蜜白玉のひとりごと
もくじかこみらい


2005年10月25日(火) 60点

私もやっぱりあの母の娘だったかと、強く思い当たる。自分の気分の浮き沈みや生真面目さのせいで、同居人に思った以上の心配と迷惑をかけていることに気がつく。なんとしてでも避けたかったはずの道を、知らず知らず私もまた、歩いていたということか。それなりにうまくやっていたはずなのに、どこかしら敗北感を感じる。

そんな折、全然別な話題の中で、ある人からこんな言葉が出た。なんでも完璧にやろうとしないで、60点くらいでいいんだよ。そう思えば気楽だし続けられるでしょ?

なんでも完璧にやろうとしないで、というのはよく聞くけれど、60点は初耳。100点満点で60点でいいと考えれば、確かにずいぶん気楽だ。たいていのことは6割くらいならできているはずだ。80点はきついけど、60点ならクリアできる。ただこの話、そもそも「60点でいい」という根拠が不明だし、ほんとうに万事60点でいいのかどうか考えるとあやしいけれど、何にせよ、続けることが大事なのだから、そう思って日々おおらかな気持ちで続けられるのならそれはそれでいい。

いつもの漢方薬をもらおうと病院へ行ったら先生が風邪をひいていた。鼻を赤くして目は涙目でだるそうだ。むしろこっちの方が元気みたいで、なんだか申し訳なかった。横隔膜の緊張が取れていると言われほっとする。それはきっとヨガの呼吸のおかげだ。来月の予約をして帰る。

ロッテ、またしても2けた得点で阪神に勝つ。相方はロッテファンで、特にひいきのチームがない私もつられて熱中する。


2005年10月19日(水) 明日もおいしいごはんを作ろう

仕事から帰ってくるともうすっかり日は暮れて真っ暗で、急いで雨戸を閉め、まるを鳥かごから出してその辺で遊ばせる。とがったくちばしでちょっかいをかけてくるまるに片手で応戦しながら、洗濯機を回す。ここでひとまず休憩。テレビのニュースを見ながら、お茶を飲んだりお菓子をつまんだりする。しばらくして、ひと通り遊んだまるに水浴びをさせて、羽が乾いたら、逃げ回るところをつかまえて鳥かごにしまい、夕飯の支度にとりかかる。

これがいつもの夜のはじまり。ここからが主婦の時間。

ごはんを作るのが億劫に感じるときもあるけれど、たいていの場合、作り出すと次第に楽しくなってくる。まずはお米をといで炊飯器にセットしたら、野菜を切りつつ、だしをとり、肉に下味をつけ、手が空いたら洗い物。てきぱきと、むだがないように動くには、けっこう頭を使う。いつも同時進行で2、3品作る。いかに簡単に短い時間で作るかが目標だったときは、30分くらいで支度を終えていたけれど、最近はおいしくていねいに作ろうと心がけているので、1時間くらいかかる。結婚したてはつらかった台所の立ちっぱなしも、今はあまりなんとも思わない。嫌いだった洗い物も、明けない夜がないのと同じで終わらない洗い物はない!と気づいてからは嫌でなくなった。慣れとはほんとうに不思議なものだ。

料理はいい気分転換になる。帰宅したときにはどんよりと疲れていたはずが、いつの間にか元気になっている。おいしくできたら素直にうれしい。反対に、せっかく時間をかけて作ったのになぜかあまりおいしくないと、心底がっかりする。それでも、問題ないよ、と言って食べてくれる相方には救われる。そして、ごちそうさま、のあとには毎日必ず、おいしかった、とか、これはヒットだ、とか、また作って、とかおまけがつく。そして、ときどき改まった顔をして、いつもごはんを作ってくれてありがとう、と言う。このおまけの一言に、明日もおいしいごはんを作ろう、とめきめきやる気がわいてくるのである。

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☆この頃おいしかったご飯☆

ナスのミートソースグラタン(一晩おいたミートソースが◎)
お好み焼き(カリカリの豚バラ肉)
ビーフシチュー(ふんわりとろとろの牛肉)
しょうがとじゃこのおこわ(ピリリと大人の味)


2005年10月14日(金) お好み焼きと缶ビール

予約していたヨガをキャンセルしてまっすぐ帰宅。お好み焼きを作り、缶ビールを開ける。相方は会社の飲み会で遅い。

図書館で借りた島本理生『一千一秒の日々』を読む。取り立てて好きではないけれど、とりあえず手に取り、読んでみる作家のひとり。どの作品も淡い。幼さゆえの繊細さを感じる。まだ若いのによくこんなに書けるなあと思い、その少しあとに、いや、若いとか年を取ってるとかそういうことは、人間の深みとなんら関係ないんだった、と思い直す。小説を書くことに限らず、生きること全般。

日々出会う大人たちには、それだけ長く生きてきたのに、どうしてそんなに人に対して冷たいの???その狭量さは何???と疑問符だらけ。心から尊敬できるような、目標になるような、気持ちのよい大人に接する機会はめったにない。苛立ちを通り越して、むなしさすら感じる。それなのに、今もどこかで、自分より年上の人は必ず自分より優れているはず、とバカ正直に信じきっているところがある。だから余計に、恥ずかしい大人にばかり目がいく。気をひきしめて年を取ろう。

漢方医によれば、悪夢をたくさん見るのはキャパシティ・オーバーだからなのだそうだ。体力が追いつかない分を気力でカバーして無理やり動いているとそうなるらしい。そういえば、先々週くらい、怖い夢にうなされ続けてそのうち風邪をひいた。風邪が治ってからは怖い夢を見ていない。結構当たってるかも。


2005年10月12日(水) やっと晴れ

やっと晴れた。

東京は10日ぶりの晴れだという。先週からずっと雨で、降らなくてもどんよりと曇りで、じめじめしているから洗濯物は乾かないし、おまけに風邪をひいてさんざんだった。でも今朝はさわやかな秋晴れ。職員通用口の外、見慣れた四角い空をあおぐ。秋はこうでなくっちゃ、と小鼻をふくらませる。地面にはちらほらと黄色い落ち葉が貼りついている。日に日に濃くなる金木犀の香りに酔う。

月曜日、BS2で「喜びは創り出すもの ターシャ・テューダー四季の庭」をみた。もう再再再放送くらいの人気番組だ。ターシャ・テューダーを知ったのは、本屋でコーギー犬の表紙に惹かれて著書を手に取ったのがきっかけ。今年90歳になる絵本作家ターシャ・テューダーは、バーモント州の山奥に住んでいて、そこに広大な庭を持っている。作りこみ過ぎない、でも手入れの行き届いた、自然で美しい庭の1年を追う。あざやかな花々、かわいらしい動物たち、そして彼女の暮らしぶりに、ため息が出る。2時間があっという間だ。

お昼ごはんを食べながら、途中から一緒に見ていた相方は、こういう反現代的な生活に憧れる人もいるんだよね、としれっとした発言。ああ、そんな人間が目の前にも1人いるではないか!・・・と思っても、口に出せなかったのは、電気・ガス・水道はもちろん、今の便利な生活にすっかり慣れきった私に、彼女と同じことはできないな、とどこか恥ずかしく思うからだ。それに、そもそも18世紀の暮らしをまねしてみたいわけでもない。

自分の好きなことを見つけたら、あきらめることなくそれに向かって突き進む思い切りのよさ。そして、毎日のこまごまとした用事を心をこめてこなす様子。私が学んで手に入れたいのはそれだ。

花を育てたり、生き物の世話をしたり、時間をかけて丁寧に料理をしたり、興味のあることについて本を読んで勉強したり、道具を大切にしたり、気持ちにも時間にもゆとりのある生活にはやっぱり憧れる。今はドタバタと追いまくられる毎日だけれど。

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昨日の夜、まるを買ったペットショップにふらっと立ち寄り、文鳥のひなを見た。白、シナモン、桜の3羽がまだあどけない顔をして、お団子のようにくっついて寝ていた。まんまるのふわふわで、それはそれはかわいらしい。仲良し3羽をまとめて飼いたい気持ちがむくむくとわいてきて大変だった。少し考えれば、まるも入れて4羽も飼うのはあまり現実的でないことはわかっていたけれど、なかなか気持ちがおさまらない。相方に説得されて諭されて、やっとのことで思いとどまる。ああ、見てしまったのがいけなかった。


2005年10月04日(火) 今日も昨日と同じ

前の日記からひと月あいてしまった。忙しく過ごしていたようにも思うし、結局のところ何もしていなかったようにも思う。平日は仕事、週末は自転車かヨガ。読まないうちに期限が来てしまった本を図書館へ返しに行き、来たついでだからとまた読まないかもしれないのに数冊借りて帰る。

9月に2回あった3連休は、ヨガのイベント「ヨガフェスタ2005」、自転車のイベント「東京シティサイクリング2005」、近場の温泉1泊旅行、実家にお泊り、で使い果たした。

東京シティサイクリングでは、1日に60km走った。都心を突っ切って海まで行った。かなりつらかったけれど、そのつらさが楽しかった。でもたぶんもう2度とそんなには走らないと思う。1度きりだからできることだ。相方にそう言ったら笑われた。

一雨ごとに秋が深くなって、と言いたいところだが、未だに気温は25度くらいで、何となく蒸し暑い。心細くなるくらい肌寒い日が待ち遠しい。寒いのは苦手だけれど、冬は好きだ。温かい飲み物、洋服、お風呂、それらのありがたみをひしひしと感じられる。温かいことの安心。

青い蜜柑はどんどん黄色くなってきて、梨も栗も柿も所狭しと並んでいる。外を歩けばかすかに金木犀の香りがする。

似たようなことを繰り返す毎日はときに人を鈍感にさせる。でもこの頃は少し違う。昨日と同じように、今日も一日を終えられることにほっとする。ニュースで悲惨な事件や事故を見聞きしない日はない。そして周囲から聞こえてくる誰彼の噂や近況も、もう映画や小説の比ではないくらいに「非日常的」過ぎる。そんな状況にありながら、どうしてみんな普通の顔をして生きていられるのか。もしかして私はものすごく安穏として暮らしているのかもしれない。本当はもっといろいろ気づかなければいけないことが山ほどあるのではないか。わからないだけに、明日は我が身、とどこかでおびえている。そんなことを考えているからか、最近はこわい夢ばかり見ている。


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