蜜白玉のひとりごと
もくじかこみらい


2005年01月30日(日) 豆乳の湯豆腐

おととい、相方が5日間の出張から帰ってきた。家の中が急に生気をおびる。私ひとりでどれだけひっそりと暮らしていたことか。朝は急いで出かけ、仕事をして真っ暗な家に帰り、テレビを見ながらぼそぼそとごはんを食べる。作りがいがないことこの上ないので、当然できあいのものになってしまう。寒いし疲れているので夜中に掃除はしない。テレビに飽きたら寝転んで本を読む。部屋干しした洗濯物はまだ乾かない。放っておくとどんどん荒んでいく。そうならないためのつっかえ棒が必要なのだと思い知った5日間だ。

一転してはりきる土日。土曜日はじっくり煮込んだポークカレー、日曜日は豆乳の湯豆腐。休日の料理はあせらずのんびりていねいに。豆乳の湯豆腐は5、6年前に吉祥寺ではじめて食べた。以来、いつか作ってみようと思っていたもの。先日新しい土鍋(今までのより少し大きめ)を買ったので試してみる。

[材料]:2人前
絹ごし豆腐 1丁
小松菜 1/2束
まいたけ 1/2パック
無調整豆乳 3カップ弱
水 1カップ
だし昆布 5センチ角くらい
塩 小さじ1
酒 大さじ1

かつおぶし 適宜
小ねぎ 適宜
ごま 適宜
ゆず皮 適宜

[つくりかた]
土鍋に水を入れ、だし昆布をひたしてしばし待つ。
その間に豆腐を水でさっと洗い、野菜を用意する。今回は小松菜とまいたけ。
春菊や水菜なんかもいい。
白菜は水っぽくなりそう。
土鍋に豆乳を入れ、火にかける。
そこへ塩をちょっと、お酒も大さじ1くらい。
温まった土鍋に、豆腐をそうっと沈める。
豆腐は切らないでそのまま。
豆腐が温まったら次に野菜を入れる。
野菜に火が通ったらできあがり。

どこにあるのかわからない豆腐を小さなおたまで注意深くすくい取る。あっさりと塩だけもよし。かつおぶし、小ねぎ、ごまをふりかけるもよし。ゆず皮もまたよし。豆乳の湯豆腐はふつうの湯豆腐よりもまろやかでおいしい。真っ白な鍋に、はじめは半信半疑だった相方も、一口食べれば気に入ったようで、今度は豆乳のしゃぶしゃぶをやろうと言う。

食べ終わったあとに煮詰めれば、表面に湯葉ができるはずが、今日は煮詰めても何もできない。吉祥寺のお店で食べたときはそうだった。水を入れずに豆乳100%で作るとできるのかもしれない。


2005年01月26日(水) 声はすれども姿は見えず

雪まじりの雨が降る。夜から降り続いていたようで、アスファルトはすっかり黒く濡れている。雨の朝はさびしい。いつもの活気はどこへやら、街はおとなしく雨がやむのを待っているようにも見える。心なしか通勤ラッシュの人も少ない。そろそろ学生は試験を終えて春休みに入る頃だろうから、そのせいかもしれない。あまりの混み具合に見送る一台に、今日は余裕で乗り込む。

近所にものすごいだみ声の猫がいる。声はすれども姿は見えず。困ったような甘えたような声で、ニャゴニャゴ言うのだ。おとといの夜、また声が聞こえたので、すかさず2階の窓からのぞくと、お向かいの玄関外の階段に1匹座っている。お腹と足が白、背中はキジトラ(黒とグレーのしましま)で、声に似合わずかわいい顔だ。かなり大きな声でニャゴニャゴ言い続けるからニャアと返事をすると、窓を閉めていたのにも関わらず聞こえたのか、こちらを見上げ鳴くのをやめる。

立ち上がりすたすたと歩いてくる。うちに来るのかな、と思い1階へ下りて玄関を開けるが、いない。2階から見たので定かではないが、メス猫、推定1〜2歳。今度はお話してみたい。

雑誌FRaUに載っていたバレエ教室が気になる。お稽古場の窓の外の緑がきれいだ。体験レッスンに行ってみようかと思案中。


2005年01月25日(火) なんという隔たり/『赤い長靴』

江國香織『赤い長靴』読了。文學界に連載されていたのは知っていたけれど、その時は一度も読まなかった。

連作短篇集という形が好きだ。同じ登場人物で話が流れていくのは長篇とも似ているけれど、長篇みたいにぐっとのめり込むことはなくて、ちゃんと息継ぎができる。ひとつの出来事をあっちから眺めたりこっちから眺めたり。そのとき妻は、こうでした。一方、夫はこうでした。なんという隔たり。

特に大きな事件が起きるわけでもない。いつもの暮らし。昨日とよく似た今日。なのにいったんその裏側に目を向けてみれば、こんなにもスリルに満ちている。ぞくぞくする。そして、ところどころ、思い当たる節がある。そんな、まさか。ねえ?

相方の名誉のために言っておけば、相方は床にバナナの皮を落としたりしないし、私の話はちゃんと聞いてくれるし、「うん」以外の返事もできる。まるで問題ない。「あなたとわたし」というよりも、「わたしたちと外側」の関係が問題なのだ。ふたりでいると、良くも悪くも閉じた世界になってしまうということ。望むと望まざるとに関わらず、ふたりは世界から隔離されて、気がつけばいつの間にかひとりぼっちになっている。

そういえば、赤い長靴なんて出てきたかしら。


2005年01月24日(月) 猫とともに暮らす

仕事の合間、ふっと集中力が切れる。訪れたことのない何千キロも離れた土地を想像する。ここにいないことはいつもと同じはずなのに、心細さに指先がぞわぞわする。

ここ数日、「猫を飼いたい病」にかかっている。三毛猫の里親募集記事を見てしまったのがいけなかった。まだあどけなさの残る三毛猫の写真から目が離せない。記事を見た夜、相方にその話をする。飼いたくなってるだろ、と指摘される。はい、その通りです。

次の日もまだ猫のことをぐずぐず言っていると、そうか、そんなに飼いたいか、と思案顔の相方。うーん、飼いたいのは飼いたい、すごく飼いたい、でも・・・、とあいまいな返事しかできない。誰がなんと言おうと飼う!と宣言する前に、いろいろ考えなければならないことがある。飼うとなったら一生なのだ。病気になっても、年老いても、家族形態が変わっても、住む家が変わっても。

あの記事の三毛猫のことが頭から離れなくて、後日こっそり保護者にメールを送る。あの三毛の里親はもう決まりましたでしょうか。気になって仕方ないのです。もしまだ決まっていないようでしたらご連絡ください。すると数日後、返事が来る。あの三毛は掲載とほぼ同時期に、貼り紙を見た方が里親になってくれました。今は柚子という名前でかわいがってもらっています。お申し出ありがとうございました。

よかった、決まったんだ。ほっとしたのと同時に少しさびしい感じもする。もしかしたら一緒に暮らすことになったかもしれない、ちょっと生意気そうな顔をした三毛猫。いつか、そのうち、猫とともに暮らすのもいいなと思う。


2005年01月19日(水) おうちごはん/『対岸の彼女』

昨夜からあぶら汗の出るような腹痛。吐き気もするので仕事を休む。職場に「休みます」の電話をしてから午前中は死んだように眠る。昼頃、背中の激痛で目が覚める。寝返りも満足に打てない。この何週間かずっと腰が痛かったのをなんとなくほったらかしにしていたのがいけなかったのか。寝ぼけた頭で思い至り、痛みが通り過ぎるのを待つ。

そろりと起き上がって、漢方を飲み、腰にカイロを貼る。ちょっと前かがみで腰をさする。まるでバアサンだ。情けない気もするが仕方ない。腹痛は治まった。午後からは家事をすると決めていたので、ふとんをたたみ、1階と2階に掃除機をかけ、ポリタンクをコロコロ(折りたたみキャリー)にくくりつけて灯油を買いに行き、いったん帰って玄関に灯油を置いて、銀行のATMを2つハシゴして、クリーニング屋へ寄り、スーパーへ行き、米5キロ、じゃがいも、バナナ、野菜ジュース、えのき、しめじ、ピーマン、挽肉、あんかけかた焼きそばなどを買う。右腕にクリーニングと米5キロ、左腕にそれ以外の食材が入ったスーパーの袋を2つかけ、歩道橋をわたる。腰が悲鳴をあげそうだ。無理しないでやっぱり寝ていればよかっただろうか。でももうお米もないし、灯油も残り少ないし、今週の土曜日は「出」だし、日曜は雨だし・・・。そんな考えが頭をよぎる。主婦はたくましくなきゃやってらんない。

結局、買い出しに1時間半も費やす。帰ってから食材を冷蔵庫にしまい、続いて晩ごはんの支度にとりかかる。さといもの下ゆでをし、ほうれん草をレンジにかけ、水にさらしてあく抜きをし、お米を研いで炊飯器にセットし、玉ねぎを炒めてハンバーグのタネをこねる。調子が悪いのなら寝てればいいものを、と自分にあきれながらも、休みの日くらいしかちゃんとできないから、と思ってついこまねずみのようにくるくると動く。

自分でこねたやわらくて香ばしいハンバーグが食べたいし、お惣菜コーナーの煮物じゃなくて自分で煮たさといもが食べたい。ただそれだけのことなのだ。冷凍食品もお惣菜も悪者ではないけれど、疲れているときこそおうちのごはんが食べたい。おうちのごはんと言えば、以前はもっぱら母の作るごはんを指していたけれど、今は自分だからがんばって作る。

夜寝る前、30分ほど本を読む。角田光代『対岸の彼女』を読み終える。彼女の作品はいつもどこか荒削りな印象があったけれど、この作品に関しては別だ。とてもよく磨かれている。丁寧に作りこまれた作品は、まるでだいじに育てられた子どものように、作者の愛情を感じる。はじめの数ページを読み、すいすいと無理なく流れる文章に、うまくなったなあ、とおこがましいけれどもうなってしまった。ムカつく女、戸惑う女、行きづまる女。負の要素を抱えた女を書かせたら天下一品だ。


2005年01月16日(日) 横目でちらちら/『ウエハースの椅子』

ごろんと寝そべって、横目でちらちらと日曜洋画劇場「オーシャンズ11」を見ながら、『ウエハースの椅子』の続きを読む。

「私」は絵を描いて生計を立てている。ごたごたのベランダ。訪ねてくる恋人。中庭の野良猫たち。絶望はときどきやって来て、親しげな態度で近寄り、「私」の気に障ることを言って、また帰っていく。そうだ、こんな話だった。

何度読んでも忘れてしまう。この記憶力のなさはどうだろう。喜んでいいのか、それとも反省すべきなのか。読んでいる間は息をするのも忘れるくらい熱心に、物語世界にどっぷり浸かっているのに、話が終わるとすーっと冷めて、何事もなかったような感じがする。しばらくするともう、誰が出てきてどんなことが起こるのだったか、すっかり忘れている。さすがに『流しのしたの骨』くらいに何度も読み返していれば、ひととおり覚えるが、一度読んだぐらいではまず無理だ。再読に適した頭とも言える。

『ウエハースの椅子』で、「私」は行き止まりまで行くと、恋人とともに「くるっとまわれ右」をしていた。なんだ、やっぱりまわれ右するんだ。あのラストを「まわれ右」と取るかどうかは人それぞれだと思うけれど、少なくとも、あれは私にとっての「まわれ右」のうちのひとつだ。

読み終わり、残りの1時間くらいは映画に集中する。娯楽映画を見るのはひさしぶりだ。単純に楽しい。何も考えないでいい気楽さ。ブラッド・ピットのかっこ良さは今もって全然わからない。


2005年01月12日(水) くるっとまわれ右

『文藝』春号の角田光代特集を読む。江國さんとの対談「恋する者はいつも荒野にいる」と、角田光代ロング・インタビュー「文字をおぼえて作文を書いたとき世界への回路が開かれた」をそれぞれじっくりと。

どちらも写真が多い。対談はどこかの喫茶店で、インタビューは角田さんの仕事部屋で行なわれている。友達の部屋みたいにも見える仕事部屋には、明るくポップなカーテンと、隅っこに机。机の上にはノートパソコン。いつもここで小説を書くのだ。9時から5時まで「封入作業のように淡々と」書く。作品と本人のイメージがあまり重ならない。

対談で「感情のベース」と「行き止まり」の話がある(以下、対談より抜粋)。

江國:私も、この間角田さんに聞かれるまで、まったく感情のベースというものを考えたことがなかったんですけど、それからちょっと考えるようになったんです(笑)。でも、自分で「淋」と答えたあとでその通りだと本当に思って。やっぱり、そこがいちばん落ちつくんですよね。『ウエハースの椅子』というのを書いたときに、あれは本当に恋愛だけの話を書きたくて、しかもお互いは別に浮気をしたりはなくて「愛してるよ」「愛してるわ」と言い合っているから、破綻しないはずの二人なんです。でもそうすると結局行き着くところは主人公の女のベースで、それはあの小説の中では「絶望」と書いたんですけど、やっぱり「淋」というか、すごい茫漠とした感じで、そこは解決がなくて、別にこうしてくれとか、ああしてくれとか、こうなればハッピーなのにというのではない、行き止まり――そうそう、あれは「行き止まり」という言葉もいっぱい出てくる小説で、そうなんだなと思いました。

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『ウエハースの椅子』は近年再読していないので、どんな話だったかすでに忘れかけている。「行き止まり」「絶望」、何かが心にひっかかる。今ならこう思う。仮に行き止まりまで行ったとして、もうこれ以上先に進めないとわかったら、そのときは思いきってくるっとまわれ右して、また来た道をふたりで戻ってくればいい。行きと帰りの景色が違って見えるように、以前は気がつかなかった何かが見えるかもしれない。


2005年01月11日(火) 上手なうそつき/小さな決意

PR誌「ちくま」については前にも書いたけれど、その表紙裏に「という、はなし」という短いお話が載っている。これが本当によくできた「作り話」なのだ。現実の世界からついっとお話の世界へ入る。このドアを開けたら、そこの角を曲がったら、本屋さんで目に付いた本をぱらぱらめくったら、いつの間にかもう別の世界にいる。あれ?上手なうそつき、この感じ、クラフト・エヴィングなんとかに似ているな、と思ったら、「という、はなし」を書いている吉田篤弘さんは、クラフト・エヴィング商會の人だった。お話の世界と言っても、見える景色ががらりと変わるわけではない。ずっとそこにあったのに今まで気がつかなかっただけ、という程度の小さな変化。ちょっと横にずれるという感覚だ。吉田篤弘さんはすでに小説を数冊出されている。読んでみよう。

雑誌『文藝』2005年春号は角田光代特集。江國さんとの対談もある。楽しみにじっくり読もう。

読む本がいっぱいあって幸せだ。昨年は結局36冊しか読めなかった。その前の年が64冊、さらに前の年が100数冊だから、毎年どんどん減ってきている。今年はがんばってたくさん読みたい。数が多けれりゃいいってものでもないだろうが、本をたくさん読んでいるときは生活全体のリズムがいいので、意識してそう過ごしたい。

夜、鶏の竜田揚げを作ったら胸やけ。揚げ物のにおいが部屋に充満している気がしてならない。結局、竜田揚げはひとつも食べずに寝る。翌朝、まだ胃が気持ち悪い。もう揚げ物はしないと小さく決意する。


2005年01月10日(月) おみくじ/くつ下

散歩のついでに、遅ればせながら近くの神社へ初詣に行く。威勢良くパンパンと拍手を打てば、静かな境内によく響く。私たちのほかには誰もいない。おみくじ百円。運勢末吉。すこしずつ運がひらけます。あせってはいけません。迷ったりして事をかまえると失敗します。時期を見なさい。落ち着くことです。焦るな、落ち着け、と心に刻む。まあ、普通ってことだよ、と横からのぞいていた相方が言う。その通りだ。末吉は取り立てていいというわけでもなければ、ものすごく悪いというわけでもない。その力の抜けっぷりが妙にうれしい。

年末のお休みから、冷えとりに本腰を入れている。ここ数年、とにかく風邪をひきやすい。高校生の頃から気になり始めた冷え性もどんどんひどくなり、今では季節に関係なく手足がつめたい。トイレが近いのも大問題だ。9月から漢方薬を処方してもらっているのだが、すぐに変化が現れるわけではないので、まだ効いているのかいないのかいまいちわからない。いつも頭の端っこで、何かいい方法ないかなあ、何とかしたいなあ、と思っている。そんな折、ふくう食堂で『ずぼらな青木さんの冷えとり毎日』が紹介されていた。これは読んでおかなければ、と思い年末のあわただしい時期に買って読んだ。

帯より。
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冷え。あれこれやって本当に効いたこと。著者が10年間あーだこーだと試し、本もいっぱい読みあさって、つかみとった、まじめで笑える「冷えの克服記」。ちょいとへんで、かわいい「冷え」との戦いぶりから、何が効いて何が効かなかったのかまで、全部公開しちゃいます!効いたのはくつ下4枚!の重ねばき!!
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くつ下4枚!である。キツそうだ、ゴムのあとくっきりになるんじゃ・・・と思ってぱらぱらめくって見ると、ちゃんと重ねばき用のゆるいくつ下があるようだ(もしくは少し大きめのを選ぶ)。そして絹→綿→絹→綿の順に重ねるのが基本。絹は毒素を吸収する力が繊維の中でいちばん強いらしい。毒素。ふーん。はじめは半信半疑だったが、途中からは食い入るようにして読む。なぜなら著者の具合が悪かった頃から冷えとりに取り組むまでの道のりが、今の私とあまりにも似ていたからである。それ、まさに私。やっと、見つけたかもしれない。治るかもしれない。そう思った。

思い立ったが吉日。今すぐに絹くつ下をはきたい。本には通販も紹介されていたけれど、届くまでに1ヶ月近くかかるというので待ちきれず、新宿へ絹の5本指くつ下を探しに行った。どうにか絹84%のくつ下を見つけ、あとは綿の5本指くつ下と毛のくつ下も買う。

重ねばきは実際やってみると、とても気持ちいい。絹の5本指はかなりぜいたくな気分だ。今のところは4枚ではなくて、靴がはけるように「絹5本指→毛」の2枚重ね、もしくは「絹5本指→綿5本指→毛」の3枚重ねにしている。この辺りは臨機応変に、無理なく続けられる方法で。この考え方も青木さんの本から得たもの。

「くつ下重ねばき」の他にも、本にはいくつかの冷えとり方法が紹介されている。「身につけるものは天然繊維にする」「頭寒足熱を徹底、下半身を冷やさないように」「体を温める食べ物をとる」など。でもこの本を読んでみていちばんうれしかったのは、そういう方法よりも、青木さんの冷えとりに対するほわんと力の抜けた考え方、捉え方だ。そして、ときどき失敗したりうまくいかなかったり怠けたりしても、続けていけば、いつかそのうち治るということがわかった。青木さんの場合がそのまま私に当てはまるかどうかはわからない。でも冷えや、そこからくる体のさまざまな不調を少しは改善できる気がする。その可能性はある。

これを読んだ年末のお休みあたりから、毎日くつ下を重ねてはいている。半身浴も湯温計を買ってきて楽しんでやっている。前みたいに、ただ心配したり不安に思ったりするだけではない。きっとよくなると信じてできる対策があると不思議と安心できる。あ、冷えてきたな、と気づいても、もう心細くはならない。

朝、嬉々として5本指くつ下をはく私を、相方はおもしろそうにじっと見ている。はじめは相方の反応が心配だったけれど、説明するとすんなり受け入れてくれた。この頃は、くつ下はいた?と確かめるくらいだ。こうして理解のある相方のおかげで、私の毎日には5本指くつ下とか湯たんぽとか腹まきとか、一見ダサいが冷え性にはありがたい物たちが活躍している。


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青木美詠子さんのHP 「あおきみノート」
いいことば、アリマス。


2005年01月07日(金) テレビ/『リトル・バイ・リトル』

ひとりで家にいるとき、テレビがついていると孤独が色濃くなる。昔は違った。学生時代にひとり暮らしをしていたときなんて、起きている間はずっとテレビかラジオをつけていた。部屋にはいつも音があって、それが当たり前だったのに。

夕方家に帰ってくると、とりあえずニュースと明日の天気を見るためにテレビをつける。6時台の後半、そして7時台のニュースを見ればひととおり情報が入ってくる。難しいのは次にテレビを消すタイミングだ。そのまま放っておくと、テレビはこちらに構うことなく大きな音や笑い声をまき散らす。そこだけがバカみたいに明るくにぎやかで、反対にテレビ以外のもの(テレビを見る私も含めて)がしんと静まりかえっているのが浮き立つ。

消そう。消して本でも読もう。消すとき、ほんの一瞬躊躇する。音が消えることをおそれているのか、外とのつながりが切れることをおそれているのか、なぜなのかはよくわからない。思い切ってぶちっと消す。消してしまえばこちらの勝ちだ。静けさは今度は私の見方になる。

そば茶をいれて寝そべって本を読む。島本理生『リトル・バイ・リトル』には煮え切らない若者が出てくる。なんとなく、な生き方。いやだなあと思いながらも、でもこんなもんだったかもしれないと思いなおす。あの頃に比べれば、今はとてもすっきりしている。


2005年01月04日(火) アルバム/『庭の桜、隣の犬』

相方は今日から仕事。私は5日まで休み。ふだんは朝いっしょに出勤するのだけれど、今日は私が家に残って相方を送り出す。こういうのもいいなあとひそかに味を占める。

掃除洗濯を手早く済ませて、今となってはうちの大家さんでもある祖母に会いに、千葉の伯母の家へ行く。地下鉄に乗って1時間半、終点まで行く。地下鉄は途中で地上に出る。伯母の家に電車で行くのははじめてだ。それなのに窓の外はどこか見たことのあるような景色が広がっている。駅に止まるたびに人が降りていく。かわりに乗ってくる人はほとんどいない。終点のひとつ前で、その車両に残ったのは私ひとりになった。

駅まで迎えに来てくれていた伯母と合流し、車で伯母の家へ。家に着くと、祖母は外の階段にちょこんと腰掛けて待っていた。その姿がとても小さく、ほんの少しさびしそうに見えた。それもそうだ。何十年も住んでいた土地を離れて遠くへ移り、娘夫婦の家とはいえ他人の家で世話になって暮らしているのだから。祖母が抱えているさびしさが透けて見えた気がした。あの年齢で生活の大きな変化を受入れ、そのことによって生じる諸々を諦めたり、考え直したり、妥協したりしている。

伯父は今日まで仕事が休みだと家に居た。4人でお雑煮を食べ、おせち料理をつつき、締めくくりに粟もちのおしるこをいただく。伯父は食べ終わるとソファに座ってテレビを見る。女3人はテーブルで井戸端会議のようにおしゃべりをする。それから祖母の部屋へ行き、祖母とふたりで昔のアルバムを見る。祖母がまだ小さい頃の白黒の写真、おしゃれをしておすまし顔でポーズをとっている。これは写真屋さんがわざわざうちに撮りに来たんだよ。家業を傾けた祖母の父(私にとっては曽祖父、もちろん会ったことはない)や、他にも知らない親戚がたくさん。子どもの頃の私の父や伯母もいる。父は顔がほとんど変わっていないのでよくわかる。アルバムをゆっくり1ページずつめくりながら、昔の生活の様子を聞く。いま相方と住んでいる家も写っている。昔の時間がざあーっと押し寄せてくる。波に飲まれ、過去と現在がごちゃ混ぜになる。

伯母が留守のとき、祖母はときどき私に電話をしてくる。うちの近所の様子をなつかしがって聞いたり、そろそろこんなことがあるよと町内会の行事について知らせてくれたり、肉はスーパーじゃなくて○○○○で買えとか、バス停はそっちじゃなくてこっちを使えとか、玄関の南天は「難を転じる」だから切るなとか、ありとあらゆる注意事項をならべたりする。そのついでに伯母との生活の愚痴やら悩みを言うときもある。うん、うん、そうだよね。私もそういうことあるよ、おばあちゃん。聞き役に徹していると、祖母はそのうち答えらしいものを自分で見つけ、すっきりした声で、ああ、自分のことばかり話しちゃった、と言って、今度は私に何か悩みはないのかと聞いてくる。聞かれてはたと困る。悩みらしい悩みが思いつかないのだ。何にもないはずはないだろうけれど、それらしいものが今は思い出せない。仮にあったとしても、いたずらに祖母を心配させるだけなので言わないだろうけれど。

持って行ったおみやげよりも、たくさんのおみやげを持たせてもらう。昆布巻き、奈良漬け、生チョコ、それに祖母がまとめた私の幼少時代からのアルバム。これは重い。行き帰りの電車で角田光代『庭の桜、隣の犬』を読む。家族も結婚も人それぞれ、いろいろあっておもしろい。


2005年01月03日(月) ロッテとルイーズの再会

2階の石油ファンヒーターは思っていたよりもずっと暖かかい。室温20℃は夢心地。当然1階にも石油ストーブを置くことにして、午前中に買いに走る。1階はファンヒーターでは乾燥してしまうので、ストーブにする。加湿器も併用。じわじわと暖かい、この幸せ。

午後、ロッテとルイーズの片方が遊びに来る。私の友達でうちに遊びに来てくれたのは彼女がはじめてだ。ぜひ遊びに来てね、とみんなに言ってはいるけれど、家が遠かったり仕事が忙しかったり、なんだかんだで実際にはなかなかできないものだ。彼女と会うのも約1年ぶり。

相方を紹介し、キャラメルシロップとマシュマロの入った甘いカプチーノを飲みながら、しばらく3人で話す。ではあとは二人でごゆっくり、途中で相方は渋谷へ出かけた。3時過ぎ、紅茶をいれて、彼女がおみやげに持ってきてくれたタルトをいただく。私はチーズとブルーベリーの、彼女はキャラメルとイチゴのを選んだ。相方には色とりどりのフルーツのをとっておく。

ひさしぶりに会うと話すことは山ほどある。1年もあればいろんなことが起きる。今までのこと、そしてこれからのこと、話題はあっちへ行ったりこっちへ行ったり次々と出てくる。話しながら考える。彼女はバリバリ働いているけれど、以前からのやわらかい雰囲気はぜんぜん変わらない。やさしいところもよく気がつくところもそのまま。つらかったり苦しかったりするときもあるだろうに、やわらかさやしなやかさを失わないでいられるのはどうしてなのだろう。私なんて揺さぶられてばかりでとてもだめだ。彼女と会うたびいつも不思議に思う。

夕方、帰宅したばかりの相方と一緒に彼女を駅まで送る。3人で横一列に並んで歩く。強く吹く風がつめたい。改札口で手を振って、彼女は帰って行った。今年もすてきな1年になるといい。


2005年01月02日(日) 高層ビル

昼過ぎに帰京。電車が新宿に近づき、立ち並ぶ高層ビルを見てなぜかほっとする。昨日もおとといも遮るものの何もない場所にいて、ああなんて贅沢なんだろう、いいなあこんな場所で生活するのは、と心動かされていたはずなのに。結局、安心するのはこのごちゃごちゃとした都会の景色なのか。がっかりするやらおかしいやら。帰ってきたね、隣に座った相方も同じ気持ちらしい。

いったん家に帰り荷物を置いて、相方のスーツを買いに渋谷へ。狙っていたものがすぐに見つかり、早くしないとなくなっちゃうと気負って来たわりにはあっさりと終了。新宿へ移動してヨドバシカメラで暖房器具を見る。今までエアコンと電気の床暖で何とかしのいできたけれど、断熱材の入っていない薄い壁ではもう限界。朝や夕方帰宅したときなんか、部屋の温度は外と同じ。電気の力ではなかなか暖まらない。こうなったらやっぱり石油ストーブを導入するしかない。「つけたり消したりするときが臭い」とか「灯油を買いに行くのが面倒」とか言っている場合ではない。

まずは手始めに2階用の石油ファンヒーターを購入。2階は部屋に洗濯物を干しているので、風があって乾燥する方がいいのだ。これでうまくいったら1階には石油ストーブを買おう。果たしてどこまで暖まるのか楽しみだ。


2005年01月01日(土) 初日の出/富士山

朝6半頃、目が覚める。窓の外が気になって起き上がる。丘の上から見下ろす海はまだ夜の気配を残しながらも、水平線は明るくなっている。なんて美しい景色だろう。まさか自分の家(というか実家だけど)からこんな景色を眺めることになろうとは夢にも思っていなかった。

少し待つと水平線から一層明るい光りが差す。神々しくは感じない。むしろ親しく身近なものに思う。穏やかでのんびりとしていて温かい。そんな日の出だ。起きぬけのぼさぼさの格好で、寒いのもかまわず窓を開けて、ベランダに体を乗り出して、相方と初日の出を拝む。ああ、新しい一年が始まる。

朝ごはんはお雑煮と簡単なお節料理を数品、お昼ごはんは鶏肉を甘辛く煮たの、キャベツのサラダ、みそ汁、ごはんをいただく。作ってもらう料理はうれしい。

ごはんを食べるかテレビを見る以外にこれと言ってすることがないので、デジカメを持ってふたりで散歩に出る。そこら辺を適当に歩く。見知らぬ土地は楽しい。

昼過ぎに駅まで送ってもらい今度は相方の実家へ。義父が途中の駅まで車で迎えに来てくれる。富士山がよく見えるところまでドライブに連れて行ってくれるという。元日から富士山を見られるのもまた幸せだ。連れて行ってくれたのはだだっ広い草原のようなところで、富士山のすそまできっちり全部見えた。富士山はまだらに雪をかぶって、堂々とそこにあった。

夕方から相方の実家で総勢8人でご馳走をいただく。夢中になってかにを食べる。かにの食べ方がみんないろいろでおもしろい。何を話したのか一つ一つはあまりよく覚えていないけれど、とにかくよく笑った。


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