蜜白玉のひとりごと
もくじかこみらい


2008年01月30日(水) 平日夜の過ごし方

お弁当は順調に3日目。切干大根とひじきはお弁当だけでなく晩ご飯にも食べているので残りわずか。なにか常備菜を補充しなければ。今夜にでも、たけのこと鶏肉を甘辛く濃いめに煮るかな。ああ、ご飯がすすみそう。

平日の時間の無さにあきれる。いや、私よりもっと忙しい人はたくさんいるだろうから、時間が無いはずはないのに(どっちだ?)、ゆったりしているとも思えない。特に夜、帰宅後から寝るまでの間のドタバタ、それに伴うイライラが嫌だ。

朝は7時に家を出るため6時過ぎに起きる。で、睡眠時間は少なくとも6時間ほしいので、夜は12時くらいまでには布団に入りたい。睡眠6時間以下の日が続くと、日中クラクラとめまいがして使い物にならないし自分もつらい。けっ、弱いな、と思うけれど、人にはそれぞれ最適の睡眠時間があるようなので仕方がない。短くても平気な人もいるし、よく言われている8時間でも足りない人もいるということだ。私はきっと7〜8時間くらいがちょうどいいのだと思う。たまに休みの日などに夜11時くらいに寝て、次の日朝7時くらいに起きるとすごく体が軽いから。

それでだ。仕事を終えて家にたどりつくのはだいたい7時15分か、買い物したりすると7時半くらいなので、そこからただちに夕食作りに取り掛かる。同時進行でお弁当の下ごしらえ。食事はだいたい8時から9時の間。それと9時までに、まるの水浴びと鳥かごの掃除をして寝かせる。9時過ぎから食事の後片付けとお風呂の支度、明日のごみ捨て、あれば洗濯。ゆたんぽを用意して布団に仕込み、お風呂に入って、髪を乾かして、歯磨きをして、洗濯物を浴室に干して浴室乾燥、腰痛予防のストレッチ・・・うーん、書いていてキリがない。どれも削れないか。

じゃあ、仮に平日夜に時間が空いたとして、私は何をしたいのだろう。

部屋の掃除と、あと揺れないところ(電車じゃないところ。電車だとときどき酔う)で本が読みたい。読みつつ、たちどまって考えをまとめたり、書きつけたりしながらゆっくりお茶でも飲みたい。

無理かな〜、無理だな〜。宵っ張りになるだけだ。


2008年01月29日(火) この頃読んだ本

金井美恵子著『快適生活研究』『待つこと、忘れること?』『彼女(たち)について私の知っている二、三の事柄』

年末から立て続けに金井美恵子を読む。と言っても、読書の時間は電車の中(帰省の電車と、休みが明けてからは通勤電車)だけなのでなかなか読み進まない。毎日同じ本をかばんに入れて出かける。読点(、)でつながる長い長い文章。忘れかけた頃にやっと現れる句点(。)を見て、はてこの文のはじまりはどこだっけな、と戻って確かめる。このリズムは金井さんだけのものだ。ときどき無性に読みたくなる。

* * *

絲山秋子著『豚キムチにジンクスはあるのか−絲的炊事記』

図書館で順番待ちして借りる。Hanakoに連載していた料理エッセイをまとめたもの。辛い物や無茶な創作料理ばかりで、私の味覚とは合わず、パラパラと飛ばし読み。どういうコンセプトの連載だったのか、Hanakoを読んでいないのでわからないが、苦しいのに食べ続けたり、あきらかに不味そうとわかっているのに試したり、おいしいもの探しというよりは、苦痛に耐えることの方が前面に出ていてがっかり。絲山さんてこんな方でしたっけ。小説のイメージとは違った。

* * *

エーリヒ・ケストナー著『ふたりのロッテ』

何回読んでも話の詳細を忘れているので、初めて読む時みたいにドキドキする。子どもって、ふつうにしているだけでビリビリしびれるくらい真剣に生きているんだな、と思う。今の子どもたちもそうなのだろうか。もう、自分の子ども時代からもずいぶん経ってしまったし、身の回りに子どもはいないし、よくわからない。金曜日の夜、明日は休みだからと気を緩めて本を読んでいたら、相方が退屈していた。気がつかなかった。申し訳ないことをした。


2008年01月28日(月) お弁当とストレッチ

めざせエブリデイ・マイ弁当(Ku:nel参照)。

いくら寒いからとは言え、11月からの食べ過ぎで日に日に肥え、これ以上放っておくと今後の修正が困難になりそうなので、もう食堂の大盛りには行かないようにする。弁当持参。

体のことを考えてこの際、見た目の色どりは無視する。お弁当の中身は玄米、梅干し、あぶらげと切干大根の煮たの、ひじきの煮たの、ポテト、ウインナー。デザートはいよかん。

昨日、常備菜に切干大根とひじきをそれぞれ鍋いっぱいに煮ておいた。こういうのが冷蔵庫にいくつかあるとお弁当もそうそう苦にならない(はず)。

お昼、玄米をわしわしと噛みながら、勝った・・・とひとり満足する。

週末はサッカーを見ながらテレビの前で延々とストレッチをした。肉をつけてもいいけれど、体を硬くしてはいけないな、と反省する。体が硬いといいことない。怪我しやすいし、落ちる肉もなかなか落ちない。


2008年01月24日(木) 『飛ぶ教室』のまえがき

大人になると、当たり前だが子どもの頃のように大人から叱られるということがない。嫌味を言われたり、陰口をたたかれたり、ストレスか何かのはけ口に運悪く怒鳴られたりすることはあっても、愛を込めて叱られるということはたぶんもうない。

別に今すぐ叱られたいわけじゃないけれど、もしこれから先、誰かに正しく叱られたいと思ったときには、ケストナーの『飛ぶ教室』のまえがきを読もう。昼休みにまたもや職員弁当を食べながら読んでいて、ああこんなふうに一直線に諭されることってひさしくないなあ、とひどく感慨深かったので。生きることの心構えをあんなに真剣に聞くことって、そうそうない。言っていることが今の世の中にも通じるかどうかはともかく、その姿勢が新鮮だった。でもたとえ子どものときにこのくだりを読んでいたとしても、そのときはただこんなもんか、とさらっと読み進んでしまっていたはずで、やっぱりこの意味がわかるのは大人になってからなんだろうな。

熟カレーならぬ熟シチューは今朝でようやく終わる。おととい、楕円のルクルーゼいっぱいに作ったホワイトシチューには、鶏肉、かぶ、じゃがいも、たまねぎ、にんじん、しめじを入れた。主役のかぶはすっかり溶けて、どこにあるかわからない。もう残っていなかったのかもしれない。


2008年01月23日(水) 東京は雪

朝6時半過ぎ、雪が舞いはじめる。家を出る7時過ぎには本降りに。傘をさして駅まで歩く。この冬、東京でまじめに雪が降ったのはこれが初めてかな。雪は積りそうな勢いでどんどん舞い落ちてくる。アスファルトの上はすぐ溶けてしまうけれど、土の上はうっすらと白くなっている。

雪が降っているせいか、通勤途中の人がみんなどことなくそわそわしているように見える。静かなのに、空気がかすかに震えているような、遠くでクスクス笑う声が聞こえるような、いつもと違う様子。

帰る頃には雨になっていた。雨なのに、すごく寒い。雪はほとんど積っていない。薬局の前に小さな雪だるまができている。


2008年01月22日(火) ごはんがおいしい

※食事前、食事中、食後すぐの方はご遠慮ください。

食べ過ぎと運動不足で体重が増えた。ちょっと食べ過ぎかな、とうっすら気にし始めたのは昨年の11月くらい。寒くなってきたら食べ物がおいしくて、体が欲するままに食べた。もっと寒くなってきたら食べ物で暖をとるようになって、食べた分だけ温まるからキンキンに冷えた手先足先のために、体が欲するままに食べた。そして年末年始のごちそう週間を着実に通り過ぎ、気がつけば以前は多くて食べきれなかった職員弁当(350円)をペロリと平らげている。日替わり定食の、マンガみたいにお茶碗に三角に盛られたご飯もへっちゃら。

増えたのは数キロだけれど、これは胃の中の食べ物の重みではなくて、新たに付いた肉の重み。からだ全体に膜が張ったように脂肪の層があるのがわかる。特に脇腹など体の側面が顕著。あと脚も。でも食べちゃったんだから仕方がない。春になって暖かくなって外に出たりぐんぐん体を動かすようになれば少しは落ちるはずだ(そうであってほしいし、そうでなきゃ困る)。

問題なのは食べた分だけ出ていかないことだ。便秘が常習化したのは昨年の10月頃からで、放っておくと2〜3日便通がない。日々の忙しさにまぎれて便通がないことすら忘れてしまう。ひさしぶりにあってもウサギのうんちで、頼りないことこの上ない。食べてる量から考えるとそれはないんじゃないの?と言いたくなる。1日3食きっちり食べて、やめときゃいいのに間食もする。食べ過ぎなのはわかっているが、寒いから仕方ない。お腹が空くと寒くなって悲しくなってくるのだ。

便秘なのは繊維が足りないからだとか、水分が足りないからだとか、やれ運動だとか、いろいろ試すも一向にいつもの感じに戻らない。ヒトにはヒトの乳酸菌、と蒼井優がはにかむので新ビオフェルミンSなども飲んでみるが、効いたような効かないような。それに1日3回、毎食後3錠っていうのはどうしても飲み忘れる。

数年前までは、私はポッコリお腹にはならないだろうとタカをくくっていたけれど、とんでもない。便秘になれば、ポッコリお腹になる。便秘のせいでお腹が痛くなったりはしないものの、あれだけたくさん食べているのに出ないのはなんだか釈然としない。

引っ越してから朝がさらに慌ただしくなったからかも、と今これを書きながら思った。便秘を治すには、出ても出なくても毎朝決まった時間にトイレに座るように、というのもあったな。そのためには分刻み(出かける直前は秒刻み?!)の平日の朝を見直さないとだめだ。

体重が増えて体がもっさりとした感じはなんとも気持ちが悪い。自分の輪郭がシャキッとわかるくらい(目で見ないでも、感覚で)がちょうどいいはずなんだけど。

太ったかも、と相方に告げると、太っちゃうの?と悲しそうな顔をして言うので、ああ太っちゃだめなんだなと思った。同時に、これから年を取っていくのに太らないでいるっていうのは結構難しそうだなとも思った。努力しなきゃ。とりあえず暖かくなってから。


2008年01月06日(日) 大根1本

正月休みも今日で終わり。9連休もそのほとんどを実家で過ごし、東京の自宅にいたのは最初の1日と終わりの2日で、なんだかあっという間の感じ。

反面、2007年を思えば、それはもうずっと遠くへいってしまった。昨年は本当にいろいろあった。事ある毎に大きく心揺さぶられ、へとへとに疲れた。でもその大揺れのおかけで、揺れの中心にある、どんなときもぶれないものが見えた気がしたのも確か。何事も勉強、何事も人生の肥やし。

天気予報では菜の花の咲く頃の陽気になるというので、洗濯、掃除、シャツとハンカチのアイロンかけを早々に済ませ、相方と自転車で出かける。まずは図書館へ本を返しに行く。相方は図書館カードを作る。私は4冊返して4冊借りる。12時前になったので、サイクリングの腹ごしらえに初ケンタ。あえてセットメニューにはせず、オリジナルチキンと黒胡椒チキンとビスケットとハーブティー。隣の靴やさんでショートブーツを買う。

いったん本を置きに家へ戻る途中、大根3本で1盛り105円を発見する。安いなあ、でも3本は多いなあ、と思っているところに小学生の男の子を連れたお母さんが来る。大根ちょうだい、でも3本か、これ半分にならない?などとお店のオバチャンと交渉しはじめる。オバチャンは、半分になんてならない、考えが甘い、それならこっちの1本130円を買いなさい、と強気の発言を返す。子連れのお母さんは大根の前で同じように迷う私に気づいたようなので、ここぞとばかりに、私も3本じゃ多いんですよね、、、と誰に言うわけでもなくぼそっと言うと、すかさずお母さんは食いついてきて、じゃあ半分にしません?と誘われる。4人家族だというお母さん2本、我が家1本で交渉成立、結局1本35円で大根を手に入れる。

本と靴と大根を置いて、サイクリングは高井戸に寄ってから西荻方面へ。よく晴れて日がまぶしく、自転車をこぎ続けると暑いくらいで汗が出る。西荻の駅周辺をふらふら乗り回していると音羽館(古書店)を見つけた。休憩がてらゆっくり棚を眺める。相方は買いたい本がたくさんあったとかで、どれを買うか悩んでいる。私はおもての100円のを1冊だけ買う。日が傾くとすぐに寒くなるから3時までには帰る。帰りはまっすぐ1本道で、こんなに近いのかと拍子抜けする。

帰ってきて汗が冷えないうちに服を全部着替え、ベランダのメダカの水替えをし、洗濯物を取り込む。おやつはきなこ餅、朝の残りのバタールに明太子とサワークリームディップをつけて食べる。晩ご飯は鮭とごぼうの炊き込みご飯(よしながふみ『きのう何食べた?1巻』より)、大根ステーキ、大根ととうふの味噌汁、じゃがいもと豚肉の味噌煮(昨日の残り)、白菜キムチ。炊き込みご飯は予想以上のおいしさで相方も私もおかわりする。


2008年01月01日(火) 新しい年

おめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

朝7時半起床。初日の出はすでに水平線の上に。お雑煮の朝ご飯で10時過ぎに出発する。日帰りで相方の実家へ。お年賀にお祝いにお年玉におみやげの絵本、相方が忘れずに持つ。

ひさしぶりに会う姪は顔つきが大人びて、でも会ってすぐはやっぱり恥ずかしがって、お母さんの陰に隠れたりする。2、3時間もすれば慣れて一緒に遊んだりできる。お昼は天ぷらそばをいただく。このままこたつに入ってぼーっとテレビを見るともなく見ていると宴の時間になってしまうので、頃合いを見計らって相方と散歩に出る。同級生や幼なじみの住んでいた家の前を通ると、思い出話をしてくれる。前にも聞いたかもしれない話は、よく覚えていないので、何度聞いても初めてのようにおもしろい。中学校の横を通り、川沿いを歩き、滝の上に出た。ここまで来たらお墓参りでもしていこう、と少し足を延ばして立ち寄る。田んぼの間をぬって帰る。1時間以上歩いていた。

夜はみんな集まって、カニ、寿司、海老フライ、焼き鳥など。毎年、食べきれないほどのごちそう。姪となぞなぞかるたをして、惨敗。日本地図パズルも難しい。

夜9時半頃、実家にたどりつく。おみやげのお菓子、お餅、いくら、干し芋を分ける。まだまだ食べるお正月は続く。


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