蜜白玉のひとりごと
もくじかこみらい


2008年04月19日(土) ぐつぐつ

朝起きたら、晴れてるじゃない。てっきり雨だと思ってたのに。寝坊して完全に出遅れた土曜日。ずっと前にもらって凍らせたままのブルーベリーを出してきて、砂糖をバサッとふりかけジャムを煮る。ペクチンがないので固まらず、思い出して使いかけのイチゴジャムを入れる。

ジャム瓶3個分できた。まだ10時過ぎ。部屋じゅうにブルーベリーの甘い匂いがたちこめている。さて、これから何をしようか。相方は出かけていて、でもお昼は家で食べると言っていた。

トマト缶があるから、トマトソースのスパゲティにでもするか。今から煮れば、こっくりしたトマトソースになりそうだ。ジャムの次はトマトソースを煮る。何やらぐつぐつ煮る日だ。


2008年04月08日(火) 愛しのそら豆

角田さんの日記を読んでいたらそら豆の話が出てきた。そら豆の内側のクッションのふかふかさ具合について触れている。一度でいいからあのクッションに包まれて寝てみたい、と。角田さんもそら豆に何かしら感じるものがあるようだ。

ずっと前、豆というのはこんなにも官能的なものだったか、と小池昌代さんの詩に強く反応したように、私は豆全般が好きだ。その中でもそら豆はちょっと特別だ。

そら豆の内側のあのクッションは、外側のゴツゴツさ加減からは想像しにくい。外側は全体が緑色でところどころ黒く(傷なのか汚れなのか)なっていて固い。でも、側面の(どこでも側面か?)割れ目からパキッと開くと、霧でも吹いたみたいにしっとりと水分を含んだふかふかの白いクッションの上に、ひとつひとつ間隔をあけて大事そうに豆が鎮座している。どうだろう、この外側と内側の落差は。

この前、スーパーの朝市で一袋500円だった。そら豆、かさばるわりに食べられる量は少ない。でも、今度見かけたら買おう。ゆであがった時の、あの豆臭さがたまらなく好きだ。


2008年04月03日(木) 遠くへ

石井桃子さんが2日、101歳でお亡くなりになった。子どもの頃に読んだ本を大人になって振り返ると、この本もあの本も、どれもこれも石井桃子さんの本だった。文庫活動をはじめたことでも有名で、とにかく児童文学で何かを調べれば必ずと言っていいほど石井桃子さんのお名前にたどりつく。実家には私が色鉛筆で落書きして、押し花をはさんだ『クマのプーさん プー横丁にたった家』がある。たしか四つ葉のクローバーも何本かはさんである。

石井桃子さんとはお会いしたことはないけれど、亡くなったのを朝のテレビのニュースで知って、知り合いが遠くへ行ってしまったような悲しい気持ちになった。昨年、モーリス・ベジャール(フランスの振付家)が亡くなった時にも同じような気持ちだった。いつの間にか私の心に深く入りこみ、大きな影響を受けていた人たちなのだ。


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映画の予告でおもしろそうなのを見つけた。『ジェイン・オースディンの読書会』というタイトルに思わず立ち止まる。これを見たらまたジェイン・オースティンを読もうという気になるのだろう。『高慢と偏見』も読んだのは何年も前だから忘れてしまった。公式サイトはこちら。Bunkamuraル・シネマで12(土)から。


2008年04月02日(水) 5年目

書き忘れていたが、3月30日は結婚記念日だった。というわけで、日曜日の夜は焼き肉でお祝い。塩の旨味ダレというのが思いのほかおいしく、ただそのタレを味わいたいがためだけに追加注文したカルビと塩タンがお腹にずっしりと響く。その後、予定通りに相方はキャラメルソースのソフトクリーム、私は抹茶アイスと白玉がココナッツミルクに浮かぶデザートを食べる。もう満腹。動けない。

帰り道、多奈加亭で食パンを買い、6枚にスライスしてもらう。ロンロンの青山フラワーマーケットで小ぶりのブーケをひとつ。冷たい雨の降る中、まわり道して帰った。

相方との生活も5年目に。付き合いはじめた頃より今ははるかに仲が良く、時間の経過とともに結束が強まっていく感じだ。あなたはわたしで、わたしはあなた?とまではいかないけれど、運命共同体の色は濃い。結婚当初ですら、こういう展開になるとは思いもよらなかった。ものの考え方や好みが似通っているというのは偶然だけれど幸せなことだ。毎日の生活の積み重ねによるところも大きい。

折にふれて共に暮らしていくことの意味を考える。この先もいろいろなことが私たちを待ち受けているはずだ。思いはそのつど言葉にして、たくさん話して道を選んで、ふたりで進んでいきたいと思う。


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