蜜白玉のひとりごと
もくじかこみらい


2005年11月26日(土) 店番

あんまり怒っていては余計なしわが増えるばかりだ。考えれば考えるほど、どんどん深みにはまっていく。悩んでも悩まなくても状況は変わらないわけで。今日のところはとりあえず横に置いておく。

川上弘美『古道具 中野商店』読了。異世界へも行かず、変な生物も出てこなかった。骨董屋じゃなくてうちは古道具を扱ってると強調する中野さん、そこで働くアルバイトのヒトミとタケオ、中野さんの姉のマサヨさん、中野さんの愛人のサキ子さん。ほかには商店街の人とか、マサヨさんの恋人とか、いたって普通の人が出てきた。

中野さんはただの古道具屋の店主なのに、どういうわけか女の人にモテる。主人公のヒトミとタケオの恋愛(?)よりも、中野さんと愛人の抜き差しならない感じの方が楽しかった。中野さんは事態が面倒なことになってくると、遠くへ逃げてしばらく帰ってこない。とてもわかりやすい。

中野商店も暇そうだけれど、流行らない店の店番もいいなと思う。この前の休日、近所のフリーマーケットに出店した。決められた区画にビニールシートを敷いて、洋服やら雑貨やら本やら家から持ってきた不用品を並べてしまったら、もうすることはない。朝から夕方まで折りたたみ椅子に座って店番をする。相方はすぐに飽きてじっとしていなかったけれど、私は釣れない魚釣りみたいで楽しかった。獲物が来るまでじっと待つ。待っているそぶりなど見せずにじっと待つ。人が通りがかってもいらっしゃいませも言わない。何か聞かれれば答え、買ってくれそうな人には少し愛想よくする。売れたらありがとうございましたと言う。ただ、閉店間際には100均セールをしたので、その時はチリンチリンとベルを鳴らして派手に呼び込んだ。売れ残りを持って帰るのはおもしろくないからだ。

フリマのあとに『中野商店』を読んだから余計、店番いいな、と思った。


2005年11月24日(木) 怒り=腰痛

職場のごたごたに荒れ狂う毎日。頭は割れるように痛み、怒りのあまり腰痛が再発した。こんなに大損をしてまでここで踏ん張る意味は何だろう、もう付き合いきれない、いっそのこと辞めてしまおう、と何度も何度も真剣に思う。

精神的にまいっているので、家のこともあまり手につかない。そのことまでもが悔しい。相方や友人のやさしさで何とか壊れずにすんでいる。


2005年11月18日(金) 平均台

がんばれると思って出勤した今日。

昨日あんなに考えて、最後にはすがすがしいまでの気持ちになったというのに、またこの場所に身を置けば元の木阿弥、いつものようにいらいらと腹を立ててしまうのではないかという考えがちらっと頭をよぎる。

でも、そうはならなかった。そうならないように細心の注意を払った。呼吸を乱さずに平均台を一歩一歩進むような感じだ。目の前で繰り広げられることはいつもとそう大して変わらないのに、私の心は静かだった。ときどきバランスを崩して、うんざりのため息が出そうになっても、そうだ、諦めたんだった、諦めたんだから許せる、と思い直せばすっと醒めていく。愛想のいい返事、気の効いた冗談、笑顔。その間、強がって無理しているとき特有の、つらさや寂しさはなかった。これならいけるかもしれない。そう思った。

外側からは何も見えないだろう。でも私の中では大きな変化があった。まだ慣れきっていないので気は抜けないけれど、自分を壊さずに、穏やかに、余計な波風を立てず、くぐり抜けようと思えばできないことでもなさそうだ。

川本晶子『刺繍』読了。


2005年11月17日(木) 諦観の先で全てを許す

風邪気味、貧血気味に加えて、精神的にちょっと疲れてきたので、ここらで息抜きをしておかなければ、と思い仕事を休む。

昨夜、相方に言われるまですっかり忘れていたけれど、今日はボジョレヌーボー解禁日。午前中、掃除洗濯をすませて買い物に出る。近所のスーパーにはいつものが置いてなかったので、新宿まで足を伸ばしてジョルジュデュビュッフ社のボジョレーヴィラージュを買う。街はすっかりクリスマス色で、そこかしこがキラキラと温かく美しい。そして平日昼間は人がとても少ない。みんな今は働いている時間なのだ。私はひとりこうして街をスタスタと歩き、てきぱきと用事を済ませ、気に入りのショップをいくつかのぞき、少しずつニュートラルな自分に戻っていくのを感じる。なんだ、私まだ平気じゃん。

主に職場でのことだけれど、腹の立つこと、悲しくなること、イライラすることが何度も起きる。真面目に取り合うのもバカバカしいから放っておこう、怒るまいと思っても、なかなか昇華しきれない。あることないこと疑われ、バカにされ、信用されず、都合の悪いことは全てこっちの責任。まあよく次から次からあるよなあ、と思うくらいなのだ。この数週間は特にそれがひどくて、本当にこの人たちは人間として一体どうなっているのか???と疑いたくなるくらい。普段めったに怒らない私も、今回ばかりはマジでぶち切れて、ええい、こんなところ辞めてやらあ、とも考えた。

でも今朝、目が覚めてトイレに行ったとき、何だかそれら全てが取るに足らないことで、全部許そうと思えば許せてしまうのではないかな、とふと思い立った。

例えば、変な言いがかりをつけられた上に仕事を奪われてしまうのならともかく、今のところはそこまで深刻ではない。もちろん腹が立つことに変わりはないけれど、一方で何かを主張したり説得したりして、相手の出方を変えたいわけでもなければ、形だけの謝罪をしてほしいわけでもない。向こうもこちらもそれなりの年齢で、その歳でそういう態度しか取れないような人には、もう何を言っても無駄なだけだと知っている。

簡単に言えば、諦めるのだ。その人が今よりいい人になることを諦めるのだ。心をくだいて話をするような相手ではないのだ。ここまで言い切ってしまうのも酷だけれど、つまりそういうことなのだ。とても冷たく残酷な気持ちかもしれない。でもその人が私に対してすることを諦観の先で全て許すのだ。

いいのいいの、別に謝ってもらいたいわけでもないし。

謝罪の言葉を聞いたとしても、私の気持ちにはそれほど大きな変化はない。してやったりとも思わないし、その人がそれで何かが変わるとも思わない。そんなことよりも私にとって一番大切なのは、心を安寧に保つこと。やわらかい笑顔でいられること。大切な人たちを守ること。いい時間を過ごすこと。怒ったり主張したりすることよりも、ずっと難しく奥の深いことだと思う。

狭いところにいると周りが見えなくなる。こんなはずじゃないとわかっていても、どうにも動けないことがある。完全に壊れて動けなくなる前に、一回休憩すればいい。そしたらまたがんばれるかもしれない。それでもだめなら本気でその場を離れよう。

なんだ、私まだ平気じゃん。そう思えたから、また明日からがんばれる。


2005年11月07日(月) 立冬

立冬。

東京は朝からぴかぴかの晴れで最高気温23.7度。とても11月の気温とは思えない。薄手のガーゼ素材のブラウスでさえ蒸し暑く、あの、冬になる前の切なくなるような秋はどこへ行ったのかと思う。

それでも暑いのは昼間だけで、日が沈むと低いところからすーっと冷える。お風呂からあがってしばらくすると、足の裏からふくらはぎにかけてが、まるで冷蔵庫で冷やしたゼリーのようにつめたくなる。冷えた足が気になって眠れないときには、となりで寝ている相方の足に自分の足を押し付ける。相方の足はいつでもうらやましくなるほどぽかぽかと温かく、私の冷たい足を嫌がる風でもない。外気よりつめたいんじゃないの、と不思議がり、つめたくて気持ちいい、と言う。

今日から朝ごはんのメニューを少し変えた。基本的にパン食なのはそのままで、ジュースはやめて牛乳に、野菜はちょっとずつ4種類用意するようにした。おかずは卵かウィンナー。パンはただのトーストじゃなくて、オープンサンドになることもある。時間のない朝に「野菜をちょっとずつ4種類」達成するには少し努力が必要で、前の晩からこそこそ準備しておく。結婚してからというもの、どこか行き当たりばったりではなく、用意周到になってきた気がする。いつも何か次のことを考えている。平日は特にそう。

あるある大事典で見たヒジキ入り豆腐ハンバーグのレシピがわからないので、想像で作ってみる。ヒジキの分量がわからず水に戻し過ぎた。豆腐のおかげでふわふわに焼きあがる。肉は少ししか使っていないけれど豆腐でかさが増えるので、たくさん食べてお腹いっぱいになってもこわくない。ソースよりもポン酢がよく合う。

角田光代『東京ゲスト・ハウス』を読んでいる。根無し草の若者たちの話。


2005年11月05日(土) うたた寝

天気予報当たって快晴。土曜日は実に5週ぶりの晴れ。いつもより30分早起きして洗濯機を回し、出勤前に洗濯物を干す。何かに勝った気分。

通勤途中、鳥友達に会い、最近まるちゃんどう?と訊かれる。この頃のまるはすっかり大人びて、人格(というか鳥格?)もはっきりしてきてそれはそれはおもしろい。甘えん坊で内弁慶で強情っぱりで負けず嫌い。しぐさもいろいろ。じっと見ているとまるが何を考えているのかわかるような気がする。

この前は、鳥かごの上からつるしたチンゲン菜を頭からかぶってうたた寝をしている姿を見た。はじめはまるが何をしているのかわからなかったけれど、よく見ればゆらゆら舟をこいでいる。それ以来何度か、チンゲン菜のふとんで昼寝するまるを目撃している。鳥が舟をこぐなんて。鳥友達はげらげら笑う。

午後はクリスマスプレゼントの下見。自分がもらう分の。


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