蜜白玉のひとりごと
もくじかこみらい


2006年06月30日(金) かき揚げ

揚げ物はしない、と宣言していたけれど、この前、病院の待合室でパラパラめくっていた健康雑誌に載っていたゴーヤと枝豆のかき揚げがどうしても食べてみたくて、かき揚げはかき揚げでもこんなかき揚げはそう売っていないだろうと思い、観念して揚げ物をすることに。

普段やらないせいで加減がわからなく、コツのいらない天ぷら粉を使ったにもかかわらず、いまいちの仕上がり。ただ、ゴーヤのにがみと枝豆の甘みはなかなかおいしかった。今度は失敗しないように揚げよう。

[材料]
ゴーヤ(わたはスプーンでかき出して取り、薄切り)
枝豆(ゆでて、さやから出しておく)
たまねぎ(5ミリくらいに薄切り)

※干しエビなどもいいかも。うちはエビがあまり好きでないので、単純に野菜のみのかき揚げにしました。

それにしても、ここ数日の蒸し暑さは体にこたえる。きちんと食べないとすぐにバテてしまう夏に、食材や調理法を考えて作るのは結構たいへんなのだ。ただでさえ暑いのに、料理には火を使うからますます暑い。涼しげなそうめんだって、麺をゆでるのにお鍋いっぱいのお湯がいるのだ。ああ、考えただけで暑苦しい。

高齢化も少子化も日本が世界でNo.1になったらしい。日本はお先真っ暗なようでむなしくもなるけれど、だからと言って、これを理由になにかをあきらめたり、刹那的に生きたりするのも、なんだか違う気がする。人生ってそんなに薄っぺらで軽いもんだろうか。数字とは別のところに、私たちの生活、私たちの人生はある。意味を持つ数字は、ときとして暴力的に攻めてくるけれど、そんなものは見方によってどのようにでも読める。ちなみに2位はイタリア。

明日は恒例のプチ同窓会がある。大学時代の友人7人で集まるこの会も、去年の夏から始まって、丸1年。だいたい2ヶ月に1回くらいの割合で、誰かの家へ行ったり、レストランへ行ったり、思う存分飲んでは食べてしゃべり倒す。その様子はたぶん、お店の人に注意されるほどではないにしろ、かなりうるさい。大学を卒業して働いてからは、同年代の友達に会う機会がガクンと減り、近所にも職場にも腹を割って話せる相手なんてやっぱりいないので(相方は別)、この時とばかりにはしゃいでしまう。そして、行くといつもいい話が聞ける。みんなそれぞれの世界でがんばっているんだな、と思う。この時ほど、人と比べてどうこう、というのがどんなにくだらないことか、感じられる時は他にない。素直でやさしく思いやりにあふれた、愛すべき人たち。


2006年06月25日(日) どこまでも

気に入ると(気になると?)、もうそれしか見えない。それしかしない。頭の中がそのことでいっぱいになってしまって、他のことが入る余地がないのだ。それは何についても同じで、例えば食べ物なら飽きるまで食べ続ける(これは柑橘系)。「適度に」楽しむというのができず、どこまでも突き進んでしまう。

誰かの本なら、その人が書いたものばかり読む。今もずっと須賀敦子ばかり読んでいて、『霧のむこうに住みたい』(初)、『コルシア書店の仲間たち』(再読)、『トリエステの坂道』(再読)、『地図のない道』(初)を2冊ずつほぼ同時進行で読む。中でも『トリエステの坂道』は全部読んでからまた戻って、好きなところだけ取り出して読んだりしていて、この頃いつも鞄の中に入っている。

『トリエステの坂道』には12のエッセイと1つの評論(とでも言うべきか)が載っている。ウンベルト・サバに思いをはせる表題作「トリエステの坂道」、雨が降ってもイタリアの男は傘をささない「雨のなかを走る男たち」、ハンカチを広げたくらいの家庭菜園の話「セレネッラの咲くころ」、ナタリア・ギンズブルグを訪ねた「ふるえる手」の4つが特に好きで、暗唱できるようにしようか、それとも書き写して楽しもうか、と考えは尽きない。

・・・

 たとえどんな遠い道のりでも、乗物にはたよらないで、歩こう。それがその日、自分に課していた少ないルールのひとつだった。サバがいつも歩いていたように、私もただ歩いてみたい。幼いとき、母や若い叔母たちに連れられて歩いた神戸の町とおなじように、トリエステも背後にある山のつらなりが海近くまで迫っている地形だから、歩く、といっても、変化に富む道のりでさほど苦にはならないはずだった。地図を片手に、私はまず市の中心部をめざして坂をおりはじめた。
 なぜ自分はこんなにながいあいだ、サバにこだわりつづけているのか。二十年まえの六月の夜、息をひきとった夫の記憶を、彼といっしょに読んだこの詩人にいまもまだ重ねようとしているのか。イタリアにとっては文化的にも地理のうえからも、まぎれもない辺境の町であるトリエステまで来たのも、サバをもっと知りたい一念からだと自分にいい聞かせながらも、いっぽうでは、そんな自分をこころもとなく思っている。サバを理解したいのならなぜ彼自身が編集した詩集『カンツォニエーレ』をたんねんに読むことに専念しないのか。彼の詩の世界を明確に把握するためには、それしかないのではないか。実像のトリエステにあって、たぶんそこにはない詩の中の虚構をたしかめようとするのは、無意味ではないか。サバのなにを理解したくて、自分はトリエステの坂道を歩こうとしているのだろう。さまざまな思いが錯綜するなかで、押し殺せないなにかが、私をこの町に呼びよせたのだった。その≪なにか≫は、たしかにサバの生きた軌跡につながってはいるのだけれど、同時にどこかでサバを通り越して、その先にあるような気もした。トリエステをたずねないことには、その先が見えてこなかった。(須賀敦子「トリエステの坂道」より)

・・・

どの本にも、どの話にも、結婚してわずか5年で亡くなった夫ペッピーノの存在が見え隠れする。須賀さんがこうして自分の家族や友達やイタリアについて書き始めたのは、彼女がイタリアを離れて20年くらいたってからのことだ。ただの思い出話に終わらない、小説のようにも読める美しいエッセイになるまで、これだけの時間がかかったことを頭の隅に止めて読むと、なお須賀さんの人柄が感じられる。


2006年06月24日(土) 蒼い海の中

金曜日の夜は、渋谷Bunkamuraのオーチャードホールに、畠山美由紀の歌を聴きに。彼女は偽りなく歌がうまいので、ライブも心をゆだねて安心して聴いていられる。声はもちろんのこと、彼女の書く詩の世界もまた、とても気に入っている。軽やかでさわやかなものから、濃く深いものまで幅広い。

例えば、最新アルバム『リフレクション』の中では、こんな詩がある。彼女自身も、ディープな世界、と照れ笑いするような。



「ただ、在るだけ」


名もなき草花たちが 風に揺られて
空に向かって 色彩り彩りのサインを送る

きれいだな ここは
東京で最後の 聖なる空き地
みどりやわらかく誰をも包む
だけどもいつまで逃げおおせるだろうか?
すぐにビルや、 すぐにマンションができてしまう

あぁ、こうしていると―
私も確かにこの風の一部
名もなき草花が 教えてくれる

ほら見てごらんよ、まるで光そのものが
いくつも いくつも
丸い木の枝にキスして飛ぶ

巨きな白い夏の兆しの雲よ
どうか あなたが向かう所へと
この空間を 連れて行ってあげて

あぁ、こうしていると
私もたしかにこの世の一部
優しい草花と ただ、在るだけ

             (作詞・作曲 畠山美由紀)


以前住んでいた世田谷のアパートは、目の前が大家さんの畑、その向こうが公園、さらにその先は駐車場、というふうにずっと視界が開けていた。あるとき大家さんが亡くなって、それからは畑も手入れされず、ああ、もしかしたらこの眺めもいずれなくなってしまうのかな、と思って作ったということだった。

歌声のうしろには、流れるようなピアノと迫りくるチェロだけが聞こえる。目を閉じれば、風に吹かれて揺れる草花、地面に影を落とす大きな雲がある。

この曲に限らず彼女がうたうと、海の歌なら本当に波が打ち寄せるようで、鳥の歌なら大空を自由に飛ぶ鳥のようで、車窓の歌ならカタンカタンカタンカタンと電車に乗っているようで、いつもその感覚を不思議に思う。こちら側の想像を思い切りかきたて、何もないところからものを作る楽しさをくっきりと思い出させる。

ライブでは、昔のアルバムからも数曲うたわれ、"Diving into your mind"を聴いたときには、やっぱりこの日も蒼い海の中を自由に泳ぐイルカの姿が見えた。この歌はイルカの歌ではないけれど、個人的な思い出から、どうしても頭に浮かぶのはイルカの絵になってしまう。CDではそうはならないけれど、ライブで聴くとあふれそうになる涙をこらえるのに苦労する(たぶん、隣の相方は気づかなかったはずだ)。

体の隅々まで歌でいっぱいになった夜だった。


----------------キ---リ---ト---リ---セ---ン-------------------


こちら←で少しだけ試聴できます。3rdアルバム『リフレクション』です。10.「ただ、在るだけ」のほかには、4.「若葉の頃や」や11.「春の気配」が好きです。相方は5.「水彩画」が好きだと言っておりました。

そうそう、ライブにはスペシャル・ゲストで、アン・サリーさんとフラメンコ・ギタリストの沖仁さんがいました。アン・サリーの素直でまっすぐな歌声も気に入りました。


2006年06月10日(土) 何はなくとも

もし家を建てるとしたら、壁いちめん、天井までとどく作りつけの本棚がほしい。これはもう10年以上も前からの憧れで、その思いは一時たりとも変わっていない。今朝、ゆっくりと家事をする合間に、須賀敦子『塩一トンの読書』をパラパラとめくっていたら、そんなことを思った。天井までとどく作りつけの本棚、何はなくともこれはほしいな、と。もしくは階段を上がる途中、ぐるりと全部本棚、なんていうのも楽しい。もっとも楽しいのは私だけで、他の人にとっては、そんな書庫みたいな威圧感のある壁はうっとうしいかもしれない。こんな話をしたら、相方は一緒になって楽しんでくれるだろうか。

なぜだか好きな本、何度も読みたい本、思い出の本。いつもそばに置きたい本だけを選ばなければ、どんなに大きな本棚もすぐにいっぱいになってしまうに違いない。今だって、買わないように増やさないようにと変な努力をしている。


2006年06月01日(木) ページのふち

もうほとんど月次報告のようなひとりごと。

むさぼるように本を読んでいた昔に比べると、ここ数年はほとんど読んでいないに等しいようなものだとずっと思っていた。読まなくなったはじめの頃は、(時間がないとかで)読みたいのに読めない、のだと思っていたけれど、そのうち、(本当に)読みたいのか?と疑うようになった。

実際、図書館で借りてきた本を開いても、あまり頭に入ってこない。文字を追っても、心に何も残らない。物語は私の横を素通りしていくだけで、読めば読むほどむなしくなった。いくら生活スタイルが変わったとはいえ、それにともなって読書の習慣さえ失いそうになっていた。

だからもう、たくさん読もうとはしまい。折々、開きたくなる本があるだけでじゅうぶんではないか。

そう考えを変えて、読みたい本がないときはあえて探そうとせず、いっさい読まないでいた。そうして野放しにしていると、その時々で読むべき本が何なのか、自然とわかるときがくる。不思議だけど、必ずくる。

もう何度目か、須賀敦子の作品を読んでいる。須賀さんの文章は美しい。取り立てて凝った文章ではないけれど、でも書こうと思って書けるようなものではない。今はゆっくり、かみしめながら読んでいる。生活する者としての強さが感じられるのが何より私にはうれしい。

何年振りかで本棚から取り出した『コルシア書店の仲間たち』は、ページのふちが薄茶色に変色していて、私の時間がこれだけ過ぎていったのだと、目に見える時の流れをどうしてだか微笑ましく思った。


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