ち込みをどうにか少しずつ取り戻し、私なりの解釈でむりやり噛み砕いて突き進んでいく毎日に、ある種の手応えを感じてはいる。手応えがあってもそれは楽しくもうれしくもない。とりあえず今日までは逃げなかった、というだけの自負。ただそれだけ。でもやっぱりどこかで釈然としない何か。漠然とした不安。これがため息に出るんだな、きっと。


2008年07月01日(火) 7月になった

富士山山開き。春からこっち、富士山は見えない。

名郷直樹先生という僻地医療をしていたお医者さんの研修医向けエッセイを読んでいる。医学の専門的なことは何も書いていないので、一般人でも読める。医療の周辺、もしくはそのまた外側、先生の日常、先生の頭の中。つまり、日記。でも文章の向こう側にある思想みたいなものをつかもうとすると難しい。私もずっと似たようなことを考えている。

湿気で髪が広がる。冷房が寒い。日焼け止め入り虫よけスプレーなんてのを買った。いよいよ夏だ。


蜜白玉 |MAILHomePage