蜜白玉のひとりごと
もくじかこみらい


2008年03月27日(木) 花を見るのに忙しく

レンギョウ、シモクレン、モクレン、コブシ、ユキヤナギ。ハナニラ、ハナダイコン、スズラン、その他春の雑草。上も下も花だらけ。見るところがあり過ぎて、ただ歩いていても目が忙しい。今しか見られないと思うから、欲が出る。

桜は開花宣言から1週間もたたずにほぼ満開。毎朝通りがかる公園の、ふわふわと揺れる桜の大木を見ていると酔っ払ってくる。桜は遠くから、ああ咲いてるね、とチラッと見るくらいでいい。

異動や退職の季節だ。頼りにしていた人がいなくなってしまうとわかると急に落ち着きがなくなる。いったいこの先どう切り抜ければいいのか。表面上はのんびりしているようで、実は問題が先送りになっているだけなのだ。一枚めくると中はひどい有様だ。続けると宣言したし、できる限り続けたいけれど、仕事もプライベートも心配事ばかりの今、いつまで平静を保っていられるだろうか。自分がいちばんよくわからない。


2008年03月21日(金) ケストナーの言葉

ドイツの児童文学作家エーリヒ・ケストナーのこんな言葉に出会った。「人生を愛せよ 死を思え 時が来たら 誇りをもって わきへどけ」。

ここでも何度も書いている大好きな『ふたりのロッテ』の作者ケストナーは、『飛ぶ教室』や『エーミールと探偵たち』という児童文学のイメージが強くて、こんな言葉を残していたとは知らなかった。調べると、この言葉には続きがあった。

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人生を愛せよ 死を思え

時が来たら 誇りをもって わきへどけ

一度は生きなければならない

それが第一のおきてで

一度だけ 生きることが許される

それが第二のおきてだ


                 エーリヒ・ケストナー

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父が病気になり、その病状が進むにつれて、私はますます死ぬことと生きることについて考えるようになった。死ぬことについてじっと考えていると、いつの間にか、生きることについて考えていたりする。問題がすり替わるというか、スライドするのだ。どう死ぬかはどう生きるかと同じことだ、という話をよく耳にする。乱暴な言い方だとも思うが、生きることの延長線上に死ぬことがあるのだから、分けて考えるものではなく、同じ類いのものとして考えた方がしっくりくるのかもしれない。

でも、本当のところ、私にはまだわからない。胸を張って言えることはあまりない。わからないから、考えたい。考えて考えて、自分の信念を見つけたい。揺るがない、譲れない、自分の軸を探している。

考えるときには何か取っ掛かりが必要だ。いつもいつもそのことばかり考えていると、おのずとそれに関係していることが目に飛び込んでくる。この、ケストナーの言葉もそうだった。

信頼できる人の言葉に耳を傾けようと思う。子どもの頃はじめて物語を読んだ時から大人になった今でもずっと、私の心を震わせるケストナーが言うのだから、この言葉もきっと私を支えてくれるに違いない。


2008年03月11日(火) だから、走っている。

空気がゆるんで春が近づいてきている。梅は満開に近く、桜はどんどん存在感を増している。そして完全に花粉症だ。鼻の奥がつーん、ちりちり、と痛いんだかかゆいんだか。そして音もなく垂れる鼻水にティッシュが手放せない。鼻水が止まったと思ったら、今度は鼻づまり。そのせいで口を開けて寝ているのか、朝起きればのどが枯れて痛い。日中、目のふちは赤く、ときに我慢できないほどかゆい。触ると余計かゆい。

こんな状況にもかかわらず、今シーズンは耳鼻科には行かないでおこうと思っている。昨年は抗アレルギー剤を飲み、耳鼻科であれこれ処置をしてもらったけれど、やっぱりくしゃみ鼻水は止まらずしんどかったから、行っても行かなくても同じようなものかもしれないので、行かないでみる。いずれ花粉の時期が過ぎれば症状は落ち着くわけだし、それまではマスクや目薬やアイボン、食事や睡眠で何とかしのぐ。

札幌の愛人(注:中高時代の友人)から、冬のなのに「走っている」なんてやっぱり東京だね、と手紙をもらう。冬でも雪がないのが当たり前になっていたので、ああそうか、と今さら気づく。東京に住んでこの春で何年になるだろう?大学の4年間、働いてから7年で丸11年、東京在住12年目に突入する。もっと長いような気もするが、こんなものか。

長い間ずるずると引きずってきた物事や考えを何かの拍子にパッと手放してみる。心許ない気分だ。でも手放した分だけ空きができる。そこに何かしら新しいことが入ってくる。期待していたものに近かったり、予想もしないものだったりいろいろだけれど、楽しいことに変わりはない。人生の方向を変える動きも、はじめはごく小さな何気ないことからはじまるのかもしれない。変えたいのか変えたくないのか、自分でもいまいちつかみかねているが、そのときそのとき思うようにやっていけば自ずと見えてくるのかもしれない。今は楽しいのでそれでいいように思う。

だから、走っている。


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